---
title: "佛說立世阿毘曇論 · 22 壽量品"
description: "佛說立世阿毘曇論由真諦三藏於南朝陳代譯出，屬阿毘曇類論典。該論以佛教宇宙觀為核心，系統闡述世間與出世間的結構、眾生業力與輪迴關係，並詳釋世界成住壞空過程。其內容融合說一切有部思想，兼具經律論三藏特質，為研究早期佛教宇宙論與哲學體系的重要文獻。該論不僅助益修行者理解因果法則，亦為漢傳阿毘曇學發展奠定基礎，在佛教思想史與典籍傳承中具有承先啟後的地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcwz7lt8020fjl04vljnl6zg"
---

### 壽量品第二十二

> 寿量品 第二十二

佛世尊說：「人中二萬歲，是阿毘止獄一日一夜，由此日夜三十日為一月，十二月為一年。由此年數，多年、多百年、多千年、多百千年，於此獄中受熟業果報。於是中生，最極長者一劫壽命。人中六千歲是閻羅獄一日一夜，由此日夜三十日為一月，十二月為一年。由此年數，多年、多百年、多千年、多百千年，於此獄中受熟業報。有畜生道眾生有一日一夜六七過死生，復有諸畜生壽命一劫。人中一月為鬼神道一日一夜，又人中一月日為神鬼中一日一夜。由此日夜三十日為一月，十二月為一年。由此年數，五百年是其壽命，是五百歲當人中十五千年。剡浮提人或十歲、或阿僧祇歲，是中間壽命漸長漸短，長極八萬歲、短極十歲。西瞿耶尼人二百五十年是其壽命，東弗婆提人壽五百歲，北欝單越定壽千年。人中五十歲是四天王一日一夜，由此日夜三十日為一月，十二月為一年。由此年數，五百天年是其壽命，當人中歲數九百萬歲。人中一百年是忉利天一日一夜，由此日夜三十日為一月，十二月為一年。由此年數，壽命千年，當人中三千六百萬歲。人中二百年是夜摩天一日一夜，由此日夜三十日為一月，十二月為一年。由此年數，壽命二千年，當人中十四千萬又四百萬年。人中四百歲是兜率陀天一日一夜，由此日夜三十日為一月，十二月為一年。由此年數，壽命四千年，當人中五千七百六十億年。人中八百年是化樂天一日一夜，由此日夜三十日為一月，十二月為一年。由此年數，壽命八千年，當人中二萬三千四十億年。人中一千六百年是他化自在天一日一夜，由是日夜三十日為一月，十二月為一年。由此年數，壽命一萬六千年，當人中九萬二千一百六十億年。由乾陀山下頂阿脩羅，壽命如四大天王。須彌山下頂阿脩羅，壽命如忉利天。

> 仏世尊がおっしゃった。 「人間の二万年が、阿鼻地獄の一昼夜である。この昼夜をもとに三十日を一月、十二月を一年とする。そしてその年数で数えた、多年・多百年・多千年・多百千年もの間、この地獄で成熟した業の報いを受け続ける。ここに生まれた者で、最も長い寿命は一劫の間である。 人間の六千年が、閻魔地獄の一昼夜である。この昼夜をもとに三十日を一月、十二月を一年とする。そしてその年数で数えた、多年・多百年・多千年・多百千年もの間、この地獄で成熟した業の報いを受ける。 また、畜生道の衆生の中には、一昼夜の間に六七回死んだり生まれたりする者もいれば、寿命が一劫にわたる者もいる。 人間の一月が、鬼神道の一昼夜である。この昼夜をもとに三十日を一月、十二月を一年とする。そしてその年数で数えた五百年が鬼神の寿命であり、その五百年は人間の一万五千年に相当する。 閻浮提（人間世界）の人々は、ある時は十歳、またある時は無数（アサンキヤ）の歳を生きる。その間、寿命は徐々に長くなったり短くなったりする。最も長い時は八万歳、最も短い時は十歳である。 西の瞿耶尼の人々の寿命は二百五十年である。東の弗婆提の人々の寿命は五百年である。北の欝単越の人々の寿命は定まって千年である。 人間の五十年が、四天王天の一昼夜である。この昼夜をもとに三十日を一月、十二月を一年とする。そしてその年数で数えた五百年が天の寿命であり、それは人間の九百万年に相当する。 人間の百年が、忉利天の一昼夜である。この昼夜をもとに三十日を一月、十二月を一年とする。そしてその年数で数えた千年が寿命であり、それは人間の三千六百万年に相当する。 人間の二百年が、夜摩天の一昼夜である。この昼夜をもとに三十日を一月、十二月を一年とする。そしてその年数で数えた二千年が寿命であり、それは人間の十四億四千万年に相当する。 人間の四百年が、兜率陀天の一昼夜である。この昼夜をもとに三十日を一月、十二月を一年とする。そしてその年数で数えた四千年が寿命であり、それは人間の五千七百六十億年に相当する。 人間の八百年が、化楽天の一昼夜である。この昼夜をもとに三十日を一月、十二月を一年とする。そしてその年数で数えた八千年が寿命であり、それは人間の二万三千四十億年に相当する。 人間の千六百年が、他化自在天の一昼夜である。この昼夜をもとに三十日を一月、十二月を一年とする。そしてその年数で数えた一万六千年が寿命であり、それは人間の九万二千一百六十億年に相当する。 由乾陀山の山頂にいる阿修羅の寿命は、四大天王と同じである。須弥山の山頂にいる阿修羅の寿命は、忉利天と同じである。」

「一小劫者名為一劫，二十小劫亦名一劫，四十小劫亦名一劫，六十小劫亦名一劫，八十小劫名一大劫。云何一劫名為小劫？是時提婆達多比丘，住地獄中受熟業報，佛世尊說住壽一劫，如是一小劫名劫。云何二十小劫亦名一劫？如梵先行天二十小劫是其壽量，是諸梵天，佛說住壽一劫，如是二十劫亦名一劫。云何四十小劫名為一劫？如梵眾天壽量四十小劫，佛說住壽一劫，如是四十劫亦名一劫。云何六十小劫名為一劫？如大梵天壽量六十劫，佛說住壽一劫，如是六十小劫亦名一劫。云何八十小劫名一大劫？如少光天壽量一百二十小劫，佛說壽量一大劫半，如是八十小劫名為一大劫。無量光天壽量一百四十小劫，勝遍光天住壽一百六十小劫，是為二大劫。少淨天二大劫半是其壽量，無量淨天三大劫半是其壽量，遍淨天四大劫是其壽量，無雲天三百大劫是其壽量，受福天四百大劫是其壽量，廣果天五百大劫是其壽量，無想天一千大劫是其壽量，善見天一千五百大劫是其壽量，善現天二千大劫是其壽量，不煩天四千大劫是其壽量，不燒天八千大劫是其壽量，阿迦尼吒天一萬六千大劫是其壽量。空無邊入天下品一萬七千五百大劫是其壽量，空無邊入中品一萬八千五百大劫是其壽量，空無邊入上品二萬大劫是其壽量。下品識無邊入天三萬大劫是其壽量，中品識無邊入天三萬五千大劫是其壽量，上品識無邊入天四萬大劫是其壽量。下品無所有無邊入天五萬大劫是其壽量，中品無所有無邊入天五萬五千大劫是其壽量，上品無所有無邊入天六萬大劫是其壽量。下品非想天七萬大劫是其壽量，中品非想天七萬五千大劫是其壽量，上品非想天八萬大劫是其壽量。」是義佛世尊說。如是我聞。

> 「一つの小劫を一劫と言い、二十の小劫も一劫、四十の小劫も一劫、六十の小劫も一劫、八十の小劫を一大劫と呼びます。では、なぜ一つの小劫を単に劫と言うのでしょうか？その時、提婆達多比丘が地獄にいて業報を受けている間、仏世尊は『一劫の間、そこに住する』と説かれました。このように、一小劫を劫と言うのです。では、なぜ二十の小劫も一劫と言うのでしょうか？梵先行天の寿命は二十小劫ですが、諸々の梵天について、仏は『一劫の間、住する』と説かれました。このように二十劫も一劫と言うのです。では、なぜ四十の小劫を一劫と言うのでしょうか？梵衆天の寿命は四十小劫ですが、仏は『一劫の間、住する』と説かれました。このように四十劫も一劫と言うのです。では、なぜ六十の小劫を一劫と言うのでしょうか？大梵天の寿命は六十劫ですが、仏は『一劫の間、住する』と説かれました。このように六十小劫も一劫と言うのです。では、なぜ八十の小劫を一大劫と言うのでしょうか？少光天の寿命は百二十小劫で、仏は『一劫半の寿量』と説かれました。このように八十小劫を一大劫と言います。無量光天の寿命は百四十小劫、勝遍光天の寿命は百六十小劫で、これらは二大劫です。少浄天の寿命は二大劫半、無量浄天の寿命は三大劫半、遍浄天の寿命は四大劫、無雲天の寿命は三百大劫、受福天の寿命は四百大劫、広果天の寿命は五百大劫、無想天の寿命は千大劫、善見天の寿命は千五百大劫、善現天の寿命は二千大劫、不煩天の寿命は四千大劫、不焼天の寿命は八千大劫、阿迦尼吒天の寿命は一万六千大劫です。空無辺入処天の下品の寿命は一万七千五百大劫、中品は一万八千五百大劫、上品は二万大劫です。識無辺入天の下品の寿命は三万大劫、中品は三万五千大劫、上品は四万大劫です。無所有無辺入天の下品の寿命は五万大劫、中品は五万五千大劫、上品は六万大劫です。非想天の下品の寿命は七万大劫、中品は七万五千大劫、上品は八万大劫です。」これが仏世尊の説かれた意味です。私はこのように聞きました。

## 立世阿毘曇論卷第七

> 立世阿毘曇論 第七巻