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title: "佛說立世阿毘曇論 · 1 疾疫品"
description: "佛說立世阿毘曇論由真諦三藏於南朝陳代譯出，屬阿毘曇類論典。該論以佛教宇宙觀為核心，系統闡述世間與出世間的結構、眾生業力與輪迴關係，並詳釋世界成住壞空過程。其內容融合說一切有部思想，兼具經律論三藏特質，為研究早期佛教宇宙論與哲學體系的重要文獻。該論不僅助益修行者理解因果法則，亦為漢傳阿毘曇學發展奠定基礎，在佛教思想史與典籍傳承中具有承先啟後的地位。"
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### 小三災疾疫品第二十四

> 第二十四章 小三災と疫病

佛世尊說：「一小劫者名為一劫，二十小劫亦名一劫，四十小劫亦名一劫，六十小劫亦名一劫，八十小劫名一大劫。云何一小劫名為一劫？是時提婆達多比丘，住地獄中受熟業報，佛世尊說住壽一劫，如是一小劫名一劫。云何二十小劫亦名一劫？如梵先行天二十小劫是其壽量，是諸梵天佛說住壽一劫，如是二十劫亦名一劫。云何四十小劫名為一劫？如梵眾天壽量四十小劫，佛說住壽一劫，如是四十小劫亦名一劫。云何六十小劫名為一劫？如大梵天壽量六十小劫，佛說住壽一劫，如是六十小劫亦名一劫。云何八十小劫名一大劫？佛說劫中世界散壞，劫中世界散壞已住，劫中世界起成，劫中世界起成已住。世界散壞等劫其數云何？」佛言：「比丘！經二十小劫世界散壞，次經二十小劫世界散壞已住，次經二十小劫世界起成，次經二十小劫世界起成已住。是二十小劫世界起成已住者，幾多已過？幾多未過？八小劫已過，十一小劫未來，第九一劫現在未盡。此第九一劫幾多已過？幾多在未來？未來定餘六百九十年在至梁末己卯年翻度此經為斷。是二十小劫中間，有三小災次第輪轉：一者大疾疫災、二大刀兵災、三大飢餓災。今第九劫，即第三災。此劫由飢餓故盡。」

> 仏世尊はこう説かれた。「一つの小劫を一劫と名づけ、二十小劫もまた一劫と名づけ、四十小劫も一劫と名づけ、六十小劫も一劫と名づけ、八十小劫を一大劫と名づける。では、なぜ一つの小劫を一劫と言うのか。その時、提婆達多比丘は地獄にいて熟した業の報いを受けていた。仏世尊は、彼が一劫の間、寿命を保つと説かれた。このように、一つの小劫を一劫と言うのである。では、なぜ二十小劫も一劫と言うのか。例えば、梵先行天の寿命は二十小劫であり、それらの梵天について、仏は一劫の間、寿命を保つと説かれた。このように、二十劫も一劫と言うのである。では、なぜ四十小劫を一劫と言うのか。例えば、梵衆天の寿命は四十小劫であり、仏は一劫の間、寿命を保つと説かれた。このように、四十小劫も一劫と言うのである。では、なぜ六十小劫を一劫と言うのか。例えば、大梵天の寿命は六十小劫であり、仏は一劫の間、寿命を保つと説かれた。このように、六十小劫も一劫と言うのである。では、なぜ八十小劫を一大劫と言うのか。仏は、劫の中で世界が壊れ散り、壊れ散った後に留まり、世界が生じ成り、生じ成った後に留まると説かれた。世界が壊れ散るなどの劫の数は、どのようになっているのか。」 仏は言われた。「比丘よ、二十小劫を経て世界は壊れ散り、次に二十小劫を経て世界は壊れ散ったまま留まり、次に二十小劫を経て世界は生じ成り、次に二十小劫を経て世界は生じ成ったまま留まる。この二十小劫のうち、世界が生じ成って留まっているものは、どれだけ過ぎ、どれだけ未だ過ぎていないのか。八小劫が過ぎ、十一小劫が未来にあり、第九の一劫が現在にあって未だ尽きていない。この第九の一劫は、どれだけ過ぎ、どれだけ未来にあるのか。未来には、確かに残り六百九十年がある<note>梁の末の己卯の年までに、この経の翻訳が為されたことをもって区切りとする</note>。この二十小劫の間には、三つの小災が次々と巡り来る。一つ目は大疾疫災、二つ目は大刀兵災、三つ目は大飢餓災である。今の第九劫は、すなわち第三の災である。この劫は飢餓によって尽きるのである。」

佛言：「比丘！是二十小劫世界起成得住中，第一劫小災起時，有大疾疫種種病，一切皆起閻浮提中。一切國土所有人民等遭疾疫，一切鬼神起瞋惡心損害世人。是時一切人民，壽命短促唯住十歲，身形矬小，或二搩手或三搩手，於其自量則八搩手。所可資食稊稗為上，人髮衣服以為第一，唯有刀仗以自莊嚴。是時諸人不行正法，非法貪著恒所染污，非理貪愛之所逼使，邪法欺張起諸過惡，佷戾難教不能行善，不知作福不救苦難，與邪惡法日夜相應，或身口意起三邪行，不能遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、惡口、兩舌、綺語、貪愛、瞋恚、邪見，不知恭敬父母師僧、沙門婆羅門及親友尊長，恣心所起種種惡業。此業能感壽命短促、能感多病、能感色形醜陋、能感身無威德、能感卑賤家生、能感貧窮困苦、能感愚癡邪見，如是等業日夜生長。如是人者與種種煩惱、惡業相應，由此極重邪行業故，漫風起吹，方所時節違失常度。由此漫風不平等吹，故天降雨不周正落。政應雨時，四王大臣忿行惡人不水遊戲，故不降雨。羅睺阿修羅王欲苦剡浮提人，或以手指或以背脊，接所降雨以置海中。復有鬼神欲苦剡浮提人，神力起火以承天雨令雨焦竭，或政雨時而起大風吹擲海中。以是因緣故天雨不等，一切種子樹藤藥草，並皆枯焦不復結實。設復結實，減色香味，不得長大、無有勢力。若人受用，無五種業，謂色、力、安樂、壽命、聰辯。由其邪惡，於自身中起諸重病，或癩或痟、或顛或瘻、或蟲或毒血、或吐血或泄漏、或水腫或嗽逆上氣、或風痺偏枯或虛勞下瘧、或惡瘡瘭疾、飲食不銷，如此重疾及餘輕病是時俱起。是時諸人嬰大病苦，又為惡鬼之所惱觸，欲求吉祥保護身命，故祠祀天神讀誦呪術，或恃邪見所起種種惡行，殺諸眾生，妄呪神鬼，求覓無病，作如此計：一切利養不及無病。一日一夜，無量眾生疾病疫死。末劫眾生如是，過失自然而生。云何如此？若人行不善法、不平等法，因是果報，於是時中法行、平等善行不可得故，一切眾生於此中生，劫濁自然而起。是時諸人依止麁見麁業，造作種種諸惡，捨命以後受生惡處，苦道退墮無安樂行。是時眾生多趣地獄、畜生、餓鬼、阿修羅道；是時大國王種悉皆崩亡，所有國土次第空廢，唯小郡縣是其所餘，相去遼遠各在一處。爾時諸人不行正法，非法貪著恒所染污，非理貪愛之所逼使，邪法欺張起諸過惡，佷戾難教不能行善，不知作福不救苦難，與邪惡法日夜相應，或身口意起三邪行，不能遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、惡口、兩舌、綺語、貪愛、瞋恚、邪見，不知恭敬父母師僧、沙門婆羅門及親友尊長，恣心所起種種惡業。此業能感壽命短促、能感多病、能感色形醜陋、能感身無威德、能感卑賤家生、能感貧窮困苦、能感愚癡邪見，如是等業日夜生長。如是人者疾病困苦，無人布施湯藥飲食。以是因緣，壽未應盡橫死無數，一日一夜，無量眾生疾病疫死。末劫眾生如是，過失自然而生。云何如此？由行惡法、不平等法，得是果報。於是時中，法行、平等行不可得故，一切眾生於此中生，劫濁自然故起。是時諸人依止麁見麁業，造作種種諸惡，捨命以後，受生修羅、餓鬼、畜生、地獄。時小郡縣次復荒蕪，唯少家在，相去轉遠各在一處。爾時諸人不行正法，所起種種惡業能感壽命短促，乃至愚癡邪見，如是等業日夜增長。是時諸人疾疫死者，無人送埋及燒棄擲，是時土地白骨所覆。一日一夜無數眾生疾病疫死，乃至居家次第空盡。

> 仏陀は言われた。「比丘たちよ、この二十小劫の間、世界が形成され、成り、留まる期間のうち、最初の小劫に災いが起こるとき、大疫病や様々な病がすべて閻浮提に現れる。すべての国土に住む人々は疫病に見舞われ、一切の鬼神は怒りと悪意を起こして世の人々を害する。そのとき、人々の寿命は短く、わずか十歳となり、身体は小さく、二抱えか三抱えほどで、自らの尺度では八抱えほどである。食べ物は雑穀が最上とされ、髪の毛で作った衣服が第一とされ、武器や杖だけを飾りとする。このとき、人々は正しい法を行わず、不法な貪りに常に染まり、道理に反する愛欲に駆られ、邪法がはびこって様々な過ちや悪事を起こし、頑なで教えを受け入れず、善を行えず、福を積まず、苦難を救わず、邪悪な法に昼夜相応し、あるいは身・口・意の三業で邪行を起こす。殺生、盗み、邪淫、嘘、悪口、両舌、綺語、貪愛、瞋恚、邪見を遠ざけることができず、父母や師僧、沙門、婆羅門、親友や目上の者を敬うことを知らず、心のままに様々な悪業を起こす。この業は、寿命を縮め、病を多くし、容姿を醜くし、威徳を失わせ、卑しい家に生まれさせ、貧しく苦しめ、愚かで邪見にさせる。こうした業が日夜に増え続ける。このような人々は、様々な煩悩や悪業と相応している。この極めて重い邪悪な行いの業によって、乱れた風が吹き始め、方角や時節が常道を外れる。この乱れた風が不規則に吹くため、天の雨も偏って降る。本来、雨が降るべき時に、四大天王の家臣たちは悪人を責め、水遊びをさせないため、雨を降らせない。羅睺阿修羅王は閻浮提の人々を苦しめようとして、指や背中で降る雨を受け止めて海に落とす。また、閻浮提の人々を苦しめようとして、鬼神たちが神通力で火を起こし、天からの雨を受け止めて干上がらせ、あるいは大雨の時に大風を吹かせて海に投げ入れる。これらの理由から、雨は不揃いとなり、すべての種子や木、蔓、薬草は枯れ果てて実を結ばなくなる。たとえ実を結んでも、色や香りや味が減じ、大きくならず、力もなくなる。人がそれを用いても、五つの効能――美しい色、力、安楽、長寿、聡明な弁舌――を得ることはない。邪悪な行いのゆえに、人々は自身の身に重い病気を引き起こす。すなわち、らい病、消耗病、精神錯乱、瘻、虫や毒血の病、吐血、下痢、水腫、咳や息切れ、風痺や半身不随、労咳や熱病、悪い瘡や腫れ物、消化不良など、これらの重い病気や、その他の軽い病気が同時に起こる。このとき、人々は大病の苦しみを抱え、さらに悪鬼に悩まされ、吉を求めて身の安全を守ろうと、天神を祀り、呪術を唱え、あるいは邪見に頼って様々な悪行を行い、多くの生き物を殺し、鬼神を呪って無病を求める。その考えはこうだ。『すべての利得も無病には及ばない』と。一昼夜の間に、無数の衆生が病に罹り、疫病で死ぬ。末劫の衆生はこのように、過ちが自然に生じる。なぜそうなるのか。人が不善法や不平等法を行うならば、その果報として、この時には法行や平等行、善行が得られなくなるからである。すべての衆生はこの中に生まれ、劫濁が自然に起こる。この時、人々は粗い見解や粗い業に依拠し、様々な悪を造り、命を終えた後は悪い場所に生まれ、苦しみの道に堕ちて安楽な行いはない。この時、衆生の多くは地獄、畜生、餓鬼、阿修羅の道に向かう。この時、大国の王族はすべて滅び去り、国々は次々と荒廃し、わずかに小郡県だけが残り、互いに遠く離れて各々一か所に散在する。その時、人々は正しい法を行わず、不法な貪りに常に染まり、道理に反する愛欲に駆られ、邪法がはびこって様々な過ちや悪事を起こし、頑なで教えを受け入れず、善を行えず、福を積まず、苦難を救わず、邪悪な法に昼夜相応し、あるいは身・口・意の三業で邪行を起こす。殺生、盗み、邪淫、嘘、悪口、両舌、綺語、貪愛、瞋恚、邪見を遠ざけることができず、父母や師僧、沙門、婆羅門、親友や目上の者を敬うことを知らず、心のままに様々な悪業を起こす。この業は、寿命を縮め、病を多くし、容姿を醜くし、威徳を失わせ、卑しい家に生まれさせ、貧しく苦しめ、愚かで邪見にさせる。こうした業が日夜に増え続ける。このような人々は、病気と苦しみに悩まされ、湯薬や飲食を施す者もいない。この理由から、寿命が尽きる前に横死する者が数えきれず、一昼夜の間に、無数の衆生が病に罹り、疫病で死ぬ。末劫の衆生はこのように、過ちが自然に生じる。なぜそうなるのか。悪法や不平等法を行ったため、この果報を受けるのである。この時には、法行や平等行が得られないため、すべての衆生はこの中に生まれ、劫濁が自然に起こる。この時、人々は粗い見解や粗い業に依拠し、様々な悪を造り、命を終えた後は、修羅、餓鬼、畜生、地獄に生まれる。そのうち、小郡県もまた次々と荒れ果て、わずかに家々が残り、互いに遠く離れて各々一か所に散在する。その時、人々は正しい法を行わず、様々な悪業を起こし、それが寿命を縮め、さらには愚かで邪見にさせる。こうした業が日夜に増え続ける。この時、人々は疫病で死者が出ても、埋葬したり焼いたり捨てたりする者もなく、土地は白骨で覆われる。一昼夜の間に無数の衆生が病に罹り、疫病で死に、家々も次々と空っぽになる。

「是時劫末唯七日在，於七日中，無量眾生遭疫病死盡，設有在者各散別處。時有一人合集剡浮提內男女，唯餘一萬，留為當來人種。於是時中皆行非法，唯此萬人能持善行，諸善鬼神欲令人種不斷絕故，擁護是人，以好滋味令入其毛孔，以業力故於劫中間，留人種子自然不斷。過七日後，是大疫病一時息滅，一切惡鬼皆悉捨去。隨諸眾生種種須欲，飲食衣服等應念所須，天即雨下，陰陽調和、美味出生，身形可愛相好還復，一切善法自然而起，清涼寂靖安樂無病，大悲入心，由大悲故大慈入心，由大慈故無惱害意，由無害意互得相見，生喜樂心、生忍受心、生無厭心，共相携持不相捨離。譬如相愛親友久不相見，忽得聚集，生喜樂心、生忍受心、生無厭心，共相携持不相捨離；時人相見亦復如是，因相愛念，男女共居。是前劫人壽命十歲，後劫人民從其而生，壽命最長色形奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命二十千歲。是時眾生如此，功德自然得成。云何如此？法行、平等行、善行是其果報。是時諸人與種種善法相應，身善行、口善行、意善行，捨壽命已後生善道及天道，捨壽命已還生人道，生人道已自然賢善，自性清淨自性道德，心性和雅戒品具足，常行勝善，遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語，無貪欲心無瞋恚心，捨邪見法修行正見，恭敬父母、沙門婆羅門、親友尊長，與種種善法相應。是業能感長壽、能感無病、能感色形端正、能感身有威德、能感富貴家生、能感大智，如是善業日夜生長。是時諸人依福德行生無量功德，捨壽以後更生天道及以善道，善道中住久久時節。如是初劫，中間由大疫病究竟窮盡，次第二劫來續，二十千歲是劫中間第一壽量。是人從前二十千歲人所生，是人壽命最長、色形奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命四十千歲。時諸眾生如此，功德自然得成。云何如此？法行、平等行、善行是其果報。是時諸人與種種善法相應，身善行、口善行、意善行，捨壽命已生善道及天道，捨壽命已還生人中，生人中已自然賢善，自性清淨、自性道德，心性和雅、戒品具足、常行勝善，遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語，無貪欲心、無瞋恚心，捨邪見法修行正見，恭敬父母、沙門及婆羅門、親友尊長，與種種善法相應。是業能感長壽、能感無病、能感色形端正、能感身有威德、能感富貴家生、能感大智，如是善業日夜生長。是時諸人依福德行生無量功德，捨壽命後更生天道及以善道，善道中住久久時節。如是說名第二劫，中間第二壽量四十千歲。是諸人從四十千歲人所生，是人壽命最長、色形奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命六十千歲。是時諸人與種種善法相應，身善行、口善行、意善行，捨壽命已生善道及天道，捨天壽已還生人中，生人中已自然賢善，自性清淨自性道德，心性和雅戒品具足、常行勝善，遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語，無貪欲心無瞋恚心，捨邪見法修行正見，恭敬父母、沙門及婆羅門、親友尊長，與種種善法相應。是業能感長壽、能感無病、能感色形端正、能感身有威德、能感富貴家生、能感大智，如是善業日夜生長。是時諸人依福德行生無量功德，捨壽命後更生天道及以善道，善道中住久久時節。如是說名第三劫，中間第三壽量六十千歲。次是諸人從六十千歲人所生，是人壽命最長、色形奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命八十千歲。如是剡浮提劫中間，所生眾生壽量長遠，究竟極此八十千年，是時女人年五百歲爾乃行嫁。是時諸人唯有七病，謂大小便利、寒、熱、婬欲心、飢、老。如是時中，一切國土富貴豐樂，無有怨賊及以盜竊，州郡縣邑人民村落，更相次比雞鳴相聞，耕種雖少收實巨多。是時諸人受功用業少，用宿世善業果多，舍宅車乘衣服財寶，生生之資稱意具足，雖復受用終身不壞。是時諸人安坐受樂，無所馳求，壽命八十千歲，住阿僧祇年乃至眾生未造十惡。從起十惡業道時節，壽命因此十歲減度，一百年則減十歲，次復百年復減十歲，次第漸減至餘十歲，最後十歲住不復減。長極八萬，短至十年；若佛不出世，次第如此；若佛出世，如正法住，眾生壽命暫住不減，隨正法稍減壽命漸減。」佛世尊說。如是我聞。

> その時期の劫末まであと七日という時、その七日間に無数の衆生が疫病にかかって死に絶えました。たとえ生き残った者たちも、それぞれ散り散りになって別の場所へ行きました。その時、ある一人の人が閻浮提（えんぶだい）の中の男女を集めたところ、わずか一万人だけが残り、未来の人類の種として留められました。 こうした中で、皆が非法を行っていましたが、この一万人だけは善い行いを保つことができました。様々な善い鬼神たちが「人間の種を絶やしてはならない」と考え、この人々を守り、良い味わいを彼らの毛孔に入れました。業の力によって、劫の間に人間の種は自然と絶えることなく続きました。 七日が過ぎた後、この大きな疫病は一時に鎮まり、全ての悪鬼も去って行きました。衆生の様々な欲求に従って、飲食や衣服など必要なものが思いに応じて天から降り注ぎ、陰陽が調和し、美味が生まれました。人々の姿形は愛らしくなり、相好も元のように戻りました。全ての善法が自然に起こり、清涼で静かで安楽であり、病もなくなりました。大悲の心が入り、その大悲によって大慈の心が入り、その大慈によって悩ませ害そうとする心がなくなり、害する心がないことで互いに顔を合わせて喜び楽しむ心が生まれ、忍ぶ心が生まれ、飽きることのない心が生まれ、互いに手を携えて離れようとしませんでした。 たとえば、愛しい親友が長く会えずにいたのが、突然集まることができたなら、喜び楽しむ心が生まれ、忍ぶ心が生まれ、飽きることのない心が生まれ、互いに手を携えて離れようとしないのと同じです。その時の人々も互いに会うとそのようになり、愛情を持ち合ったことで男女は共に暮らしました。 前の劫の人の寿命は十歳でしたが、後の劫の人民はその人々から生まれ、寿命は最も長く、姿形は特別で、威徳は最も優れ、神通力は自在で、生活に必要なものは十分に備わり、寿命は二万歳でした。その時の衆生はこのようにして、功徳が自然に成就しました。なぜこのようになるのでしょうか？ 法に従った行い、平等な行い、善い行いがその報いなのです。 その時の人々は様々な善い法と相応し、身体による善行、言葉による善行、心による善行を行い、命を終えた後は善道や天道に生まれ、また人間に生まれました。人間に生まれると自然に賢く善くなり、自らの性質は清らかで道徳的であり、心は和やかで戒律を備え、常に優れた善行を行い、殺生、盗み、邪婬、偽りの言葉、両舌、悪口、綺語を遠ざけ、貪欲の心や瞋恚の心がなく、邪見を捨てて正見を修行し、父母、沙門、バラモン、親友、目上の者を敬いました。このような様々な善法と相応していました。 この業は長寿をもたらし、健康をもたらし、姿形の端正をもたらし、身に威徳をもたらし、富貴な家に生まれることをもたらし、大きな智慧をもたらすことができ、このような善業は日夜成長しました。その時の人々は福德の行いに従って無量の功徳を生み、命を終えた後はさらに天道や善道に生まれ、善道に長く留まりました。 このようにして、最初の劫の中間は大疫病によって完全に終わりを迎え、次の第二の劫が続きました。二万歳がこの劫の中間の最初の寿命の量です。人々は前の二万歳の人々から生まれました。その人々の寿命は最も長く、姿形は特別で、威徳は最も優れ、神通力は自在で、生活に必要なものは十分に備わり、寿命は四万歳でした。 その時の衆生はこのようにして、功徳が自然に成就しました。なぜこのようになるのでしょうか？ 法に従った行い、平等な行い、善い行いがその報いなのです。その時の人々は様々な善い法と相応し……（以下同様の記述が続きます）。この業は長寿をもたらし……このようにして善業は日夜成長しました。……このようにして第二の劫と言われ、中間の第二の寿命の量は四万歳です。 人々はその四万歳の人々から生まれ、寿命は最も長く、姿形は特別で、威徳は最も優れ、神通力は自在で、生活に必要なものは十分に備わり、寿命は六万歳でした。……このようにして第三の劫と言われ、中間の第三の寿命の量は六万歳です。 次に、人々はその六万歳の人々から生まれ、寿命は最も長く、姿形は特別で、威徳は最も優れ、神通力は自在で、生活に必要なものは十分に備わり、寿命は八万歳でした。このように閻浮提の劫の中間に生まれる衆生の寿命は長遠であり、究極的にはこの八万歳が極まりでした。その時、女性は五百歳になってようやく嫁ぎました。 その時の人々には七つの病しかありませんでした。すなわち、大小便、寒さ、暑さ、婬欲の心、飢え、老いです。こうした中、全ての国土は富み栄え豊かで楽しく、怨みの賊や盗人がなく、州郡や県邑、人民の村落は互いに隣接して鶏の鳴き声が聞こえ合い、耕すことは少ないにもかかわらず収穫は非常に多かったのです。 その時の人々は労力を使う業は少なく、前世の善業の果報を多く用い、家屋、車乗、衣服、財宝など、生活に必要なものは望み通りに十分に備わり、使い尽くしても生涯壊れることはありませんでした。その時の人々は安らかに座って楽しみ、何かを求めていくらすることもなく、寿命は八万歳で、阿僧祇（あそうぎ）の年の間、衆生が十悪を造らない限り続きました。 十悪の業道を起こし始めた時から、寿命はこれによって十歳ずつ減少し始めました。百年ごとに十歳ずつ減り、次第に減って残り十歳となり、最後の十歳で留まってそれ以上は減りませんでした。最も長くて八万歳、短くて十歳まで。もし仏が世に出なければ、このように次第に進みます。もし仏が世に出れば、正法が住するように、衆生の寿命は一時的に留まって減らず、正法が次第に衰えるにつれて寿命も次第に減っていきます。」 仏世尊がこのように説かれました。私はこのように聞きました。