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title: "佛說立世阿毘曇論 · 2 刀兵品"
description: "佛說立世阿毘曇論由真諦三藏於南朝陳代譯出，屬阿毘曇類論典。該論以佛教宇宙觀為核心，系統闡述世間與出世間的結構、眾生業力與輪迴關係，並詳釋世界成住壞空過程。其內容融合說一切有部思想，兼具經律論三藏特質，為研究早期佛教宇宙論與哲學體系的重要文獻。該論不僅助益修行者理解因果法則，亦為漢傳阿毘曇學發展奠定基礎，在佛教思想史與典籍傳承中具有承先啟後的地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcwz7lym023sjl04rbern8fb"
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### 小三災刀兵品第二

> 第二品 小三災・刀兵

佛世尊說：「一小劫者名為一劫，餘如前說，乃至八十小劫名為大劫。云何八十小劫名一大劫？佛說劫中世界散壞，劫中世界散壞已住，劫中世界起成，劫中世界起成已住。」「世尊！散壞等劫其數云何？」佛言：「比丘！經二十小劫世界散壞，次經二十小劫世界散壞已住，次經二十小劫世界起成，次經二十小劫起成已住。是二十小劫世界起成得住中，第二劫小災起時，由大刀兵是劫究竟。是時閻浮提中，一切國土所有人民，遭大刀兵互相憎害，又起疾疫，一切鬼神起瞋惡心損害世人，是時一切人民壽命短促，唯住十歲，身形矬小，或二搩手或三搩手，所可資食稊稗為上，人髮為衣服以為第一，唯有刀仗以自莊嚴。是時諸人不行正法，非法貪著恒所染污，非理貪愛之所逼使，邪法欺張起諸過惡，佷戾相教不能行善，不知作福不救苦難，與邪惡法日夜相應，或身口意起三邪行，不能遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語、貪愛、瞋恚、邪見，不知恭敬父母、師僧、沙門婆羅門及親友尊長，恣心所起種種惡業。此業能感壽命短促、能感疾病、能感色形醜陋、能感身無威德、能感卑賤家生、能感貧窮困苦、能感愚癡邪見，如是等業日夜生長。如是人者與種種煩惱惡業相應，由此極重邪業行故，父母兒子互相鬪諍，兄弟姊妹、親友眷屬自相鬪諍，何況他人？是時諸人起鬪諍已，仍相手舞，或以瓦石、或以杖損，次乃刀杖互相怖畏乃至殺害。是時諸人起重瞋恚，行諸殺害以為戲樂。東方國王來伐西國，西方國王往伐東國，南北諸王亦復如是。是諸王以相罵為法，說人罪過以為法式，伺求間隙以為正事。行鬪諍已起怨家想，執持刀杖更相誅滅，於一日夜被害死者其數無量。劫末眾生如是過失自然而生。云何如此？若人行不善法、不平等法，得是果報。於是時中法行、平等行、善行不可得故，一切眾生於此中生，劫濁自然而起。是時諸人依止麁見麁業，造作種種諸惡，捨命已後受生惡處，苦道退墮無安樂行。是時眾生多生地獄、畜生、餓鬼、阿修羅道；是時大國王種悉皆崩亡，所有國土次第空廢，唯小郡縣是其所餘，蓋不足言，相去遼遠各在一處。爾時諸人不行正法，非法貪著恒所染污，非理貪愛之所逼使，邪法欺張起諸惡業，佷戾難教不能行善，不知作福不救苦難，與邪惡法日夜相應，或身口意起三邪行，不能離殺生、偷盜、邪婬、妄語、惡口、兩舌、綺語、貪愛、瞋恚、邪見，不能恭敬父母師僧、沙門婆羅門及親友尊長，恣心所起種種惡業。此業能感壽命短促、能感多病、能感色形醜陋、能感身無威德、能感卑賤家生、能感貧窮困苦、能感愚癡邪見，如是等業日夜生長。東方國人來伐西人，南北諸人亦復如是。是時諸人以相罵為法，說人罪過以為法式，伺求間隙以為正事。行鬪諍已起怨家想，執持刀杖更相誅滅，於一日夜被害死者其數無量。末劫眾生如是，過失自然而生。云何如此？若人不行善行、法行、平等行，得是果報。於是時中，法行、平等行、善行不可得故，一切眾生於此中生，劫濁自然而起。是時諸人依上麁業，造作種種諸惡，捨命以後更生惡處，苦道退墮無安樂行。是時眾生多生地獄、畜生、餓鬼、阿脩羅道，諸郡縣次復空盡，唯少家在，相去轉遠各在一處。是時東家來殺西家，西家復殺東家，南北諸家亦復如是。是時諸人以相罵為法，說人罪過以為法式，伺求間隙以為正事。行鬪諍已起怨家想，執持刀杖更相誅滅，於一日夜被害死者其數無量。末劫眾生如是，過失自然而生。云何如此？若人不行善行，不行正法行、平等行，得是惡業果。於是時中，正法行、平等行、善行不可得故，一切眾生於此中生，劫濁自然而起。是時諸人依止麁見麁業，造作種種諸惡，捨命以後更生惡處，苦道退墮無安樂行，是時眾生多生地獄、畜生、餓鬼、阿脩羅道。是時人家一時沒盡，縱餘殘人各各分散。此散人不行正法、起種種惡業，能感壽命短促乃至愚癡邪見。

> 仏陀（世尊）はこうおっしゃいました。 「一つの小劫を一劫と名づけます。そして、八十の小劫が一つの大劫となります。では、なぜ八十の小劫が一つの大劫と呼ばれるのでしょうか。仏が説くには、劫の中では世界が壊れ散り、壊れ散った後にはその状態が続き、やがて世界が新しく形成され、形成された後にもまたその状態が続くのです。」 そこで比丘が尋ねました。「世尊よ、その世界が壊れ散るなどの劫の数は、どのようになっているのでしょうか。」 仏は答えました。「比丘よ、まず二十小劫の間、世界は壊れ散ります。次に二十小劫の間、壊れ散った状態が続きます。次に二十小劫の間、世界が新しく形成されます。次に二十小劫の間、形成された状態が続きます。この最後の二十小劫の、世界が形成されて安定している期間の中で、第二の小劫に小さな災いが起こるとき、それは大刀と兵器による災厄で劫が終わります。 その時、閻浮提（私たちの住む世界）の全ての国土に住む人々は、大刀と兵器による災いに遭い、互いに憎み害し合います。また疫病が発生し、全ての鬼神が怒りと悪意を起こして世の人々を損なります。その時、全ての人々の寿命は短く、わずか十歳ほどにしかなりません。身丈もひどく低くなり、わずかに二、三搩手（手のひら二、三つ分）ほどです。食べ物としては、最も粗末な雑穀さえもがご馳走とされ、人毛の衣服が最も上等とされます。ただ刀や杖だけが、自分を飾るための道具となります。 この時、人々は正しい道に従って行動せず、道理に反した貪りの心に常に染まっています。不合理な欲望に駆り立てられ、間違った教えがはびこり、様々な過ちや悪行が起こります。頑なで互いに間違ったことを教え合い、善を行うことができません。善い行いを積むことを知らず、苦しむ人々を救うこともありません。悪しき行いと日夜向き合い、身・口・意の三つで誤った行いを起こし、殺生、盗み、邪な性行為、嘘、中傷、悪口、無駄話、貪り、怒り、誤った見解から逃れることができません。父母、師僧、沙門（修行者）、バラモン（司祭）、そして親類や目上の人々を敬うことを知らず、心のままに様々な悪い行いを起こします。 これらの行いは、寿命を縮め、病気をもたらし、容姿を醜くし、人から敬われる威徳を失わせ、卑しい家に生まれさせ、貧困と苦しみを与え、愚かで誤った見解を与える原因となります。このような行いが日夜生長していきます。このような人々は、様々な煩悩や悪行と結びついています。この極めて重い誤った行いのゆえに、父母と子は互いに争い、兄弟姉妹、親戚、家族も互いに争います。ましてや他人同士ではなおさらです。 この時、人々は争いを起こすと、まず手で舞うように打ち合い、次に瓦や石、杖で傷つけ合い、やがて刀や杖で互いに恐れさせ合い、ついには殺し合うに至ります。この時、人々は激しい怒りを起こし、他者を殺すことを遊びや楽しみとします。東方の国の王は西方の国を攻め、西方の国の王は東方の国を攻め、南北の諸王も同じように行います。これらの王たちは、互いに罵り合うことを当然のこととし、人の罪過をあげつらうことを習慣とし、相手の隙をうかがうことを正しい務めとします。争いを起こした後は、互いに怨みの相手と思い、刀や杖を手に取り、互いに殺し合います。一昼夜の間に殺される者の数は計り知れません。 劫の終わりの衆生のこのような過ちは、自然に生じます。なぜそうなるのでしょうか。人が不善な行い、不平等な行いを行えば、そのような報いを得るからです。この時、正しい行い、平等な行い、善い行いを得ることができないため、全ての衆生がこのような世界に生まれ、劫の濁りが自然に起こるのです。この時、人々は粗雑な見解と粗雑な行いにもとづいて、様々な悪行を造り、命を終えた後には悪い場所に生まれ変わり、苦しみの道に落ちて安楽な行いを得ることができません。この時、多くの衆生は地獄、畜生、餓鬼、阿修羅の道に生まれます。そして、大きな国の王家は全て滅び、全ての国土は次々と荒れ果て、わずかに小さな郡や県が残るだけとなります。それらも取るに足らず、互いに遠く離れてそれぞれ別の場所にあります。 再び、人々は正しい道を行わず、道理に反した貪りに染まり、不合理な欲望に駆られ、間違った教えにはびこらせ、様々な悪行を起こします。そして身・口・意の三つで誤った行いを… （以下同様の悪業とその報いが繰り返され、世界がさらに荒廃していきます） このように、人々は善い行い、正しい道、平等な行いを行わないため、これらの悪業の報いを受けます。正しい行い、平等な行い、善い行いが得られないので、劫の濁りが自然に起こり、人々は粗雑な行いにもとづいて様々な悪を造り、命を終えた後にはさらに悪い場所に生まれ、苦しみから逃れられません。地獄、畜生、餓鬼、阿修羅の道に多くの衆生が生まれ、最後には家も全て尽き、生き残った者たちも散り散りになります。しかしそれでも、彼らは正しい道を行わず、再度同じような悪業を積み続けるのです。」

「是時劫末餘七日在，於七日中，手執草木即成刀杖，由此器仗互相殘害、怖畏困死。是時諸人怖懼刀杖逃竄林藪，或渡江水隱蔽孤洲，或入坑窟以避災難，或時相見仍各驚走恐怖失心，或時仆地譬如麞鹿遭逢獵師，是時諸人更遞相見怖畏如是。是七日中，刀兵橫死其數無量，設有在者各散別處。時有一人合集剡浮提男女，唯餘一萬，留為當來人種。於是時中皆行非法，唯此萬人能治善行，諸善鬼神欲令人種不斷絕故，擁護是人，以好滋味令入毛孔，以業力故於劫中間，留人種子自然不斷。過七日後，是大刀兵一時息滅，一切惡鬼皆悉捨去，隨諸眾生種種須欲，衣服飲食等應念所須，天即雨下，陰陽調和美味出生，身形可愛相好還復，一切善法自然而起。清涼寂靖安樂無病大悲入心，由大悲故大慈入心，由大慈故無惱害意，由無害意互得相見，生喜樂心、生忍受心、生無厭心，共相携持不相捨離。譬如相愛親友久不相見，忽得聚集，生喜樂心、生忍受心、生無厭心，共相携持不相捨離；時人相見亦復如是，因相愛念男女共居。是前劫人壽命十歲，後劫人民從其而生，壽命最長、色形奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命二十千歲。是時眾生如此，功德自然得成。云何如此？法行、平等行、善行是其果報。是時諸人與種種善法相應，身善行、口善行、意善行，捨壽命後生善道及天道，捨壽命已還生人道，生人道已自然賢善，自性清淨、自性道德，心性和雅、戒品具足、常行勝善，遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語，無貪欲心、無瞋恚心，捨邪見法修行正見，恭敬父母、沙門婆羅門、親友尊長，與種種善法相應。是業能感長壽、能感無病、能感色形端正、能感身有威德、能感富貴家生、能感大智，如是善業日夜生長。是時諸人依福德行生無量功德，捨壽命後更生天道及以善道，善道中住久久時節。如是初劫，中間由大刀兵究竟窮盡，次第三劫來續，二十千歲是劫中間第一壽量。是人從前二十千歲人所生，是人壽命最長、色形奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命四十千歲。時諸眾生如此，功德自然得成。云何如此？法行、平等行、善行是其果報。是時諸人與種種善法相應，身善行、口善行、意善行，捨壽命已生善道及天道，捨天壽命還生人中，生人中已自然賢善，自性清淨、自性道德，心性和雅、戒品具足、常行勝善，遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語，無貪欲心、無瞋恚心，捨於邪見修行正見，恭敬父母、沙門婆羅門、親友尊長，與種種善法相應。是業能感長壽、能感無病、能感色形端正、能感身有威德、能感富貴家生、能感大智，如是善業日夜生長。是時諸人依福德行增長無量功德，捨壽命後更生天道及以善道，善道中住久久時節。如是說名第三劫，中間第二壽量四十千歲。次復諸人從四十千歲人所生，是人壽命最長、身形奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命六十千歲。是時諸人與種種善法相應，身善行、口善行、意善行，捨壽命已生善道及天道，捨天道已還生人中，生人中已自然賢善，自性清淨、自性道德，心性和雅，戒品具足，常行勝善，遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語，無貪欲心、無瞋恚心，捨邪見法修行正法，恭敬父母，沙門婆羅門，親友尊長，與種種善法相應。是業能感長壽、能感無病、能感色形端正、能感身有威德、能感富貴家生、能感大智，如是善業日夜生長。是時諸人依福德行生無量功德，捨壽命後更生天道及以善道，善道中住久久時節。如是說名第三劫，中間第二壽量六十千歲。次是諸人從六十千歲人所生，是人壽命最長、色形奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命八十千歲。如是閻浮提劫中間，所生眾生壽量長遠，究竟極此八十千年，是時女人年五百歲爾乃行嫁。是時諸人唯有七病，謂大小便利、寒、熱、欲心、飢、老。如是時中，一切國土富貴豐樂，無有怨賊及以盜竊，州郡縣邑民人村落，更相次比雞鳴相聞，耕種雖少收實巨多。是時諸人受功用果少，用宿世善業果多，舍宅車乘衣服財寶，生生之資稱意具足，雖復受用終身不壞。是時諸人安坐受樂，無所馳求，壽命八十千歲，住阿僧祇年乃至眾生未造十惡。從起十惡業道時節，壽命因此十惡減，度一百年則減十歲，次復百年復減十歲，次第漸減至餘十歲，最後十歲住不復減。長極八萬，短至十年；若佛不出世，次第如此；若佛出世，如正法住時，眾生壽命暫住不減，隨正法稍減壽命漸減。」佛世尊說。如是我聞。

> その時、劫の終わりまで七日を残し、この七日間、人々は手に取った草木がそのまま刀や杖となり、その武器を使って互いに傷つけ合い、恐怖と苦しみの中で死んでいきました。 この時、人々は刀や杖を怖れて、森や藪に逃げ込み、あるいは川を渡って孤島に隠れ、あるいは穴や洞窟に入って災難を避けました。時には互いに見つけても、驚いて逃げ惑い、正気を失い、倒れてしまうこともありました。まるで鹿が狩人に出会ったかのようでした。この七日間、刀や武器によって命を落とす者の数は計り知れませんでした。 生き残った者たちも、皆、離れ離れになりました。この時、閻浮提（えんぶだい）の男女を集めると、わずか一万人だけが残り、未来の人類の種となりました。 この時代、人々は皆、非法を行っていましたが、この一万人だけは善行を実践していました。様々な善鬼神（ぜんきじん）は、人類の種を絶やさないようにと、この人々を守り、素晴らしい滋養をその毛穴から取り込ませました。そして、業の力によって、劫の間に人類の種子が自然と絶えることなく続くようにしたのです。 七日が過ぎると、この大きな刀兵の災いは一時に静まり、全ての悪鬼は去っていきました。そして、衆生の様々な欲求に従い、衣服や食べ物など、求めるものが心に念じるままに天から降り注ぎました。陰陽は調和し、美味なるものが生まれ、人々の身体は愛らしく、かつての良い相も戻り、一切の善法が自然と起こりました。 心は清涼で静かであり、安楽で病もなく、大悲（だいひ）の心が入り、大悲によって大慈（だいじ）の心が入り、大慈によって害そうという心がなくなり、害そうという心がないので、互いに見ると喜びの心、耐え忍ぶ心、飽きることのない心が生まれ、手を取り合って離れることはありませんでした。 例えて言えば、愛する親しい友が長い間会えずにいたのに、突然集まることができた時のような喜び、耐え忍ぶ心、飽きることのない心で、互いに支え合い、離れなかったのです。その時代の人々も同じで、互いに愛し合い、男女は共に住みました。 この前の劫の人々の寿命は十歳でしたが、後の劫の民はそこから生まれ、その寿命は最も長く、容姿は素晴らしく、威徳は最も勝れ、自在な神通力を持ち、生活に必要なものは全て備わり、寿命は二万歳でした。 この時の衆生は、このように自然に功徳が成就しました。なぜでしょうか？それは、法行（ほうぎょう）、平等行（びょうどうぎょう）、善行（ぜんぎょう）がその果報だからです。 この時、人々は様々な善法と相応し、身体での善行、言葉での善行、心での善行を行い、命を終えると善趣（ぜんしゅ）や天道に生まれ、そこでの命を終えると再び人間に生まれました。人間に生まれると自然に賢く善くなり、自性は清らかで、自ら道徳をわきまえ、心は穏やかで、戒を完全に備え、常に優れた善行を実践し、殺生、盗み、邪淫、嘘、二枚舌、悪口、綺語（きご）を遠ざけ、貪りの心、怒りの心がなく、邪見を捨てて正見を修行し、父母、沙門（しゃもん）・バラモン、親戚や目上の人を敬い、様々な善法と相応しました。 この業は、長寿、無病、端正な容姿、威徳、富貴な家に生まれること、大いなる智慧をもたらします。このような善業は日夜増大しました。この時、人々は福徳の行に基づいて無量の功徳を生み、命を終えると天道や善趣に生まれ、長い間そこに留まりました。 これが、初めの劫の間に大刀兵の災いが完全に終わった後の、第二の劫の始まりであり、二万歳がこの劫の最初の寿命でした。 次に、人々はこの二万歳の人々から生まれ、その寿命は最も長く、容姿は素晴らしく、威徳は最も勝れ、自在な神通力を持ち、生活に必要なものは全て備わり、寿命は四万歳でした。この時の衆生は、このように自然に功徳が成就しました。理由は先と同じです。 人々の行いも先と同じで、様々な善法と相応し、その業によって長寿などがもたらされました。これが、第二の劫の間の、第二の寿命である四万歳と言われます。 次に、人々はこの四万歳の人々から生まれ、その寿命は最も長く、容姿は素晴らしく、威徳は最も勝れ、自在な神通力を持ち、生活に必要なものは全て備わり、寿命は六万歳でした。行いや果報も同様です。これが、第三の劫の間の、第三の寿命である六万歳と言われます。 次に、人々はこの六万歳の人々から生まれ、その寿命は最も長く、容姿は素晴らしく、威徳は最も勝れ、自在な神通力を持ち、生活に必要なものは全て備わり、寿命は八万歳でした。 このように、閻浮提の劫の間に生まれる衆生の寿命の長さは、究極的にはこの八万年が最大です。この時、女性は五百歳で結婚しました。人々の病は、大小便、寒さ、暑さ、欲望、飢え、老いの七つだけでした。 この時代、全ての国土は豊かで安楽であり、怨敵や盗賊はいませんでした。州、郡、県、邑、村は互いに隣接し、鶏の鳴き声が聞こえ合うほどでした。耕作は少なくても収穫は非常に多かったのです。 人々は労力の結果を使うことは少なく、過去世の善業の結果を使うことが多かったのです。家屋、乗り物、衣服、財宝など、生活に必要なものは全て心のままに備わり、使い続けても決して壊れることはありませんでした。 人々は座って安楽に享受し、追い求めて奔走することはありませんでした。寿命は八万歳であり、阿僧祇（あそうぎ）年の間、衆生が十悪を造らない限り続きました。 十悪の道を起こす時から、寿命はこの十悪によって減少し始め、百年経つごとに十歳ずつ減り、次第に減って十歳までとなり、最後の十歳で止まり、それ以上は減りません。 最大は八万歳、最小は十歳です。もし仏が世に現れなければ、このように次第に減少します。もし仏が世に現れ、正法が住する時は、衆生の寿命は一時的に留まって減らず、正法が少しずつ衰えるに従って、寿命も徐々に減っていくのです。」 と、仏世尊はお説きになりました。私はこのように聞きました。