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title: "佛說立世阿毘曇論 · 3 飢餓品"
description: "佛說立世阿毘曇論由真諦三藏於南朝陳代譯出，屬阿毘曇類論典。該論以佛教宇宙觀為核心，系統闡述世間與出世間的結構、眾生業力與輪迴關係，並詳釋世界成住壞空過程。其內容融合說一切有部思想，兼具經律論三藏特質，為研究早期佛教宇宙論與哲學體系的重要文獻。該論不僅助益修行者理解因果法則，亦為漢傳阿毘曇學發展奠定基礎，在佛教思想史與典籍傳承中具有承先啟後的地位。"
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### 小三災飢餓災品第三

> 小三災・飢饉の章 第三

佛世尊說：「一小劫者名為一劫，餘如前說，乃至八十小劫名一大劫。云何八十小劫名一大劫？佛說劫中世界散壞，劫中世界散壞已住，劫中世界起成，劫中世界起成已住。」「世尊！散壞等劫其數云何？」佛言：「比丘！經二十小劫世界散壞，次經二十小劫世界散壞已住，次經二十小劫世界起成，次經二十小劫起成已住。是二十小劫世界起得住中，第三劫小災起時，由大飢餓是劫究竟。於是時中災初欲起，由飢餓、由困苦、由天亢旱，是時剡浮提中，一切國土所有人民遭大疾疫，一切鬼神起瞋惡心損害世人。是時一切人民壽命短促，唯住十歲，身形矬小，或二搩手或三搩手。所可資食稊稗為上，人髮為衣以為上服，唯有刀杖以自莊嚴。是時諸人不行正法，非法貪著恒所染污，非理貪愛之所逼使，邪法欺張起諸過惡，佷戾難教不能行善，不知作福不救苦難，與邪惡法日夜相應，或身口意起三邪行，不能遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語、貪愛、瞋恚、邪見，不知恭敬父母師僧、沙門婆羅門及親友尊長，恣心所起種種惡業。此業能感壽命短促、能感病疾、能感色形醜陋、能感身無威德、能感卑賤家生、能感貧窮困苦、能感愚癡邪見，如是諸業日夜生長。如是人者與重煩惱惡業相應，由極重邪行故，二三年中天不降雨，由大旱故，穀貴飢饉舍羅柯行。是時人民微有勢力，見他有少資糧便往奪食，皆由飢所逼故。一切眾病飢餓為上，以此因緣，於一日夜飢餓死者其數無量。末劫眾生如是，過失自然而生。云何如爾？若人行不善行、非法行、不平等行，得是果報。於是時中，法行、平等行、善行不可得故，一切眾生於此中生，劫濁自然而起。是時諸人依止麁見麁業，造作種種諸惡，捨命以後更生惡處，苦道退墮無安樂行，是時眾生多生地獄、畜生、餓鬼、阿修羅道。時大國土次第空荒，唯小郡縣是其所餘，悉不足言，相去遼遠各在一處。爾時諸人不行正法，非法貪著恒所染污，非理貪愛之所逼使，邪法欺張起諸過惡，佷戾難教不能行善，不知作福不救苦難，與邪惡法日夜相應，或身口意起三邪行，不能遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語、貪愛、瞋恚、邪見，不能恭敬父母師僧、沙門婆羅門及親友尊長，恣心所起種種惡業。此業能感壽命短促、能感多病、能感色形醜陋、能感身無威德、能感卑賤家生、能感貧窮困苦、能感愚癡邪見，如是等業日夜相應。天不降雨，四五年中由大旱故，剡浮提地覓生草菜尚不可得，何況米穀繼諸眾生？從來人所憎惡不堪食者，謂烏、鵄、鵰鷲、狗、野干，此等禽獸悉取食之，由飢逼故。一切眾病飢餓為上，以此因緣，於一日夜飢餓死者其數無量。時小郡縣次復空盡，唯少家在，相去轉遠各在一處。爾時諸人不行正法，非法貪著恒所染污，非理貪愛之所逼使，邪法欺張起諸過惡，佷戾難教不能行善，不知作福不救苦難，與邪惡法日夜相應，或身口意起三邪行，不能遠離殺生、偷盜、邪婬、兩舌、惡口、綺語、妄言、貪愛、瞋恚、邪見，不能恭敬父母師僧、沙門婆羅門及親友尊長，恣心所起種種惡業。此業能感壽命短促、能感多病、能感色形醜陋、能感身無威德、能感卑賤家生、能感貧窮困苦、能感愚癡邪見，如是等業日夜相應。是時六七年間天不降雨，由大旱故，剡浮提人思欲見水尚不可得，何況飲之？唯四大河水猶深浚與海相通，尚須船度，但有此水可得受用，離此河外無復餘水。縱有殘民依此水住，採捕黿、鼉、魚、龜等屬水性之類以自資養，由飢逼故。一切眾病飢餓為上，以此因緣，於一日夜飢餓死者不可稱量。末劫眾生如此，過失自然而起。云何如此？若人行不善行、非法行、不平等行，得此果報。於是時中，法行、平等行、善行不可得故，一切眾生於此中生，劫濁自然而起。是時諸人依止麁見麁業，造種種諸惡，捨命以後更生惡處，苦道退墮無安樂行，是時眾生多生地獄、畜生、餓鬼、阿脩羅道。是所餘家次第空盡，縱復餘人各自星散。爾時諸人不行正法，非法貪著之所染污，非理貪愛之所逼使，邪法欺張起諸過惡，佷戾難教不能行善，不知作福不救苦難，與邪惡法日夜相應，或身口意起三邪行，不能遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語、貪愛、瞋恚、邪見，不能恭敬父母師僧、沙門婆羅門、親友尊長，恣心所起種種惡業。此業能感壽命短促、能感多病、能感色形醜陋、能感身無威德、能感卑賤家生、能感貧窮困苦、能感愚癡邪見，如是等業日夜相應。

> 仏陀はこう説かれました。「一小劫を一劫と名づける。残りは先に述べた通りであり、八十小劫をもって一大劫とする。では、どのように八十小劫を一大劫とするのか。仏は、劫には世界が壊れていく時期、壊れた後に留まる時期、世界が形成される時期、形成された後に留まる時期があると説かれた。」 「世尊よ。壊れるなどの各劫の数はどのようなものでしょうか。」と比丘が尋ねました。 仏は言われました。「比丘よ。二十小劫の間、世界は壊れていく。次に二十小劫の間、世界は壊れたまま留まる。次に二十小劫の間、世界は形成される。次に二十小劫の間、世界は形成されたまま留まる。この世界が形成されて留まる二十小劫のうち、第三の劫に小災害が起こる時、大飢饉によってその劫は終わる。この時に災害がまさに起こり始めると、飢饉と苦しみと大干ばつによって、閻浮提（えんぶだい）のすべての国土の人民は大きな疫病に見舞われ、すべての鬼神が怒りと悪意をもって人々を害するようになる。この時、人々の寿命は短くなり、わずか十歳となる。身体は小さく、二搩手（にしゃくしゅ）か三搩手ほどである。食べ物は稗（ひえ）が最上とされ、髪の毛で作った衣服が最上の衣服とされ、ただ刀や杖だけが自分の飾りとなる。この時、人々は正しい行いをせず、道理に反した貪りに常に染まり、道理に合わない執着に駆り立てられ、邪な法でごまかし、様々な過ちや悪を起こす。彼らは頑なで教えにくく、善を行うことができず、福を積むことを知らず、苦しむ者を救わない。邪悪な法と日夜相応し、あるいは身・口・意の三つの邪な行いを起こし、殺生、盗み、邪婬、妄語、両舌、悪口、綺語、貪り、怒り、邪見を遠ざけることができない。父母や師僧、沙門、婆羅門、親族、目上の者を敬うことを知らず、心のままに様々な悪業を起こす。この業が、短命、病気、醜い容姿、威厳のなさ、卑しい家に生まれること、貧しい苦しみ、愚かで邪な見解を招く。このような業が日夜に増えていく。このような人々は、重い煩悩や悪業と相応している。極めて重い邪な行いのゆえに、二、三年の間、天は雨を降らせず、大干ばつのために穀物は高価となり、飢饉と吝嗇（しんそく）がはびこる。この時、人々はわずかな力を持ち、他人にわずかな蓄えがあるのを見れば、それを奪い取ってしまう。すべては飢えに迫られているからである。あらゆる病の中で飢えが最上である。この因縁によって、一日一夜に飢えで死ぬ者の数は計り知れない。末世の衆生は、このように過ちが自然に生じる。なぜそうなるのか。もし人が不善行、非法行、不平等行を行えば、このような報いを受けるからである。この時、法行、平等行、善行を得ることができないので、すべての衆生はこの中に生まれ、劫濁（ごうじょく）が自然に起こる。この時、人々は粗い見解と粗い業に依り頼み、様々な悪を造り、命を終えた後にはさらに悪い場所に生まれ、苦しみの道に退転して安楽な行いはない。この時、衆生の多くは地獄、畜生、餓鬼、阿修羅の道に生まれる。大きな国土は次第に荒廃して空ろになり、小さな郡県だけが残る。それは全く言うに足らず、互いに遠く離れてそれぞれ一か所にある。この時、人々は正しい法を行わず、…（以降、同様の内容が繰り返されるため、中略）」 そして、最終的に人々は四方に散り散りになります。人々は相変わらず悪行を続け、ついには六、七年もの間、雨が降らなくなります。大干ばつのため、閻浮提の人々は水を見ることさえもできなくなり、ましてや飲むことはできません。ただ四大河だけは深く流れ、海と通じており、船で渡る必要があるほどです。この水だけが利用でき、この河以外に水はありません。わずかに残った人々はこの水辺に住み、鼋（すっぽん）、鼉（わに）、魚、亀などの水の生き物を捕まえて食料とします。これも飢えに迫られているからです。すべての病の中で飢えが最上であり、この因縁によって、一日一夜に飢えで死ぬ者の数は計り知れません。末世の衆生はこのように、過ちが自然に生じるのです。すべては人々が不善や非法を行い、不平等な行いをするからであり、劫濁が自然に起こるのです。残った家々も次第に尽きて空ろになり、かろうじて残った人々もそれぞれに散り散りになります。彼らは相変わらず悪行を繰り返すため、短命、多病、醜い容姿、貧困、愚かさといった報いを受けます。

「是劫中間唯七日在，是七日中一日一夜，飢餓死者其數無量。縱有在者，各散別處。時有一人合集剡浮提內男女，共一萬人，留為當來人種。於此時中多行非法，唯此萬人能行善行，諸善鬼神欲令人種不斷絕故，擁護是人，以好滋味令入毛孔。以業力故於劫中間，留人種子自然不斷。過七日後，是大飢餓一時息滅，一切惡鬼皆悉捨去。時諸眾生種種須欲，衣服飲食等應念所須，天即雨下，陰陽調和美味生出，身形可愛相好還復。一切善法自然而起，清涼寂靖安樂無病，大悲入心，由大悲故大慈入心，由大慈故無惱害意，由無害意獲得相見，生喜樂心、生忍受心、生無厭心，共相携持不相捨離。譬如相愛親友久不相見，忽得聚集，生喜樂心、生忍受心、生無厭心，共相携持不相捨離；時人相見亦復如是，因相愛念男女共居。是前劫人壽命十歲，後劫人民從其而生，壽命最長、形色奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命二十千歲。是時眾生如此，功德自然得成。云何如此？法行、平等行、善行是其果報。是時諸人與種種善法相應，身善行、口善行、意善行，捨壽命後生善道及天道，捨壽命已還生人道，生人道已自然賢善，自性清淨、自性道德，心性和雅、戒品具足、常行勝善，遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺言，無貪欲心、無瞋恚心，捨邪見法修行正見，恭敬父母、沙門婆羅門、親友尊長，與種種善法相應。是業能感長壽、能感無病、能感形色端正、能感身有威德、能感富貴家生、能感大智，如是善業日夜生長。是時諸人依福德行生無量功德，捨壽命後更生天道及以善道，善道中住久久時節。如是劫初，中間由大飢餓究竟窮盡，次餘劫來續，二十千歲是劫中間第一壽量。是人從前二十千歲人所生，是人壽命最長、形色奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命四十千歲。時諸眾生如是，功德自然得成。云何如此？法行、平等行、善行是其果報。是時諸人與種種善法相應，身善行、口善行、意善行，捨壽命已生善道及天道，捨天壽命還生人中，生人中已自然賢善，自性清淨、自性道德，心性和雅、戒品具足、常行勝善，遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語，無貪欲心、無瞋恚心，捨邪見心修行正見，恭敬父母、沙門婆羅門、親友尊長，與種種善法相應。是業能感無病、能感色形端正、能感身有威德、能感富貴家生、能感大智，如是善業日夜生長。是時諸人依福德行增長無量功德，捨壽命後更生天道及以善道，善道中住久久時節。如是說名第三劫，中間第二壽命四十千歲。次復諸人從四十千歲所生，是人壽命最長、身形奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命六十千歲。是時諸人與種種善法相應，身善行、口善行、意善行，捨壽命已生善道及天道，捨天道已還生人中，生人中已自然賢善，自性清淨、自性道德，心性和雅、戒品具足、常行勝善，遠離殺生、偷盜、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語，無貪欲心、無瞋恚心，捨邪見法修行正法，恭敬父母、沙門婆羅門、親友尊長，與種種善法相應。是業能感長壽、能感無病、能感色形端正、能感身有威德、能感富貴家生、能感大智，如是善業日夜生長。是時諸人依福德行生無量功德，捨壽命後更生天道及以善道，善道中住久久時節。如是說名第三劫，中間第三壽量六十千歲。復次諸人從六十千歲人所生，是人壽命最長、色形奇特、威德最勝、神力自在、資生具足，壽命八十千歲。如是剡浮提劫中間，所生眾生壽量長遠，究竟極此八十千年，是時女人年五百歲爾乃行嫁。是時諸人唯有七病，謂大小便利、寒、熱、欲心、飢、老。如是時中，一切國土富貴豐樂，無有怨賊及以盜竊，州郡縣邑人民村落，更相次比鷄鳴相聞，耕種雖少收實巨多。是時諸人受功用果少，用宿世善業果多，舍宅車乘衣服財寶、資生之具稱意具足，雖復受用終身不壞。是時諸人安坐受樂，無所馳求，壽命八十千歲，住阿僧祇年乃至眾生未造十惡。從起十惡業道時節，壽命因此十惡減，度一百年則減十歲，復百年復減十歲，次第漸減至餘十歲，最後十歲住不復減。長極八萬，短至十年；若佛不出世，次第如此；若佛出世，如正法住時，眾生壽命暫住不減，隨正法稍減壽命漸減。」佛世尊說。如是我聞。

> 「その劫の途中には、わずか七日間だけが残され、その七日間のうち、たった一日一夜のうちに、飢えで亡くなる者の数は計り知れません。たとえ生き残った者がいても、それぞれ別の場所に散り散りになります。その時、一人の者がいて、閻浮提の男女を集めて合わせて一万人とし、未来の人類の種としました。この時期には、多くの者が非法を行っていましたが、この一万人だけは善行を行うことができました。諸々の善鬼神は、人類の種を絶やさないようにと願い、この人々を守り、良い味わいをその毛穴を通して取り入れさせました。業の力によって、劫の途中にあっても、人類の種は自然と絶えることなく続きました。七日が過ぎた後、この大飢饉は一時に静まり、全ての悪鬼は皆去って行きました。その時、諸々の衆生は様々な欲求を持ち、衣服や飲食など、思いに応じて必要なものが天から降り注ぎ、陰陽は調和し、美味しいものは生まれ、身体は愛らしく、かつての相好もよみがえりました。一切の善い法は自然と起こり、清涼で静寂、安楽で病もなく、大悲の心が入り、大悲によって大慈の心が入り、大慈によって害そうとする心がなくなり、害する心がないことによって互いに見合うことができ、喜びの心、耐え忍ぶ心、飽きることのない心が生まれ、互いに支え合って離れようとしません。例えば、愛する親友が長い間会えずにいたが、突然集まることができ、喜びの心、耐え忍ぶ心、飽きることのない心が生まれ、互いに支え合って離れないようなものです。その時の人々が互いに見合うのもまた同じで、互いに愛し合う心によって男女は共に住みました。この前の劫の人々の寿命は十歳でしたが、後の劫の人民はその人々から生まれ、寿命は最も長く、姿形は優れ、威徳は最も勝れ、神通力は自在で、生活に必要なものは十分に備わり、寿命は二万歳でした。この時の衆生は、このような功徳を自然に得ていました。なぜこのようなことがあるのでしょうか。法に従った行い、平等な行い、善い行いが、その報いだからです。この時の人々は、様々な善い法と相応し、身の善行、口の善行、意の善行を行い、命を終えた後は善趣や天道に生まれ、天道での命を終えた後は再び人間に生まれ、人間に生まれると自然に賢く善良で、自性は清らかで、自性は道徳的であり、心は穏やかで、戒律を完全に備え、常に優れた善行を行い、殺生、盗み、邪淫、虚言、両舌、悪口、綺語を遠ざけ、貪りの心がなく、怒りの心がなく、邪見を捨てて正見を修行し、父母、沙門、バラモン、親友、尊長を敬い、様々な善い法と相応していました。この業は、長寿をもたらし、健康をもたらし、姿形の端整をもたらし、身体に威徳をもたらし、富貴な家に生まれることをもたらし、大いなる智慧をもたらすことができ、このような善業は日夜成長しました。この時の人々は、福徳の行いに従って無量の功徳を生み、命を終えた後はさらに天道や善趣に生まれ、善趣に長く留まりました。このように、劫の初めの途中は大飢饉によって完全に終わりを告げ、次の劫が続いて来て、二万歳がこの劫の途中の第一の寿命でした。この人々は、前の二万歳の人々から生まれた者であり、寿命は最も長く、姿形は優れ、威徳は最も勝れ、神通力は自在で、生活に必要なものは十分に備わり、寿命は四万歳でした。その時の諸々の衆生は、このような功徳を自然に得ていました。なぜこのようなことがあるのでしょうか。法に従った行い、平等な行い、善い行いが、その報いだからです。その時の人々は、様々な善い法と相応し、身の善行、口の善行、意の善行を行い、命を終えた後は善趣や天道に生まれ、天道での命を終えた後は再び人間に生まれ、人間に生まれると自然に賢く善良で、自性は清らかで、自性は道徳的であり、心は穏やかで、戒律を完全に備え、常に優れた善行を行い、殺生、盗み、邪淫、虚言、両舌、悪口、綺語を遠ざけ、貪りの心がなく、怒りの心がなく、邪見を捨てて正見を修行し、父母、沙門、バラモン、親友、尊長を敬い、様々な善い法と相応していました。この業は、健康をもたらし、姿形の端整をもたらし、身体に威徳をもたらし、富貴な家に生まれることをもたらし、大いなる智慧をもたらすことができ、このような善業は日夜成長しました。その時の人々は、福徳の行いに従って無量の功徳を増長し、命を終えた後はさらに天道や善趣に生まれ、善趣に長く留まりました。これを第三劫と呼び、その途中の第二の寿命、四万歳と説きます。次に、人々は四万歳の人々から生まれ、寿命は最も長く、姿形は優れ、威徳は最も勝れ、神通力は自在で、生活に必要なものは十分に備わり、寿命は六万歳でした。その時の諸々の衆生は、このような功徳を自然に得ていました。なぜこのようなことがあるのでしょうか。法に従った行い、平等な行い、善い行いが、その報いだからです。その時の人々は、様々な善い法と相応し、身の善行、口の善行、意の善行を行い、命を終えた後は善趣や天道に生まれ、天道での命を終えた後は再び人間に生まれ、人間に生まれると自然に賢く善良で、自性は清らかで、自性は道徳的であり、心は穏やかで、戒律を完全に備え、常に優れた善行を行い、殺生、盗み、邪淫、虚言、両舌、悪口、綺語を遠ざけ、貪りの心がなく、怒りの心がなく、邪見を捨てて正しい法を修行し、父母、沙門、バラモン、親友、尊長を敬い、様々な善い法と相応していました。この業は、長寿をもたらし、健康をもたらし、姿形の端整をもたらし、身体に威徳をもたらし、富貴な家に生まれることをもたらし、大いなる智慧をもたらすことができ、このような善業は日夜成長しました。その時の人々は、福徳の行いに従って無量の功徳を生み、命を終えた後はさらに天道や善趣に生まれ、善趣に長く留まりました。これを第三劫と呼び、その途中の第三の寿命、六万歳と説きます。次に、人々は六万歳の人々から生まれ、寿命は最も長く、姿形は優れ、威徳は最も勝れ、神通力は自在で、生活に必要なものは十分に備わり、寿命は八万歳でした。このように閻浮提の劫の途中に生まれる衆生の寿命は長く、究極的にはこの八万歳が限界です。その時、女は五百歳で嫁ぎました。その時の人々には、わずか七つの病があるのみで、それは大小便、寒さ、暑さ、欲望、飢え、老いです。このような時には、一切の国土は富み栄え豊かで楽しく、怨みの賊や盗人はおらず、州郡県邑や人民の村落は互いに連なり、鶏の声が聞こえ合うほどで、耕作は少ないにもかかわらず収穫は非常に多かったのです。その時の人々は、受ける働きの果報は少なく、過去世の善業の果報が多く、家屋、車乗、衣服、財宝、生活に必要な物は思いのままに十分に備わり、使い続けても終身壊れることがありませんでした。その時の人々は、安らかに座って楽しみを受け、求めて走り回ることもなく、寿命は八万歳で、阿僧祇年の間、衆生が十の悪業を造らない限り続きました。十の悪業の道を起こし始める時から、寿命はこの十悪によって減少し、百年経つごとに十歳ずつ減り、さらに百年経つごとにまた十歳ずつ減り、順を追って徐々に減って残り十歳となり、最後の十歳で留まり、それ以上は減りません。最長は八万歳、最短は十年です。もし仏が世に現れなければ、順を追ってこの通りです。もし仏が世に現れれば、正法がとどまっている間は、衆生の寿命は一時的に留まって減らず、正法が徐々に減るに従って寿命も徐々に減っていくのです。」と、仏世尊は説かれました。私はこのように聞きました。

## 立世阿毘曇論卷第九

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