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title: "大梵天王問佛決疑經 · 拈華品第二"
description: "大梵天王問佛決疑經是一部漢傳佛教經典，相傳由宋代僧人施護等譯出，但亦有疑為後世託名之作。經文以神話形式，記載大梵天王向佛陀獻上金色波羅花，佛陀拈花示眾，唯摩訶迦葉破顏微笑，從而開啟禪宗以心傳心、教外別傳的法脈。此經雖未被列入傳統大藏經，但其記述的拈花公案被禪宗奉為傳法源頭的關鍵依據，對中國禪宗思想與傳承譜系的建立具有深遠影響，是理解禪宗起源的重要文獻之一。"
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### 拈華品第二

> 第2章 拈華品

爾時，娑婆世界主大梵王名曰方廣，以三千大千世界成就之根妙法蓮金光明大婆羅華捧之上佛，退以作禮而白佛言：世尊！今佛已成正覺，五十年來種種說法、種種教示，化度一切機類眾生。若有未說最上大法，為我及末世行菩薩人、欲行佛道凡夫眾生布演宣說。作是言已，捨身成座，莊嚴天衣，令坐如來。

> その時、この娑婆世界の主である大梵天の王、方広と名乗る者が、三千大千世界の成就の根である妙法蓮金光明大婆羅華という素晴らしい花を捧げ、如来に差し出しました。そして後退して礼をし、こう申し上げました。 「世尊よ。今や仏は正覚を成就され、この五十年の間、様々な教えを説き、様々な教示をもって、あらゆる機根の衆生を教化し救済してこられました。もし、まだ説かれていない最高の大法がおありでしたら、どうか私や末法の世に菩薩道を歩む人々、あるいは仏道を志す凡夫の衆生のために、広く説き示していただけませんでしょうか。」 こう言い終えると、自らの身を投げ出して座とし、天衣を飾りつけて、如来をお招きしてお座りいただきました。

爾時，如來坐此寶座，受此蓮華，無說無言，但拈蓮華，入大會中，八萬四千人天時大眾，皆止默然。於時，長老摩訶迦葉，見佛拈華，示眾佛事，即今廓然，破顏微笑。佛即告言：是也！我有正法眼藏，涅槃妙心，實相無相，微妙法門，不立文字，教外別傳，總持任持，凡夫成佛第一義諦，今方付屬摩訶迦葉。言已默然。爾時，尊者摩訶迦葉，即從座起，頂禮佛足，而白佛言：世尊妙哉！我念過去無量劫事，於燃燈佛布說法處，發菩提心，從佛修行；亦復世尊布說法，於說法中，得漏盡智，成阿羅漢；亦復聞說諸法實相，入菩薩道，不動先果，成大乘道，得近如來一切種智。如是妙智，從何處來？皆從凡夫久遠心來。其久遠心，等諸佛心，是為法身，是名成佛。得見是心，非在言教理誨理解文字之中，但在以心示中，不假三昧，不期感果，因緣熟時，凡夫即見，是故佛道，傳於凡夫人中不絕。若無此法，唯有感果賢聖得道，而無凡夫比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷得佛道者。若然，於末法濁惡世中證果人者，千萬人中，無有一人無證果故，佛道絕傳，唯有名字，無有道象。有此法故，傳佛道象，不結於末世。佛言：善哉！摩訶迦葉！如汝所言，七佛世尊授法象然，七佛弟子傳法象爾。我滅度後，以大法藏，今付於汝，能持傳傳，弘通正法，尋嗣心道，令不斷絕。

> その時、如来はこの宝座に座り、この蓮華を受け取られた。何も説かず、何も言わず、ただ蓮華を手に取って大衆の中に入られた。八万四千の天や人々からなる大衆は皆、静まり返って黙っていた。その時、長老マハーカシャパが、仏が蓮華を拈って仏事を衆に示されるのを見て、たちまち心が開け、顔をほころばせて微笑んだ。すると仏は告げられた。「そうである。私は正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相の微妙な法門を持っている。それは文字に立てず、教えの外に別に伝えるものであり、総持して任じ、凡夫を成仏させる第一義諦である。今、これをマハーカシャパに授けよう。」そう言って、黙された。 その時、尊者マハーカシャパは座から起ち上がり、仏の足に頭を触れて礼をし、仏に申し上げた。「世尊よ、なんと素晴らしいことでしょう。私は過去の無量劫のことを思い起こします。燃燈仏が説法された場所で菩提心を発し、仏に従って修行しました。また、世尊が説法される中で、漏尽智を得て阿羅漢となりました。さらに、諸法の実相を聞いて菩薩道に入り、先の果報を動かさずに大乗道を成就し、如来の一切種智に近づくことができました。このような素晴らしい智慧は、どこから来るのでしょうか。すべて凡夫の久遠の心から来るのです。その久遠の心は、諸仏の心と等しく、これが法身であり、これを成仏と言います。この心を見ることは、教えや理屈や文字の中にあるのではなく、ただ心で示すことの中にあります。三昧を借りず、果報を期待せず、因縁が熟した時、凡夫が即座に見るのです。それゆえに、仏道は凡夫の間で絶えることなく伝えられるのです。もしこの法がなければ、感果の賢聖だけが道を得て、凡夫の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷が仏道を得ることはありません。そうであれば、末法の濁り悪しき世の中で証果する人は、千万人の中に一人もいないことになり、仏道は絶え、名前だけが残って道の姿はなくなります。この法があるからこそ、仏道の姿を伝え、末世で絶えることがないのです。」 仏は言われた。「よいかな、マハーカシャパよ。あなたの言う通り、七仏世尊も法の姿をこのように授け、七仏の弟子たちも法をこのように伝えたのです。私の滅度の後、大いなる法蔵を今あなたに授けます。よく守り伝え、正法を広く通じ、心の道を尋ね継いで、決して絶えさせてはなりません。」

爾時世尊從起梵王以身為座，妙嚴天座著於本座，告大梵王：汝於過去無量中修菩薩道，住高地位能問是法，於末法濁惡世中，相續諸佛大道心法令不斷絕，咸是所以依汝力也。尚有所以思悉恣問之，如來為汝演說正法。大梵王言：善哉世尊！聽問如是，我當問之。如來先經為未說之？為未示之？為既示之？佛告大梵王言：我先已說？為既說之？為舍利弗謂不可以言宣是也？時舍利弗面會此法，即得當成華光佛記，亦復龍女以一寶珠無句上之。

> その時、世尊は梵王の立つところから身を起こし、妙厳天の座を本来の座に置き、大梵王に告げられた。「あなたは過去の無数の劫において菩薩道を修め、高い境地に達して、この法を問うことができた。末法の濁り悪しき世の中にあっても、諸仏の大道心を断絶させることなく続けさせているのは、すべてあなたの力によるものである。まだ思うところがあれば、遠慮なく問いなさい。如来があなたのため正法を説き示そう。」 大梵王は言った。「ありがたいことです、世尊。このようにお聞きすることをお許しくださり、それではお尋ねいたします。如来は先の経典で、これをまだ説かれなかったのでしょうか？まだ示されなかったのでしょうか？それとも、すでにお示しになったのでしょうか？」 仏は大梵王に告げられた。「私はすでに説いたのか？すでに説いたというのは、舎利弗が『言葉では言い表せない』と言ったことであるか？」その時、舎利弗はこの法を目の当たりにし、ただちに華光仏の記別を受けることとなった。また、龍女が一つの宝珠を言葉もなく差し出したのも、同じことである。

龍女以一寶珠無句上之，如來又也速受寶珠無句受之，龍女又依此佛心道即得成佛，亦復是也。大梵王言：若如是者，今日如來以此一法為最真實。佛言：如是，如汝所言。舍利弗者，過去劫來不離於我，今日亦然，我俱不久入於涅槃，不留我後。龍女已得他方成佛，非我弟子，其法不傳，皆如無耳。今日有獨摩訶迦葉傳真道象，我滅度後至於末法五濁惡世，後五百歲不絕佛道，唯在迦葉獨付傳中，是故名曰唯是真實。大梵王言：如來先說後五百歲，其五百歲是何時也？佛言：夫其五百歲者，我滅度後佛法住世，正法八百年，像法千二百，末法五千五百年，已去正法、像法、末法，後所有年五百歲是也。大梵王言：正法、像法、末法及後五百歲者，是謂何世？何國然也？佛言：其世是人間世，而非天世及龍世也。亦復其國是閻浮中隨機諸國，非必一國。所以者何？天世、龍世是聖者世，而無年限，但有人世，上清下濁，上盛下衰，是故有限。亦復國國時改機變，或有天護，或有聖護，或無天護，或無聖護，或有神護，或有仙護，或無神護，或無仙護，人機無量，國隨人機，是故非必一國然也。梵王白言：世尊！如是，如佛所說，國機不同，或有有緣，或有無緣，或有護安，或有護難，茲興彼廢，茲廢彼興，佛法東漸後五百歲，留法不絕利益眾生。

> 龍女が一つの宝珠を言葉もなく差し出したところ、如来もまた即座にその宝珠を言葉もなくお受け取りになりました。すると龍女はこの仏の心の教えによって即座に成仏を果たしました。これもまた同じ理です。大梵王が申し上げました。「もしそうであれば、本日、如来はこの一つの法を最も真実のものとされるのですね。」仏はお答えになりました。「そのとおり、あなたの言う通りです。舎利弗よ、彼は過去の劫より私を離れたことがなく、今日もまた同じです。私も間もなく涅槃に入ろうとしており、その後には留まりません。龍女はすでに他方の世界で成仏しており、私の弟子ではありません。その法は伝わることなく、すべて耳のない者と同じです。今日、ただ独り摩訶迦葉だけが真実の教えの姿を伝えています。私の滅度の後、末法の五濁悪世に至り、後五百歳に至るまで仏の道を絶やさないのは、ただ迦葉にのみ独り託された伝承の中にあります。ゆえに『唯是真実』と名付けるのです。」大梵王が問うました。「如来は先に『後五百歳』とおっしゃいましたが、その五百歳とはいつのことですか？」仏はお答えになりました。「その五百歳とは、私の滅度の後、仏法が世に留まる期間、すなわち正法八百年、像法千二百年、末法五千五百年が過ぎ去った後、さらに残る五百年のことを言います。」大梵王が問うました。「正法、像法、末法、および後五百歳とは、どのような世界で、どのような国において起こるのでしょうか？」仏はお答えになりました。「その時代は人間の世界であり、天の世界や龍の世界ではありません。また、その国々は閻浮提の中でも機縁に応じた様々な国であり、必ずしも一つの国に限られるものではありません。なぜなら、天の世界や龍の世界は聖者の世界であり、年限がありません。しかし人間の世界だけは、上は清らかで下は濁り、上は盛んで下は衰えるため、年限があるのです。また、国ごとに時代が移り機縁が変化します。あるいは天の加護があったり、聖者の加護があったり、天の加護がなかったり、聖者の加護がなかったり、神の加護があったり、仙の加護があったり、神の加護がなかったり、仙の加護がなかったりします。人間の機縁は無限であり、国はその人々の機縁に従うため、必ずしも一つの国に限られるわけではないのです。」梵王が申し上げました。「世尊よ、そのとおりです。仏のお説きの通り、国の機縁は同じではありません。縁がある者もいれば、縁がない者もいます。加護によって安らかな国もあれば、加護があっても困難な国もあります。ここで盛んになればあちらで廃れ、あちらで廃れればここで盛んになります。仏法が東に漸く流れて後五百歳には、教法が留まり絶えることなく、衆生を利益するのです。」

爾時，大梵天王白佛言：世尊出世四十餘年，種種說法，云何有未曾有法耶？云何有及言語法耶？願為世間一切人天，能示己自言了金色千葉大婆羅華，持以上佛，而退捨身以為床座，真誠念願。

> その時、大梵天王が仏に申し上げました。 「世尊がこの世に現れてから四十余年、様々な教えを説かれましたが、いまだ曾て説かれなかった教えとはどのようなものなのでしょうか。また、言葉を超えた教えとはどのようなものなのでしょうか。どうか世の中のすべての人々や天の人々のために、自らの言葉を明らかに示してくださいませ。」そう言って、金色に輝く千枚の花びらを持つ大いなる婆羅門の花を捧げ、自らの身を引いて床座とし、真心を込めて願いを捧げました。

爾時世尊，著坐其座，廓然拈華。時眾會中，百萬人天，及諸比丘，悉皆默然。時於會中，唯有尊者摩訶迦葉，即見其示，破顏微笑，從座而起，合掌正立，有氣無言。爾時佛告摩訶迦葉言：吾有正法眼藏，涅槃妙心，實相無相微妙法，不立文字，教外別傳，有智無智，得因緣證，今日付屬摩訶迦葉。摩訶迦葉，未來世中，奉事諸佛，當得成佛，今日亦堪為世間師。佛告諸比丘：如來今者，不久滅度，汝等比丘，皆悉能依摩訶迦葉，入大乘門，修行佛道。告摩訶迦葉：無有餘法，唯一心性佛，過去諸佛，現在諸佛，未來諸佛，已說今說，當入而已。一切諸佛，依一心性已，成說佛道，現成佛道，當成佛道，一切眾生，亦復如是。若謂餘法，尚有更一諸佛成佛，眾生成佛，即外道說，非七佛說，非十方佛說。迦葉當知，汝所付屬八萬藏經，是諸教者，是即乘一心器也。譬如世間牛車馬車，是為諸法乘之渡於道路器也。所有教經，亦復如是，汝能奉持。

> その時、世尊は自らの座に着かれ、静かに一輪の花を手に取って示されました。その会座に集まった百万人の天や人々、そして比丘たちは、皆、深く沈黙しました。 その中で、ただ尊者マハーカーシャパだけが、その示しを見て、思わずほほえみを浮かべ、座から立ち上がり、合掌してまっすぐに立ち、気品があって言葉を発しませんでした。 その時、仏はマハーカーシャパに告げられました。 「私は正法眼蔵、涅槃の妙心、実相無相の微妙な法を持つ。それは文字に依らず、教えの外に別に伝えるものであり、智慧ある者もない者も、因縁によって証を得る。今日、これをマハーカーシャパに付託する。 マハーカーシャパよ、未来の世において、諸仏に仕え、必ず仏となるであろう。今日すでに世間の師となるにふさわしい。」 仏は比丘たちに告げられました。 「如来はまもなく涅槃に入る。あなたがた比丘は、皆、マハーカーシャパに従って大乗の門に入り、仏道を修行しなさい。」 さらにマハーカーシャパに告げられました。 「余計な法はない。ただ一つの心性（こころの本性）が仏である。過去の諸仏、現在の諸仏、未来の諸仏は、すでに説き、今説き、まさに入るのみである。 すべての諸仏は、一つの心性によって、すでに仏道を成就し、今まさに仏道を成就し、未来に仏道を成就する。すべての衆生もまた、同じである。 もし、これ以外に、さらに別の諸仏が成仏し、衆生が成仏するという法があると言うなら、それは外道の説であり、七仏の説でもなく、十方の諸仏の説でもない。 カーシャパよ、知るがよい。あなたが付託された八万の蔵経（経典）は、すべての教えであり、それはすなわち、一つの心を乗せる器である。 たとえば、世間の牛車や馬車が、あらゆる法を乗せて道路を渡るための器であるように、すべての教えの経典もまた同じである。あなたはこれを受けて守りなさい。」

爾時，摩訶迦葉歡喜踊躍，為佛作禮而白佛言：世尊！此法實難遭者，誠是直道，誠是妙道。我昔遇佛出家修行，偏厭生死唯求涅槃，但修無為不求是法，但了空理不知是法，難行苦行多年作勞，得阿羅漢思之誠難。今日如來最上妙示唯剎那事，非年非劫非難妙易，令我成佛無有疑惑。雖非實至劫數成時，三十二相、八十種好、紫磨金色妙覺成佛，實知法身是心是佛，三世諸佛一軀妙體。今思已前，於多年中難行苦行是勞無功，亦多年中求空無為，皆虗假法更非實法。今日見得是真空法，其相正空而性不空，其體無為而性圓滿，一切眾生唯依是法當得成佛。佛告摩訶迦葉言：如是，如是！如汝所說。汝於未來當得成佛，如我今日是法。爾時，世尊說此言已，即從座起還坐本座，無語無動，眾會亦復寂莫無聲，皆含妙氣。

爾時大梵天王白佛言：世尊！善哉，世尊！能快說之。世尊滅度，後世眾生云何入得？云何修行？願為我入，入得修行精密法要。佛告大梵天王：天王！諦聽，善思念說之。眾生機根種種無量，或聽理入、或禪定入、或因緣入、或持示入，不一般也。天王！唯有信心能入，是最上道。云何起信？不依心性，他不成佛。所以者何？於心性外無成佛路。如是了知真實求者，能入是道。智慧如舍利弗、多聞如阿難陀、辨才如布婁那、解空如須菩提、持戒如優婆利、神通如目徤連、天眼如阿那律，如是此輩皆不成佛。所以者何？此輩皆得心性假用，未得心性真實體故。唯證性體，必滅佛道。如是了知真實求者，能入是道。天王！或有知見心性妙實體者，知見之時即體妙理，無放、無離，行、住、坐、臥心身融一，見、聞、覺、知根性融一，如是修行即行佛道。在家菩薩、出家菩薩非異、非別，唯以融一箇之道。我於即時成佛道已，世間、出世修行無咎。

> 爾時、大梵天王が仏に申し上げた。「世尊よ、まことに素晴らしい。世尊は見事にお説きになりました。しかし、世尊がお入滅された後、後の世の衆生はどのようにしてこの教えに入り、どのように修行すればよろしいのでしょうか。どうか、私たちが入るための、精密な修行の要諦をお示しください。」 仏は大梵天王に告げられた。「天王よ、よく聞き、よく思って語ろう。衆生の機根は無量多様であり、理によって入る者もいれば、禅定によって入る者、因縁によって入る者、示された教えを保つことによって入る者もいて、一様ではない。天王よ、ただ信心のみが入ることを可能にし、それが最上の道である。 では、どうやって信心を起こすのか。心の本性に依らなければ、他に成仏の道はない。なぜなら、心の本性の外に成仏の道はないからである。このように理解して真実を求める者こそ、この道に入ることができる。 智慧は舎利弗の如く、多聞は阿難陀の如く、弁才は布婁那の如く、空の理解は須菩提の如く、持戒は優婆利の如く、神通は目犍連の如く、天眼は阿那律の如くであっても、彼らは皆、成仏しない。なぜか。彼らは皆、心の本性の仮の働きを得ているにすぎず、心の本性の真実の本体を得ていないからである。ただ本体を証得することこそが、必ず仏道を成就させる。このように理解して真実を求める者こそ、この道に入ることができる。 天王よ、あるいは心の本性の妙なる真実の体を知り見る者がある。知り見るその時、すでに体そのものが妙なる理であり、放つことも離れることもない。行・住・坐・臥、心身は一つに融け合い、見・聞・覚・知、六根の性も一つに融け合う。このように修行することが、すなわち仏道を行うことである。在家の菩薩も出家の菩薩も、異なることも別であることもない。ただ一つに融け合ったこの道のみがある。私は即座に仏道を成就した。世間における修行も、世間を超えた修行も、誤りはないのだ。」

爾時大梵天王問迦葉言：世尊往昔說種種教，其教理之今日，仁者從佛所受心，云何有所差別？語梵王言：仁者！莫問如是此事。若有世尊已前所說教理，差於今日所受心者，彼諸教者即是邪說。若有世尊今日所受心，差於已前所說教理，是此心者即是心，一切教之此一心理，無有毛端所差別所。若有學人謂諸教理與此心理有所差別，是即外道天魔所說，非唯不知諸大乘經所說之理，亦不知我受一心理。若知心理，應知教理一理無差，但有所差。諸教理者以，雖有益非真，今此知見教，唯是實無二。雖設有他教，其益皆小分，不謂他無益，分性說一端。如星光日為。

> その時、大梵天王が迦葉尊者に問うた。「世尊は過去に様々な教えを説かれましたが、その教えの理と、今日尊者が仏から受け継がれた心（こころ）との間には、何か違いがあるのでしょうか」 迦葉尊者は梵王に答えた。「尊者よ、そのようなことを問うてはなりません。もし世尊がかつて説かれた教えの理が、今日受け継がれた心と異なるならば、その教えこそが邪説です。また、もし今日受け継がれた心が、かつて説かれた教えの理と異なるならば、その心は真の心ではありません。 すべての教えは、この一つの心の理に帰します。毛の先ほどの違いも存在しません。もし学ぶ者たちが、様々な教えの理とこの心の理との間に違いがあると言うならば、それは外道や天魔の説くところです。彼らは大乗経典の説く理を知らないばかりか、私が受け継いだ一つの心の理をも知らないのです。 もし心の理を知るならば、教えの理と心の理は一つであって差別がないと知るべきです。ただ、教えには違いがあるのです。様々な教えの理は、たとえ益があるとしても、真実そのものではありません。今この智慧と見解の教えのみが、唯一実であり、二つとありません。 たとえ他の教えがあるとしても、その益は一部分に過ぎません。他の教えに益がないと言うのではなく、それぞれの性質に従って一端を説いているのです。ちょうど、星々の光が太陽の光に及ばないように。

分光為星光， 不謂星無光， 小端如無益。四諦十二緣， 五戒及十善， 念佛往淨土。具戒及坐禪， 權大諸菩薩， 皆是彼端小。此教如日光， 他教如星光， 眾星雖□天，不謂之白晝。 日光出現時， 夜明天成晝，他教雖有世， 不謂佛法者， 眾生正諸佛，穢土是淨土， 生死自涅槃， 三世永一世。世法即佛法， 有為實無為， 如是知見教。及其修行者， 謂之佛法有， 又謂我世有。佛說是語時， 眾有百千人， 皆了無上道。

> たとえ光を分けて星の光としようとも、 星には無光の属性はない。 わずかな端緒でも無益ではない。 四諦・十二因縁、 五戒や十善、 念仏による浄土往生。 具足戒や坐禅、 権大乗の諸菩薩、 これらはすべて、その小さな端緒に過ぎない。 この教えは日光のようであり、 他の教えは星の光のようである。 多くの星が空に満ちていても、 それを白昼とは呼ばない。 日光が現れる時、 夜の明かりはそのまま昼となる。 他の教えが世に存在しても、 それを仏法とは呼ばない。 衆生はそのまま諸仏であり、 穢土はそのまま浄土であり、 生死はそのまま涅槃であり、 三世は永遠の一瞬である。 世法はそのまま仏法であり、 有為は実は無為である。 このように見て知る教え、 そしてその修行者を、 仏法が存在するといい、 また我が世に存在するという。 仏がこの言葉を説かれた時、 百千の人が集い、 皆、無上の道を悟った。

言教，令悟心性理，令成佛道。傳心理者，以心傳之，得心性理，令成佛道。教者，漸入心者，頓入心者，遲速不同，理則一同。譬如東國人指日輪，謂此日輪，從我東天，往彼西天。西國人亦指日輪，謂此日輪，從彼東天，來我西天。等雖異，彼此往來之言不差。謂日日輪之言，與語日東西理者不差。如來教示，亦復如是。教傳心傳，示相不同，於理一同。

> 教えは、心の本性（真実の理）を悟らせ、仏道を成就させるためのものである。心を伝えるということは、心をもって伝え、心の本性の理を得て、仏道を成就させることである。教えには、徐々に心に入るものもあれば、即座に心に入るものもあり、その速さや遅さは異なるが、理は同じである。たとえば、東方の国にいる人が太陽を指して「この太陽は、我が東方の空から西方の空へと向かう」と言い、西方の国にいる人が同じく太陽を指して「この太陽は、彼方の東方の空から我が西方の空へと来る」と言うとする。言葉は異なるが、互いに「行き来する」と言う点に違いはない。また、「太陽」という言葉と、「太陽が東西に動く」という理を語る言葉も、相違はない。如来の教えもまた、同じである。教えによる伝え方と心による伝え方は、示す相は異なるが、理においては同じなのである。

白言：世尊！此見性道，應唯比丘行此道哉！亦諸在家可普行哉！佛言：天王！心性之道，出家、在家，天、龍、鬼、神皆悉具足，何可限之比丘耳！唯有在家、出家行，相、於相異，非一其出家行。

> 申し上げます。「世尊よ、この見性の道は、比丘だけが行うべき道なのでしょうか。それとも在家の者も皆、行うことができるのでしょうか。」 仏陀はお答えになりました。「天王よ、心性の道は、出家も在家も、天・龍・鬼・神も、すべての者がそなえているものである。どうして比丘だけに限られることがあろうか。ただ、在家と出家とでは、その行い方に違いがあり、その行いのすがたは同じではない。出家の行いと同一ではないのである。」

父母已赦，出父母家，代父母事。三世諸佛，無主君故，代事菩薩。布佛形家，如生身佛；有佛舍利，如在世佛。出世俗故，不禮國王，不敬天仙，不求財寶，但持一鉢，不畜衣服，但持三衣，安住深山，樹下岩洞，清意淨身，身明了覺，知自己本，佛陀方佛，身一躬法。

> 父母はすでに許しを与え、父母の家を出て、父母に代わって務めを行う。三世の諸仏には主君が存在しないため、代わって菩薩の務めを果たす。仏の形を家に安置し、生きている仏のように敬い、仏舎利があれば、在世の仏のように崇める。世俗を離れた身であるため、国王に礼をせず、天仙を敬わず、財宝を求めることなく、ただ一つの鉢を持ち、衣服を蓄えず、ただ三衣だけを身にまとい、深山、樹の下、岩の洞窟に安住する。心を清め、身を清め、はっきりと自らを悟り、己の本源を知る。仏陀はあらゆる方角の仏であり、身そのものが法そのものである。