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title: "湛然圓澄禪師語錄 · 答張少尹"
description: "湛然圆澄禅师语录由明代禅宗高僧湛然圆澄所述，其门人明凡记录，丁元公与祁骏佳编撰。该书成书于明末佛教复兴时期，收录圆澄禅师的开示、法语、公案及书信，集中体现其禅学思想与修行指导，倡导直指人心、见性成佛的曹洞宗风。作为明代禅宗重要文献，该语录不仅传承了临济与曹洞宗的精髓，对后世禅修者具有深远影响，是研究明清佛教禅宗思想与实践的重要典籍。"
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### 答張少尹

> 張少尹への返答

承示。未有佛時。先有某甲。此言雖則近理。恐未盡善。不見道聖名凡號。總是虗聲。殊相劣形皆為幻色。又云。用棒用喝時。皆是以無情劒。斬斷是非。似則也似。是則未是。不可背地裏說兵書也。且如現前尊夫人有病。而足下便云累不能脫。此豈不是德山棒。臨濟喝耶。正恁麼時。不知作麼生斬。況日用縱橫。是非關鎻。總是個德山臨濟。大須著眼。不可說了便休。至囑至囑。

> ご示唆をいただきました。「仏がまだおられなかった時、先にある者がいた」というお言葉は、一見道理に近いようですが、十分に善きものとは言えないかもしれません。聖なる名も凡夫の呼び名も、すべては虚ろな声に過ぎないと言われております。優れた相も劣った形も、皆が幻の色にすぎません。また、棒を用い、喝を用いる時は、すべて無情の剣で是非を断ち切るようなものだと。似てはいますが、真実であるとは言えません。陰で兵法書を語るようなものではいけません。 さて、今、尊夫人が病に伏せられ、あなたは「煩わしさから逃れられない」とおっしゃいます。これこそが徳山の棒であり、臨済の喝ではないでしょうか。まさにこのような時、どうやって斬り捨てるべきか、よく考えてみてください。日常の縦横無尽の出来事、是非をめぐる関門の鎖は、すべてが徳山であり臨済なのです。大いに着眼すべきであり、話しただけで終わらせてはなりません。くれぐれもお願いいたします。