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title: "攝大乘論釋 · 8 增上心學分"
description: "攝大乘論釋是古印度世親菩薩對無著菩薩所造攝大乘論的權威註釋由唐代玄奘法師漢譯本論以唯識思想為核心系統闡釋阿毘達磨大乘經中攝大乘品深入論述阿賴耶識緣起三性三無性等教義建立完整的唯識學體系是印度瑜伽行派重要論書為研究唯識學根本典籍對漢傳佛教思想影響深遠被譽為大乘佛教義理之瑰寶"
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### 攝大乘論釋增上心學分第八

> 第八章 心の修習（高次の心の学び）

論曰：如是已說增上戒殊勝。增上心殊勝云何可見？略由六種差別應知：一由所緣差別故、二由種種差別故、三由對治差別故、四由堪能差別故、五由引發差別故、六由作業差別故。

> 論じて曰く、以上のように、増上戒の優れた点について述べました。では、増上心の優れた点はどのように見るべきでしょうか。簡単に言えば、六つの違いによって知るべきです。第一に、対象となるものの違い、第二に、多様な種類の違い、第三に、対処法の違い、第四に、能力の違い、第五に、引き起こす効果の違い、第六に、働きの違いです。

釋曰：為顯增上心學殊勝，作此問答。

> この問答は、より高度な心の学びの優れた点を明らかにするために設けられたものです。

論曰：所緣差別者，謂大乘法為所緣故。

> 論にはこう述べられています。「所縁の違いとは、大乗法を所縁とするからである。」

釋曰：謂大乘法為所緣者，諸菩薩定緣於大乘，非聲聞定。

> 解説：大乗の教えを対象とするとは、すべての菩薩は必ず大乗を対象として定められているのであって、声聞の定めではないということである。

論曰：種種差別者，謂大乘光明、集福定王、賢守、健行等三摩地，種種無量故。

> 論では、様々な区別があると言います。それは、大乗光明定、集福定王定、賢守定、健行定などの三昧（さんまい）が、種類も量も無限に存在するからです。

釋曰：大乘光明集福定王等者，顯如是等諸三摩地種種差別唯大乘有，聲聞乘等一種亦無。

> 解説します。「大乗光明定」「集福定」「王等」といった言葉は、このような様々な種類の三摩地（深い瞑想の境地）が、大乗仏教にだけ存在することを示しています。声聞乗（小乗）などには、これらの三摩地は一つもありません。

論曰：對治差別者，謂一切法總相緣智，以楔出楔道理，遣阿賴耶識中一切障麁重故。

> 論じて曰く：対治の差別とは、一切法の総相を縁とする智をもって、楔を以て楔を抜くような道理によって、阿頼耶識の中にあるすべての障礙の粗重を遣り除くことである。

釋曰：緣總法智對治一切障礙而住，如以細楔除去麁楔。住本識中諸雜染法熏習種子說名為麁，諸對治道能除彼故是微細義。

> 解説します。すべての真理を対象とする智慧は、あらゆる障礙を対治し、とどまります。それは、細い楔を使って粗い楔を取り除くようなものです。根本識（アーラヤ識）のなかに存在する、さまざまな煩悩の熏習による種子を「粗い」といいます。それらを除くことのできる対治の道は、「微細な」性質をもつのです。

論曰：堪能差別者，謂住靜慮樂，隨其所欲而受生故。

> 論には次のように述べられている。能力に違いがあるとは、静慮の楽に安住し、その望むままに生を受けられることをいう。

釋曰：由有堪能住靜慮樂，隨有饒益諸有情處，即往彼生不退靜慮；諸聲聞等無如是事。

> 解説：静かな禅定の楽にとどまる力を持ちながら、利益を受ける有情のいる所に赴き、その静慮から退くことなく生まれ変わる。声聞たちにはこのようなことはない。

論曰：引發差別者，謂能引發一切世界無礙神通故。

> 論曰：『引發の差別』とは、あらゆる世界において障りのない神通力を引き起こすことができることをいう。

釋曰：由此靜慮引發神通，一切世界皆無障礙。

> 説明します。この心の静けさ（静慮）によって、超自然的な力を引き起こすことができ、あらゆる世界において障害がなくなります。

論曰：作業差別者，謂能振動、熾然、遍滿、顯示、轉變、往來、卷舒，一切色像皆入身中，所往同類，或顯或隱，所作自在，伏他神通，施辯念樂，放大光明，引發如是大神通故。

> 論には述べられている。業(わざ)の違いとは、すなわち、震動させること、燃え輝かせること、満ち渡らせること、示し現すこと、変じ変えること、行き来すること、巻き広げること、あらゆる色や形を身の中に入れること、赴くところ同じ仲間であること、現れたり隠れたりすること、なすところが自由自在であること、他人の神通力を抑え伏せること、弁才・念・楽しみを施し与えること、大いなる光明を放つこと、このような大いなる神通力を引き起こすからである。

釋曰：作業差別，謂發神通所作事業。此中能動一切世界，故名振動。即彼熾然，故名熾然。言遍滿者，應知即是光明普照。言顯示者，由此威力，令無所能餘有情類，欻然能見無量世界，及見其餘佛菩薩等。言轉變者，應知轉變一切地等令成水等。言往來者，謂一剎那普能往還無量世界。言卷舒者，謂卷十方無量世界入一極微，極微不增；舒一極微包于十方無量世界，世界不減。一切色像皆入身中者，謂身中現無量種種一切事業。所往同類者，謂如往詣三十三天，色像言音與彼同類，為化彼故往一切處亦復如是。顯謂顯現。隱謂隱藏。所作自在者，如變魔王作佛身等。伏他神通者，謂能映蔽一切神通。於請問者施以辯才，故名施辯。於聽聞者施念施樂，令得定故名施念樂。放大光明者，為欲召集遠住他方世界菩薩。引發如是大神通者，引前所說大神通故。如是一切聲聞所無，是故殊勝。

> 解説します。作業の違いとは、神通力を発揮して行う様々な事業のことを指します。 その中で「振動」とは、一切の世界を動かす力を言います。 「熾然」とは、その力が盛んに燃え盛るように現れることです。 「遍満」とは、光明が全てを照らし渡ることを知るべきです。 「表示」とは、この威力によって、何の力もない他の有情たちが、突然に無量の世界を見ることができ、また他の仏や菩薩たちを見ることができるようになることです。 「転変」とは、あらゆる大地などを水などに変えることを知るべきです。 「往来」とは、一瞬のうちに無量の世界へ自由に行き来できることを言います。 「巻舒」とは、十方の無量の世界を一つの極微の粒子に収めても、その粒子は増えず、逆に一つの極微の粒子を広げて十方の無量の世界を包んでも、世界は減らないという働きです。 「一切の色像が身の中に入る」とは、身体の中に無数の様々な事業を現すことを言います。 「行く先で同類となる」とは、例えば三十三天に赴くとき、その色や姿、言葉や声を彼らと同じにすることです。他の全ての場所でも、教化のために同様に行います。 「顕」とは現すこと、「隠」とは隠すことです。 「所作自在」とは、例えば魔王を変化させて仏の身にするなどのことです。 「他者の神通を伏する」とは、一切の神通の力を覆い隠すことを言います。 「問いかける者に弁才を施す」ので「施弁」と言います。 「聴く者に念と楽を施し、定を得させる」ので「施念楽」と言います。 「大光明を放つ」とは、遠く他方の世界に住む菩薩たちを集めるためです。 「このような大神通を引き起こす」とは、先に述べた大神通を引き寄せることです。 これらの全ては声聞には無いものであるから、殊勝なのです。

論曰：又能引發攝諸難行十難行故。十難行者，一自誓難行，誓受無上菩提願故。二不退難行，生死眾苦不能退故。三不背難行，一切有情雖行邪行而不棄故。四現前難行，怨有情所現作一切饒益事故。五不染難行。生在世間不為世法所染污故。六勝解難行，於大乘中雖未能了然，於一切廣大甚深生信解故。七通達難行，具能通達補特伽羅法無我故。八隨覺難行，於諸如來所說甚深祕密言詞能隨覺故。九不離不染難行，不捨生死而不染故。十加行難行，能修諸佛安住解脫一切障礙，窮生死際不作功用，常起一切有情一切義利行故。

> 論じて曰く、また、諸々の難しい行いを集めた十の難しい行いを引き起こすからである。十の難しい行いとは、第一に自ら誓う難しい行いであり、無上の菩提（悟り）の願いを受けて誓うことである。第二に退かない難しい行いであり、生死のあらゆる苦しみによって退くことがないことである。第三に背かない難しい行いであり、一切の有情（生きとし生けるもの）が邪まな行いをしていても、見捨てないことである。第四に目の前での難しい行いであり、怨みのある者に対して、あらゆる利益をもたらす行いを現に行うことである。第五に染まらない難しい行いであり、世間に生まれながらも世間の法に染まらないことである。第六に勝解（すぐれた理解）の難しい行いであり、大乗においてまだ明らかでなくとも、一切の広大で深遠な教えに信心と理解を生じることである。第七に通達の難しい行いであり、補特伽羅（個人）と法に無我であることをよく通達することである。第八に随って覚る難しい行いであり、諸々の如来の説かれた非常に深遠で秘密の言葉に随って覚ることである。第九に離れず染まらない難しい行いであり、生死を捨てずに、しかも染まらないことである。第十に加行の難しい行いであり、諸仏の安住する、一切の障碍から解脱し、生死の果てまで功用（はからい）を必要とせず、常に一切の有情のための一切の義利（利益）の行いを起こすことを修めることである。

釋曰：如說菩薩修諸難行，此中何等名為難行？一切難行十種所顯。於中不離不染難行者，不棄捨故名為不離。謂於生死不全捨離亦不染污，此甚為難。餘九難行其義易了。

論曰：復次隨覺難行中，於佛何等祕密言詞彼諸菩薩能隨覺了？謂如經言。

釋曰：為顯祕密言詞意趣，故為此問。如經言者，總答前問，後當別釋。

論曰：云何菩薩能行惠施？若諸菩薩無少所施，然於十方無量世界廣行惠施。云何菩薩樂行惠施？若諸菩薩於一切施都無欲樂。云何菩薩於惠施中深生信解？若諸菩薩不信如來而行布施。云何菩薩於施策勵？若諸菩薩於惠施中不自策勵。云何菩薩於施耽樂？若諸菩薩無有暫時少有所施。云何菩薩其施廣大？若諸菩薩於惠施中離娑洛想。云何菩薩其施清淨？若諸菩薩殟波陀慳。云何菩薩其施究竟？若諸菩薩不住究竟。云何菩薩其施自在？若諸菩薩於惠施中不自在轉。云何菩薩其施無盡？若諸菩薩不住無盡。如於布施，於戒為初、於慧為後，隨其所應當知亦爾。

釋曰：云何菩薩能行惠施等者，謂諸菩薩一切有情攝為自體，是故彼施即是己施，是此意趣。云何菩薩樂行惠施等者，謂諸菩薩不樂修行味著等施，但樂修行菩薩淨施。言味著者，意說貪染。或有餘處，名來求施。云何菩薩於惠施中深生信解等者，謂諸菩薩自得施心而行惠施，不藉他緣。云何菩薩於施策勵等者，謂諸菩薩性自能施，慳悋斷故。不待他策亦不自策，任運能施，是此意趣。云何菩薩於施耽樂等者，謂諸菩薩常行施故無暫時施，一切施故無少所施。云何菩薩其施廣大等者，謂諸菩薩依定行施，即是離欲而行施義。言娑洛者，顯目堅實，密詮流散。今取密義，離流散想依定行施故成廣大。云何菩薩其施清淨等者，謂諸菩薩拔除慳足而行惠施。殟波陀者，顯目生起，密詮拔足。波陀名足，殟名為拔。今取密義，拔除慳足令面傾覆而行惠施，是故說名殟波陀慳。云何菩薩其施究竟等者，謂諸菩薩不住究竟無餘涅槃如聲聞等，是故究竟常能行施。云何菩薩其施自在等者，謂諸菩薩令施等障不得自在而行惠施，令所治障不自在故施得自在。云何菩薩其施無盡，謂諸菩薩不住涅槃，常行惠施此中無盡。意取涅槃，不同聲聞住涅槃故，其施無盡。

論曰：云何能殺生？若斷眾生生死流轉。云何不與取？若諸有情無有與者自然攝取。云何欲邪行？若於諸欲了知是邪而修正行。云何能妄語？若於妄中能說為妄。云何貝戍尼？若能常居最勝空住。云何波魯師？若善安住所知彼岸。云何綺間語？若正說法品類差別。云何能貪欲？若有數數欲自證得無上靜慮。云何能瞋恚？若於其心能正憎害一切煩惱。云何能邪見？若一切處遍行邪性皆如實見。

釋曰：如經中說苾芻我是能殺生等者，此中顯彼所說意趣。云何欲邪行者，謂知諸欲皆是其邪而修正行。云何貝戍尼者，此貝戍尼，顯目離間語，密詮常勝空。貝者表勝，戍者表空，尼者表常，今取密義與答相應，是故答言若能常居最勝空住。云何波魯師者，此波魯師，顯目麁惡語，密詮住彼岸。波表彼岸，魯師表住，今取密義與答相應，是故答言善安住所知彼岸。是到所知彼岸住義。云何能邪見等者，謂色等中如實觀見遍行邪性。即是於彼依他起中，如實觀見遍計所執是邪性義。於十不善業道文中，餘義易了。

論曰：甚深佛法者，云何名為甚深佛法？此中應釋：謂常住法是諸佛法，以其法身是常住故。又斷滅法是諸佛法，以一切障永斷滅故。又生起法是諸佛法，以變化身現生起故。又有所得法是諸佛法，八萬四千諸有情行及彼對治皆可得故。又有貪法是諸佛法，自誓攝受有貪有情為己體故。又有瞋法是諸佛法，又有癡法是諸佛法。又異生法是諸佛法，應知亦爾。又無染法是諸佛法，成滿真如，一切障垢不能染故。又無污法是諸佛法，生在世間，諸世間法不能污故。是故說名甚深佛法。

釋曰：復有餘處契經說言，謂常住法是諸佛法，廣說乃至又無污法是諸佛法。此中意趣今當顯示。謂佛法身體是常住故，說此法為常住法。斷滅法者，所有障垢悉皆斷滅，由此義故即說此法為斷滅法。有所得法是佛法者，有情諸行八萬四千及彼對治皆有可得，故說此法名有所得。無染法者，清淨真如，一切障垢所不能染，故說此法名無染法。餘義易了，無煩重釋。

論曰：又能引發修到彼岸，成熟有情淨佛國土諸佛法故，應知亦是菩薩等持作業差別。

釋曰：前所未說作業差別，今於此中復顯菩薩等持作業。謂諸菩薩依三摩地，能修一切波羅蜜多。又依此定能善成熟一切有情，發神通等種種方便，引諸有情入正法故。又由此力能善清淨一切佛土，心得自在隨欲能成金銀等寶諸佛土故。又由此力能正修集一切佛法，是三摩地作業差別。