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title: "發菩提心經論 · 2 發心品"
description: "发菩提心经论由古印度天亲菩萨造论，后秦高僧鸠摩罗什于公元5世纪初译成汉文。该论属大乘佛教重要典籍，系统阐述发菩提心的理论、方法及实践意义，强调慈悲与智慧并重，是修习菩萨道的基础指南。本论在汉传佛教中具有崇高地位，为信众发起和巩固菩提心提供了权威依据，对大乘佛教修行体系的形成与传播影响深远。"
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### 發菩提心經論發心品第二

菩薩云何發菩提心？以何因緣修集菩提？若菩薩親近善知識、供養諸佛、修集善根、志求勝法、心常柔和、遭苦能忍、慈悲淳厚、深心平等、信樂大乘、求佛智慧。若人能具如是十法，乃能發阿耨多羅三藐三菩提心。復有四緣發心修集無上菩提。何謂為四？一者思惟諸佛發菩提心、二者觀身過患發菩提心、三者慈愍眾生發菩提心、四者求最勝果發菩提心。思惟諸佛復有五事，一者思惟十方過去未來現在諸佛初始發心，具煩惱性亦如我今，終成正覺為無上尊。以此緣故發菩提心。二者思惟一切三世諸佛發大勇猛，各各能得無上菩提；若此菩提是可得法，我亦應得。緣此事故發菩提心。三者思惟一切三世諸佛發大明慧，於無明㲉中建立勝心積集苦行，皆能自拔超出三界；我亦如是，當自拔濟。緣此事故發菩提心。四者思惟一切三世諸佛為人中雄，皆度生死煩惱大海；我亦丈夫，亦當能度。緣此事故發菩提心。五者思惟一切三世諸佛發大精進，捨身命財求一切智；我今亦當隨學諸佛。緣此事故發菩提心。觀身過患發菩提心復有五事，一者自觀我身五陰四大俱能興造無量惡業，欲捨離故。二者自觀我身九孔常流臭穢不淨，生厭離故。三者自觀我身有貪瞋癡無量煩惱燒然善心，欲除滅故。四者自觀我身如泡如沫念念生滅，是可捨法，欲棄捐故。五者自觀我身無明所覆常造惡業，輪迴六趣無利益故，求最勝果發菩提心。復有五事，一者見諸如來相好莊嚴、光明清徹、遇者除惱，為修集故。二者見諸如來法身常住清淨無染，為修集故。三者見諸如來有戒、定、慧、解脫、解脫知見清淨法聚，為修集故。四者見諸如來有十力、四無所畏、大悲、三念處，為修集故。五者見諸如來有一切智，憐愍眾生慈悲普覆，能為一切愚迷正道。為修集故，慈愍眾生發菩提心。復有五事，一者見諸眾生為無明所縛、二者見諸眾生為眾苦所纏、三者見諸眾生集不善業、四者見諸眾生造極重惡、五者見諸眾生不修正法。無明所縛復有四事，一者見諸眾生為癡愛所惑受大劇苦、二者見諸眾生不信因果造作惡業、三者見諸眾生捨離正法信受邪道、四者見諸眾生沒煩惱河四流所漂。眾苦所纏復有四事，一者見諸眾生畏生老病死，不求解脫而復造業；二者見諸眾生憂悲惱苦而常造作，無有休息；三者見諸眾生愛別離苦而不覺悟，方便染著；四者見諸眾生怨憎會苦常起嫌嫉，更復造怨。集不善業復有四事，一者見諸眾生為愛欲故造作諸惡、二者見諸眾生知欲生苦而不捨欲、三者見諸眾生雖欲求樂不具戒足、四者見諸眾生雖不樂苦造苦不息。造極重惡復有四事，一者見諸眾生毀犯重戒，雖復憂懼而猶放逸；二者見諸眾生興造極惡五無間業，兇頑自蔽不生慚愧；三者見諸眾生謗毀大乘方等正法，專愚自執方起憍慢；四者見諸眾生雖懷聰哲而具斷善根，反自貢高永無改悔。不修正法復有四事，一者見諸眾生生於八難，不聞正法不知修善；二者見諸眾生值佛出世，聞說正法不能受持；三者見諸眾生染習外道，苦身修業永離出要；四者見諸眾生修得非想非非想定謂是涅槃，善報既盡還墮三塗。菩薩見諸眾生無明造業長夜受苦，捨離正法迷於出路，為是等故發大慈悲，志求阿耨多羅三藐三菩提，如救頭燃。一切眾生有苦惱者，我當拔濟令無有餘。諸佛子！我今略說初行菩薩緣事發心，若廣說者無量無邊。

> 菩薩はどのようにして菩提心を発すべきでしょうか。また、どのような因縁によって菩提を修め集めるべきでしょうか。もし菩薩が善知識に親近し、諸仏を供養し、善根を修め集め、勝れた法を志し求め、心が常に柔和であり、苦難に遭ってもよく耐え忍び、慈悲が厚く純粋で、深い心が平等であり、大乗を信じ楽しみ、仏の智慧を求めるならば、そのような十の法を備えた人は、はじめて阿耨多羅三藐三菩提心を発することができます。 また、四つの縁によって心を発し、無上菩提を修め集めることがあります。それは何を指すのでしょうか。第一に、諸仏を思惟して菩提心を発すること。第二に、身の過ちと患いを観じて菩提心を発すること。第三に、衆生を慈しみ憐れんで菩提心を発すること。第四に、最も勝れた果報を求めて菩提心を発することです。 諸仏を思惟することには、さらに五つの事柄があります。 第一に、十方の過去・未来・現在の諸仏が最初に心を発した時、煩悩の性質を備えていたのは今の私と同じであり、それでも最終的に正覚を成じて無上の尊き存在となったことを思惟すること。この縁によって菩提心を発します。 第二に、すべての三世の諸仏が大いなる勇猛心を発し、それぞれが無上菩提を得ることができたことを思惟すること。もしこの菩提が得られる法であるならば、私もまた得るべきです。この事柄を縁として菩提心を発します。 第三に、すべての三世の諸仏が大いなる明るい智慧を発し、無明の殻の中にあって勝れた心を立て、苦行を積み重ね、皆自ら抜け出して三界を超越したことを思惟すること。私もまた同じように、自ら抜け救われるべきです。この事柄を縁として菩提心を発します。 第四に、すべての三世の諸仏が人の中の雄であり、生死煩悩の大海を渡ったことを思惟すること。私もまた丈夫であるならば、渡ることができるはずです。この事柄を縁として菩提心を発します。 第五に、すべての三世の諸仏が大いなる精進を発し、身・命・財を捨てて一切智を求めたことを思惟すること。私は今、諸仏に随って学ぶべきです。この事柄を縁として菩提心を発します。 身の過ちと患いを観じて菩提心を発することには、さらに五つの事柄があります。 第一に、自らの身を観じて、五陰と四大がともに無量の悪業を起こし造り出すことができることを知り、それを捨て離れようとすること。 第二に、自らの身を観じて、九つの穴が常に臭く穢れた不浄なものを流し出していることを知り、厭い離れようとすること。 第三に、自らの身を観じて、貪り・瞋り・痴りという無量の煩悩があり、善き心を焼き燃やしていることを知り、それを除き滅ぼそうとすること。 第四に、自らの身を観じて、泡のようであり沫のようであり、刹那ごとに生滅するものであることを知り、これは捨てるべき法であるから、棄て去ろうとすること。 第五に、自らの身を観じて、無明に覆われ常に悪業を造り、六道に輪廻して利益がないことを知り、最も勝れた果報を求めて菩提心を発することです。 最も勝れた果報を求めて菩提心を発することには、さらに五つの事柄があります。 第一に、諸如来の相好が荘厳であり、光明が清く澄み渡り、出会う者の煩悩を除くのを見て、それを修め集めようとすること。 第二に、諸如来の法身が常に住し、清浄で汚れがないのを見て、それを修め集めようとすること。 第三に、諸如来に戒・定・慧・解脱・解脱知見という清浄な法の集まりがあるのを見て、それを修め集めようとすること。 第四に、諸如来に十力・四無所畏・大悲・三念処があるのを見て、それを修め集めようとすること。 第五に、諸如来に一切智があり、衆生を憐れみ慈悲を普く覆い、すべての愚かさのために迷いを正す道とすることができるのを見て、それを修め集めようとすることです。 衆生を慈しみ憐れんで菩提心を発することには、さらに五つの事柄があります。 第一に、衆生が無明に縛られているのを見ること。 第二に、衆生が多くの苦に纏われているのを見ること。 第三に、衆生が不善な業を集めているのを見ること。 第四に、衆生が極めて重い悪を造っているのを見ること。 第五に、衆生が正しい法を修めていないのを見ることです。 無明に縛られていることには、さらに四つの事柄があります。 第一に、衆生が痴と愛に惑わされて大きな激しい苦しみを受けているのを見ること。 第二に、衆生が因果を信じず悪業を造り作っているのを見ること。 第三に、衆生が正法を捨て離れ邪な道を信じ受け入れているのを見ること。 第四に、衆生が煩悩の河に沈み四つの流れに漂われているのを見ることです。 多くの苦に纏われていることには、さらに四つの事柄があります。 第一に、衆生が生・老・病・死を畏れ、解脱を求めずにさらに業を造っているのを見ること。 第二に、衆生が憂い・悲しみ・悩み・苦しみながら常に造り作っており、休息がないのを見ること。 第三に、衆生が愛別離苦にあっても覚悟せず、かえって染着に方便しているのを見ること。 第四に、衆生が怨憎会苦に常に嫌悪と嫉妬を起こし、さらに怨みを造っているのを見ることです。 不善な業を集めていることには、さらに四つの事柄があります。 第一に、衆生が愛欲のために様々な悪を造り作っているのを見ること。 第二に、衆生が欲望が苦を生むと知りながら欲望を捨てないのを見ること。 第三に、衆生が楽を求めていながら戒を具え足りないのを見ること。 第四に、衆生が苦を楽しまないのに苦を造り止まないのを見ることです。 極めて重い悪を造っていることには、さらに四つの事柄があります。 第一に、衆生が重い戒を破り犯し、憂い恐れながらもなお放逸であるのを見ること。 第二に、衆生が極悪な五無間業を起こし造り、凶暴頑固で自らを蔽い慚愧を生じないのを見ること。 第三に、衆生が大乗方等の正法を謗り毀り、愚かで自らに執着し、かえって驕慢を起こしているのを見ること。 第四に、衆生が聡明な知恵を持ちながら断善根を具え、反って自らを高く誇り永遠に悔い改めないのを見ることです。 正しい法を修めていないことには、さらに四つの事柄があります。 第一に、衆生が八難に生まれ、正法を聞かず善を修めることを知らないのを見ること。 第二に、衆生が仏の出世に値い、正法を説くのを聞きながら受け持つことができないのを見ること。 第三に、衆生が外道に染まり習い、身を苦しめて業を修め永遠に出離の要を離れているのを見ること。 第四に、衆生が非想非非想定を修め得て、それを涅槃であると思い、善い報いが尽きれば再び三途に堕ちるのを見ることです。 菩薩は、衆生が無明によって業を造り長夜の苦しみを受け、正法を捨て離れ出路に迷っているのを見て、このような者たちのために大いなる慈悲を発し、阿耨多羅三藐三菩提を志し求めます。それはまるで頭が燃えるのを救うかのようです。一切の衆生で苦悩する者がいれば、私は彼らを抜き救い、余すところなくさせます。 諸仏の子よ、私は今、初発心の菩薩が縁によって心を発することを略説しました。もし広く説くならば、それは無量無辺です。