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title: "集神州三寶感通錄 · 相州石鼓山竹林聖寺"
description: "唐代高僧道宣律师所撰的佛教典籍《集神州三寶感通錄》，成書於初唐時期。該書廣泛搜集整理了自漢至唐以來中國境內與佛、法、僧三寶相關的靈感事跡與祥瑞記載，包括舍利感應、聖像顯靈、高僧神異等內容。全書分三卷，以史傳筆法匯錄靈驗故事，展現佛法在華夏的傳播與扎根。此作不僅是研究中國早期佛教史、靈驗文學及民間信仰的重要文獻，也反映了佛教中國化進程中與本土文化融合的軌跡，具有極高的宗教與史料價值。"
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高齊初有異僧。投鄴下寺中夏坐。與同房僧亡名欵曲意得。客僧患痢甚困。名以酒與之。客曰。不可也。名曰。但飲酒。雖是戒禁有患通開。客嚬眉為飲之。患損。夏滿辭還本寺。相送出都。客曰。頗聞鼓山竹林寺乎。名曰。聞之。古來虛傳竟無至者。客曰。無心相造。何由而至。一夏同房多相惱亂。患痢給酒乃是佳藥。本非所欲為患而飲。願不以此及人。山寺孤逈時可歷覽。想一登陟以副虛懷。名聞喜踊曰。必能導達夕死無恨。至九月間剋望尋展。幸賜提引不爾無由。客曰。若來可從鼓山東面而上。東度小谷又東北上。即至山寺。至期與好事者五六人直詣石窟寺。山僧曰。何以得來。曰欲往竹林道由於此。僧曰。世人可笑專聽妖言。此山東西我並遊涉。何處有寺。古有斯言。不勞往也。名曰。彼客致詞。極非孟浪。何有虛也。止得尋之。尋而不獲非余咎也。石窟寺僧十數相隨。依言東上。度谷尋嶺。忽見一翁把钁𣃆地。又見一僧來至。鋤禾四邊把鋤曳钁曰。去年官寺道人。放馬食我禾盡。今年復來蹋我秋苗。舉钁趂僧。並皆返歸。唯名一人東北獨上。翁曰。放儞上山乞虫喫却。遂依東上林木深茂。聞南嶺上有吟詠聲。名曰。非往者客耶。曰是也。排榛而出。執手敘闊相將造寺。瞬目間忽見崇峯造日修竹干雲。重門洞開複殿基列。門外東西槽櫪飾以金鋪。似有馬蹤而無繫者。行至門首曰。且住此。入通和上去。須臾便出引入至佛殿。前禮拜訖。西至廊下。和上可年九十許。眉長鼻高狀如西域。傍有官吏可三十人。執文簿有所判斷。舉手告曰。下里山寺殊無可觀。何能遠涉。名即禮拜十數。和上曰。行來疲頓可止。將至房去。便引西房。北東轉見。僧憑案讀經。名便禮拜。都不慰問。便引盡北行東出。至本客房中。歡笑通宵屢言永住。彼曰。一任和上不敢為礙。待明為諮。報曰。和上不許。乃至中食。不異鄴中臨別。和上曰。知欲永住知友情也。然出家人不可兩處安名。本寺受供可得乖否。必欲永住可除彼名。好去。便辭。送出執手悢悢既別。悽然行一里間。數數返顧。寺塔林竹依然滿目。更行二里。返顧一無。但是峰崖雜樹。行行西下。依隨本道。不見田苗亦無田父乃至石窟。備為諸僧說之。

> 北斉の初め、変わった僧が鄴の寺に夏安居にやって来た。同房の僧、亡名と親しくなり、意気投合した。客僧はひどい下痢に苦しんでいた。名が酒を差し出すと、客は言った。「いけません」。名は言った。「飲みなさい。戒律はあっても、病の時は通融がききます」。客は眉をひそめながら飲んだ。病は癒えた。夏安居が終わり、客は本寺に帰るという。都まで見送りに出ると、客は言った。「鼓山の竹林寺を聞いたことがありますか」。名は答えた。「聞いたことがあります。昔からの言い伝えで、実際に行った者はいませんが」。客は言った。「心に執着がなければ、どうして行けないでしょう。一夏を共に過ごし、多くは煩わしかったでしょう。下痢の時に酒を差し出してくれたのは良薬でした。本来は望むところではありませんでしたが、病のために飲みました。どうかこのことを人に言わないでください。山寺は孤高で、時に訪ねてみるのもよいでしょう。ぜひ一度登って、あなたの心に応えたいと思います」。名は喜び躍って言った。「ぜひご案内ください。たとえ夕方に死んでも悔いはありません。九月に期日を定めて訪ねます。どうか導いてください。そうでなければ行けません」。客は言った。「来るなら、鼓山の東側から登りなさい。東に小さな谷を渡り、さらに東北に上れば、山寺に着きます」。 期日になると、名は好事家五六人を連れて石窟寺へ直行した。山の僧が言った。「どうして来られたのですか」。名は答えた。「竹林寺へ行く途中です」。僧は言った。「世間の人は笑えます。妖言ばかり信じる。この山の東西、私はくまなく歩き回ったが、どこに寺があるというのか。昔からの言い伝えだ。行くだけ無駄だ」。名は言った。「あの客の言葉は、決してでたらめではありません。どうして嘘がありましょう。とにかく探してみます。見つからなければ、私の責任です」。石窟寺の僧十数人が付き従い、言われた通り東へ上った。谷を渡り、嶺を尋ねる。すると突然、老人が鍬で地面を掘っているのが見えた。また一人の僧がやって来た。鋤で周囲の草を刈り、鍬を引きずりながら言った。「去年、官寺の僧が馬を放って私の稲を食べ尽くした。今年もまた来て、秋の苗を踏み荒らす」。鍬を振り上げて僧たちを追い払うと、皆は帰ってしまった。ただ名一人が東北へと上っていく。老人は言った。「お前を山へ放してやる。虫に食われろ」。そこで東へ上ると、木々が深く茂っていた。南の嶺から詠唱の声が聞こえる。名は言った。「あの客ではありませんか」。声は答えた。「そうです」。藪をかき分けて出て来て、手を取り合って久しぶりの再会を喜び、共に寺へ向かった。瞬く間に、突然、そびえ立つ峰が太陽を遮り、長く伸びた竹が雲に届く。重なる門が大きく開き、幾重もの殿舎が並んでいる。門の外、東西の馬屋は金の飾りで彩られ、馬の足跡はあるが、つながれている馬はいない。門の前に来て言った。「ここで待っていてください。和尚に取り次ぎます」。しばらくして出て来て、仏殿へ案内した。前で礼拝を終え、西の廊下へ行く。和尚は九十歳ほどか。眉は長く鼻は高く、西域の人のような風貌だ。傍らに役人らしき者が三十人ほどいて、文書を持ち何かを裁いている。手を挙げて告げた。「下里の山寺は、特に見るべきものもありません。どうして遠くまで来られたのですか」。名は十数回礼拝した。和尚は言った。「歩いて来てお疲れでしょう。部屋へ案内しなさい」。西の部屋へ案内され、北東へ曲がると、僧が机にもたれて経を読んでいる。名は礼拝したが、何の慰めの言葉もなかった。さらに北へ進み、東に出て、もとの客室へ着いた。夜通し笑い語り、何度も永住を願い出た。彼は言った。「和尚のご意向次第です。私が妨げることはできません。明朝に伺いを立てましょう」。返事はこうだった。「和尚は許されません」。昼食まで、鄴での別れと変わらなかった。和尚は言った。「永住を望むのは、友としての情でしょう。しかし、出家の者が二つの場所に名を置くことはできません。本寺で供養を受けるなら、そちらを除くべきです。どうぞお帰りください」。別れを告げ、手を取り合って名残惜しんだ。別れてから一里ほど歩き、何度も振り返った。寺の塔や林の竹は、依然として目に満ちていた。さらに二里歩き、振り返ると何もない。ただ峰や崖、雑木ばかり。歩きながら西へ下り、来た道をたどる。田の苗もなく、田舎の老人もなく、ついに石窟寺へ着いた。詳しく僧たちに話した。