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title: "北磵居簡禪師語錄 · 上堂"
description: "北磵居簡禪師語錄由宋代禪師居簡的弟子大觀編撰而成，記錄了南宋臨濟宗高僧北磵居簡的禪法開示、機鋒問答及詩文著作。該語錄反映了宋代禪宗的思想特色與實踐風貌，內容涵蓋禪宗心要、修行指導及對機教化，是研究宋代臨濟宗禪法的重要文獻。居簡禪師作為大慧宗杲的法脈傳承者，其語錄語言犀利直指人心，在佛教史上具有承先啟後的地位，對後世禪宗發展影響深遠。"
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上堂。諸佛不出世。四十九年說。說箇什麼。祖師不西來。少林有妙訣。也好藏拙。是假易除。是真難滅。

> 説法する。諸仏はこの世に現れず、四十九年にわたって説法したというが、一体何を説いたというのか。祖師は西方から来なかったが、少林寺には素晴らしい秘訣がある。うまく隠すのも良いが、偽りは除きやすく、真実は滅し難い。

上堂。塵劫前事。盡在今時。當斷不斷。千駟莫追。卓主丈云花須連夜發。莫待曉風吹。

> お話しします。 はるか昔の出来事も、すべて今この瞬間にあります。 断つべき時に断たなければ、千もの馬のチームをもってしても追いつくことはできません。 <note>杖を卓と叩く</note> 花は、夜のうちに咲かせなさい。 夜明けの風が吹くのを待ってはいけません。

上堂。智不到處。切忌道著。道著則頭角生。古人恁麼告報。淨慈則不然。智不到處。滿口道著。與你大書特書屢書於虗空中。不怕風吹日炙。卓主丈云有名不用鐫頑石。

> 説法の席にて。 智慧が及ばないところには、決して口に出してはならない。口にすれば、角が生えてしまう。昔の方はこのように戒められた。 しかし、浄慈はそうではない。 智慧が及ばないところでも、満面に口に出してやる。あなたのために、雄々しく、特別に、幾度となく、虚空に書いてやろう。風に吹かれ、日差しに焼かれようとも構わない。 <note>杖で地面を叩く</note> 名があれば、頑固な石に彫りつけるまでもないのだ。

祈雨上堂。大機莫酬。小枝速化。驀拈主丈云。扶過斷橋水。伴歸明月村。未稱全提。若濟巨川。用汝作舟楫。若歲大旱。用汝作霖雨。卓主丈云甜瓜徹蒂甜。苦瓠連根苦。

> 雨乞いのため、説法台に上る。 大きなはたらきには応えきれず、小さな技はすぐに消え去る。 ふと杖を手に取り、言う。 「壊れた橋の水を越えるのを助け、月明かりの村へと共に帰ろう。」 それでも、完全な悟りの境地には及ばない。 もし大河を渡らんとするなら、汝を舟や櫂として使おう。 もし年が旱魃に見舞われたなら、汝を慈雨として降らせよう。 <note>杖を立てて言う。</note> 「甘い瓜は、その茎まで甘い。苦い瓢箪は、その根まで苦い。」

上堂。久坐大雄峯。寒灰撥不紅。一星螢火出。孤鶴已遼東。

> 授業を始めます。長く大雄峯に座っていたが、寒い灰は赤くもならない。一つの蛍火が現れ出れば、一羽の鶴はすでに遠く遼東へ去っている。

成道上堂。誤將螢火作明星。發得些兒鬼眼睛。末代只看王勃記。何殊瘞鶴紫陽銘。

> 成道の上堂（じょうどう）、あやまって蛍の火を明星（みょうじょう）と見なす。 わずかに得たものは、ただの鬼の目にすぎない。 末法の世には、ただ王勃の碑文のみを見て、 紫陽の「瘞鶴銘」（えいかくめい）と何の違いがあろうか。

上堂。舉百丈震。問法昌遇。你見北禪。我也見北禪。你見興化。我也見興化。你因甚麼。常不肯我。法昌云。你見興化時事。我也知得。你見北禪時事。我也知得。只是你欠商確在。

> 授業が始まった。例を挙げて言う。百丈震が法昌遇に問うた。「お前は北禪に会った。私も北禪に会った。お前は興化に会った。私も興化に会った。それなのに、なぜお前はいつも私を認めないのか。」法昌が答えた。「あなたが興化に会った時のことも、私には分かっている。あなたが北禪に会った時のことも、私にも分かっている。ただ、あなたにはまだよく考え直すところが足りないのだ。」

師拈云。祖師門下。如帕刀露刃。商確箇什麼。若是興化北禪底事。成都范道人賣墨。

> 師が言われた。「祖師の門下では、それはまるで刀を抜き放つようなものだ。何を論じ合っているのか。もし興化や北禅の話をするなら、それは成都の范道人が墨を売るようなものだ。」

請書記維那侍者。上堂。薑杏盃深恨未消。罰錢出院不同條。等閑放過丹霞後。打折烏藤也不饒。且道過在什麼處。家貧生孝子。家富小兒嬌。

> 書記、維那、侍者を招いて上堂する。 生姜と杏子の杯に深い恨みはまだ消えず、 罰金を払って寺を去るのも、同じ決まりではない。 たやすく丹霞の後を見逃せば、 烏藤を折り曲げて打つことも許されない。 さて、その過ちはどこにあるのか。 家が貧しければ孝行な子が生まれ、 家が富めば子どもは甘やかされる。

開爐上堂。法昌開爐。對泥像說法。淨慈只有火爐頭。無賓主話。由你諸人。橫拖倒拽。用盡氣力。得不償勞。卑之毋甚高論。切須照顧眉毛。

> 炉開きの上堂。法昌の炉開きは、泥像に向かって説法する。浄慈には火炉のそばだけあって、賓主の話はない。お前たち諸人は、あれこれ引っ張ったり倒したりして、力を尽くしても、労多くして益なしだ。もっと控えめに、あまり大げさな論はやめろ。くれぐれも眉毛を大切にしろ。

上堂。世事悠悠。不如山丘。避喧求靜。騎牛覔牛。黃河合眼跳。特地一場愁。

> 説法する。 世の中のことは、うわべだけのもので、結局は山の中での靜かな暮らしにかなわない。 うるさい場所を避けて靜けさを求めようとするのは、牛に乗りながら牛を探しているようなものだ。 黄河を目をつぶって飛び越えるのは、ただやっかいなことを招くだけだ。

出隊歸上堂。擒虎易告人難。難難。銕門限。銕心肝。龐老油麻樹上攤卓主丈下座。

> 隊を出て帰り、上堂する。虎を捕らえるのは易く、人に告げるのは難しい。難しい、難しい。鉄の敷居、鉄の心臓。龐老が油の胡麻を木の上に広げる<note>主丈を卓き、下座する</note>。

上堂。色不是色。菜花黃梨花白。聲不是聲。紫燕語黃鶯鳴。觀音菩薩。將錢買胡餅。放下手却是饅頭。洞裏春光渾不惜。一時流入武陵谿。

> 説法の席にて。 色とされるものも、実は色ではありません。菜の花は黄色く、梨の花は白い。 音とされるものも、実は音ではありません。ツバメがさえずり、ウグイスが鳴く。 観音菩薩が、金を出して胡餅（焼き菓子）を買おうとしたが、手を下ろしてみれば、それは饅頭だった。 洞窟の中の春の光景を惜しむことなく、すべてが一時に武陵の渓に流れ込んでいくのだ。

浴佛上堂。佛子生來淨無垢。今年洗了明年又。頑賴容他五逆兒。劈面淋頭誇毒手。

> 仏の子は生まれつき清らかで汚れがないというが、今年洗っても来年また洗うのか。 そんな頑なで強情な奴が、どうして五逆の子を許せるだろうか。 面と向かって頭から水を浴びせ、毒手を誇るとは。

結夏上堂。以手作結布袋勢南山今日。結這布袋子。汝等諸人。各各於中。身心安居。平等性智。忽有箇衝開碧落。撞倒須彌。又道。這結子不密。殊不知。南山有縵天網子。百千重在。

> 夏の安居の始まりにあたり、<note>手で袋を結ぶ仕草をしながら</note>南山寺では本日、この布袋を結びます。皆さん一人ひとりが、この中で心と体を安らかに過ごし、平等の智慧を育んでください。もし、その誰かが青空を突き破り、須弥山を倒してしまうほどの者が現れ、「この結び目は緩い」などと言っても、知るがいい。南山には、幾重にも重なる、広大な網が張り巡らされているのです。

徽宗皇帝大忌。上堂。真人夢出大槐宮。直上鈞天廣樂中。百世木支皆玉葉。追還舜禹舊家風。

> 徽宗皇帝の大忌にあたり、上堂して説く。 真の人は夢に大槐の宮を出で、まさに天にあがって広大な楽の音の中にあった。 百代にわたる皇室の裔はみな玉の葉のように尊く、舜や禹の昔ながらの家風を再び取り戻すのである。

重午上堂。五月五日午時。大書特書屢書。不向空中咄咄書。是馬何曾喚作驢。

> 五月五日の端午の節句、正午の鐘が鳴る。筆を執り、大いに書き、特に書き、幾度も書き連ねる。虚無に向かって「咄々」と書きつけるのではない。これが馬ならば、どうして驢と呼ぶことがあろうか。

上堂。三界無法。何處求心。何處有法。何處無心。白雲為盖。流水作琴。誰是知音。一曲兩曲無人會。慚愧慚愧。父母所生口。終不向你道。雨過夜塘秋水深。

> 説法のために高座にのぼる。 「三つの世界に確かな実体などない。心を探そうとしても、どこにもない。また、どこに本当の『法（教え）』があり、どこに『心』がないというのだろうか。ただ、白い雲が蓋のように広がり、流れる水が琴の音を奏でている。誰がこの心の調べを理解するだろうか。一曲、二曲と奏でても、誰もその意味を汲み取ってはくれない。まことに、恥ずかしいことだ。父母からもらったこの口で、本当のことは決して伝えられるものではない。夜の雨が過ぎ、秋の池の水が深く静まっているように、そのままあるがままなのだ。」

朝廷供羅漢。禱雨禳火祈江。結座。華封祝帝美如何。壽富如天聖嗣多。海不揚波長熨帖。雨當指日肆滂沱。火無就燥宜潛德。虜嗜殘生必倒戈。草木昆虫均化育。九州四海聽謳歌。

> 朝廷が羅漢を供養し、雨を祈り火を祓い、川の安全を祈願する法要の結びの席にて。 「皇帝の御威光を称える美しさは、いかばかりでしょうか。 寿命や富は天の如く、聖なる後継ぎも多くおられます。 海は波立つことなく、いつも静かで落ち着いています。 雨は日を指して間もなく、激しく降り注ぐでしょう。 火は乾いたものを燃やさず、ひそやかな徳がふさわしいのです。 敵は残虐な行いを好みますが、必ずや旗を倒して降伏するでしょう。 草木や虫に至るまで、すべての生きとし生けるものが共に育まれ、 国中いたるところで、人々の歌が聞こえてきますように。」

解夏上堂。舉昔有一老宿。一夏不與師僧說話。徹底老婆心時有僧云。我只麼空過一夏。慚愧慚愧莫道佛法。只聞正因二字也得。又與麼去老宿聞得。乃云。若是正因。一字也。無舌頭拖地隣房老僧聞得。扣齒云。好一釜羹。被兩顆鼠糞污却。三顆也有雪竇云。誰家鍋裏。無一兩顆作賊人心虛。

> 解夏の上堂。昔、ある老師がいた。一夏の間、修行僧と話をしなかった。<note>まったくもって老婆心なり</note>その時、ある僧が言った。「私はただこうして夏を空しく過ごしてしまいました。<note>慚愧慚愧</note>佛法はともかく、せめて正因という言葉だけでも聞きたいものです。<note>またそう言うのか</note>老師はこれを聞いて、言った。「正因というならば、一字もないのだ。<note>舌が地面に着いている</note>隣の部屋の老師がこれを聞いて、歯を叩いて言った。「良い鍋の羹（あつもの）が、二つの鼠の糞で汚されてしまった。<note>三つもあるぞ</note>雪竇が言った。「どこの家の鍋に、一つや二つがないということがあろうか。<note>盗人、心臆病なり</note>

達磨忌上堂。老胡今日死日到。四海五天俱大平。葱嶺又尋歸去路。看來只有業隨身。

> だるま忌の上堂。 インドの祖師・達磨が亡くなった今日、 世界中が静かに見守る中、 葱嶺を越えて還る道を探すけれど、 結局、ただ業だけが身についてゆくのだ。

為真大師上堂。舉龐居士。問馬大師。不與萬法為侶。是什麼人。大師云。待汝一口。吸盡西江水。即向汝道。

> 真の大師が説法の席に上られ、次のような話をされました。 龐居士が馬大師に尋ねました。 「あらゆる現象のすべてと共にいることをしないという人は、どのような人でしょうか？」 馬大師は答えました。 「あなたが一度に、西の川の水を全部飲み干したならば、そのとき教えてあげよう。」

師云。我若見它道。只向道。師姑元是女人做。因甚舍利弗。被人轉男成女。卓主丈云再犯不容。

> 老師が言った。「もし私が彼の問いを目にしたなら、ただこう言うだろう。『尼僧は元々、女の人からできているのだ。それなのに、どうして舎利弗が、人によって男から女に変えられてしまったのか？』」 <note>杖で地面を叩く</note> 「二度目の過ちは許さない。」

上堂。舉趙州入僧堂云。有賊有賊。見一僧便云。賊在者裏。僧云不是某甲。趙州托開云。是即是。不肯承當。

> （老師）登上法堂，舉了這樣一個公案：趙州禪師走進僧堂，突然喊道：「有賊！有賊！」這時，他看見一位僧人，便說：「賊就在這裡。」那位僧人回答：「不是我。」趙州禪師一把推開他說：「是你沒錯，但你卻不肯承認。」

師云。趙州収處太寬。放去太急。淨慈則不然。家賊難防。家財必喪。卓主丈云只可錯捉。不可錯放開爐上堂。楓落吳江欲冷時。一堂百衲敗荷衣。憑誰撥取爐中火。莫似溈山眼𥉌癡。

> 老師がおっしゃった。「趙州和尚は、捕らえるときはあまりに寛大で、放つときはあまりに急すぎる。だが、淨慈寺の我々はそうではない。家庭内の盗人は防ぎにくく、家の財産は必ず失われる。」<note>主丈を卓つ</note>「ただ、誤って捕らえることはあっても、誤って放ってはならない。」炉を開いて上堂する。楓落ちて呉江冷えんとする時、一堂には百衲の敗れた荷衣。誰にか依りて炉中の火を撥いださん。溈山の眼𥉌癡に似ること莫れ。

出隊歸上堂。斷頭舡子傍人門。七佛威儀可斷魂。爭似國師無伎倆。天津橋看弄胡孫。

> 法会に戻り、上堂して曰く。 「首を切られた船が、他人の門に寄り添う。 七仏の威儀は、魂を断ち切るほどに厳しい。 しかし、国師（南陽慧忠）のような何の技もない者に、どうして敵うだろうか。 天津橋の上で、猿回しを見ているようなものだ。」

興善定勝叟訃至。上堂。海雲空。海天闊。書不來。信不達。既是解道。本來無一物。因甚不得它衣鉢。君子可八。

> 興善寺の定勝老和尚の訃報が届いた。上堂して言う。 海の雲は空っぽで、海の空は広い。 手紙は届かず、便りも伝わらない。 「もともと一物もない」と説きながら、 なぜその衣鉢を受け継げなかったのか。 君子はそれで良いのだ。

上竺栢庭遺書至。上堂。千里駒。九肋鱉。九十三年揭日月。生既無言死無說。萬象森羅廣長舌。

> 上竺・栢庭からの遺書が届き、上堂（説法の場）にて師が述べられた。 「千里を駆ける駒（すぐれた弟子）、九本の肋骨を持つ大亀（めったにいない優れた人）。九十三年もの間、月日を掲げてきた。生きている間は言葉を残さず、死に際しても説くことはない。しかし、あらゆる現象（森羅万象）こそが、広く長い舌（広長舌）となって真理を語っているのだ。」

為新顯慈上堂。舉木蛇和尚。每見會下。有人出世。則津津然有喜色。云且喜諸聖推出。或嘲之曰。木蛇道價壓諸方。蛇子蛇孫滿大唐。今日一條新變化。後頭更有數條忙。

> 新しく説法に出る方のために、老師が法話で述べられた話です。 木蛇和尚という老師は、自分の教えを受けた弟子の中から、新たに世に出て教えを広める者が現れるたびに、たいそう喜ばれました。「聖者たちが、この者を世に送り出してくれたことを、共に喜ぼう」とおっしゃったのです。 ある人がこれをからかって、こう詠みました。 「木蛇和尚の名声は、あらゆる土地を圧している。その教えの子や孫は、唐の国中にあふれている。今日、また一匹の新しいものが変化して現れた。その後にも、まだ何匹もの蛇たちが忙しく動き出すだろう」と。

又大慧會下。亦有人出世。慧云。諸聖推出。霜露果熟端禪客云。空中若有閑諸聖。何不來推出慧端。

> また、大慧の会下にも、世に出た人がいた。慧は「諸聖が押し出した」と言った。霜露が果実を熟させるようにして、端禅師は言った。「空に閑な諸聖がいるなら、どうして慧端を押し出しに来ないのか。」

北磵門下。也無蛇子蛇孫。也無空中閑諸聖。只有箇無孔銕鎚。不堪提不堪掇。不可與不可奪。且非龍泉出匣。亦非干將虞缺。擲向苕溪定不沉。憍梵鉢提長吐舌。

> 北磵の門下には、 蛇の子も蛇の孫もなく、 また空中に諸聖が暇つぶしにいることもない。 ただひとつ、穴のない鉄の槌があるのみ。 それは持ち上げることもできず、掴むこともできない。 与えることもできず、奪うこともできない。 竜泉の剣が鞘を抜いたのでもなく、 干将の剣が欠けたのでもない。 これを苕溪に投げ入れても決して沈まない。 驕梵鉢提（ぎょうぼんほち）は長く舌を出している。

上堂。八月秋。何處熱。露冷風高。頭頭漏泄。何必三到投子。掘地覔天。雪擁鰲山。一場敗闕。踏著秤鎚硬似銕。

> 説法。 八月の秋、どこが暑いだろう。 露は冷たく、風は高い。 一つ一つのことが、すべてを明らかにしている。 わざわざ「投子」へ三度行く必要があるのか？ 地面を掘って天を探すようなものだ。 雪山に閉じ込められたように、修行は失敗に終わる。 秤の分銅を踏めば、鉄のように硬い。

道士至上堂。通玄峰頂。不是人間。心外無法。壺中有天。更於何處覔通玄。

> 道士が上堂して言う。 「通玄峰の頂は、人間の世界ではない。心の外に法はなく、壺の中に天がある。どこに通玄を求めるのか。」

上堂。仲夏初吉。有好消息。露柱燈籠。參學事畢。證據則任汝證據。鞭逼則任汝鞭逼。以拂子擊禪床云當機覿面提。覿面當機疾。

> 上堂します。仲夏の初めの吉日、良い知らせがあります。露柱や燈籠も、修行を終えました。証拠として示すのはあなた方に任せ、鞭打ち追い詰めるのもあなた方に任せます。<note>払子で禅床を打つ</note>その場で直面して提示し、直面して素早く行動するのです。

上堂。牛頭橫說竪說。不曾動舌。魯祖見僧面壁。自納敗闕。淨慈敗缺。釘橛向空。熨斗煎茶銚不同。

> 説法の席にて。 牛頭法融禅師は、縦横無尽に説法したと言われるが、一度も舌を動かしたことはない。 魯祖山の僧は、人と会うと壁に向かって座ったが、それ自体が欠点をさらすこととなった。 浄慈寺の私もまた、欠点をさらす。空に杭を打ち込むようなものだ。 しかし、アイロンと茶釜は、同じようで同じではないのだ。

上堂舉常不輕菩薩我不敢輕於汝等。汝等皆當作佛。

> 説法の場で、常不軽菩薩の言葉を挙げます。「私はあなたがたを決して軽んじません。あなたがたは皆、必ず仏になるのですから。」

師云。己所不欲。勿施於人。

> 先生は言いました。「自分がされたくないことは、人にしてはいけません。」

楞西堂至。上堂。淨慈開却門待知識。今日西余來也。未跨門已前。先與約法三章。第一不得談玄。第二不得說妙。第三不得點檢人家。良久云若有付心法。天下事如麻。

> 楞西堂が来られたので、上堂する。 「净慈寺は門を開けて、知識を待っていた。今日、西余が来られた。門をくぐる前に、まず三つの約束をしておこう。 第一に、玄妙な議論はしないこと。 第二に、不思議な話はしないこと。 第三に、他人のあら探しをしないこと。」 <note>しばらくして言う</note> 「もし心法を授けるというのなら、世の中のことは麻のように絡み合うだろう。」

上堂。舉玄沙問僧。近離甚處。僧云瑞嵓。沙云。瑞嵓有何言句。僧云。長喚主人翁。又自應曰。諾。惺惺著。他後莫受人瞞。沙云。何不在彼間住。僧云。遷化了也。沙云。只今還喚得應麼。僧無語。

> 法堂に上り、玄沙が僧に問うた。「最近、どこを離れてきたのか。」僧が答えた。「瑞巌です。」玄沙が言った。「瑞巌で、どんな言葉があったか。」僧が言った。「いつも『主人よ』と呼びかけ、自分で『はい』と答え、『はっきりと気を保て。後で人にごまかされないように』と言っていました。」玄沙が言った。「なぜ、そこに留まらなかったのか。」僧が言った。「遷化されました。」玄沙が言った。「今、呼びかければ、答えがあるのか。」僧は言葉がなかった。

師代云。偶爾成文。

> 師代が言う、「偶然、文章ができただけのことだ。」