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title: "太平廣記選輯（卷八十七～一三四） · 李思元"
description: "《太平廣記選輯（卷八十七～一三四）》由北宋李昉等人奉宋太宗之命編纂，成書於太平興國年間，是中國古代大型類書《太平廣記》中聚焦佛教內容的選輯部分。該書收錄漢至宋初的佛教故事、高僧傳奇、因果報應及靈驗事蹟，反映佛教在中國民間社會的傳播與影響。其內容融合儒釋道思想，展現宋代佛教與文化的交融，對研究中國佛教史、文學及社會觀念具有重要價值，是了解佛教中國化進程的權威文獻之一。"
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### 李思元

> 李思元

唐天寶五載夏五月中。左清道率府府史李思元暴卒。卒後心煖。家不敢殯。積二十一日。夜中而纔蘇。即言曰。有人相送來。且作三十人供。又曰。要萬貫錢與送來人。思元父為署令。其家頗富。因命具饌。且鑿紙為錢。饌熟。令堂前布三十僧供。思元白曰。蒙恩相送。薄饌單蔬。不足以辱大德。須臾若食畢。因令焚五千張紙錢於庭中。又令具二人食。置酒肉。思元向席曰。蒙恩釋放。但懷厚惠。又令焚五千張紙錢畢。然後偃臥。至天曉。漸平和。乃言曰。被捕至一處。官不在。有兩吏存焉。一曰馮江靜。一曰李海朝。與思元同召者三人。兩吏曰。能遺我錢五百萬。當舍汝。二人不對。思元獨許之。吏喜。俄官至。謂三人曰。要使典二人。三人內辦之。官因領思元等至王所。城門數重。防衛甚備。見王居有高樓十間。當王所居三間高大。盡垂簾。思元至。未進。見有一人。金章紫綬。形狀甚貴。令投刺謁王。王召見。思元隨而進至樓下。王命却簾。召貴人登樓。貴人自階陛方登。王見起。延至簾下。貴人拜。王答拜。謂貴人曰。今既來此。即須置對。不審在生有何善事。貴人曰。無。王曰。在生數十年。既無善事。又不忠孝。今當奈何。因嚬蹙曰。可取所司處分。貴人辤下。未數級。忽有大黑風到簾前。直吹貴人將去。遙見貴人在黑風中。吹其身忽長數丈。而狀隳壞。或大或小。漸漸遠去。便失所在。王見佇立。謂階下人曰。此是業風。吹此人入地獄矣。官因白思元等。王曰。可捻籌定之。因簾下投三疋絹下。令三人開之。二人開絹。皆有當使字。唯思元絹開無有。王曰。留二人。舍思元。思元出殿門。門西牆有門東向。門外眾僧數百。持旛花迎思元。云。菩薩要見。思元入院。院內地皆於清池。院內堂閣皆七寶。堂內有僧。衣金縷袈裟。坐寶牀。思元之禮謁也。左右曰。此地藏菩薩也。思元乃跪。諸僧皆為贊歎聲。思元聞之泣下。菩薩告眾曰。汝見此人下淚乎。此人去亦不久。聞昔之梵音。故流涕耳。謂曰。汝見此間事。到人間一一話之。當令世人聞之。改心修善。汝此生無雜行。常正念。可復來此。因令諸僧送歸。思元初蘇。具三十人食。別具二人肉食。皆有贈益。由此也。思元活七日。又設大齋畢。思元又死。至曉蘇云。向又為菩薩所召。怒思元曰。吾令汝具宣報應事。何不言之。將杖之。思元哀請乃放。思元素不食酒肉。及得再生。遂乃潔淨長齋。而其家盡不過中食。而思元每人集處。必具言冥中事。人皆化之焉。出紀聞

> 唐の天宝5年（746年）夏の5月半ば、左清道率府の府史である李思元が突然亡くなった。亡くなった後も胸が温かかったため、家族は棺に納めることができなかった。それから21日が経ち、ある夜中にようやく息を吹き返した。すぐに言った。「誰かが私を送り届けてくれました。30人分の供物を用意してください。」また言った。「万貫のお金を、送り届けてくれた方に差し上げなさい。」 李思元の父は署令を務めており、家はかなり裕福だった。そこで料理を用意させ、紙を切り抜いて紙銭を作らせた。料理ができると、堂の前に30人分の僧侶の供物を並べさせた。李思元は言った。「送っていただいたご恩に感謝します。粗末な料理ばかりで、大徳の方々にはその価値がありません。」しばらくして食事が終わったようだったので、庭で五千枚の紙銭を燃やさせた。さらに、二人分の食事と酒と肉を用意させた。李思元は席に向かって言った。「釈放していただき、深く感謝しております。」そしてさらに五千枚の紙銭を燃やし終えると、横になって休んだ。夜が明ける頃には、徐々に気分が落ち着いてきた。 そして、次のように語った。 私がある場所に連れて行かれた時、役人はいなかった。そこには二人の吏がいた。一人は馮江静（ふうこうせい）、もう一人は李海朝（りかいちょう）といった。私と一緒に呼び出されたのは三人だった。二人の吏が言った。「もし我々に銭500万をくれるなら、お前を逃がしてやろう。」他の二人は答えなかったが、私だけがそれを約束した。吏たちは喜んだ。やがて役人が来て、三人に言った。「二人の執事を使いたい。お前たち三人の中から決めよ。」役人は私たちを王の元へ連れて行った。城門は幾重にもなっており、警備は非常に厳重だった。王の住まいには高さ10間の楼閣があり、王が住む中央の三間はひときわ高く大きく、すべての簾が下ろされていた。私たちが到着した時、まだ中に入る前だった。一人の人物がいた。金の印綬と紫の綬帯をつけており、姿は非常に高貴そうだった。名刺を出して王への謁見を願い出た。王はその人物を召し入れた。私も後に続いて楼閣の下まで行った。王は簾を上げさせ、貴人を楼閣に上がらせた。貴人が階段を登ろうとした時、王は立ち上がって迎え入れ、簾の下に招き入れた。貴人が拝礼すると、王も拝礼で返した。王は貴人に言った。「そなたがここに来たからには、直ちに尋問しなければならない。生きている間に、どのような善行を積んだのか。」貴人は言った。「特にございません。」王は言った。「数十年も生きながら、善行もなく、忠孝も尽くさなかった。さあ、どうするつもりか。」王は眉をひそめて言った。「担当の役所に処分を任せよう。」貴人は辞して階を下りようとした。まだ数段も降りないうちに、突然、大きな黒い風が簾の前に吹き荒れ、貴人を直接吹き飛ばしてしまった。遠くに、貴人が黒い風の中にいるのが見えた。その風に吹かれて、貴人の体はたちまち数丈の高さに伸び、姿は崩れ去った。大きく見えたり小さく見えたりしながら、徐々に遠ざかっていき、ついには見えなくなった。王は立ち尽くし、階下の人々に言った。「これは業風だ。この風が人を地獄に吹き飛ばしてしまうのだ。」そこで役人は王に私たちのことを報告した。王は言った。「くじを引いて決めよ。」そして簾の下から三匹の絹布を投げ渡し、三人にそれを開かせた。二人が開けた絹には、どちらも「役に立て」という文字があった。しかし、私だけが開けた絹には何も書かれていなかった。王は言った。「あとの二人は残せ。李思元は返してやれ。」 私は殿の門を出た。門の西側の壁には東に向いた門があった。門の外には数百人の僧侶が、幡や花を持って私を迎えていた。彼らは言った。「菩薩様がお会いしたいそうです。」私はその院の中に入った。院内の地面はすべて清らかな池で、堂や楼閣はすべて七宝で飾られていた。堂の中には僧がおり、金の糸で織った袈裟をまとい、宝玉の寝台に座っていた。私が礼をして拝もうとすると、側近が言った。「この方は地蔵菩薩様です。」私はひざまずいた。すべての僧が称賛の声を上げた。私はそれを聞いて涙を流した。菩薩は皆に言った。「この人が涙を流すのを見ますか。この人はここを去るのも遠くありません。昔の仏の声を聞き、そのため涙を流しているのです。」そして私に言った。「ここで見たことを、人の世に帰ったら、一々語りなさい。世の人々に聞かせ、心を改め、善行を積ませなさい。あなたはこの生涯で迷いの行いをせず、常に正しい心を持ち続けなさい。そうすれば、またここに来ることができるでしょう。」そして、すべての僧に私を送り返させた。 私が蘇生した時、30人分の食事と、別に2人分の肉料理を用意したのは、これが理由だった。李思元は蘇生してから7日後、再び大がかりな法要を営んだ。その法要が終わると、李思元はまた亡くなった。翌朝に蘇生すると、次のように言った。「さきほど再び菩薩に呼ばれました。菩薩は私を叱って言いました。『私はお前に、因果応報のことを詳しく伝えよと命じたはずだ。なぜそれを語らなかったのか。』そして私を杖で打とうとしました。私は哀れんで許しを請い、ようやく許されました。」 李思元はもともと酒や肉を口にしなかったが、蘇生してからはさらに潔く清らかに、長期間の斎戒（肉食を絶つこと）を行うようになった。そして彼の家族は全員、昼以降は食事をとらなくなった。李思元は人が集まるたびに、必ずあの世のことを詳しく語った。人々は皆、彼の言葉に心を改めたという。 <note>（出典：『紀聞』）</note>