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title: "薩婆多毘尼毘婆沙 · 1 結婬戒因緣"
description: "薩婆多毘尼毘婆沙是說一切有部的重要律藏註釋文獻，相傳為古印度迦旃延子等論師所造，成書於公元2至3世紀。該論以說一切有部思想為基礎，系統闡釋比丘戒律的制戒因緣、條文細節與實踐方法，涵蓋止持與作持等內容，反映了部派佛教時期的戒律學發展。此論雖漢譯本已佚，僅存部分引文，但作為有部律學的核心著作，對研究早期佛教戒律思想及部派律藏體系具有極高權威性與歷史價值。"
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### 結婬戒因緣第一

除却鬚髮著袈裟。

> 髪やひげを剃り落とし、袈裟（けさ）を身にまといなさい。

問曰：「不除鬚髮，得戒不？」

> 問う：「鬚髪を剃らなくても、戒律を得ることができますか？」

答曰：「得戒，但非威儀。」

「若無衣鉢，得戒不？」

答言：「得戒。」

> 答えは「戒を得た」と言った。

問曰：「若無衣鉢必得受戒者，何故必須衣鉢？」

> 問い：もし衣や鉢がなくても必ず戒を受けられるのなら、なぜ衣と鉢が必要なのでしょうか？

答曰：「一為威儀故；二為生前人信敬篤心故，如獵師著袈裟，鹿以服善故則無怖心；三以表異相故，內德既異、外相亦異。」

> 答え：第一に、威儀（礼儀正しい振る舞い）のため。第二に、生前の人々が深く敬い、心から信じるため。例えば、猟師が袈裟を着ると、鹿はその衣服を善いものと見なして恐れを抱かない。第三に、内面の徳が優れていることを外見でも示すため。内なる徳がすでに異なるならば、外見の相もまた異なるのである。

生信心者，信三寶生人天中、信邪墮三惡道。信知苦斷習證滅修道。不信者，不信善惡四諦。

> 信心を持つ者は、三宝（仏・法・僧）を信じて人や天の世界に生まれ、邪な考えを信じれば三悪道（地獄・餓鬼・畜生）に堕ちる。また、苦しみを知り、煩悩を断ち、悟りを証し、修行の道を実践することを信じる。 信心を持たない者は、善悪や四諦（苦・集・滅・道）を信じない。

信家非家，家者，父母兄弟妻子眷屬。非家者，無常變壞不可久保故、多增貪欲瞋恚鬪訟諍亂種種惡法故，非是功德善法之家。

> 信じるべき家は、本当の家ではない。 家とは、父母、兄弟、妻、子、親族のことである。 本当の家ではないとは、無常であり、変化し、壊れ、永遠に保つことができないからである。 また、貪欲、怒り、争い、訴訟、混乱など、さまざまな悪い行いを増やしやすいからである。 したがって、それは功徳や善い行いの家ではないのである。

遠離鄉土者，夫出家者為滅垢累，家者是煩惱因緣，是故宜應極遠離也。

> 故郷を離れなさい。出家する者は、煩悩という垢（あか）や重荷を消し去るためにあります。家とは煩悩の原因となるものです。だからこそ、徹底して遠く離れるべきなのです。

施食者，得五功德：一者得色、二者端政、三者得力、四者得辯、五者得壽。

> 食べ物を施す人には、五つの功徳があります。 第一に、美しい容姿を得ること。 第二に、端正な顔立ちを得ること。 第三に、力強い身体を得ること。 第四に、すぐれた弁舌を得ること。 第五に、長寿を得ること。

次第乞食者，一、日到一家，得食則食，不足即止；次第到七家，得食則食，不得亦止。又云：次第從家至家，食足則止，不限多少。後日乞食，還從先次從家至家，是名次第乞食法。何故受乞食法？凡在家者多諸惱害，以眾法因緣故。二、以鞭打僧祇人民共相瞋惱，多諸非法因緣，食不清淨。三、以觀他意色心不安泰。四、以少欲知足修聖種故。若受檀越請者亦有過失，以請因緣故，若食先麁更令精細，若少勅作令多，若受惡味教增眾饌。又既受請心有希望，則非少欲聖種之法。五、稱檀上四依之教。又若受請者，常懷彼我得失之心。若乞食者，肅然無繫意無增減。六、以眾食有盡乞食無窮，但天下有人要必有食，是以乞食無盡。佛教弟子修無盡法。

> 修行者が托鉢に出る時は、まず一軒目で食物が得られればそこで食べ、なければそこでやめる。 そして順に七軒目まで托鉢し、得られたら食べ、得られなければそれで終わりとする。 また、一軒一軒と順に托鉢して回り、食べ物が十分に得られたらそこで終わり、その量を問わないとも言う。 翌日もまた、最初から順に家々を訪ねて托鉢する。これが「次第乞食（順に托鉢すること）」の方法である。 なぜ托鉢の行を受けるのか。 第一に、在家の者は多くの悩みや害を受けることが多く、様々な因縁があるからである。 第二に、鞭打ちや僧侶や民衆の間の怒りや恨みなど、多くの非道な因縁があり、その食事は清らかではないからである。 第三に、他人の機嫌や気持ちを伺うことで心が安らかでなくなるからである。 第四に、少欲知足（欲望を少なくし足ることを知る）という聖なる種を育てるためである。 もし在家信者の招きを受ければ、そこにも過失がある。招きの因縁により、もし初めに粗末な食事が出されれば、さらに精細なものを求めることになる。もし量が少なければ多く作らせ、もしまずい味であればさらに様々な料理を増やすよう命じることになる。 また、招きを受ければ心に期待が生じ、それは少欲知足という聖なる種の教えに反する。 第五に、仏が説かれた四つの依るべき教えに従うためである。 また、もし招きを受ければ、常に自分と他人、得失の心を抱くことになる。 しかし托鉢する者は、心は静かで落ち着いており、物事に執着せず、心に増減がない。 第六に、衆生の食事には限度があるが、托鉢には限りがない。ただ天下に人がいる限り、必ず食べ物がある。ゆえに托鉢は尽きることがない。 仏は弟子たちに、尽きることのない法を修行するよう教えられたのである。

佛法難成者，如人入海採寶多沒少還，入佛法海多壞少成。如以利刀自割身體，能不自傷甚為難也。受佛禁戒修淨法身，內懷煩惱惡法利刀，不毀法身甚是難有。

> 仏の教えを成就することの難しさは、まるで人が海に入って宝を採りに行くようなものです。多くの者は溺れてしまい、わずかしか帰って来られません。仏法の海に入る者もまた、多くは壊れてしまい、わずかしか成就できません。鋭い刀で自分の体を切るようなもので、自分を傷つけずにいられることは非常に難しいのです。仏の戒めを受け、清らかな法の身を修めながらも、心の内に煩悩という悪の鋭い刀を抱えていて、法の身を壊さないでいられることは、実に稀有なことなのです。

未結此者，唯說一切惡莫作，而未結五篇罪相輕重，故言未結戒也。

> まだこれを結んでいない者は、「一切の悪を行うな」と説くだけで、五篇の罪の相である軽重をまだ結んでいなかった。そのため、「未だ戒を結んでいない」と言うのである。

行婬欲者，一、久習煩惱故。二、以須父母交會，有福德子應受生故。三、以餘報婬不盡。如人從生至長，不行婬欲便得漏盡，有人要經婬欲而得漏盡，以宿世婬欲因緣有盡不盡故。四、為結戒因緣故，若不爾者無由結戒。

> 肉欲を抱く理由は四つあります。第一に、長年にわたって煩悩を習慣化してきたからです。第二に、父母の交合を必要とし、その結果、福徳ある子が受生するからです。第三に、過去の業の余報として、肉欲が尽きないからです。人によっては、生まれてから成長するまで肉欲を行わずとも煩悩を滅尽できる者もいれば、肉欲を経てから滅尽に至る者もいます。これは過去世の肉欲の因縁に、尽きるものと尽きないものがあるからです。第四に、戒律を定めるための因縁となるからです。もしそうでなければ、戒律を定める由縁がありません。

如是再三者，為懷妊故。其母三反三問，得子便止。

> こうして三度にわたって、その母は妊娠したいために三度繰り返し尋ね、子どもを授かるとそれでやめた。

續種者，凡世立字各有因緣：一、以宿命名字即以為名；二、以星宿立字；三、因緣立字，如須提那，以無子因緣故字為續種；四、因德立字，如律師，因以知律名為律師，如阿毘曇師、如三藏師，是因德立字。

> 続種（続く種）というのは、世の中に文字や呼び名ができるのには、それぞれ理由があるということです。その理由は四つあります。第一に、前世の名前をそのまま受け継いで名づけること。第二に、星の巡りに基づいて名づけること。第三に、因縁によって名づけること。例えば、スティナ（須提那）という人が、子どもがいなかったために「続種（家系を続ける者）」と名づけられたようなケースです。第四に、徳によって名づけること。例えば、律に詳しいから律師と呼ばれたり、アビダルマ（阿毘曇）に詳しいから阿毘曇師と呼ばれたり、三蔵に詳しいから三蔵師と呼ばれたりするのは、徳に基づいて名づけられた例です。

欲想者，身口不動，但心想女人。

> 欲想とは、身体や口は動かさないが、心の中で女性を思い浮かべることである。

欲覺者，心既瞢醉身體𧄼瞢。

欲熱者，二身交會。

> 欲に熱せられた者は、からだを重ね合わせる。

集僧者，佛現不自專輒。二、佛不集眾共籌量輕重而後結戒，但共眾和合令罪者心伏。三、以如國王持國雖得自在，凡有國事與諸臣議之，國得久住。佛法王亦爾，雖於法自在，為持佛法故，凡有法事集眾共和，法得久住。四、以為肅現在將來弟子，凡是僧事不問有力無力，要問眾詳議不得專獨。五、諸佛法爾，不獨一佛。

> 僧を集めることについて、仏は自ら勝手に専断することはなさらない。第二に、仏は大衆を集めて罪の軽重を共に計り相談した上で戒律を結ばれる。これは、大衆と和合することによって、罪を犯した者の心を服させるためである。第三に、ちょうど王が国を統べるのに、自ら自由であっても、国事があれば臣下たちと相談することで、国は長く続く。仏法の王も同じく、法において自在であっても、仏法を維持するために、法事があれば大衆を集めて共に和合すれば、法は長く続く。第四に、現在と未来の弟子たちを慎み整えるためである。僧の行事は、力があるなしに関わらず、必ず大衆に問い、詳しく議論すべきであり、独断専行してはならない。第五に、諸仏の法は本来、一仏だけに限らないからである。

僧者，凡有五種：一者群羊僧、二者無慚愧僧、三者別眾僧、四者清淨僧、五者第一義諦僧。群羊僧者，不知布薩行籌說戒自恣羯磨，一切僧事盡皆不知，猶如群羊，故名群羊僧。無慚愧僧者，舉眾共行非法，如行婬飲酒過中食，凡是犯戒非法一切同住，名無慚愧僧。別眾僧者，如羯磨死比丘物以貪穢心，設客比丘來不同羯磨。凡是隨心別眾羯磨，名為別眾僧。清淨僧者，一切凡夫僧持戒清淨、眾無非法，名清淨僧。第一義諦僧者，四得四向名第一義諦僧。

問曰：「集僧者，五種僧中集何等僧？」

答曰：「集二種僧。有言：三種僧雖皆非法，俱是佛弟子，云何獨集二種僧？義應盡集五種僧。」

知而故問者，一以諸佛常法。二以佛無事不知，欲令前人伏罪，順自言治法。三以為安眾生故。佛無事不知無事不見，若不問前人，自以知見說其罪過，則眾生常懷怖懼不能自安，非是集眾安眾生法。四以若逆察人心，非大人聖主儀體。

知時問者，要在比丘眾中問，沙彌白衣前不問。二以今是結戒時故問。

有益問者，須提那常懷憂悔，今佛既問，知先作無罪得除憂悔。二以因之結戒，滅將來非法。三以佛既結戒，知罪輕重、有殘無殘、可懺不可懺，決將來疑網。四以有十利功德故。

有因緣問者，以結戒因緣故。

是愚癡人者，佛大慈大悲兼無惡口，云何言愚癡人？答曰：佛是稱實之語、非是惡口。此具縛煩惱眾生具足愚癡故。二慈悲心故，呵責折伏，如今和上阿耆利教誡弟子故，稱言癡人，非是惡口。

開諸漏門者，須提那於劫初來，未有男女作婬欲事，而此人於彼最初行婬，作惡法根本。今佛法清淨未有非法，而須提那最初為惡，作將來非法罪過之始，故言開諸漏門。

寧以身分內毒蛇口中。蛇有三事害人：有見而害人、有觸而害人、有吞齧害人。女人亦爾，有三種賊，害人善法。若見女人心發欲想，滅人善法；若觸女身犯僧殘罪，滅人善法；若共交會犯波羅夷，滅人善法。若為毒蛇所害，害此一身；若為女人所害，害無數身。二者毒蛇所害，害報得無記身；女人所害，害善法身。三者毒蛇所害，害五識身；女人所害，害六識身。四者毒蛇所害，故得與眾行籌說戒，得在十四人數一切羯磨；女人所害，不與僧同此眾事。五者毒蛇所害，故得生天上人中值遇賢聖；女人所害，入三惡道。六者毒蛇所害，故得沙門四果；女人所害，正使八正道滿於世間，猶如大海於此無益。七者毒蛇所害，人則慈念而救護之；女人所害，眾共棄捨無心喜樂，天龍善神一切遠離，諸賢聖人之所呵責。以如是因緣，故云寧以身分內毒蛇口中，終不以此觸彼女人。

以十利故者，若結此戒，順此十利功德、得此十利功德。若持一戒，將來得一戒果報，兼得十利功德果報。如是一切戒當分各爾，非一切通得十利功德也。

不共住者，不共作一切羯磨同於僧事。所以不共住者，為生四部天龍鬼神信敬心故。若行惡之人與共同事，則無由信敬。二以現佛法無私無愛無憎，若清淨者共住、不清淨者不共住。三者為止誹謗故，若與惡人同事，外道邪見及以世人咸生誹謗，當言佛法有何可貴，不問善惡一切共事。四者以持戒者得安樂住，增上善根故；破戒者生慚愧心，折伏惡心故。

有一比丘獨坐林中者，以在眾多事多惱妨脩善法故。以二智慧偏多，以在眾多聞多見多語多論，雖生智慧少於禪定，宜在靜處以脩其心；若定多者，則宜在眾廣求知見。

佛雖先結婬戒不得與女人行婬，未制畜生。佛必因事漸制，是以因此比丘與畜生共作惡法，隨事更制。畜生於六道最是邊鄙，是故乃至畜生。既下至畜生，凡可婬處一切盡結。凡犯罪有三種：一犯業道罪、二犯惡行罪、三犯戒罪。須提那於三罪中得犯惡行罪，婬是惡法故。無業道罪，自己妻故；無犯戒罪，佛未結戒故。林中比丘得二罪：得惡行罪，婬是惡法故；得業道罪，雌獼猴屬雄獼猴故。不得犯戒罪，佛未結戒故。此二比丘俱名先作，是故無犯戒罪。

若比丘者，一切七種得戒比丘盡皆在中。

學學者，三學：學戒增、學心增、學慧增。

問曰：「學多，何以正齊三學？」

答曰：「三學攝一切學。如是五篇戒，防身口惡、淨脩身口，無法不盡；學心增者，息於心垢，無法不周；學慧增者，明見法相，根本除惡。學戒增者，學律藏；學心增者，學契經；學慧增者，學阿毘曇。又云：學戒增者，學五篇戒；學心增者，得初禪五支、二禪四支乃至四禪，名學心增；學慧增者，明見四諦。復次，滅惡律儀戒及一切威儀五篇戒清淨，名學戒增；以戒清淨故得心清淨，名學心增；更思尋深理增長善法，名學慧增。四復次，經中脩戒脩心脩慧，故知三學攝一切學。五又云：八正道中正語、正業、正命是學戒增，正定是學心增，正見、正志、正方便、正念是學慧增。復次，得五篇戒名學戒增，得禪戒名學心增，得無漏戒名學慧增。復有三學，學威儀增、學毘尼增、學波羅提木叉增。威儀增者，一切威儀戒。毘尼者，滅一切惡法。波羅提木叉者，五篇戒。」

問曰：「何以重分別學戒增？」

答曰：「外道亦云學戒增，是以重分別也。明外道無學戒增，外道斷結至三空，而不能斷非想處結。佛法斷結根本都盡，是以得學戒增。復次，外道斷結，一切假上地斷下地。而佛法不爾，亦以上地斷下地，亦能以下地斷上地。又云：外道亦制四重：一不婬師婦、二不盜金、三不殺婆羅門、四不飲白酒。佛法不爾，一一切不婬、二一切不盜、三一切不殺、四一切不妄語。」

同入學法者，如初受具足戒比丘所學，百歲比丘亦如是學。

問曰：「若百歲比丘同初受戒比丘所學者，初受戒比丘掃地塗地取水種種役使，百歲比丘亦應同不？」

答曰：「百歲比丘亦從少至長，初受戒比丘亦當從少至長。是故如初受戒比丘所學，百歲比丘亦如是學，是名同入比丘學法。此中言學者，學二百五十戒一切威儀法也。」

我捨佛者，此中凡有二十一事捨戒，從捨佛乃至不復與汝共作同學。二十一事中但得一事，皆名捨戒事。

問曰：「捨佛者，是根本棄背三寶，更得出家不？」答曰：「有論者言：更不得出家，以是根本惡故。又云：故得出家，以不墮百一遮故。以根本捨戒清淨無所違故，先雖捨佛今還歸依佛。經云：『無有一法疾於心者。』凡夫心輕躁或善或惡，不可以暫惡便永棄也。雖爾，若根本捨佛後還得出家，然捨佛已現世則無吉祥善事，所作無吉無利、災禍歸身。欲捨戒無過者，若捨具戒，當言：『我捨具戒，我是沙彌。』若捨出家戒者，當言：『我捨出家戒，是優婆塞。』若捨五戒者，當言：『歸依優婆塞。』如是則成捨戒亦無過咎。又言：若已著白衣被服，有人問言：『汝何故爾？』答曰：『我罷道，我作白衣。』亦名捨戒。若捨戒時都無出家人，若得白衣，不問佛弟子非佛弟子，但使言音相聞解人情去就，亦得捨戒。捨戒一說便捨，不須三說。」

問曰：「受戒時須三師七僧，捨戒何故一人便捨？」

答曰：「求增上法故，則須多緣多力。捨戒如從高墜下，故不須多也。又云：不欲生前人惱惡心故。若須多緣者，前人當言：『佛多緣多惱，受戒時可須多人，捨戒何須多也。』又云：受戒如得財寶，捨戒如失財寶。如入海採寶，無數方便然後得之。及其失時，盜賊水火須臾散滅，捨戒亦爾也。捨三寶所以成捨戒者，以受戒時歸向三寶得戒故。捨和上、阿耆利成捨戒者，以因和上、阿耆利得戒故。捨比丘乃至優婆夷，乃至不復與汝共作同學，成捨戒者，以本同歸向一味一道。今若捨之，則佛法義斷，以是背佛法故戒則去也。」

和上者，四種和上：一有法無衣食、二有衣食無法、三有法有衣食、四無法無衣食。今捨和上者，一切捨之。

阿耆利者，有五種：一受戒、二威儀、三依止、四受經、五出家。捨者，一切捨之。

行婬法者，或有行婬身不相觸，如比丘身弱口中行婬；有一比丘男根長，自後道中作婬，是名犯婬身不相觸。或有身相觸不犯婬戒，如婬壞根女人，是謂身相觸不犯婬戒。或有身相觸亦犯婬戒，如婬不壞根女人，是名身相觸亦犯婬戒。有非身相觸不犯婬，如於死女人非處行婬，是名非身相觸不犯婬。犯婬身相觸，得波羅夷。身不相觸不犯婬，偷蘭遮。輕重云何？身相觸亦犯婬，波羅夷。不犯婬身相觸，偷蘭遮。輕重云何？波羅夷者，名墮不如意處，如二人共鬪一勝一負。比丘受戒欲出生死，與四魔共鬪，若犯此戒則墮負處。

問曰：「犯五篇戒皆墮負處，何以獨此戒得名？」

答曰：「餘四篇戒當犯時亦墮負處，但尋悔滅，非永墮負處，不得名也。如怨家以刀割人、命根不斷，雖云得勝非是永勝；若斷命根，名決定勝。犯四篇戒如命根不斷，犯此四重如命根斷，名墮不如。如伐他國，若得臣下，雖小得勝未名大勝；若得國主，名根本勝。若犯餘戒惡法，四魔未名得勝；若犯此戒，畢竟永棄退墮負處。復次如好田苗，若被霜雹摧折墮落，不得果實；犯此戒亦爾，燒滅道苗，不得沙門四果。復次如焦穀種，雖種良田糞治溉灌，不生苗實；犯此戒亦爾，雖復懃加精進，終不能生道果苗實。如斷多羅樹，不生不廣；犯此戒亦爾，不得增廣四沙門果。復次如斷樹根，樹則枯朽；若犯此戒，道樹枯損。名墮不如。若犯此戒，眾所棄離，天龍善神所不親近，賢聖呵責，名墮不如。若犯此戒，不消檀越衣服飲食臥具醫藥種種利養，名墮負處。復次，猶如死尸在人眾中，無所能為、無所增益；若犯此戒，雖在出家清淨眾中，不能成就四沙門果，名墮負處。復次，如弊壞垢污衣服，人所棄捨；若犯此戒，佛法所棄，不得與眾說戒羯磨布薩自恣，不入十四人數，名墮不如。」

乃至畜生者，與女人交會受欲具足，與畜生女交會染欲情薄，是故言下至畜生。三惡是五道之邊下，故言下至畜生。若犯四重，初犯一時得波羅夷；第二犯時乃至眾多，盡突吉羅。如犯婬戒初波羅夷、第二犯時乃至眾多盡突吉羅，後三戒當體各爾。如婬戒分別，應當體各爾。

女人三處得波羅夷，方便偷蘭遮，有輕有重。重偷蘭遮，大眾中懺，應胡跪合掌三從眾乞，乞已應一白，一白已懺悔亦應三說。輕偷蘭遮，界外四人，懺法亦同。且輕重有異。輕偷蘭遮者，欲作重婬若起還坐，輕偷蘭。發足趣女，未捉已還及捉已失，乃至共相嗚抱，輕偷蘭。男形垂入女形已來未失精，亦犯輕偷蘭。若失精，得重偷蘭。若男形觸女形，及半珠已還，不問失精不失精，盡得重偷蘭。死女三處行婬、非人女三處行婬，俱得波羅夷。生女死女三處行婬，若壞墮蟲食於中行婬，俱得重偷蘭。生女死女非處行婬、腋下股間行婬，得重偷蘭。刺身作瘡於中行婬，俱得重偷蘭。發足向死女、畜生女、二根，欲作重婬，乃至男形入三瘡門半珠已還，得偷蘭遮，輕重如生女中說。若發足向人男、非人男、畜生男、黃門，欲作重婬，於中得偷蘭遮，輕重亦如前說。若先正為女人上出精而已，除三瘡門，一切身分處精出，僧殘。若先為摩捉嗚抱而已，若摩若捉，盡僧殘。若欲女人身上出精，手已摩捉，精未出便止，四人偷蘭遮。若犯五篇戒，一一得三罪：如犯波羅夷，以犯戒體，波羅夷；違佛教，波夜提；犯威儀，突吉羅。乃至眾多學法犯三罪：犯戒體，突吉羅；違佛語，波逸提；犯威儀，突吉羅。各有三罪，若懺時但懺戒體，餘二罪同滅，以戒體是根本故。