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title: "薩婆多毘尼毘婆沙 · 1 十三事初"
description: "薩婆多毘尼毘婆沙是說一切有部的重要律藏註釋文獻，相傳為古印度迦旃延子等論師所造，成書於公元2至3世紀。該論以說一切有部思想為基礎，系統闡釋比丘戒律的制戒因緣、條文細節與實踐方法，涵蓋止持與作持等內容，反映了部派佛教時期的戒律學發展。此論雖漢譯本已佚，僅存部分引文，但作為有部律學的核心著作，對研究早期佛教戒律思想及部派律藏體系具有極高權威性與歷史價值。"
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### 十三事初

> 十三の最初の事柄

與諸比丘結戒者。

> 比丘たちと戒律を定める、それが戒律を制定するということです。

問曰：「一切善法不言結，何以但言結戒？」

> 問う：全ての善い教えは「結び」とは言わないのに、なぜ戒律だけを「結戒」と言うのですか？

答曰：「戒是萬善之本，但結戒即一切結也。佛所以制此故出精戒，為令法久住故、又欲止誹謗故。若作此事，世人外道當言：『沙門釋子作不淨行，與俗人無異。』又欲生天龍善神信敬心故，若作此事，雖復私屏，天龍善神一切見之。又佛平等不問親踈，有事則制、無事則止。又諸佛法爾，婬是惡行，法應制之。」

> 答え：戒はあらゆる善の基盤である。しかしながら、戒を結ぶということは、全ての煩悩を結ぶことでもある。仏がこの精戒を定められたのは、法を長く存続させるためであり、また誹謗（ひぼう）を防ぐためである。もしこのような行い（僧侶の不浄行）があれば、世の人々や外道が『沙門の釈子は、不浄な行いをして俗人と変わらない』と言うであろう。さらに、天・竜・善神たちの敬信の心を生じさせるためでもある。たとえ人目のない場所で行われても、天・竜・善神はすべてを見通している。また仏は平等であり、親疎（しんそ）を問わず、問題があれば戒を定め、問題がなければ定めないのである。さらに、諸仏の法として、そもそも婬（いん）は悪行であり、法（真理）としてこれを制すべきなのである。

僧伽婆尸沙者，秦言僧殘，是罪屬僧，僧中有殘，因眾除滅。又云：四事無殘，此雖犯有殘，因僧滅罪，故曰僧殘。

> サンガーパーシェーシカとは、秦の言葉で「僧残」と訳します。これは僧団に属する罪であり、僧団の中にあっても破滅には至らず、僧衆の力によって除かれ滅ぼされるものです。また、四つの重罪（波羅夷）には救いの余地がありませんが、この罪には救いの余地があり、僧団に依って罪が滅されることから、「僧残」と呼ばれます。

問曰：「四篇皆是有殘，何以獨此戒言有殘？」

> 問うて曰く：「四篇いずれも残り有りとす。何ぞ独りこの戒のみ残り有りと言うや？」

答曰：「四篇雖是有殘，不一切盡因僧滅。如三十事中，三事因僧滅，餘則不因。九十事中，七事因僧，餘則不因。十三事，一切因僧。又犯此戒，行波利婆沙亦在僧中，摩那埵亦在僧中，出罪亦在僧中，餘戒不爾，故名僧殘。又此戒不共，如比丘犯得僧殘，比丘尼犯得波逸提。」

> 答えましょう。「四篇（よんぺん）の中には欠けている部分もあるが、すべてが僧の集まりによって消えるわけではない。例えば、三十事のうち三つは僧の集まりによって消えるが、残りはそうではない。九十事のうち七つは僧によるが、残りは違う。十三事はすべて僧による。また、この戒律を破った場合、波利婆沙（ハリバシャ）の修行も僧の中で行い、摩那埵（マナタ）の修行も僧の中で行い、罪からの脱却も僧の中で行う。他の戒律はそうではないため、『僧残』（そうざん）と呼ばれる。さらに、この戒律は他と共通しない。たとえば、比丘が破れば僧残となるが、比丘尼が破れば波逸提（ハイツダイ）となる。」

問曰：「何以不同？」

> 質問いたします。「なぜ異なるのでしょうか？」

答曰：「為令二眾有差別故。又云：女人煩惱深重難拘難制，若與制重則罪惱眾生。又云：女人要在私屏多緣多力苦乃出精，男子不爾，隨事能出，故不同也。若比丘作方便出精，精未出，變為尼然後出，無罪。以尼無出精方便故。若比丘故出精，一心即變為尼，即清淨住。若比丘作六夜摩那埵未竟即變為尼，亦清淨住。若行波利婆沙未竟即變為尼，亦清淨住。若比丘尼變為比丘亦如是。不共戒如是。共戒云何？若比丘先作僧殘未成，變為尼然後成事，先比丘得偷蘭遮，尼得僧殘，以罪同故。若比丘尼變為比丘亦爾。若比丘犯僧殘，一念變為尼，乃至十年五年覆藏然後變為尼，一種十五日除罪。若比丘尼犯僧殘，一念不覆藏乃至發露，行十五日法中一日二日若變為比丘，但作六夜摩那埵，然後出罪。若先犯罪有覆藏日，即變為比丘，隨本覆日行波利婆沙。」

> 答えよう。「比丘と比丘尼の区別をつけるためである。また、女人は煩悩が深く重く、制し難く抑え難いので、もし重い制約を課せば、かえって罪によって衆生を悩ますことになるからである。また、女人は陰部が隠れており、多くの因縁と多くの力が必要で、苦労してようやく精を出すが、男子はそうではなく、事に応じて容易に出すことができる。そのため違いがあるのである。 もし比丘が精を出すための方便を行い、精が出る前に、比丘尼に変わった後に精が出たならば、無罪である。なぜなら、比丘尼には精を出す方便がないからである。もし比丘が故意に精を出そうとして、直後に比丘尼に変わったならば、そのまま清らかに保たれる。もし比丘が六夜の摩那埵（懺悔の行）を終えずに比丘尼に変わったならば、そのまま清らかに保たれる。もし波利婆沙（別住の行）の最中に比丘尼に変わったならば、そのまま清らかに保たれる。 比丘尼が比丘に変わった場合も、同様である。以上が、比丘と比丘尼で別々に定められた戒についての説明である。 では、共通の戒についてはどうか。もし比丘が先に僧残罪（僧団から追放される重罪）を犯そうとして、まだ犯し終えないうちに比丘尼に変わり、その後罪が完成したならば、先の比丘は偷蘭遮（重過失）の罪を得、比丘尼は僧残罪を得る。罪の性質が同じだからである。比丘尼が比丘に変わった場合も、同様である。 もし比丘が僧残罪を犯し、その直後に比丘尼に変わったならば、たとえその後十年、五年と罪を覆い隠してから比丘尼に変わっても、同様に十五日間（の行）で罪を除くことができる。もし比丘尼が僧残罪を犯し、一瞬も覆い隠さずに発露し、十五日間の行法中に一日か二日を経て、比丘に変わったならば、六夜の摩那埵だけを行い、その後罪を免れることができる。もし先に罪を犯して覆い隠した日数がある場合、そのまま比丘に変わったならば、もとの覆い隠した日数に従って波利婆沙の行を行う。」

夢中出精者，有三事能發煩惱：一因緣、二方便、三境界。眾生先善業故生富貴處，但以婬欲為先，若生天上亦復如是，人天富樂是婬欲因緣也。二方便者，若見聞女色，後方便思惟，然後起欲，是名方便。三境界者，若見上妙女色即生欲心，是名境界。是比丘先富貴家子，雖得出家，以先欲因緣重故，夢中失精。復以是事因緣故，遊諸聚落，或見好色、或方便思惟，以是因緣故，夢中失精。

一面立者，阿難恭敬佛故不坐。

問曰：「舍利弗、目連深恭敬佛，何以坐耶？」

答曰：「此二人恭敬法故，阿難兼以俗親故，是以不同。又云：阿難受他使故不坐。又云：諸佛法爾，凡侍比丘法不應坐。」

讚戒讚持戒者，為折伏破戒故、令持戒者增善根故。如佛讚多聞智慧懃精進，若破戒者、若愚癡者、若懈怠者，知佛語無二，必有深利作如是說。不持戒者懃加持戒，愚癡眾生懃求智慧，懈怠眾生懃加精進，是故讚持戒也。