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title: "得遇龍華修證懺儀 · 第二廣求良友"
description: "得遇龍華修證懺儀是明代天台宗高僧如惺所著的一部佛教忏法经典。该书撰于明末佛教复兴背景下，旨在通过严谨的仪轨帮助修行者忏悔业障、积累资粮，以期在未来弥勒菩萨下生举行的龙华三会中得度。其内容融合了天台止观与忏法实践，体系完备。作为中国佛教忏仪文献中的重要一部，它不仅是研究明代佛教修行思想的关键文本，也为后世居士佛教的忏法修行提供了重要依据，在汉传佛教仪轨史上占有独特地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcxw7qpi0vnrky04iqpax6kd"
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### ○第二廣求良友

> 第二 良き友を求める

世間有非常之事。必有非常之人。有非常之人。乃能為非常之事。是故如來說最上乘法。是有最上乘之器以當之。若權小之機。必望涯而退。法華五千之徒。信不誣矣。所以欲聞龍華之道者。當擇大心行人。為我同願同行之益友。互相砥礪。則心鏡愈明。不復中躓。經云。善知識者。是大因緣。是以藥王。藥上。世為昆季之親。提婆達多。實造釋迦之道。雪峰。非巖頭終難悟徹。智者。因南嶽易得心開。譬夫蓬性曲也。或生蔴中而自直。葛質短也。苟托樛木而布雲。若投垂棘之璧於糞壤。則連城之貨必毀。徙芝蘭之種於魚肆。則襲衣之香亦滅。楞嚴云。一不清淨。眾不成就。友道之難。可不慎乎。法華三昧儀。止許十人已還。恐人之眾。有不肖者廁焉。今稍寬其數。多則二十五人。為二十五圓通也。次則為十二圓覺。其有宰官。居士。及善男子入社者聽。亦例數內。獨尼。與優婆夷。一不許入。有願修者。聽於尼寺。尼精舍。自依法結壇修之。

> 世の中には、常にない出来事があります。そうした出来事には、必ず並はずれた人が現れます。並はずれた人がいて初めて、並はずれたことを成し遂げられるのです。だからこそ、如来は最上の乗（教え）を説かれました。それには、最上の乗を受け止める器（資質）を持つ者がふさわしいのです。もし、権化や小乗に留まるような機根の者であれば、必ずその広大さを見て退いてしまうでしょう。法華経の会座で五千人の者たちが退席したのも、決して嘘ではないのです。 ですから、龍華の道（悟りの道）を聞こうと願うなら、大いなる心を持つ修行者を選び、同じ願い、同じ行いを共にする良き友とすべきです。互いに切磋琢磨すれば、心の鏡はますます澄み渡り、途中でつまずくことはありません。 経典にはこうあります。「善知識（良き師友）とは、大きな因縁である」。この故に、薬王・薬上菩薩は世々に兄弟であり、提婆達多は実に釈迦の道を助けたのです。雪峰禅師は、巌頭禅師がいなければついに悟りを開けず、智者大師も南嶽大師のおかげで容易に心が開かれました。 譬えて言えば、蓬（よもぎ）は本来曲がりやすいものですが、麻の中に生えれば自然と真っ直ぐになります。葛（くず）は短いものですが、高い木に絡まれば広がっていきます。もし垂棘の璧（まれな宝玉）を汚い土の中に投げ込めば、連城の価値ある宝も必ずや損なわれます。また、芝蘭の種を魚市場に移せば、その良い香りも消えてしまうでしょう。 『楞厳経』にはこうあります。「一人が清らかでなければ、皆が成就しない」。友を選ぶことの難しさ、ここにあり、慎まねばなりません。 『法華三昧儀』では、ただ十人までと定めています。これは人数が多くなると、中に不適切な者が紛れ込む恐れがあるからです。今、私はその数を少し緩めて、多くて二十五人とします。これは二十五の円通を表すからです。次には十二人とし、十二の円覚とします。役人や在家の居士、善男子でこの集まりに入りたいと望む者は、聴許します。これも人数の中に含めます。ただし、比丘尼と優婆夷（女性信者）は、一人も入れてはなりません。もし修行を願う者は、尼寺や尼の精舎で、自分たちで法に従って壇を結び、修行することを許します。

然二十五人。務求其行朴志銳者。不必禪講俱通。今之善於講者。多放浪不羈。入則。恐排攪淨眾。有善通於禪講。尤能虗謹謙光。力修甘苦者。此又為我之上座矣。

> 二十五人のうち、実際に修行に励み、志が鋭い者を選ぶべきです。必ずしも禅と経典の講義の両方に通じている必要はありません。現代の講義に優れた者には、放浪して規律に欠ける者が多く、仲間に入れれば清らかな大衆を乱す恐れがあります。しかし、禅と講義に通じ、なおかつ虚心で謙虚な態度を持ち、苦楽を共にして修行に励む者こそ、我々の上席にふさわしいのです。