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title: "翻譯名義集 · 21 鬼神篇"
description: "《翻譯名義集》由宋代高僧法雲編撰，成書於北宋宣和年間，是一部系統解釋佛教經典中梵文音譯術語的辭典。全書共分六十四篇，收錄二千餘條詞目，對音譯詞彙進行漢語義譯和教理闡釋，涵蓋名數、法寶、人物、地理等範疇。該書融合了唐代以來的譯經傳統與宋代佛教學術特點，被譽為佛教翻譯史上的里程碑之作，為研究佛典語言、教義及中外文化交流提供了權威依據，歷代被收入大藏經並廣為流傳。"
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### 鬼神篇第二十一

> 第二十一章 鬼神

鄭玄云：「聖人之精氣謂之神，賢人之精氣謂之鬼。」尸子云：「天神曰靈，地神曰祇，人神曰鬼。鬼者歸也。故古人以死人為歸人。」《婆沙》云：「鬼者畏也，謂虛怯多畏。又威也，能令他畏其威也。又希求名鬼，謂彼餓鬼，恒從他人希求飲食，以活性命。」《光明疏》云：「神者能也。大力者能移山填海，小力者能隱顯變化。」肇師云：「神受善惡雜報，見形勝人劣天，身輕微難見。」《淨名疏》云：「皆鬼道也。」《正理論》說鬼有三種：一無財鬼，亦無福德，不得食故。二少財鬼，少得淨妙飲食故。三多財鬼，多得淨妙飲食故。此三種中復各有三。初無財三者：一炬口鬼，謂火炬炎熾常從口出；二針咽鬼，腹大如山，咽如鍼孔；三臭口鬼，口中腐臭自惡受苦。少財三者：一針毛鬼，毛利如針，行便自刺；二臭毛鬼，毛利而臭；三大癭於郢鬼，咽垂大癭，自決噉膿。多財三者：一得棄鬼，常得祭祀所棄食故；二得失鬼，常得巷陌所遺食故；三勢力鬼，夜叉、羅剎、毘舍闍等，所受富樂，類於人天。《正理論》云：「諸鬼本處琰魔王界，從此展轉散趣餘方。」《長阿含》云：「一切人民所居舍宅，一切街巷四衢道中，屠兒市肆及丘塚間，皆有鬼神，無有空者。凡諸鬼神，皆隨所依即以為名。依人名人，依村名村，乃至依河名河。一切樹木極小如車軸者，皆有鬼神依止。」〈世品〉云：「鬼以人間一月為一日，乘此成月歲，彼壽五百年。由諂誑心，作下品五逆十惡，感此道身。」

> 鄭玄は言う。「聖人の精気を神といい、賢人の精気を鬼という。」尸子は言う。「天の神を霊といい、地の神を祇といい、人の神を鬼という。鬼とは帰るという意味である。ゆえに古人は死者を帰人と呼んだ。」『阿毘曇毘婆沙論』にはこうある。「鬼とは恐れるという意味で、怯えて恐れ多いことをいう。また、威力という意味もある。他者にその威を恐れさせるからである。また、何かを希求するものを鬼という。あの餓鬼たちは、常に他人から飲食を求めて、命をつないでいるからである。」『光明疏』にはこうある。「神とは能力のことである。大力の者は山を動かし海を埋め、小力の者は姿を隠したり現したり、変化することができる。」肇師は言う。「神は善悪の雑な報いを受け、その姿は人間より優れているが天よりは劣り、体は軽く微かで見えにくい。」『浄名経疏』にはこうある。「これらはすべて鬼道である。」『正理論』には、鬼に三種類あると説かれている。第一に無財鬼。福徳もなく、食物を得られないからである。第二に少財鬼。わずかに清らかで優れた飲食を得るからである。第三に多財鬼。多くの清らかで優れた飲食を得るからである。この三種にも、さらにそれぞれ三つの種類がある。まず、無財鬼の三種とは、第一に炬口鬼。松明のような炎が常に口から出ている。第二に針咽鬼。腹は山のように大きいが、喉は針の穴のようである。第三に臭口鬼。口の中が腐って臭く、自らも嫌がり苦しむ。少財鬼の三種とは、第一に針毛鬼。毛の先が針のように鋭く、歩くたびに自分を刺す。第二に臭毛鬼。毛は鋭くて臭い。第三に大癭<注>「於郢」と音注す</注>鬼。喉に大きな瘤が垂れ下がり、自らそれを破って膿を啜る。多財鬼の三種とは、第一に得棄鬼。常に祭祀で捨てられた食物を得るからである。第二に得失鬼。常に街路に落ちている食物を得るからである。第三に勢力鬼。夜叉、羅刹、毘舎闍などで、享受する富や楽しみは人間や天に類する。『正理論』にはこうある。「諸々の鬼の本拠地は琰魔王の世界であり、そこから徐々に散らばって他の場所へ向かう。」『長阿含経』にはこうある。「すべての人々が住む家屋、すべての街路や四つ辻、屠殺場や市場、そして墓場に至るまで、至る所に鬼神がいて、空いている場所はない。すべての鬼神は、依っているものに従って名付けられる。人に依れば人と呼ばれ、村に依れば村と呼ばれ、河に依れば河と呼ばれる。すべての木々も、車軸ほどの極めて小さなものでさえ、鬼神が依り処としている。」『世品』にはこうある。「鬼にとっては人間の一月が一日であり、それを元に月と年が積み重なり、その寿命は五百年である。諂い騙す心によって、下品の五逆や十悪をなした者が、この道の身を受ける。」

【琰以再魔】或云琰羅。此翻靜息，以能靜息造惡者不善業故。或翻遮，謂遮令不造惡故。或閻磨羅，《經音義》應云：「夜磨盧迦，此云雙世，鬼官之總司也。亦云閻羅焰魔，聲之轉也。亦云閻魔羅社，此云雙王。兄及妹，皆作地獄主，兄治男事，妹治女事，故曰雙王。或翻苦樂並受，故云雙也。」《婆沙》、《顯揚》并《正法念》，皆言鬼趣所收。《瑜珈》，地獄趣收。又《瑜珈論》「問：『焰摩王，為能損害，為能饒益，名法王？』答：『由饒益眾生故，若諸眾生執到王所，令憶念故，遂為現彼相似之身。告言：「汝等自作，當受其果。由感那落迦，新業更不積集，故業盡已，脫那落迦。」是故焰摩，由能饒益諸眾生，故名法王。』」論云：「此贍部洲下，過五百踰繕那，有琰魔王國，縱廣亦爾。」

> 琰魔（または琰羅ともいう）。これは「静息」と訳され、悪行をなす者の不善な業を静めるからである。あるいは「遮」と訳され、悪をなさないよう遮るからである。あるいは閻磨羅といい、『経音義』には「夜磨盧迦と称すべきで、これは「双世」と訳し、鬼官の総司である。また閻羅・焔魔は音が転じたものである。また閻魔羅社といい、これは「双王」と訳す。兄と妹がともに地獄の主となり、兄は男の罪を、妹は女の罪を治めるので双王という。あるいは苦楽をともに受けるので「双」という」とある。 『婆沙論』『顕揚論』『正法念処経』には、いずれも鬼趣に属すると説く。『瑜伽論』では地獄趣に属するとする。また『瑜伽論』に問う。「焔摩王は、衆生を損なうのか、それとも益するのか。なぜ法王というのか。」答え。「衆生を益するからである。もし衆生が王のもとに連れて来られたなら、その者に過去の行いを思い起こさせるため、王はその者に似せた姿を現して告げる。「お前たちは自ら行い、その果報を受けるのだ。それによって地獄に落ちても、新たな悪業を積むことなく、過去の業が尽きれば地獄から脱出できる。」このように焔摩は、衆生を益するゆえに法王と呼ばれるのである。」 論には「この閻浮提の下、五百由旬を過ぎたところに、琰魔王の国がある。その広さも同じである」とある。

【閃多】此云鬼。《立世論》云：「鬼道名閃多，為閻摩羅王名閃多故。其生與王同類，故名閃多。」

> 閃多（センダ）とは、鬼を意味します。『立世論』には次のように説かれています。「餓鬼道を閃多と呼ぶのは、閻魔羅王が閃多という名を持つからである。この道に生まれる者たちは王と同類であるため、閃多と名付けられた。」

【闍黎哆】此云祖父。《文句》云：「眾生最初生，彼道名祖父，後生者亦名祖父。」妙樂云：「亦是後生者之祖父也。」

> 【じゃりた】これは「祖父」と訳されます。「文句」にはこうあります。「衆生が最初にその道に生まれた者を祖父と言い、後に生まれた者もまた祖父と言う。」「妙楽」にはこうあります。「これは、後に生まれた者にとっても祖父である、という意味である。」

【薜茘多】應法師云：「正言閉麗多，此云祖父鬼。或言餓鬼，餓鬼劣者。」《孔雀經》作俾卑寐禮多。

【富單那】此云臭餓鬼，主熱病鬼也，亦名富多羅。

【迦吒富單那】此云奇臭餓鬼。

【鳩槃茶】亦云槃查，亦云俱槃荼，此云甕形。舊云冬瓜，此神陰如冬瓜，行置肩上，坐便踞之，即厭魅鬼。梵語烏蘇慢，此云厭。《字苑》云：「厭，眠內不祥也。」《蒼頡篇》云：「伏合人心曰厭。」《論衡》曰：「臥厭，不寤者也。字本作厭，後人加鬼。」

【毘舍闍】亦云毘舍遮，又云畢舍遮，又云毘舍支，又臂舍柘。此云啖精氣，噉人及五穀之精氣。梁言顛鬼。

【毘舍佉】或鼻奢佉。此云別枝，即是氐宿，以生日所值宿為名。

【彌栗頭韋陀羅】此云妙善，主厭禱鬼。

【彌栗頭虔伽他】此云善品，主蠱毒也。《左傳》云：「皿蟲為蠱。」《說文》云：「腹中蟲也。」

【遮文茶】舊云嫉妬女。又曰怒神，即役使鬼也。

【烏芻瑟摩】資中：「此云火頭，此力士觀火性得道，故以名也。」

【頻那夜迦】舊云頻那，是豬頭；夜迦，是象鼻。此二使者也。

【惡祁尼】或名些蘇計吉利多耶尼，此云火神。《書》云：「燥萬物者，莫熯乎火。然蘊木中，古者不知。至燧人氏，鑽木作火，以教天下變生為熟。」

【婆庾】此云風神。《書》云：「撓萬物者，莫疾乎風。」《俱舍》云：「安立器世間，風輪最居下。」則知世界依風而住。此二神名，出《孔雀經》。

【諾健那】此云露形神，即執金剛力士也。

【鉢健提】此云堅固。

【婆里旱】梁云力士。又梵云末羅。此云力。言力士者，梵本無文，譯人義立。

【那羅延】翻鉤鎖力士或翻堅固。

【摩尼跋陀】翻威伏行。

【富那跋陀】翻集至成。

【金毘羅】翻威如王。

【賓頭盧伽】翻立不動。

【車鉢羅婆】翻忍得脫。

【曇摩跋羅】翻學帝王。

【摩竭羅婆】翻除曲心。

【繡利蜜多】翻有功勳。

【勒那翅奢】翻調和平。

【劍摩舍帝】翻伏眾根。

【奢羅蜜帝】翻獨處快。

【薩多琦梨】翻大力天。

【波利羅睺】翻勇猛進。

【毘摩質多】此云高遠。

【睒失再摩利子】翻英雄德。

【波訶梨子】翻威武盛。

【佉羅騫馱】翻吼如雷。

【鳩羅檀提】翻戰無敵。

【醯摩跋陀】翻應舍主。

【地珂】梁云長，義淨譯本云地㗚伽，此云長大。

【修涅多羅】梁言善眼，亦云蘇泥怛羅，此云妙目。

【分那柯】梁言滿。

【設覩魯】或名爍覩嚧，此云怨家。

【償起羅】亦云商企羅，此云螺。

【訶利】亦云𠿒里，此云師子。

【訶利枳舍】亦云歇里鷄舍，此云師子髮。

【波羅赴】亦云鉢唎部，此翻自在。

【陀羅那】梁言持，亦云喇拏，此云能持。

【舜若多】沇音究疏云：「未見誠釋，應是主空神。」《入楞伽》云「剎尼迦者，名之為空。或呿丘庶提，秦云虛空。」《纂要》云：「但無麁相之身，亦有微妙之色。故云如來光中，映令暫見。」又《涅槃》明虛空喻，乃立三義：一、無變易，亘古騰今，時移俗化，唯此虛空，常無變易。故南本三十三云：「虛空無故，非三世攝；佛性常故，非三世攝。善男子！如來已得三菩提所有佛性，一切佛法，常無變易，以是義故，非三世攝。二、無邊際，物分表裏，空無內外，故無邊際。」三十二云：「我為眾生得開解故，說言佛性非內非外。何以故？凡夫眾生，或言佛性住五陰中，如器中有果。或言離陰而有，猶如虛空。是故如來說於中道。眾生佛性，非內六入，非外六入，內、外合故，名為中道。」三、無罣礙，物體質礙，空性虛通。故三十三云：「如世間中，無罣礙處，名為虛空。如來得三菩提已，於一切法無有罣礙，故言佛性猶如虛空。」無著云：「喻虛空者，有三因緣：一，遍一切處，謂於住不住相中福生故。二，寬廣，高大殊勝故。三，無盡，究竟不窮故。」淨覺云：「應以遍喻於假，寬喻於空，無盡喻中。」又《楞嚴》云：「縱令虛空，亦有名貌；虛空是名，顯色是貌。」孤山釋曰：「如《涅槃》說空有四名，謂虛空、無所有、不動、無礙也。」貌，謂體貌。如《雜集論》說空一顯色，沇疏釋曰：「小乘以明暗為體，大乘以空一顯色，及極逈色為體上見空名顯色，下見空名逈色。」《維摩疏》「問：『此虛空譬，豈有但空、不可得空之殊？』答：『空尚不一，何得有二？若約緣盡相顯，非不有殊。如大乘經論有破虛空之義，即可以譬但空，顯不可得空。』」記釋緣盡等者，謂雲霧暗緣盡，虛空明相顯時，或見萬象，或但見空，可以喻但、不但二種真也。今問：「虛空、空界，二名同異？」答：「《顯宗論》云：『內外竅隙，名空界；光暗竅隙，顯色差別，名虛空界。』經言：『虛空無色、無見、無對，當何所依？然藉光明顯了。又說於色，得離染時，斷虛空界。』《俱舍》云：『竅隙名空界，謂人身中諸骨節間，腹藏諸孔穴之空也。』《成實論》云：『四大圍空，有識在中，故名為人。此以能依身中，空名空界，所依境內，空名虛空。』」問：「虛空無邊，遍一切處。《光明》安云虛空分界，尚可盡邊？」答：「如《楞嚴》云：『當知虛空生汝心內，猶如片雲點太清裏。』是則眾生計乎妄想，太虛絕於靈照；既迷妄以成空，故背覺而有限。如天親說有分別及無分別，皆名為識。有分別名識識，無分別名似塵識。如《楞嚴》，想澄成國土，即似塵識；知覺乃眾生，即是識識。今述頌曰：『虛空生我心，我心廣無際；咄哉迷中人，云何自拘繫！』」

【阿羅難陀】梁言歡喜。

【欝庾伽波羅】梁言勤守，亦云溫獨伽波羅，此云勇進勤護。

【吉蔗】或名吉遮，正言訖栗著，此云所作。《文句》云：「起尸鬼，若人若夜叉，俱有此鬼。」

【伅徒損真】此云神人。