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title: "金光明經科註 · 捨身品第十七"
description: "金光明經科註是明代高僧受汰法师对北凉昙无谶所译《金光明经》的科判与注释集。该经是大乘佛教的重要经典，宣扬护国佑民、忏悔除罪的金光明忏法，以及正法护世思想。受汰法师的科註通过分科判教、精要注解，系统梳理了经文的深邃义理，有助于学人深入理解。此註解在明清佛教注疏中占有重要地位，是研究《金光明经》及其中国化阐释的重要文献，对汉传佛教的义学发展与修行实践具有深远影响。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcy57eec02ocl404vl1crwva"
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金光明經捨身品第十七。

> 『金光明経』 捨身品 第十七

捨義甚多，謂財、位、壽命。今獨以身當名者，此從正要得名，受者須身餘則非要，施者正捨身餘旁捨爾，故言指身品。夫行門無量根繇宿熏，四種三昧逐人所尚，於隨身意善行六度樂行檀者，於身命財無所悋惜，自行教化隨喜讚歎皆在於施。若於善師及依實教修檀行者，體能施心及受施境，所施身等即空假中，事行理觀合一而修，助道正修相資而進，庶四悉俱成二利皆得，故特譚本事令人効行捨於身命。

> \- 捨てるものには、財産、地位、寿命など様々なものがあります。ここであえて「身」に焦点を当てて名づけたのは、最も重要なものだからです。受け取る側にとって身がなければ他のものは無意味であり、施す側にとっては身を捨てることが本筋で、他は付随的なものに過ぎません。ゆえに「身」の章と名づけます。 修行の道は無限にあり、その根幹は過去世からの熏習によります。身・命・財の三つを惜しみなく施す檀波羅蜜に喜んで励む人は、自己の修行、他者への教化、共に喜び讚嘆する全てを施しの行に基づいて行います。 善き師や真実の教えに従って布施の修行をする人は、施す心と受け取る境、そして施される身などを、空・仮・中の智慧で観じます。事の行いと理の観察を一つにして修め、助道と正修が互いに支え合って進みます。こうして四悉檀が全て成就し、自利利他が共に得られるのです。それゆえ、あえてこの章の物語を説き、人々に見習って身命を施すよう勧めるのです。

爾時道場菩提樹神至為利眾生受諸快樂。

> その時、菩提樹の神が道場に現れました。 すべての生きとし生けるものの利益のために、さまざまな楽しみを受けていたのです。

問者：上聞大士治病救魚，實為曠濟。魚關未來法，食之誓獲成佛。記例病差者，定於後世為解脫機，是則皆蒙二世之益。時眾願聞亡身殞命、感深契極之事，行苦而果樂，可得聞邪？是故請問。

> 質問者：かつて大士が病を癒やし魚を救ったというお話を伺いました。それは実に広大な救いでございます。魚であっても未来における成仏の誓いが関係しており、それを食することで必ず仏果を得るとのこと。また、病が治った人々は、後世において解脱の機縁が定められるというなら、すべての人々が現世と来世の二つの世で利益を受けることになります。そこで、自らの身や命を捨て、深く感動し心の極みに達した体験についてお聞かせいただければ幸いです。苦しみを実践し、その果てに楽を得るということは、どのようなものなのでしょうか？どうかお教えください。

爾時，世尊即現神足至眾寶羅網彌覆其上。

> その時、世尊は神通力を現し、多くの宝でできた網をその上に広げ、覆いました。

爾時，大眾見是事已，生希有心：

爾時，世尊即從座起，禮拜是塔，恭敬圍繞，還就本座。

> その時、世尊は座を立ち、この塔に礼拝し、敬いの心をもって巡り囲み、再び元の座に戻られました。

爾時道場菩提樹神至何因緣故禮拜是塔。

> そのとき、道場の菩提樹の神が現れました。 その神は問いました。「どのような因縁によって、この塔を礼拝するのですか。」

佛言：善女天！我本修行至阿耨多羅三藐三菩提。

爾時佛告尊者阿難至六波羅蜜功德所熏。

> その時、仏は尊者アーナンダに告げられました。「六波羅蜜の功徳に熏じられて」

爾時阿難聞是教勑至是中舍利其色紅白。

> 時に阿難はこの教えを聞き、そこに舎利があった。その色は赤く白かった。

佛告阿難：汝可持來，此是大士真身舍利。

> 仏は阿難に告げられた。「汝、これを持って来なさい。これは大士の真身の舎利である。」

爾時，阿難即舉寶函，還至佛所，持以上佛。

> その時、阿難は宝玉の箱を持って、仏の元へと戻り、仏に差し上げました。

爾時佛告一切大眾至說是舍利往昔因緣。

> その時、仏はすべての大衆に告げて、この舎利の昔の因縁について説かれました。

阿難！過去之世有王至小子名曰摩訶薩埵。

> アーナンダよ、遠い昔のある国の王には、摩訶薩埵という名の末息子がおりました。

摩訶羅陀，此番大無罪。文殊問經云：羅陀翻為中。摩訶波那羅，或云此翻大度。摩訶提婆，此翻大天。摩訶薩埵，此翻大心。

> 摩訶羅陀は、これは「大無罪」と訳されます。文殊問経には「羅陀は『中』と訳す」とあります。摩訶波那羅は、ある経典では「大度」と訳します。摩訶提婆は「大天」と訳します。摩訶薩埵は「大心」と訳します。

是三王子於諸園林至漸到一大竹林憩駕止息。

> 三人の王子たちは、園林の中を進みながら、やがて大きな竹林にたどり着き、そこに車を止めて休息した。

第一王子作如是言至能令行人安隱受樂。

> 第一王子はこのように言った。<note>至</note>修行者を安らかに楽しく過ごさせることができる。

時諸王子說是語已至身體羸瘦命將欲絕。

> その時、王子たちがこう言い終わると、<note>やがて</note>からだは痩せ細り、命も絶えようとしていた。

適產七日者，見虎子頭上有七點，知已七日。出山海經。又云：七日眼開，又七日不食，必死。虎既垂死，知是七日。或云：鬼神示悟，如樹神數魚。

> 虎は、子を産んで七日が経つと、その子の頭に七つの斑点が現れるのを見て、七日が過ぎたことを知るとされています（『山海経』による）。また、虎の子は七日目に目が開き、もう七日間は何も食べなければ必ず死ぬとも言われています。母親の虎が瀕死の状態にあるのを見て、これが七日目であると知るのです。あるいは、これは鬼神が示す悟りのようなもので、木の神が魚の数を数えることにも例えられます。

第一王子見是虎已至作是觀已，尋便離去。

> 第一王子はその虎を見ると、よく観察した上で、立ち去りました。

爾時，第三王子作是念言至與諸眾生無量法樂。

> その時、第三の王子はこう考えました。そして、すべての生きとし生けるものに、限りない法の喜びを与えたのでした。

觀有二種：一、助觀；二、正觀。從初至甚可患厭，是助道觀也。以三藏教假想，對治戀著依正之心。從是故我今下，正觀也。至無諸塵累等，即空觀。無量禪定至諸佛所讚，即假觀。從證成如是至法樂，即中觀。說乃前後，修必一心。

> 観察には二つの種類があります。第一は助けとなる観察、第二は正しい観察です。初めから「甚だ厭うべきもの」までの部分は、道を助ける観察です。これは三蔵経教における仮の観想によって、恋着する心を対治するものです。「是の故に我れ今より」以降が正しい観察です。「諸の塵累無し」などは空観です。「無量の禅定」から「諸仏の讚するところ」までは仮観です。「證成」から「法楽」までは中観です。説く順序は前後がありますが、修行においては必ず一心に行うべきです。

是時王子勇猛堪任至滅生死怖眾惱熱故。

> その時、王子は勇猛に、よく堪え忍び、生死の恐怖や、さまざまな悩みの熱苦しみを滅ぼし尽くす者でありました。

先作方便，次作是言下正起誓。六句不出四弘：初二依滅諦發成佛願，三四依道諦發悲智願，第五依苦諦發度生願，第六依集諦發斷惑願。此依界外滅諦為首，驗發圓心也。

> まずは方便として準備を整え、その後に以下のように正しく誓いを立てます。六つの句は四つの広大な誓願から外れることはありません。初めの二句は滅諦に基づいて成仏の願いを起こし、三・四句は道諦に基づいて慈悲と智慧の願いを発し、第五句は苦諦に基づいて衆生を救済する願いを立て、第六句は集諦に基づいて煩悩を断つ願いを起こします。これらは、この世を超えた滅諦を第一とすることにより、円かなる心が発起された証しとなるのです。

是時，王子作是誓已至於高山上投身虎前。

> その時、王子はこう誓いを立てると、高い山の頂上から虎の前に身を投げ出した。

是時大地六種震動至噉食食其肉唯留餘骨。

> その時、大地は六種に震動しました。 <note>至</note> 肉を食べ終え、骨だけが残されました。

六種震動者，謂動、起、涌三種是形，震、吼、擊三種是聲。今於形聲略言其二，故言震動。

> 六種の震動とは、「動・起・涌」の三つが形の変化であり、「震・吼・撃」の三つが音である。ここでは、形と音のそれぞれから二つを簡略に挙げているため、「震動」とだけ言っているのです。

爾時第一王子見地大動，為第二王子而說偈言：

> その時、第一王子は大地が大きく揺れるのを見て、第二王子にこう詩で語りかけました。

震動大地及以大海至必是我弟捨所愛身。

> 大地と大海までもが震える<note>至</note>、これはきっと我が弟が愛する身を捨てた証拠だ。

第二王子復說偈言：

> 第二の王子が、また次のように偈（うた）を唱えました。

彼虎產來已經七日至今者我天為何所在。

> その虎が生まれてからもう七日が過ぎました。今、私の天はどこにいるのでしょうか。

爾時王妃於睡眠中至心大愁怖。而說偈言：

> その時、王妃は眠りの中で心から深く恐れ悲しみ、偈（うた）を詠みました。

今日何故大地大水至失我心中所愛重者。

> なぜ今日、大地や大水が<note>至って</note>私の心のよりどころであった大切なものを奪ってしまったのでしょうか。

爾時，世尊欲重宣此義，而說偈言：

> その時、世尊はこの教えの意味を改めて説き明かそうとして、次のように偈を述べられました。

我於往昔無量劫中至常捨難捨以求菩提。

> 私は遠い過去の無数の劫の間、<note>常に</note>捨てがたいものを捨てて、悟りを求めてきました。

我念宿命有大國王至見新產虎饑窮無食。

> 昔、私は前世のことを思い出しました。大きな国の王様がいて、生まれたばかりの虎が飢えて何も食べるものがないのを見ました。

時勝大士生大悲心至儻能還食自所生子。

> そのとき、勝れた大士は大いなる慈悲の心を起こしました。 「ああ、もし自分の産んだ子を再び食べることができるならば…」と。

即上高山自投虎前至世間皆闇無有光明。

> 高山にのぼり自ら虎の前に身を投じました<note>至る</note>。世の中はすべて闇に包まれ、光明はまったくありません。

是時二兄故在竹林，至然後蘇息而復得起。

> そのとき、兄は二人とも竹やぶの中にいたが、<note>やがて</note>息を吹き返し、再び起き上がることができた。

是時王子當捨身時至心生愁惱似喪愛子。

> その時、王子が身を捨てようとした時、心に悲しみが湧き起こり、あたかも愛しい子を失ったかのようであった。

於是王妃疾至王所，至夢是事已，即生憂惱。

> そこで王妃は急いで王のもとへ行き、この夢のことを聞いてすぐに憂い苦しみました。

我今愁怖，恐命不濟。至即時悶絕而復躃地。

> 私は今、深く憂い怖れ、命が長くないのではないかと恐れています。 そのまま気を失い、地に倒れ伏してしまいました。

王聞是語，復生憂惱至哀哭悲號，聲動天地。

> 王がこの言葉を聞くと、再び憂い悩みが生じ、悲しみのあまり泣き叫んで、その声は天地を震わせました。

爾時城內所有人民至我子今者為死活邪。

> その時、都の中にいるすべての人々は言いました。 「私の子は、今、生きているのか、それとも死んでいるのか。」

爾時王妃念其子故至不令我子喪失身命。

> その時、王妃は我が子のことを思い、<note>どうか</note>我が子の命が絶たれませんようにと願いました。

我所見夢已為得報至三子之中必定失一。

> 私が見た夢は既に報いとして得られました。<note>至</note>三人の子のうち、必ず一人を失うことになります。

爾時，大王即告其妃至汝今且可莫大憂愁。

> その時、大王は妃に向かって言われた。「あなたは今、あまり心配なさらないでください。」

大王如是慰喻妃已至舉首號叫，仰天而哭。

> 大王がこのように妃を慰められた後、顔を上げて叫び、天を仰いで泣かれた。

先所遣臣，尋復來至至，不久當至，令王得見。

> 先に遣わした家来が、すぐにまた戻ってまいりました。まもなく到着し、王様にお目にかかれるようになります。

須臾之頃，復有臣來，至唯有骸骨，狼藉在地。

> しばらくして、また別の家来がやって来ましたが、<note>そこには</note>ただ遺骨だけが散らばっていました。

是時，大王聞臣語已至復起舉首，號天而哭。

> その時、大王は臣下の言葉を聞き<note>終える</note>と、再び顔を上げ、天に向かって声を上げて泣き叫ばれました。

復有臣來而白王言至乍復讚歎其弟功德。

> またある日、別の家来が王のもとに来て言いました。そして、改めてその弟の徳を褒め称えたのです。

是時，大王以離愛子至可使終保餘年壽命。

一亡二存，對竝思忖，亡者叵尋，存者宜取。

> 一つは消え去り、二つは留まる。この二つを並べて考えよ。消え去ったものは捜し求めても得られず、留まるものをこそ取るべきである。

爾時大王駕乘名象至速令二子覲見其母。

> その時、大王は名高い象に乗って、すぐに二人の王子に命じて母に面会させた。

佛告樹神汝今當知至及舍利弗、目犍連是。

> 仏は樹神に告げられた。「あなたは今、知るがよい。<note>そして</note>舎利弗と目犍連もまた、そうである。」

輪頭檀，或閱頭檀，此云淨飯。摩耶，此云天后。調達，亦提婆達多，此云天授，父母從天乞子，天授與之，是佛堂弟。瞿夷，此云明女，悉達有三夫人，一瞿夷，二耶輸，三鹿野，各有二萬采女。五比丘者，憍陳如、頞󳺎䟦提、十力迦葉、拘利太子。陳如、十力迦葉，二是母親，餘三是父親。舍利弗，此云身子，母好身形，故母名身，是彼之子，故名身子。目犍連，此云胡豆，姓也。上古有仙居山，常採菉豆而食，因以命族，尊者是彼之後也。

> 輪頭檀（あるいは閲頭檀）は、日本語で「浄飯」という。摩耶は「天后」という。調達（提婆達多ともいう）は「天授」といい、父母が天に子を乞うたところ、天が授けたもので、仏の従弟にあたる。瞿夷は「明女」という。悉達には三人の夫人がおり、一人目が瞿夷、二人目が耶輸、三人目が鹿野で、それぞれ二万の采女を抱えていた。 五比丘とは、憍陳如、頞䟦提、十力迦葉、拘利太子である。陳如と十力迦葉は母方の親族で、残りの三人は父方の親族である。 舎利弗は「身子」という。母の身体が美しかったため、母の名が「身」となり、その子であることから「身子」と呼ばれる。目犍連は「胡豆」といい、姓である。上古に山に住む仙人がいて、常に緑豆を採って食べていたことから、その一族をそう呼ぶようになり、尊者はその子孫である。

爾時大王摩訶羅陀至即於此處起七寶塔。

> その時、大王マハーラータは、まさにその場所に七種の宝で飾られた塔を建立しました。

梵語塔婆，此翻方墳，或云聚相，謂累木石及寶高以為相。茶毗後分云：佛塔高十三層，上有相輪，支佛塔十一層，羅漢四層，輪王塔無復層級，以未脫三界故。十二因緣經：八種塔竝有露盤，佛塔八重，菩薩七重，支佛六重，四果五重，三果四，二果三，初果二，輪王一。凡僧俱蕉葉、火珠而已。舍利。此云身骨。

> サンスクリット語で「ストゥーパ」とは、この日本語では「方墳」と訳します。または「聚相」とも言い、木や石、宝を積み上げて高い形にすることを意味します。 『茶毘後分経』には、仏塔は十三層で、上部に相輪があると説かれています。 独覚の塔は十一層、阿羅漢の塔は四層、転輪聖王の塔には層の区別がありません。これはまだ三界を解脱していないからです。 『十二因縁経』には、八種類の塔にはすべて露盤があると説かれています。 仏塔は八重、菩薩の塔は七重、独覚の塔は六重、四果の聖者は五重、三果は四重、二果は三重、初果は二重、転輪聖王は一重です。 そして、一般の僧侶の塔は、蕉葉と火珠のみを用います。 舎利とは、この日本語では「身骨」と訳します。

是時王子摩訶薩埵至常為眾生而作佛事。

> そのとき、摩訶薩埵王子は、常に生きとし生けるもののために仏の教えを説き示していたのである。

說是經時無量阿僧祇至阿耨多羅三藐三菩提心。

> この経典が説かれた時、数えきれないほどの人々が、悟りを開こうという最高の願いを起こしました。

樹神！是名禮塔。往昔因緣至是七寶塔即沒不現。

> 樹神よ、これが塔を礼拝するということです。 この昔の因縁の話が終わると、この七宝の塔は忽然と姿を消しました。