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title: "法苑珠林 · 6 對除部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 對除部第六

> 第六 対除法の章

依新婆沙論云。然有聖言說彼對治。謂若有能一日一夜持不殺戒。於未來生決定不逢刀兵災起。若能以一訶梨怛雞菓。起殷淨心奉施僧眾。於當來世決定不逢疫病災起。若能以一團食施諸有情。於未來世決定不逢飢饉災時。問如是三災餘洲有不。答無根本災而有相似。謂瞋增盛身力羸劣數加飢渴。此說二洲。北拘盧洲亦無罪業而生彼故。又彼無有瞋增盛故。

> 新婆沙論に依れば、しかし、聖なる言葉に、それらに対する対治法が説かれている。すなわち、もし一日一夜、殺生をしない戒めを保つことができるならば、未来の生において、必ず刀兵の災いが起こるのに遭わない。もし一つの訶梨怛雞菓を、真摯で清らかな心をもって僧団に捧げるならば、来たるべき世において、必ず疫病の災いが起こるのに遭わない。もし一団の食を、諸々の有情に施すならば、未来の世において、必ず飢饉の災いの時に遭わない。 問う、これらの三災は他の洲にもあるのか。答える、根本の災いはないが、類似したものはある。すなわち、瞋りが増長し、身体の力は弱まり、しばしば飢えと渇きに悩まされる。これは二の洲について説かれたものである。北倶盧洲には、罪業がなくそこに生まれるから、またそこには瞋りが増長することもないので、これらの災いはない。

述曰。眾生固執無思悛革。慳貪嫉妬惡業逾盛。所以人情嶮阻凶毒㳂流。令入末法人物俱惡。所有依正兩報致令日夜衰耗。故付法藏經云。阿恕伽王自為僧行食。時賓頭盧用蘇澆飯。阿恕伽王白言。大聖。蘇性難消能不為疾。尊者答曰。不為患也。何以故。佛在時水與今蘇等。是故食之終不成病。爾時尊者。欲驗斯事使手入地下至四萬二千餘里。即取地肥而示於王。王今當知。眾生薄福。肥膩之味皆流入地。是故世間福轉衰滅。王供養已歡喜而退。良由世尊鞱光未盈百年尚有斯徵。況今向有二千。豈有精味。故瑜伽論云。三災起時。爾時有情復有三種最極衰損。壽量衰損。依止衰損。資具衰損。壽量衰損者。所謂壽量極至十歲。依止衰損者。謂其身量極至一搩手。或復一握。資具衰損者。爾時有情唯以粟稗為食中第一。以髮為衣中第一。以鐵為莊嚴中第一。五種上味悉皆隱沒。所謂蘇蜜油鹽等味及甘蔗變味。

> 解説する。人々は頑なに執着し、改めようとしない。貪欲・嫉妬などの悪業がますます盛んになる。それゆえ、人情は険しく毒が流れ、末法の時代に入ると人も物も共に悪くなる。正報・依報の両方が衰え、日夜減耗する。 そこで『付法蔵経』にこうある。阿育王が自ら僧に食事を施した時、賓頭盧尊者が酥を飯にかけた。王が言った。「大聖よ、酥は消化しにくいものですが、病になりませんか？」尊者は答えた。「障りはありません。なぜなら、仏の在世時には水が今の酥と同じだったからです。それゆえ食べても病になりません」。 その時、尊者はこのことを証明するため、手を地下四万二千余里に差し入れ、地中の肥えたものを取り出して王に示した。「王よ、知るべきです。衆生の福が薄いため、美味がすべて地中に流れ込んでいるのです。それゆえ世間の福は衰えていくのです。」王は供養を終え、喜んで退出した。 実に、世尊が人としての姿を隠されてから百年も経たないうちに、すでにこのような徴候があった。ましてや今から二千年近く経っている。どうして精妙な味があるだろうか。 よって『瑜伽師地論』にこうある。三災が起こる時、有情にはさらに三種の最も甚だしい衰損がある。寿命の衰損、身体の衰損、生活物資の衰損である。 寿命の衰損とは、寿命が最長十歳になることである。身体の衰損とは、身長が最長一搩手（約12cm）または一握りになることである。生活物資の衰損とは、その時、有情は粟や稗を食物の最上位とし、髪の毛を衣服の最上位とし、鉄を装身具の最上位とする。五種の上味、すなわち酥・蜜・油・塩などの味や甘蔗の加工品はすべて消え失せるのである。