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title: "法苑珠林 · 2 時節部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 時節部第二

> 第二節 時節の部

依奘法師西國傳云。陰陽歷運日月旋璣。稱謂雖殊。時候無異。隨其星建以標月名。時極短者謂之剎那也。如新婆沙論云。彼剎那量。云何可知。有作是言。依施設論說。如中年女緝績毳時。抖擻細毛不長不短。齊此說為怛剎那量。彼不欲說毛縷短長。但說毳毛從指開出。隨所出量是怛剎那。問前問剎那。何緣乃引施。設說怛剎那量。答此中舉麁以顯於細。以細難知不可顯故。謂百二十剎那成一怛剎那。六十怛剎那成一臘縛。此有七千二百剎那。三十臘縛成一牟呼栗多。此有二百一十六千剎那。三十牟呼栗多成一晝夜。此有少二十不滿。六十五百千剎那。此五蘊一晝一夜。經於爾所生滅無常。有說。此麁非剎那量。如我義者如壯士彈指頃。經六十四剎那有說不然。如我義者如二壯夫掣斷眾多迦尸細縷。隨爾所縷斷。經爾所剎那。有說不然。如我義者。如二壯夫執挽眾多迦尸細縷。有一壯夫以至那國百練剛刀捷疾而斷。隨爾所縷斷。經爾所剎那。有說。猶麁非剎那量。實剎那量世尊不說。如世尊說。譬如四善射夫。各執弓箭相背攢立欲射四方。有一捷夫。來語之曰。汝等今可一時放箭。我能遍接俱令不墮。於意云何。此捷疾不。苾芻白佛。甚疾世尊。佛言。彼人不及地行藥叉。地行捷疾不及空行藥叉。空行捷疾不及四大王眾天。彼天捷疾不及日月二輪。二輪捷疾不及堅行天子。此薄日月輪車者。此等諸天展轉捷疾。壽行生滅捷疾於彼。剎那流轉無有暫停。由此故知。世尊不說實剎那量。問何故世尊不為他說實剎那量。答無有有情堪能知故。又依安般經云。於一彈指頃心有九百六十。又仁王經云。一念有九十剎那。一一剎那中復有九百生滅。又菩薩處胎經云。一彈指頃有三十二億百千念。念念成形形形皆有識。佛之威神入微識中皆令得度。又毘曇論。合有十二重。一名剎那。二名怛剎那。三名羅婆。四名摩睺羅。五名日夜。六名半月。七名一月。八名時。九名行。十名年。十一名雙。十二名劫。一剎那者翻為一念。百二十剎那為一怛剎那翻為一瞬。六十怛剎那為一息。一息為一羅婆。三十羅婆為一摩睺羅。翻為一須臾。三十摩睺羅為一日夜。計有六百三十八萬剎那。僧祇律云。二十念為一瞬。二十瞬名一彈指。二十彈指名一羅預。二十羅預名一須臾。一日一夜有三十須臾。日極長時晝有十八夜有十二。極短時晝有十二夜有十八春秋分便等。又智度論云。晝夜六分有三十時。春秋分時晝夜各十五時。餘時增減。五月晝時有十八夜有十二。十月夜時有十八晝有十二。依奘法師西國傳云。居俗日夜分為八時晝四夜四於一一時各有四分月盈至滿謂之白分。月虧至晦謂之黑分。或十四日十五日。月有大小故也。白前黑後合為一月。六月合為一行。日游在內北行也。日游在外南行也。總此二行合為一歲。又分一歲以為六時。正月十五日至三月十五日漸熱也。三月十六日至五月十五日盛熱也。五月十六日至七月十五日雨時也。七月十六日至九月十五日茂時也。九月十六日至十一月十五日漸寒也。十一月十六日至正月十五日盛寒也。如來聖教。歲為三時。正月十六日至五月十五日熱時。五月十六日至九月十五日雨時也。九月十六日至正月十五日寒時也。或為四時。春夏秋冬也。依論計之。十五夜為半月。兩半月為一月。三月為一時。兩時為一行。一行即半年六月也。兩行為一年。二年半為一雙。此由閏故。以閏月兼本月。此謂月雙非閏雙也。若以五年兩閏雙者。二年半有一閏。豈立隻乎。積此時數明劫有四種。一別劫。二成劫。三壞劫。四大劫。從人壽十歲漸至八萬歲。經多時八萬歲。又漸減至十歲。為一別劫。對餘總故名為別也。若以事格量。依雜阿含經云。一由旬城高下亦爾。滿中芥子百年取一。芥盡劫猶不盡。案此即為別劫也。若據大劫。即以八十由旬城為量也。樓炭經云。以二事論劫。一云有一大城東西千里南北四千里。滿中芥子百歲諸天來下。取一芥子盡劫猶未盡。二云有一大石方四十里。百歲諸天來下。取羅縠衣拂石盡劫猶未窮。此亦應是別劫也。第二有成劫四十壞劫亦爾。所以然者。世間成時二十別劫。住時二十別劫。壞時二十別劫。空時二十別劫。此中以住合成以空合壞。故各四十別劫。總此成壞合有八十別劫。為一大劫。若更舒之別有六劫。一別。二成。三住。四壞。五空。六大。若更來之則有三劫。一小劫。二中劫。三大劫。小則別劫。中則成壞隨一。大則總成與壞。欲界中壽一劫是小劫。初禪三天壽劫是中劫。二禪已去壽劫是大劫。外國俗算有六十位。過此已後不可數故。名阿僧祇。此數年為劫數。一至六十位名阿僧祇劫。此是大劫量也。故智度論經云。以百由旬城為量。百年取一芥。故喻以迦尸羅天衣。百年一拂。百由旬石為量者。此並格量大劫也。即案索訶世界舊云娑婆世界一大劫中千佛出世。尋夫劫波之號。不可以時數之。故以假石芥城等。准為一期之候。即約前中具含成住壞空等四劫也。如前從十歲增至八萬。復從八萬還至十歲。經二十返一小劫。二十小劫為一成劫。以年算之則經八千萬萬億百千八百萬歲也。止一為小劫矣。今成劫已過入住劫來。復經八小劫。釋迦牟尼如來於住劫中當第四佛。尚餘九百九十六佛。於後續次而出。

> 玄奘法師の『西国伝』によれば、陰陽の曆法や日月の運行について、その呼び名は異なっても、季節の移り変わりに違いはない。星の動きに従って月の名を定め、最も短い時間の単位を「刹那」という。 『新婆沙論』にはこうある。「その刹那の長さは、どうすれば知ることができるか。ある説によれば、『施設論』にこう述べられている。中年の女性が羊毛を紡ぐ際、細かい毛をはたいて長すぎず短すぎずの状態にする。その状態を『怛刹那』という。これは毛糸の長さを問題にしているのではなく、指の間から出る羊毛の量を基準としている。その出た量が怛刹那である。」 問う：「先に刹那について問うたのに、なぜ『施設論』の怛刹那の説明を引くのか。」 答える：「ここでは、粗い単位を用いて細かい単位を示そうとしているのである。細かい単位は知りがたく、直接示すことができないからだ。すなわち、百二十刹那で一怛刹那となる。六十怛刹那で一臘縛となる。これは七千二百刹那に相当する。三十臘縛で一牟呼栗多となる。これは二十一万六千刹那に当たる。三十牟呼栗多で一昼夜となる。これは六十五万五千刹那よりやや少ない。すなわち、この五蘊の身体は、一昼夜の間にこれだけの生滅無常を経るのである。」 ある説：「このような粗い単位は、刹那の真の量ではない。私の考えでは、壮年が指を弾く間に六十四刹那が経過する。」 別の説：「そうではない。私の考えでは、二人の壮年が多くの迦尸国の細い糸を引きちぎる。その糸が切れるたびに、それだけの刹那が経過するのである。」 また別の説：「そうではない。私の考えでは、二人の壮年が多くの迦尸国の細い糸を引っ張っているところへ、一人の壮年が至那国で作られた百回鍛えた鋼の刀で素早く断ち切る。その糸が切れるたびに、それだけの刹那が経過するのである。」 ある説：「これらもまだ粗く、真の刹那の量ではない。真の刹那の量は、世尊は説かれなかった。」世尊がこうお説きになっているからだ。「例えば、四人の優れた射手がそれぞれ弓矢を持ち、背中合わせに立ち、四方に向かって矢を放とうとしている。そこに素早い者が現れて言う。『あなたがたは今、同時に矢を放ちなさい。私はそれらをすべて受け止め、地面に落とさないようにしてみせる』と。どう思うか、これは素早いと言えるか。」比丘たちは仏に答えた。「非常に素早いです、世尊。」仏は言われた。「その者は、地を駆ける薬叉（夜叉）には及ばない。地を駆ける薬叉の速さは、空を駆ける薬叉には及ばない。空を駆ける薬叉の速さは、四大王衆天には及ばない。彼らの速さは、日月の二輪には及ばない。日月の二輪の速さは、堅行天子には及ばない。（この堅行天子は日月の車を動かす者である。）これらの天人は互いに速さを競うが、寿命の流れの生滅は、それらよりもなお速い。刹那の流転は、一瞬の留まることもない。これによって、世尊が真の刹那の量を説かれなかったことが知られる。」 問う：「なぜ世尊は、真の刹那の量を他者に説かれなかったのか。」 答える：「それを理解できる有情（衆生）が存在しないからである。」 また、『安般経』には、「一弾指の間に、心には九百六十の働きがある」とある。 さらに、『仁王経』には、「一念の間に九十刹那があり、一刹那のうちにさらに九百の生滅がある」とある。 また、『菩薩処胎経』には、「一弾指の間に三十二億百千の念がある。それぞれの念は形をなし、その形はすべて識を有する。仏の威力神通は微細な識の中にまで入り、それらをすべて救済する」とある。 また、『毘曇論』では、時間の単位を十二重に分類している。 一を刹那、二を怛刹那、三を羅婆、四を摩睺羅、五を日夜（一日一夜）、六を半月、七を一月、八を時、九を行、十を年、十一を双、十二を劫という。 一刹那は「一念」と訳される。百二十刹那で一怛刹那となり、これは「一瞬」と訳される。六十怛刹那で一息となる。一息を一羅婆という。三十羅婆で一摩睺羅となり、これは「一須臾」と訳される。三十摩睺羅で一日一夜となる。これを計算すると、六百三十八万刹那となる。 『僧祇律』にはこうある。「二十念で一瞬となる。二十瞬で一弾指となる。二十弾指で一羅預となる。二十羅預で一須臾となる。一日一夜には三十須臾がある。日が最も長い時は、昼が十八須臾、夜が十二須臾である。日が最も短い時は、昼が十二須臾、夜が十八須臾となる。春分・秋分は昼夜が等しい。」 また、『智度論』にはこうある。「昼夜を六分した三十の時がある。春分・秋分の時は、昼夜それぞれ十五時である。他の季節は増減がある。五月は昼が十八時、夜が十二時である。十月は夜が十八時、昼が十二時となる。」 玄奘法師の『西国伝』によれば、世俗では一日一夜を八時に分ける。<note>昼四時、夜四時。それぞれの時にさらに四分がある。</note> 月が満ちていく期間を「白分」、月が欠けていく期間を「黒分」という。それぞれ十四日または十五日であり、月の大小による。白分の後、黒分が続き、合わせて一か月とする。六か月で一行となる。太陽が内側を運行する（北行）期間と、太陽が外側を運行する（南行）期間があり、この二行を合わせて一年とする。 さらに、一年を六時に分けることもある。 正月十五日から三月十五日までを「漸熱」 三月十六日から五月十五日までを「盛熱」 五月十六日から七月十五日までを「雨時」 七月十六日から九月十五日までを「茂時」 九月十六日から十一月十五日までを「漸寒」 十一月十六日から正月十五日までを「盛寒」という。 如来の聖教では、一年を三時とする。 正月十六日から五月十五日までを「熱時」 五月十六日から九月十五日までを「雨時」 九月十六日から正月十五日までを「寒時」とする。 あるいは四季（春夏秋冬）とすることもある。 これらの説に基づいて計算すると、十五夜で半月、二半月で一月、三月で一時、二時で一行となる。一行は半年、六か月である。二行で一年となる。二年半で一双となる。これは閏月があるためで、閏月を当月に含めて計算する。これは月の双であり、閏の双ではない。もし五年に二回の閏があるとすれば、二年半に一閏があることになり、単独の閏は存在しないことになる。 このような時間を積み重ねて、劫には四種類があることが明らかになる。 一に別劫、二に成劫、三に壊劫、四に大劫である。 人間の寿命が十歳から徐々に八万歳まで増え、長い時間八万歳で推移した後、再び徐々に十歳まで減る。これを一別劫という。他の劫に対して特別に別と名付けている。これを物事に例えるならば、『雑阿含経』によれば、一由旬の城があり、高さも同じである。その中に芥子（からし種）を満たし、百年に一度一粒を取り出す。芥子が尽きても劫は終わらない。これが別劫である。大劫の場合には、八十由旬の城を量とする。 『楼炭経』には、劫を論じる二つの譬えがある。 一つは、「東西一千里、南北四千里の大城がある。その中に芥子を満たし、百年ごとに天人が下りてきて一粒を取り出す。芥子が尽きても劫は終わらない。」 二つは、「一辺が四十里の大きな岩がある。百年ごとに天人が下りてきて、羅縠の衣でその岩を撫でる。岩が尽きても劫は終わらない。」これらもまた別劫であろう。 第二に、成劫は四十別劫、壊劫もまた同じである。なぜなら、世間が成立する時は二十別劫、存続する時は二十別劫、壊れる時は二十別劫、空となる時は二十別劫だからである。ここでは、存続と成立を合わせて成劫とし、空と壊を合わせて壊劫とする。そのため、それぞれ四十別劫となる。この成劫と壊劫を合わせると、全部で八十別劫となり、これを一大劫とする。さらに細かく分ければ、別劫・成劫・住劫・壊劫・空劫・大劫の六劫がある。さらにまとめれば、小劫・中劫・大劫の三劫となる。小は別劫、中は成劫または壊劫のいずれか、大は成劫と壊劫を合わせたものである。欲界の寿命の一劫は小劫、初禅三天の寿命の劫は中劫、二禅以上の寿命の劫は大劫である。 外国（インド）の世俗の計算では、六十の位があり、これを超えると数えられないため、阿僧祇という。この数を劫として数える。一から六十位までを阿僧祇劫という。これが大劫の量である。ゆえに、『智度論』などでは、「百由旬の城を量とし、百年に一粒の芥子を取り出す」譬え、あるいは「迦尸羅天の衣で百年に一度、百由旬の岩を撫でる」譬えを用いる。これらはすべて大劫の量を例えたものである。 すなわち、索訶世界<note>古くは娑婆世界と称した</note>の一大劫の間に、千仏が出世する。考えてみれば、「劫波」という呼び名は、時間の長さで測ることはできない。そのため、岩や芥子の城などの譬えを用いて、一つの期間の目安とするのである。これは前述の、成・住・壊・空の四劫を含むものである。先に述べたように、寿命が十歳から八万歳に増え、再び八万歳から十歳に減る。これを二十回繰り返すのが一小劫である。二十小劫が一成劫となる。これを年数で計算すると、八千万万億百千八百万歳となる。これはあくまで一小劫の計算である。現在は成劫が過ぎ、住劫に入ってから、さらに八小劫が経過している。釈迦牟尼如来は、住劫の中で第四仏にあたる。今後、九百九十六仏が引き続いて出現するであろう。

依奘法師西國傳云。夫數量之稱謂踰繕那舊云由旬。又曰踰闍那。又曰由延。皆訛略踰繕那者。自古聖王一日運行也。舊傳一踰繕那四十里矣。印度國俗乃三十里。聖教所裁唯十六里。故毘曇論。四肘為一弓。五百弓為一拘盧舍。八拘盧舍為一由旬。一弓長八尺。五百弓長四百丈。四百丈為一拘盧舍。一里有三百六十步。一步有六尺。合有二百一十六丈為一里。二里有四百三十二丈。計前五百弓有四百丈為一拘盧舍。猶欠三十二丈不滿二里。計一拘盧舍減有二里。計八拘盧舍減十六里為一由旬。若依雜寶藏經。一拘盧舍有五里。計毘曇八拘盧舍為一由旬。合有四十里。