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title: "法苑珠林 · 3 壞劫部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 壞劫部第三

> 第三部 壊劫

依長阿含經云。三災上際云何。若火災起時。至光音天為際。若水災起時至。遍淨天為際。若風災起時。至果實天為際。三災欲起時。世間人皆行正法。正見不倒修十善行。行此法時有人得第二禪者。即勇身上昇於空中。住聖人道。天道梵道高聲唱言。諸賢當知無覺無觀第二禪樂人。聞此聲已即修無覺無觀。身壞命終生光音天。是時地獄眾生罪畢命終來生人間。復修無覺無觀。得生光音天。畜生餓鬼阿須倫乃至六欲。皆生光音天爾時先地獄盡。後畜生盡已。次餓鬼阿須倫乃至他化自在天盡已。然後人盡無有遺餘。此世敗壞乃成為災。又順正理論云。乃至地獄無一有情。爾時名為地獄已壞。諸有地獄定受業者。業力置他方獄中。由此準知傍生鬼趣。時人身內無有諸蟲與佛身同。若時人趣此洲一人無師法然得初靜慮。從靜慮起唱如是言。離生喜樂甚樂甚靜。餘人聞已皆入靜慮。命終並得生梵世中。乃至此洲有情都盡。是名已壞贍部洲人。東西二洲例此應說。北洲命盡生欲界天。由彼鈍根無離欲故。生欲界天已靜慮現前轉得勝依。方能離欲。乃至人趣無一有情。爾時名為人趣已壞。若諸天趣欲界六天隨一法然得初靜慮。乃至並得生梵世中。爾時名為欲天已壞。如是欲界無一有情。名欲界中有情已壞。若時梵世隨一有情無師法然得二靜慮。從彼定起唱如是言。定生喜樂甚樂甚靜。餘天聞已皆入彼靜慮。命終並得生極光淨。乃至梵世中有情都盡。如是名已壞有情世間。唯器世間空曠而住。餘方世界一切有情感此三千世界業盡。於此漸有七日輪現。諸海乾竭眾山洞然。洲渚三輪並從焚燎。風吹猛焰燒上天宮。乃至梵宮無遺灰燼。自地火焰燒自地宮。非他地災能壞他地。由相引起故作是說。下火風飄焚燒上地。謂欲界火猛焰上昇。為緣引生色界。火焰。餘災亦爾。如應當知。如是始從地獄漸減。乃至器世界盡總名壞劫。又觀佛三昧經云。天地始終謂之一劫。劫盡壞時火災將起。一切人民皆背正向邪競行十惡。天久不雨所種不生。依水泉原乃至四大駛河皆悉枯竭。久久之後風入海底。取日上大城郭。於須彌山邊置本道中長阿含經云。其後久久有大黑風暴起海水。深八萬四千由旬吹使兩披。取日宮殿置於須彌山半。去地四萬二千由旬安日道中。乃至七日次第取之法用並然。雜心論云。劫滅之時有七日輪住遊乾陀山從彼而去。又說云。分一日為七日。又說云。從阿鼻地獄下出日。眾生業力致一日出時百草樹木一時彫落。二日出時四大海水從百由旬乃至七百由旬內。其水自然枯涸。三日出時四大海水千由旬。乃至七千由旬內水展轉消盡。四日出時四大海水深千由旬。五日出時四大海水縱廣七千由旬乃至竭盡長阿含經云。五日出已其後海水轉深。猶如春雨後亦如牛跡中水。遂至涸盡不漬人軀也六日出時此地厚六萬八千由旬。皆悉煙出。從須彌山乃至三千大千剎土。及八大地獄靡不燒滅。煙盡無餘。人民命終。皆依須彌山及六欲諸天。皆悉命終宮殿皆空。一切無常不得久住。七日出時大地須彌山漸漸崩壞百千由旬。永無遺餘。山皆洞然。諸寶爆裂。煙焰震動至于梵天。一切惡道皆悉蕩盡。罪終福至。皆集第十五天上。十四天以下盡成灰墨。新生天子未曾見此。普懷恐懼。舊生天子各來慰勞。勿生恐怖。終不至此。人民命終生光音天。以念為食。光明自照神足飛行。或生他土。若生地獄。地獄罪畢亦生天上。若罪未畢復移他方。無日月星宿亦無晝夜。唯有大冥謂之火劫。火災果報致此壞敗。劫欲成時火乃自滅。更起大雲漸降大雨。滴如車軸。是時此三千大千剎土。水遍其中乃至梵天。故瑜伽論云。又諸有情能滅壞業增上力故。及依六種所燒事故。復有六日輪漸次而現。彼諸日輪望舊日輪。所有熱勢踰前四倍。既成七已熱遂增七。云何名為六所燒事。一小大溝坑。由第二日輪之所枯竭。二小河大河。由第三日輪之所枯竭。三無熱大池。由第四日輪之所枯竭。四大海。由第五日輪及第六一分之所枯竭。五蘇迷盧山及以大地體堅實故。由第六一分及第七日輪之所燒然。即此火焰為風所鼓。展轉熾盛極至梵世。如是世界皆悉燒已。乃至灰墨及與餘影皆不可得。從此名為器世間已壞。滿足二十中劫。如是壞已復二十中劫住。

> 『長阿含経』によれば、三つの大災害の上限についてこう説かれています。火災が起こる時は、光音天までがその範囲です。水災が起こる時は、遍浄天までが範囲です。風災が起こる時は、果実天までが範囲です。 三つの災害が起ころうとする時、世の中の人々は皆、正しい行いを実践し、正しい見解を持ち、十善を修めます。このような行いをしていると、第二禅を得る人が現れます。その人は勇んで空中に昇り、聖人の道、天の道、梵天の道に留まり、高声に叫びます。「諸々の賢者よ、知るべきです。思考や分別のない第二禅の楽があるのだと。」人々はこの声を聞いて、思考や分別のない禅定を修めます。やがて命終えて光音天に生まれ変わります。 その時、地獄の衆生は罪が終わり、命終えて人間に生まれます。さらに思考や分別のない禅定を修め、光音天に生まれます。畜生、餓鬼、阿修羅から六欲天に至るまで、皆、光音天に生まれます。まず地獄の衆生がいなくなり、次に畜生がいなくなり、さらに餓鬼、阿修羅、他化自在天までがいなくなります。そして最後に人間も一人残らずいなくなり、この世界は壊れ去り、災害となるのです。 また『順正理論』にはこうあります。地獄に一人の有情もいなくなった時、これを「地獄がすでに壊れた」と言います。地獄で必ず受けるべき業を持つ者は、業の力によって他の地獄に移されます。これにより、畜生や餓鬼の世界も同様であると知るべきです。その時、人間の体内には虫が一匹もおらず、仏の身体と同じ状態になります。 ある時、この閻浮提洲で一人の人が、師なくして自然に初静慮を得ます。その人は静慮から起きてこう言います。「離欲によって生じる喜びと楽は、非常に楽しく、非常に静かである。」他の人々はこれを聞いて皆、静慮に入り、命終えて梵世に生まれます。やがてこの洲の有情が全て尽きるまで続きます。これを「閻浮提洲の人がすでに壊れた」と言います。東の弗婆提洲と西の瞿耶尼洲も同様です。北の欝単越洲の人は命終えて欲界の天に生まれます。彼らは根が鈍く、離欲の心がないからです。欲界の天に生まれた後、静慮が現前し、より勝れた依り所を得て、ようやく離欲できるようになります。 人間の世界に一人の有情もいなくなった時、これを「人趣がすでに壊れた」と言います。欲界の六つの天においても、一人の天人が師なくして自然に初静慮を得ます。他の天人は皆これを聞いて静慮に入り、命終えて梵世に生まれます。この時を「欲界の天がすでに壊れた」と言います。こうして欲界に一人の有情もいなくなることを「欲界の有情がすでに壊れた」と言います。 次に、梵世において、一人の有情が師なくして自然に第二静慮を得ます。その人は禅定から起きてこう言います。「禅定によって生じる喜びと楽は、非常に楽しく、非常に静かである。」他の天人は皆これを聞いてその静慮に入り、命終えて極光浄天に生まれます。やがて梵世の有情が全て尽きるまで続きます。これを「有情世間がすでに壊れた」と言います。ただ器世間だけが空しく存在し続けます。 他の世界の一切の有情は、この三千世界の業が尽きたのを感じ取ります。やがて徐々に七日輪が現れ、諸々の海は干上がり、全ての山々は燃え上がり、島々や大地、須弥山までもが焼き尽くされます。風は猛火を吹き上げ、天上の宮殿を焼き、梵天の宮殿に至るまで灰燼も残りません。自分たちの世界の火が自分たちの宮殿を焼くのであって、他の世界の災害が他の世界を壊すわけではありません。しかし、相互に引き起こし合うので、このように説かれています。下の火が風に乗って上の世界を焼き尽くすのです。つまり、欲界の火の猛火が上昇し、それを縁として色界の火焔を引き起こします。他の災害も同様です。このように、地獄から徐々に減り始め、器世界が全て尽きるまでを、総じて「壊劫」と呼びます。 また『観仏三昧経』にはこうあります。「天地の始終を一劫と名付けます。劫が尽き壊れる時、火災が起ころうとします。全ての人々は正を捨て邪に向かい、競って十悪を行います。長い間雨が降らず、蒔いた種も芽生えません。泉や水源から四大河に至るまで、全て枯れ果てます。 長い年月の後、風が海底に入り、太陽を高い城郭のようにして取り出し、須弥山の辺りに置き、本来の道に戻します」 （長阿含経にはこうあります。「その後、長い年月を経て、大黒風が暴れ立ち、深さ八万四千由旬の海を吹き分け、太陽の宮殿を取り出し、須弥山の中腹、地より四万二千由旬の高さに置き、太陽の道に据えます。やがて七日輪が次第に取り出され、その方法は全て同じです。」雑心論には「劫が滅する時、七つの日輪が遊乾陀山に留まり、そこから進み出る」とあり、また「一日を七日とする」とも、また「阿鼻地獄の下から太陽が出る。衆生の業力による」とも説かれています。） 第一の日輪が現れる時、百種の草木は一時に枯れ落ちます。 第二の日輪が現れる時、四大海の水は百由旬から七百由旬の範囲で自然に枯れ果てます。 第三の日輪が現れる時、四大海の水は千由旬から七千由旬の範囲で徐々に消え尽きます。 第四の日輪が現れる時、四大海の水は深さ千由旬に及びます。 第五の日輪が現れる時、四大海の水は広さ七千由旬に及び、ついに干上がります。 （長阿含経には「第五の日輪が現れた後、海水は次第に浅くなり、春の雨の後や、牛の蹄の跡の水のように、ついに干上がり、人の体を濡らすこともなくなります」とあります。） 第六の日輪が現れる時、この大地の厚さ六万八千由旬の全てから煙が立ち上ります。須弥山から三千大千世界、八大地獄に至るまで、焼け尽くされないところはありません。煙は尽きて何も残りません。人々は命終え、皆須弥山と六欲天に依存していましたが、それらも全て命終え、宮殿は空となります。一切は無常であり、長く留まることはできません。 第七の日輪が現れる時、大地と須弥山は徐々に崩壊し、百千由旬にわたって永遠に跡形もなくなります。山々は全て燃え上がり、宝玉は爆裂し、煙と焔は振動して梵天にまで達します。一切の悪道は全て清め尽くされます。罪が終わり福が至り、皆第十五天に集まります。十四天以下は全て灰と墨のようになります。新しく生まれた天子はこれまで見たことがなく、皆恐怖に包まれます。以前からいた天子は皆来て慰めます。「恐れることはない。ついにここまでは来ない。」人々は命終えて光音天に生まれます。念を食とし、光明が自らを照らし、神通力で空中を飛びます。あるいは他の世界に生まれます。地獄に生まれた者も、地獄の罪が終われば天上に生まれます。罪が終わっていなければ、さらに他の場所に移されます。 その時、太陽も月も星もなく、昼も夜もありません。ただ大きな闇があるだけです。これを「火劫」と呼びます。火災の果報がこのような破壊をもたらすのです。劫が成ろうとする時、火は自然に消え、さらに大きな雲が起こり、徐々に大雨が降ります。雨粒は車軸のようです。この時、この三千大千世界は水で満たされ、その水は梵天にまで及びます。 そこで『瑜伽論』にはこうあります。「また、諸々の有情の滅壊の業を増上する力と、六種の焼かれる事柄により、六つの日輪が徐々に現れます。それらの日輪は、以前の日輪と比較して、熱勢が四倍を超えます。七つが揃った後、熱は七倍に増します。六種の焼かれる事柄とは何でしょうか。第一に、小さな溝や大きな穴は、第二の日輪によって枯れ果てます。第二に、小さな川や大きな河は、第三の日輪によって枯れ果てます。第三に、無熱悩の大きな池は、第四の日輪によって枯れ果てます。第四に、大海は、第五の日輪と第六の日輪の一部によって枯れ果てます。第五に、須弥山と大地は、その体が堅固であるため、第六の日輪の一部と第七の日輪によって焼き尽くされます。そして、その火焔は風にあおられ、次第に燃え盛り、梵世にまで達します。このように世界は全て焼かれ、灰や墨、その影さえも見ることができなくなります。これをもって、器世間がすでに壊れたと言います。これは二十中劫を満たします。このように壊れた後、さらに二十中劫の間、その状態が続きます。」

云何水災。謂過七火災已於第二靜慮中有俱生。水界起壞器世間猶水消鹽。此之水界與器世間一時俱沒。如是沒已復二十中劫住。云何風災。謂七水災過已復七火災。從此無間於第三靜慮中有俱生。風界起壞器世間如風乾支節。復能消盡。此之風界與器世間一時俱沒。從此壞已復二十中劫住。如是略說世間已壞。又依順正理論云。此水火風三大災起逼有情類。令捨下地集上天中。初火災興由七日現有說。如是七日輪行猶如雁行分路旋運。有說如是。七日輪行上下為行分路旋運。中間各相去五千踰繕那。次水災興由降瀑雨。有作是說。從三定邊空中歘然。雨熱灰水。有餘復說。從下水輪起湧沸水上騰漂浸。決定義者即此邊生。後風災興由風相擊。有作是說。從四定邊空中歘然飄擊風起。有餘復說。從下風輪起衝擊風上騰飄鼓。此決定義。準前應知。三災起時云何次第。要先有問起七火災。其次定應一水災起。此後無間復七火災。度七火災還有一水。如是乃至滿七水災。復有七火災後風災起。如是總有八七火災一七水災一風災起。水風災起皆次火災。自水風災必火災起。故災次第理必應然。何緣七火方一水災。極光靜天壽勢故。謂彼壽量極八大劫。故至第八方一水災。由此應知。要度七水八七火後乃一風災。由遍淨天壽勢力故。謂彼壽量六十四劫。故第八八方一風災。如諸有情修定漸勝。所感異熟身壽漸長。由是所居亦漸久住。故毘曇論偈云。

> 水の大災害とは何か。 七回の火災が終わった後、第二禅定（第二静慮）の中に、同時に生じるものがある。 水の要素が起こり、器世間を壊し、まるで水が塩を溶かすかのようにする。 この水の要素は、器世間とともに一瞬に消え去る。 こうして消え去った後、再び二十中劫の間、その状態が続く。 風の大災害とは何か。 七回の水災が終わり、さらに七回の火災が起こる。 その直後、第三禅定（第三静慮）の中に、同時に生じるものがある。 風の要素が起こり、器世間を壊す。それはまるで風が木の枝を乾燥させ、さらにそれを消し尽くすかのようである。 この風の要素は、器世間とともに一瞬に消え去る。 こうして壊れ去った後、再び二十中劫の間、その状態が続く。 以上、簡単に世間が壊れる様子を述べた。 さらに、『順正理論』によれば、次のように説かれている。 この水・火・風の三つの大災害が起こると、生きとし生けるものは、それによって下の世界を捨て、上の天に集まるようになる。 最初の火災は、七つの太陽が現れることによって起こる。ある説によれば、これらの七つの太陽は、雁の群れが道を分けて運行するように、それぞれ別の道を巡るという。また別の説では、これらの七つの太陽は上下に分かれて運行し、それぞれの間は五千由旬であるという。 次に水災は、大雨が降り注ぐことによって起こる。ある説では、第三禅定の境から空中に突然、熱い灰の雨が降るという。また別の説では、下の水輪から熱い水が湧き上がり、それが上に漂い、全てを浸してしまうという。確かな意味としては、これらの現象はその境（第三禅定の境）において生じるものである。 後の風災は、風が互いに激しくぶつかり合うことによって起こる。ある説では、第四禅定の境から空中に突然、激しい風が吹き起こるという。また別の説では、下の風輪から衝撃的な風が湧き上がり、それが上に舞い上がり吹き荒れるという。この確かな意味についても、前の例に準じて理解すべきである。 三つの災害が起こる時、その順序はどのようなものか。 まず最初に、七回の火災が起こる。その後、必ず一回の水災が起こる。この水災の後、間を置かずに再び七回の火災が起こる。七回の火災を経るごとに、また一回の水災が起こる。このようにして、七回の水災が満ちるまで続く。そして七回の水災の後、再び七回の火災が起こり、その後に風災が起こる。 つまり、全部で七回の火災を八組（五十六回の火災）、七回の水災を一組（七回の水災）、そして一回の風災が起こる。 水災と風災は、必ず火災の後に起こる。そして、水災と風災の後には、必ず再び火災が起こる。それゆえ、災害の順序は、道理として必ずこのようになるのである。 なぜ七回の火災の後に一回の水災が起こるのか。 それは、極光浄天（極光浄天）の寿命の勢いによる。すなわち、彼らの寿命は最大で八つの大劫である。そのため、八番目になって初めて一回の水災が起こるのである。 これによって、次のことも理解すべきである。すなわち、七回の水災と七回の火災を八組（計五十六回の火災）を経た後に、初めて一回の風災が起こるのである。これは遍浄天（遍浄天）の寿命の勢いによる。すなわち、彼らの寿命は六十四劫である。そのため、六十四番目（八番目の八劫）になって初めて一回の風災が起こるのである。 ちょうど、すべての生きとし生けるものが修行によって次第に勝れた境地に達するにつれて、その結果として受ける異熟の身体や寿命も次第に長くなるように、それによって住む世界も次第に長く存続するのである。 ゆえに、『毘曇論（毗曇論）』の偈には次のように説かれている。

七火次第過 然後一水災七七火七水 復七火後風

又對法論云。如是東方無間無斷。無量世界。或有將壞。或有將成。或有正壞。或壞已住。或有正成。或成已住。如於東方。乃至一切十方亦爾。如是若有情世間若器世間。業煩惱力所生故。業煩惱增上所起故。總名苦諦。又雜心論。問何故壞劫不至第四禪。答淨居天故。彼無上地生即彼般涅槃故。亦不下生。下地非數滅故。若彼住經壞劫者亦不然。增上福力生彼處故。內擾亂非故。若彼地內有擾亂者則外有災患。彼初禪內有覺觀。火擾亂故。外為火災燒。第二禪內喜水擾亂故。外為水災所漂。第三禪內有出入息風擾亂故。外為風災所壞。問第四禪未曾有擾亂者。何得不常。答剎那無常所壞故。第四禪地不定相續。隨彼天生宮殿俱起。若天命終彼亦俱沒耳。