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title: "法苑珠林 · 4 成劫部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 成劫部第四

> 第4章 成劫の章

依起世經云。爾時復經無量久遠不可計數日月。時起大重雲。乃至遍覆梵天世界。既遍覆已注大洪雨。其滴甚麁。或如車軸。或復如杵。經歷百千萬年彼雨水聚漸漸增長。乃至天所住世界其水遍滿。然彼水聚有四風輪之所住持。何等為四。一名為住。二名安住。三名不墮。四名牢主。彼雨斷已復還自退。下無量百千萬億由旬。當於爾時四方一時有大風起。其風名為阿那毘羅。吹彼水聚混亂不停。水中自然生大沫聚。大風吹沫擲置空中。從上造作梵天宮殿。微妙可愛七寶間成。所謂金銀琉璃玻𭺇赤珠硨璖碼碯。有斯梵天世間出生。彼大水聚復更退下無量百千萬億由旬。如前四方風起名阿那毘羅。由此大風吹擲水沫復成宮殿。魔身天牆壁住如梵身天無異。唯有寶色精麁異耳。如是次造他化自在天。展轉至夜摩天。六天次第具足如梵天無異精麁異耳。時彼水聚轉復減少。乃更退下無量百千億萬由旬。湛然渟住。彼水聚中四方浮沫水上厚六十八億由旬。周闊無量。大風吹沫復造須彌山四寶所成。復吹水上浮沫為三十三天七寶所成。又吹水沫。於須彌山半腹之間四萬二千由旬。為日月天子宮殿皆七寶成。以是因緣。世間便有七日宮殿安住現在。又吹水沫於海水上高萬由旬。為空居夜叉造玻𭺇宮殿城郭亦爾。又吹水沫於須彌山四面。各去山一千由旬。大海之下作四面阿脩羅城七寶莊嚴。又復大風吹水聚沫造作餘大寶山。如是展轉吹水沫過四大洲八萬小洲須彌山王。并餘一切大山之外周匝安置。名大輪圍山。高廣正等六百八十萬億由旬。牢固真實。金剛所成難可破壞。如是大風吹掘大地漸漸深入。乃於其中置大水聚湛然渟積。以此因緣便有大海。又起世經云。此大海水。何因緣故。如是鹹苦不堪飲食。此有三因緣。何等為三。一者從火災後經無量時。起大重雲彌覆凝住。後降雨滴注滿世界。彼大雨汁洗梵身天一切宮殿。次洗廣天宮殿。次洗他化自在天化樂天兜率天夜摩天宮殿洗已。洗彼宮時所有鹹辛苦味悉皆流下。次復洗須彌山及四大洲八萬小洲諸餘大山等。如是洗時浸漬流蕩其中。以是因緣令大海鹹不堪飲食。第二此大海水大神大身眾生在其中住。所有屎尿流出海中。以是因緣其水鹹苦不堪飲食。第三此大海水古昔諸仙曾所呪故。願海成其鹽味不堪飲食。以是因緣令大海鹹不堪飲食。又依順正理論云。所言成劫者。謂從風起。乃至地獄始有情生。謂此世間災所壞已。二十中劫唯有虛空。過此長時次應復有等住世。成劫便至一切有情業增上力。空中漸有微細風生。是器世間將成前相。風漸增盛成立如前所說風輪水輪金輪等。然初成立大梵天宮乃至夜摩天宮復起風輪等。是謂成立外器世間。由有情力。謂光淨久集有情。天眾既多。居處迫迮。諸福減者應散居下。此器世間初一有情。極光淨歿生大梵處空宮殿中。後諸有情亦從彼歿有生梵輔。有生梵天。有生他化自在天宮。漸漸下生乃至人趣。後生餓鬼傍生地獄。法爾後成壞必最初。若初一有情生無間獄。二十中成劫應知已滿。此後復有二十中劫。名成已住。次第而起。立世阿毘曇論云。一切器世界起作已成。時二種界起長。謂地火兩界。風界起吹火界蒸鍊地界。風界恒起吹一切物使成堅實。既堅實已一切諸寶種類皆得顯現。如是多時六十小劫究竟已度。

> 『起世経』によれば、その時、さらに無量の長い年月が過ぎました。すると大きな厚い雲が起こり、梵天の世界にまで広がりました。広がり終えると、大雨が降り注ぎました。その雨滴は非常に大きく、車の軸のようにも、また杵のようにもありました。それが百千万年もの間降り続き、雨水は徐々に増えていき、天の住む世界にまで満ち溢れました。しかし、その水の塊は四つの風の輪によって支えられていました。その四つとは、第一に「住」、第二に「安住」、第三に「不墮」、第四に「牢主」です。その雨が止むと、水は再び自ら退き、無量百千万億由旬も下がりました。その時、四方から同時に大きな風が起こりました。その風の名を阿那毘羅といいます。風はその水を吹き混ぜて止むことがなく、水中から自然に大きな泡の塊が生まれました。大風がその泡を吹き上げて空中に投げ出し、上から梵天の宮殿を作り出しました。それは微妙で愛らしく、七宝で飾られていました。すなわち金、銀、瑠璃、玻璃、赤珠、硨磲、瑪瑙です。こうして梵天の世界が生まれました。その大きな水の塊はさらに無量百千万億由旬も退きました。先ほどと同じように四方から阿那毘羅という風が起こり、この大風が水の泡を吹き上げて宮殿を作りました。魔身天の壁や住まいは、梵身天と全く同じですが、宝の色において粗いか細かいかの違いがあるだけです。このようにして次々に他化自在天が作られ、順に夜摩天に至るまで、六つの天が梵天と同じように次第に完全に作られましたが、やはり粗いか細かいかの違いがあるだけです。その時、水の塊はさらに減少し、無量百千億万由旬も退きました。そして、湛として留まりました。その水の塊の中に四方から浮かぶ泡は、水面から厚さ六十八億由旬にも及び、その広がりは無量でした。大風がその泡を吹き、須弥山を四宝で作り上げました。また、水面に浮かぶ泡を吹き、三十三天を七宝で作り上げました。また、水の泡を吹き、須弥山の半腹、四万二千由旬のところに、日月天子の宮殿を七宝で作り上げました。この因縁によって、世間に七日天子の宮殿が安住して現れるようになりました。また、水の泡を吹き、海水の上、高さ一万由旬のところに、空に住む夜叉のために玻璃の宮殿や城郭を作りました。また、水の泡を吹き、須弥山の四面、それぞれ山から一千由旬離れた大海の下に、四つの阿修羅の城を七宝で荘厳して作りました。また、大風が水の塊の泡を吹き、その他の大宝山を作りました。こうして次々に水の泡を吹き、四大洲、八万の小洲、須弥山王、およびその他すべての大山を巡って、外側に周囲に安置し、大輪囲山と名付けました。その高さと広さは等しく六百八十万億由旬であり、堅固で真実であり、金剛でできていて壊すのが難しいものでした。このように大風は大地を掘って徐々に深くし、その中に大きな水の塊を湛然と積み置きました。この因縁によって大海ができました。 また、『起世経』にこうあります。この大海の水は、何の因縁によってこのように塩辛く苦く、飲み物に堪えないのでしょうか。これには三つの因縁があります。その三つとは何でしょうか。第一に、火災の後、無限の時を経て、大きな厚い雲が起こり、覆い満ちて留まり、その後、雨が滴り注ぎ世界に満ちました。その大雨の汁は、梵身天のすべての宮殿を洗い、次に広天の宮殿を洗い、次に他化自在天、化楽天、兜率天、夜摩天の宮殿を洗いました。それらの宮殿を洗った時、そこにあったすべての塩辛く苦い味が流れ下りました。次に、須弥山および四大洲、八万の小洲、その他の多くの大山を洗いました。このように洗った時、それらは浸されて流れ動き、その中に入りました。この因縁によって、大海は塩辛く、飲み物に堪えなくなったのです。第二に、この大海の水には、大神であり大身である衆生がその中に住み、そのすべての糞尿が海の中に流れ出ます。この因縁によって、その水は塩辛く苦く、飲み物に堪えません。第三に、この大海の水は、昔、諸々の仙人がかつて呪ったからです。願わくば、海を塩味にして飲み物に堪えないものとせよ、と。この因縁によって、大海は塩辛く、飲み物に堪えなくなったのです。 また、『順正理論』によれば、いわゆる成劫とは、風が起こるところから始まり、地獄に最初の有情が生まれるまでを言います。すなわち、この世間が災害によって壊された後、二十の中劫はただ虚空のみがあるのです。この長い時が過ぎると、再び等しく住する世が現れ、成劫が到来します。すべての有情の業の増上力によって、虚空の中に徐々に微細な風が生じます。これが器世間が将に成る前の相です。風は徐々に増長して、前に説いたような風輪、水輪、金輪などを成立させます。しかし、最初に大梵天宮が成立し、次に夜摩天宮に至るまで、再び風輪などが起こります。これを外の器世間の成立と言います。有情の力によって、すなわち光浄天に長く集まった有情、天の衆が多くなり、住む場所が狭くなったので、福徳の減った者は下に散らばって住むべきです。この器世間において最初の一有情が、極光浄天から死んで大梵天の空の宮殿に生まれます。後の諸々の有情もまたそこから死んで、梵輔天に生まれる者、梵天に生まれる者、他化自在天の宮殿に生まれる者があり、次第に下に生まれ、ついに人間に至ります。後に餓鬼、畜生、地獄に生まれます。法として、後から成ったものが壊れる時には必ず最初にあります。もし最初の一有情が無間地獄に生まれたならば、二十の成劫がすでに満ちたと知るべきです。この後、さらに二十の中劫があり、「成已住」と名付けられ、次第に起こります。 『立世阿毘曇論』にはこうあります。すべての器世界が作り起こされて完成した時、二つの界が起こって成長します。すなわち地界と火界です。風界が起こり火を吹き、地界を蒸して鍊ります。風界は常に起こってすべての物を吹き、堅実にします。堅実になった後、すべての諸々の宝の種類が顕現します。このように長い時、六十の小劫がついに過ぎ去ります。

又長阿含經云。此三及地為四災四劫。除地說三為大劫。唯未至第四禪。為淨居天故。無上地可生。即於彼處涅槃。亦不下生。非數滅故。變成天地。天地更始。了無所有亦無日月。地湧甘泉味如蘇蜜。時光音諸天。或有福盡來生。或樂觀新地。性多輕躁以指嘗之。如是三轉得其甜味。食之不已漸生麁肌。失天妙色神足光明。冥然大暗。後大黑風吹彼海水漂出日月。置須彌邊安日道中。遶須彌山照四天下。時諸人輩見出則歡見入則懼。自茲以後晝夜晦朔春秋歲數終而復始。劫初成時諸天來下為人皆悉化生。身光自在神足飛行。無有男女尊卑。眾共生世。故名眾生。有自然地味猶如醍醐亦如生蘇味甜如蜜。其後眾生以手試甞。遂生味著漸成摶食。光明轉減無復神通。食地味多者顏色麁悴。其食少者顏色光澤。遂生勝負。因緣勝負故便生是非。地味稍歇咸皆懊惱。咄哉為禍。無復地味。又生地皮狀如薄餅。地皮又滅又生地膚。地膚滅故。依增一經。又生自然地肥。味甘如蒲萄酒。

> また『長阿含経』にはこう説かれています。この三界と地界を合わせて四災・四劫とする。地界を除いた三界を大劫とするが、第四禅には至らない。なぜなら浄居天があるからであり、そこより上の境地に生まれることがない。すなわちその場所で涅槃に入り、下の世界に生まれることもない。これは非数の滅によるものだからである。そして天地が生まれ変わる。天地が新たに始まるとき、そこには何もなく、日月もない。大地から甘い泉が湧き出し、その味は蘇や蜜のようである。その時、光音天の諸天の中には、福が尽きてこの世界に生まれてくる者もいた。あるいは新しい地を見ようとしてやって来た者もいた。彼らの性質は軽く躁ぎやすく、指でその泉を味わった。こうして三度も繰り返してその甘い味を知り、食べるのをやめられず、次第に粗い肌が生じた。そして天の妙なる色や神通力や光明を失い、あたりは暗黒となった。その後、大きな黒い風が吹き、その海水を吹き上げて日月を現し出し、須弥山の側に置いて、日道の中に配置した。日月は須弥山を巡り、四つの天下を照らす。その時、人々は太陽が出るのを見て喜び、沈むのを見て恐れた。これ以来、昼夜や晦朔、春秋や歳月が生じ、終わってはまた始まるようになった。 劫が初めて成る時、諸天がやって来て人間となった者たちは、みな化生であり、自ら身体に光明を放ち、神通力で空を飛び、男や女、身分の上下もなかった。彼らが共に世に生まれたので、「衆生」と名づけられた。自然の地味がまるで醍醐のように、また生の蘇のようにあり、味は蜜のように甘かった。その後、衆生が手でそれを試しに味わい、次第にその味に執着するようになり、次第に固形の食物を食べるようになった。光明は次第に減じ、神通力も失われた。地味を多く食べた者は顔色が粗くやつれ、少なく食べた者は顔色がつやつやと輝いていた。そこに優劣が生じた。優劣の因縁によって、正しいか間違っているかの争いが生じた。地味が次第に無くなると、皆が懊悩して言った。「ああ、何という災いだ。もう地味が無くなってしまった。」すると、次に地皮が薄い餅のように生じたが、地皮もまた無くなり、次に地膚が生じた。地膚が無くなった後は、『増一経』によれば、さらに自然の地肥が生じ、その味は葡萄酒のように甘かった。

又樓炭經云。地肥不生更生兩枝蒱萄。其味亦甘。久久食多共相形笑。兩枝蒱萄不生。更生糠米無有糠糩。不加調和備眾美味。眾生食之生男女形。又增一經云。時諸天子情欲意多者便成女人。故有夫妻之名。其後眾生婬慾轉增。遂夫妻共住。其餘眾生壽福行盡。後光音天來生此間在母胎中。因此世間有處胎生。爾時造瞻婆大城乃至一切城郭。自然糠米朝刈暮熟。暮刈朝熟。刈後隨生。

> また『楼炭経』にはこう述べられている。「地肥が生えなくなり、代わりに二本のぶどうの枝が生えた。その味もまた甘かった。長く食べ続けるうちに、互いに笑い合うようになった。やがて二本のぶどうの枝は生えなくなり、代わりに糠（ぬか）や籾殻（もみがら）のない米が生えた。何も調味しなくても、あらゆる美味が備わっていた。それを食べた衆生は男女の形を現すようになった。」 また『増一経』にはこうある。「当時、天の子たちのうち、情欲の多い者は女になった。それゆえに夫婦の名が生まれた。その後、衆生の婬欲はますます増し、ついには夫婦で共に住むようになった。残りの衆生は寿命や福徳が尽き、後に光音天からこの世界に来て母胎の中に生まれることとなった。それによって世の中に胎生が生まれた。この時、瞻婆（せんば）の大城や、あらゆる城郭が自然に作られた。自然に生える米は、朝刈れば夕方に熟し、夕方刈れば朝に熟し、刈った後もまた生えてきた。」

又依中阿含經。米長四寸未有莖秆。時有眾生併取日糧。如是相學。乃至併取五日糠米。漸生糠糩。刈已不生遂有枯株。爾時眾生懊惱悲泣。各封田宅糠米以為疆畔。其眾自藏己米盜他田穀。無能決者。議立一平等主。善護人民賞善罰惡。便有刀杖等物考楚殺戮。此是生老病死之原。由有田地致此諍訟。故各共減割以供給之。故選一人形貌尊雅甚有財德。請以為主。於是始有民主之號。田宅舍屋之名。天下豐樂不可具述。奉行十善哀念人民。如父母愛子。人民敬主如子敬父。人壽大久豐樂無極。

> 『中阿含経』によると、次のように説かれています。 お米の長さが四寸ほどで、まだ茎や藁が生えていない時代がありました。その頃、人々は一度にその日の分の食べ物を取るようになりました。それが次第に、五日分の米をまとめて取るようになると、米に次第に籾殻が生じるようになりました。刈り取っても再び生えず、枯れた株だけが残るようになりました。その時、人々は嘆き悲しみ、各自が田んぼや家屋敷を区分けして、米を自分のものとする境目を作りました。 人々は自分の米を隠し、他人の田んぼの穀物を盗むようになりました。これを裁く者がいなかったため、人々は話し合い、一人の公平な主を立てることにしました。その主は人民をよく守り、善を奨励し悪を罰しました。すると、刀や杖などの道具が現れ、拷問や殺戮が行われるようになりました。 これこそが、生・老・病・死の根源です。田畑や土地があるために、このような争いが起こるのです。そこで、人々はそれぞれが少しずつ穀物を差し出して、その主を支えることにしました。こうして、姿かたちが尊く雅で、財産と徳を兼ね備えた一人を選び、主として迎えました。 ここに初めて「民主」という称号と、「田んぼ」「家」「家屋敷」という名が生まれました。天下は豊かで楽しく、その様子をすべて語り尽くすことはできません。人々は十善を実践し、互いを慈しみ合い、父母が子を愛するように、人民を哀れみました。また、人民は主を敬い、子が父を敬うかのようでした。人々の寿命は長く、豊かで楽しい生活が限りなく続きました。

又依順正理論云。初受段食故。身漸堅重。光明隱沒黑暗便生。日月眾星從茲出現。由漸耽味地味便隱。從茲復有地皮餅生。競耽食之地餅復隱。爾時復有林藤出現。競耽食故林藤復隱。有非種香稻自生。眾共取之以充所食。此食麁故殘穢在身。為欲蠲除便生二道。因斯遂有男女根生。由二根殊形相亦異。宿習力故便相瞻視。因此遂生非理。乃至由有劫盜過起。詮量眾內一有德人。各以所收六分之一。雇令防護封為田主。因斯故立剎帝利名。大眾欽承恩流率土。故復名大王。未有多王。自後諸王此王為首。

> 『順正理論』に基づいて説くには、まず人々は段食（食べ物）を受けるようになった。そのため身体は次第に固く重くなり、光明は隠れて暗闇が生じた。そこから日月や多くの星々が現れた。次第に地味（大地の味）に執着するようになると、地味は隠れてしまい、今度は地皮餅（地面の皮のような餅）が現れた。これを競って食べると、地餅もまた隠れた。その時には林藤（木のつる）が現れたが、これを競って食べると林藤もまた隠れた。やがて、種をまかなくても自然に実る香り高い稲が生まれた。人々は皆これを取って食糧とした。この食べ物は粗かったため、体に汚れが残るようになった。これを取り除くために、二つの道（排泄口）が生まれた。そして、これによって男女の性器が生じた。二つの性器の違いにより、容姿も異なるようになった。過去の習慣の力によって互いに見つめ合い、そこから道理に反する行為が生まれるようになった。さらに、盗みなどの過ちが起こるようになった。そこで、人々の集まりの中で徳のある一人の人物を選び、各自が収穫の六分の一を納めて、その人物に防護を任せ、田主（土地の主）と定めた。これによってクシャトリヤ（武士・王族）の名が生まれた。大衆はこの王を敬い、その恩恵は国中に及んだ。そのため大王とも呼ばれるようになった。まだ多くの王が存在する前のことである。その後、多くの王が現れたが、この王がその最初である。

又長阿含經云。佛告比丘。有四事長久無量無限。不可以日月歲數而稱計也。云何為四。一時世間災漸起。壞此世時中間長久。不可以日月歲數而稱計也。二者此世間壞已中間空曠。無有世間長久逈遠。不可以日月歲數而稱計也。三者天地初起向欲成時中間長久。不可以日月歲數而稱計也。四者天地成已久住不壞。不可以日月歲數而稱計也。是為四事長久無量無限不可以日月歲數而計量也。

> さらに『長阿含経』にはこう説かれています。仏は比丘たちに告げられました。「四つのことがらは、長く久しく、無量無限であって、日月や歳月の数ではかることはできない。その四つとは何か。第一に、世の中に災いが次第に起こり、この世が壊れていくまでの間は長く久しく、日月や歳月の数ではかることはできない。第二に、この世が壊れた後、中間に何もなく、世の中がない期間は長く遠く、日月や歳月の数ではかることはできない。第三に、天地が初めて起こり、まさに成り立とうとするまでの間は長く久しく、日月や歳月の数ではかることはできない。第四に、天地が成り立ってから長く留まり、壊れない間は長く久しく、日月や歳月の数ではかることはできない。これら四つのことがらは、長く久しく無量無限であって、日月や歳月の数ではかることはできないのである。」

頌曰。

> 偈に曰く。

百旬芥易盡 三災理自傾石火無恒焰 電光非久停飢窘自相噉 刀兵競相征疫病無醫効 空勞怨苦聲親慼無相救 殘害有餘情遺文虛滿笥 徒欣富貴盈太息波川迅 悲斯苦業縈生滅恒敦逼 煎迫未安寧

> 百由旬を積んだ芥子も尽きる時が来る。 三つの災害も、理のままに崩れ去る。 打ち石の火に永遠の炎はなく、 稲妻の光も長くは留まらない。 飢えと渇きは互いを食らい合い、 刀や槍で競い合い、争い合う。 疫病には医の効き目もなく、 空しく苦しみと恨みの声が響く。 親しい者さえ助け合えず、 残された情けには害し合う心が残る。 遺された文は虚しく箱を満たし、 富と栄えの満ち足りた喜びも、ただの空しさ。 深い嘆き、波のように流れる川の速さよ。 悲しいかな、この苦しみの業に絡めとられる。 生と滅は絶え間なく迫り、 責め苛まれ、安らぎの時はない。

## 法苑珠林卷第一

> 法苑珠林 巻第一