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title: "法苑珠林 · 13 地動部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 地動部第十三

> 地動の章 第十三

依佛般泥洹經云。阿難叉手問佛。欲知地動幾事。佛語阿難。有三因緣。一為地倚水上。水倚於風。風倚於空。大風起則水擾。水擾則地動。二為得道沙門及神妙天。欲現感應故。所以地動。三為佛力自我作佛前後。已動三千日月萬二千天地無不感發。天人鬼神多得聞解。

> 仏の涅槃（ねはん）の経典によると、阿難（あなん）は合掌して仏に尋ねました。「大地が震える原因には、いくつかの理由があるのでしょうか？」 仏は阿難に答えられました。「三つの因縁がある。 第一に、大地は水の上にあり、水は風の上にあり、風は虚空（こくう）の上にある。強風が吹けば水が揺れ、水が揺れれば大地も震動する。 第二に、悟りを得た修行者や神通力を持つ天人が、その感応力を示そうとするとき、大地が震えることがある。 第三に、仏の力によるものだ。私（仏）が仏となる前後において、すでに三千の日月と一万二千の天地を揺り動かし、すべてのものが感応しないことはなかった。天人や人間、鬼神たちは、その多くがこれを聞いて悟りを得たのである。」

又大方等大集念佛三昧經云。一切大地六種震動。一動遍動等遍動。二震遍震等遍震。三涌遍涌等遍涌。四吼遍吼等遍吼。五起遍起等遍起。六覺遍覺等遍覺。是六各三合十八相。如是東涌西沒。西涌東沒。南涌北沒。北涌南沒。中涌邊沒。邊涌中沒。

> さらに、『大方等大集・念佛三昧経』にはこう説かれています。 一切の大地に六種の震動が生じます。 第一に「動」、すなわち動き、遍く動き、等しく遍く動くこと。 第二に「震」、すなわち震え、遍く震え、等しく遍く震えること。 第三に「涌」、すなわち涌き上がり、遍く涌き上がり、等しく遍く涌き上がること。 第四に「吼」、すなわち吼え、遍く吼え、等しく遍く吼えること。 第五に「起」、すなわち起こり、遍く起こり、等しく遍く起こること。 第六に「覚」、すなわち覚え、遍く覚え、等しく遍く覚えること。 これら六つのそれぞれに三種類があるため、合わせて十八の相となります。 すなわち、東が涌き上がれば西が沈み、西が涌き上がれば東が沈み、 南が涌き上がれば北が沈み、北が涌き上がれば南が沈み、 中央が涌き上がれば辺が沈み、辺が涌き上がれば中央が沈むのです。

又立世阿毘曇論云。佛告富樓那。復有大神通威德諸天。若欲震動大地即能令動。若諸比丘有大神通及大威德。觀地大相令小小相令大。欲令地動亦能震動。令地動有風名鞞嵐婆。此風常吹俱動不息。風力上升。有風下吹。亦有傍動。是風平等圓轉相持。又智度論云。地動有四種。一火二龍。三金翅鳥。四天二十八宿等。又諸羅漢諸天等亦能地動。又增一阿含經云。佛在舍衛城告諸比丘。有八因緣而地大動。此地深六十八千由延。為水所持。水依虛空。或復是時虛空風動而水亦動。水動地便大動。是初動也。若比丘得神足所欲自在。觀地如掌。能使地大動。是二動也。若復諸天有大神足有大威力。能使地動。是三動也。若復菩薩在兜術天。欲降神下生。是時地動。是四動也。若菩薩自知在母胎中。地為大動。是五動也。若菩薩知滿十月當出母胎。地為大動。是六動也。若菩薩出家於道場坐。降伏魔怨。終成等覺。地為大動。是七動也。若未來於無餘涅槃界而般涅槃。地為大動。是八動也依經地動。亦有多種或有地動聖人出世。有山動四果聖人出世。或有諸佛菩薩出世。或動一世界。多世界亦有薄福眾生感得地動損破。依正兩報具如經說也述曰。自下略敘俗書天地初分陰陽形變之意。謂有五重。一元氣。二太易。三太初。四太始。五太素。

> また『世阿毘曇論』にこう説かれている。仏が富楼那に告げた。「大きな神通力と威徳を持つ諸天は、大地を震動させようと思えば、すぐに動かすことができる。また比丘たちに大きな神通力と威徳があれば、大地の相を大きいと観じたり、小さいと観じたりして、大地を動かそうと思えば震動させることができる。大地を動かす風があり、その名を毘嵐婆という。この風は常に吹き、すべてを動かして休むことがない。風力は上に昇り、下に吹く風もあり、また横に動く風もある。これらの風は等しく円く転じ、互いに支え合っている」 また『智度論』にはこうある。「大地の震動には四種類がある。一つは火、二つは龍、三つは金翅鳥、四つは天の二十八宿などである。また羅漢や諸天なども大地を震動させることができる」 さらに『増一阿含経』にはこうある。仏は舎衛城で比丘たちに告げた。「八つの因縁によって大地は大きく震動する。この大地の深さは六万八千由旬で、水に支えられ、水は虚空に依っている。ある時、虚空の風が動くと水も動き、水が動けば大地も大きく震動する。これが第一の震動である。比丘が神足を得て自在に意のままになり、大地を掌のように観じて、大地を大きく震動させることができる。これが第二の震動である。また諸天に大きな神足と大きな威力があれば、大地を震動させることができる。これが第三の震動である。また菩薩が兜率天にいて、神を降ろして下生しようとする時、その時に大地が震動する。これが第四の震動である。菩薩が母の胎内にいるのを知ると、大地が大きく震動する。これが第五の震動である。菩薩が満十月で母の胎内を出ることを知ると、大地が大きく震動する。これが第六の震動である。菩薩が出家して道場に座り、魔の怨みを降伏し、ついに等覚を成就すると、大地が大きく震動する。これが第七の震動である。未来に於いて無余涅槃の世界で般涅槃に入ると、大地が大きく震動する。これが第八の震動である」 <note>経典によれば、大地の震動には多くの種類がある。あるいは大地が震動すると聖人が世に現れる。山が動くと四つの果位の聖人が世に現れる。あるいは諸仏・菩薩が世に現れることもある。また一つの世界だけが震動することもあれば、多くの世界が震動することもある。また福の薄い衆生が感応して、大地が震動して壊れることもある。正報と依報の両方は、経典に詳しく述べられている通りである。</note> 述べよう。以下に、世俗の書物による天地の初めての分かれ、陰陽の形が変わることの意味を大まかに述べる。五つの段階がある。すなわち、一元気、二太易、三太初、四太始、五太素である。

第一元氣者。依河圖曰。元氣無形匈匈蒙蒙。偃者為地。伏者為天。禮統曰。天地者。元氣之所生萬物之祖。

> 第一の元気について。河図によれば、「元気は形がなく、ぼんやりと曖昧で広がっている。その中で、低く伏しているものが地となり、高くそびえるものが天となった」という。礼統にはこう記されている。「天地とは、元気から生じたものであり、万物の根源である」。

皇甫士安帝王世紀曰。元氣始萌謂之太初。三五歷紀曰。未有天地之時。混沌如雞子。溟涬始可濛鴻滋分。歲起攝提元氣啟肇。

> 皇甫士安の『帝王世紀』に曰く。元気が初めて芽生えた状態を「太初」という。 『三五歴紀』に曰く。天地がまだない時代は、混沌としてまるで鶏卵のようであった。深く広がり始めた元気がやがて分かれていった。歳は摂提（歳星）とともに始まり、元気が開かれた。

帝系譜曰。天地初起溟涬濛鴻。即生天皇。治萬八千歲以木德王。

> 天地のはじめ、混沌として何もかもがはっきりしなかった時、まず天皇がお生まれになりました。その治世は一万八千年に及び、木の徳によって統治されました。

列子曰。夫有形者生於無形。則天地安從生張䖍注曰。天地無所從生。而自然生故有太易有太初有太始有太素。變而為一。一變而為七。七變而為九。九者變之究也。乃復變而為一。一者形變之始也。清輕者上為天。濁重者下為地。沖和氣者為人。故天地含精萬物化生也。故易上繫曰。易有太極。是生兩儀。兩儀生四象。四象生八卦。八卦定其吉凶也。

> 列子が言った。「形あるものは形なきものから生まれる。では、天地はいったい何から生まれたのだろうか。<note>張虔の注によれば、「天地は何かから生まれるのではなく、自然に生じた」とある。</note>そこで、太易、太初、太始、太素があった。これらが変化して一つとなる。一つが変化して七となり、七が変化して九となる。九は変化の極みであり、さらに変化して一つに戻る。この一つとは、形の変化の始まりである。清らかで軽いものは上に昇って天となり、濁って重いものは下に沈んで地となり、調和した気は人間となった。だからこそ、天地は精気を含み、万物はこれによって生まれ変わったのである。よって『易経』上繫の伝に言う。「易には太極がある。太極から両儀が生まれ、両儀から四象が生まれ、四象から八卦が生まれる。八卦によって吉凶が定まる」と。

春秋感精符曰。人主與日月同明。四時合信。故父天母地兄日姊月父天於圓丘之禮也。母地方澤之祭也。兄日於東郊姊月於西郊也春秋說題辭曰。天之為言填也。居高理下為人經群陽精也。含為太一。分為殊名。故立字一大為天。

> 『春秋感精符』にこうあります。 「君主は太陽や月と同じように輝き、四季の運行に合わせて誠実である。だからこそ、天を父、地を母、日を兄、月を姉と仰ぐのだ<note>天を父とするのは、円丘での祭祀のこと。地を母とするのは、沢での祭祀のこと。日を兄として東郊で祀り、月を姉として西郊で祀るのである。</note>」 また『春秋説題辞』にはこうあります。 「『天』という言葉は、『満たす』という意味である。高い所に位置して下界を治め、人々の模範となるものであり、全ての陽の精髄である。この精髄が一つに集まって太一となり、分かれて様々な呼び名となる。だから文字を組み立てて『一』と『大』を合わせて『天』とするのである。」

春秋繁露曰。天有十端。天為一端。地為一端。陽為一端。陰為一端。土為一端。人為一端。金為一端。木為一端。水為一端。火為一端。凡十端。天亦喜怒之氣。哀樂之心。與人相副。以類合之。天人一也。春喜氣故生。秋怒氣故殺。夏樂氣故養。冬哀氣故藏。四者天人同有之。爾雅曰。穹蒼蒼天也李巡曰。古時人質仰視天形。穹隆而高其色蒼蒼。故曰穹蒼也春為蒼天李巡曰。春萬物始生。其色蒼蒼。故曰蒼天也夏為昊天李巡曰。夏萬物壯其氣昊昊。故曰昊天也秋為旻天李巡曰。秋萬物成熟皆有文章。故曰旻天旻天文也。郭景純曰旻猶愍。愍萬物彫落也冬為上天李巡曰。冬陰氣在上萬物伏藏。故曰上天。郭景純曰。言時無時在上。臨下而已廣雅曰。天圓廣南北二億三萬三千五百里七十五步。東西短減四步。周六億十萬七百里二十五步。從地至天一億一萬六千七百八十一里半。下度之厚與天高等。

> 春秋繁露にはこうある。天には十の基本的な要素がある。天が一、地が一、陽が一、陰が一、土が一、人が一、金が一、木が一、水が一、火が一、合わせて十である。天にもまた喜びや怒りの気、悲しみや楽しみの心があり、これらは人と対応している。性質で結びつけるならば、天と人は一つである。春には喜びの気があるから万物が生まれ、秋には怒りの気があるから万物を滅ぼし、夏には楽しみの気があるから万物を育て、冬には悲しみの気があるから万物を蔵する。この四つのあり方は、天と人に共通して備わっている。 爾雅にはこうある。「穹蒼（きゅうそう）とは、蒼天のことである<注釈：李巡は言う。「昔の人は素朴で、仰いで天の形を見ると、穹窿と高くその色は蒼蒼としていた。よって穹蒼と呼んだ」>」。春は蒼天という<注釈：李巡は言う。「春は万物が生まれ始め、その色が蒼蒼としている。よって蒼天という」>。夏は昊天という<注釈：李巡は言う。「夏は万物が盛んになり、その気が昊天と広大である。よって昊天という」>。秋は旻天という<注釈：李巡は言う。「秋は万物が成熟し、皆、文様（あや）がある。よって旻天という。旻は文のことである。郭景純は言う。旻は愍（あわれみ）に近い。万物が凋落するを憐れむ意である」>。冬は上天という<注釈：李巡は言う。「冬は陰の気が上にあり、万物は伏して蔵れる。よって上天という。郭景純は言う。時に上にあるものがなく、ただ下を見下ろすだけの意である」>。 広雅にはこうある。天は丸く広く、南北は二億三万三千五百里七十五歩、東西はそれより四歩短い。周囲は六億十万七百里二十五歩である。地から天までは一億一万六千七百八十一里半。天の下の厚みも天の高さと等しい。

孝經周天七。衡六間曰。周天有七衡。而六間者。相去萬九千八百三十三里三分里之一合十一萬九千里。從內衡以至中衡。從中衡以至外衡。各五萬九千五百里。

> 孝経に曰く、周天には七つの衡（同心円）があり、六つの間（間隔）がある。その間隔は一万九千八百三十三里と三分の一里で、合計十一万九千里になる。内側の衡から中央の衡まで、また中央の衡から外側の衡までは、それぞれ五万九千五百里である。

洛書甄曜度曰。周天三百六十五度四分度之一。又度為千九百三十二里。則天地相去十七萬八千五百里。論衡曰。日一日行一度。一度二千里。日晝行千里。舒疾與騏驎之步相類也。

> 洛書甄曜度に曰く、全天は三百六十五度と四分の一度である。また、一度を千九百三十二里とするなら、天地の距離は十七万八千五百里となる。論衡に曰く、太陽は一日に一度進み、一度は二千里である。太陽は昼間に千里進み、その速さの緩急は麒麟の歩みに似ている。

白虎通曰。日行遲。月行疾。日行一度。月行十三度十九分度之七。日月徑千里。又計日行路。有其內外。從極北至極南。相去九百九十由旬。經一百八十日。日行從內至外。又經一百八十日。日行從外至內。是故名行。言日行六十里者。由輪大故。日遲天行。以行遲故。唯六十里。是故一年有十二月。六月北行。六月南行。總有三百六十度行路也。白虎通曰。月所以滿缺。何歸功於日也。三日成魄。八日成光。二八十六轉而歸功。晦至朔旦。受符復行也。月有大小何天左旋。日月右行。日行遲。月行疾。月及日為一月。至二十九日未及七度。即須三十日過七度。日不可分。故乍小明。有陰陽即有閏月。何周天三百六十五度四分度之一。十二月日不匝十二度。故三年一閏。五年再閏也。明陰不足陽有餘。閏者陽之餘也。

> 白虎通にいう。太陽の運行は遅く、月の運行は速い。太陽は一日に一度（一恒星の間隔）進み、月は一日に十三度と十九分度の七進む。太陽と月の直径は共に千里である。さらに、太陽の運行の道筋には、内側と外側がある。最も北から最も南までの距離は九百九十由旬である。百八十日の間、太陽は内側から外側へ向けて運行し、さらに百八十日の間、太陽は外側から内側へ向けて運行する。これゆえに「運行」と名付ける。太陽が一日に六十里しか進まないと言うのは、輪（天球）が大きいからである。太陽は天の運行に比べて遅く、その運行が遅いがゆえに、一日になお六十里しか進まない。このことから、一年に十二月あり、六月は北へ向かい、六月は南へ向かう。総計で三百六十度の運行の道のりがある。 白虎通にいう。月に満ち欠けがあるのはなぜか。その働きを太陽に帰するからである。三日目には魄（かげ）ができ、八日目には光が現れる。二八十六日を経て（満月となり、再び）その働きを太陽に帰す。晦日から朔日の朝にかけて、（月は太陽からの）符を受け、再び運行を始めるのである。月に大小があるのはなぜか。天は左に旋回し、太陽と月は右に運行する。太陽の運行は遅く、月の運行は速い。月が太陽に追いつくことを一月とする。二十九日目にして、なお（太陽に）七度及ばない場合、すなわち三十日目に七度を超過することになる。日を分割することはできないので、（月の満ち欠けが）一時わずかに小さくなるのである。（暦に）陰陽があるならば、すなわち閏月がある。なぜか。周天は三百六十五度と四分の一度である。十二月では（太陽の一日の運行の）十二度に満たない。ゆえに三年に一度閏月が設けられ、五年に二度閏月が設けられるのである。陰が足りず陽が余ることを明らかにするものであり、閏とは陽の余りである。

徐整長歷。日月徑千里。周圍三千里。下於天七千里。尚書者。靈曜之日光照三十萬六千里。又地說書日月照四十五萬里。

> 徐整によれば、日月の直径は千里で、周囲は三千里、天から下まで七千里とされる。 尚書では、霊曜が言うには「太陽の光は三十万六千里を照らす」とのこと。 また、地説書には「日月は四十五万里を照らす」と記されている。

列子曰。孔子東游。見兩小兒辯鬪問其故。一小兒曰。我以日始出去人近而日中時遠。一小兒以為日初出時遠而日中時近也。一兒曰。日初出大如車蓋。及其中纔如槃蓋。此不為遠者小而近者大乎。一小兒曰。日初出滄滄涼涼。及其中如探湯。此不為近者熱而遠者涼乎。孔子不能決也。兩小兒笑曰。孰謂汝多智乎。

> 列子は言った。 孔子が東方へ旅をしていたとき、二人の子どもが激しく言い争っているのを見かけた。その理由を尋ねると、一人の子どもが言った。「私は、太陽が昇る時が人に一番近く、真昼には遠くなると思います。」もう一人の子どもは、「太陽が出始めの時が遠くて、真昼には近くなる」と言った。 最初の子どもは言った。「太陽が出始めは車のカバーのように大きく、真昼になるとお皿のように小さく見える。これは遠いものは小さく、近いものは大きく見えるということではないか。」 もう一人の子どもは言った。「太陽が出始めはひんやりと涼しいが、真昼になると熱湯に手を入れたように熱くなる。これは近いものは熱く、遠いものは涼しいということではないか。」 孔子はどちらが正しいか決められなかった。すると二人の子どもは笑って言った。「どうしてあなたが賢いと言えるのだろうか。」

桓譚新論曰。余小時聞閭巷言。孔子東遊見兩小兒辯鬪問其故。一兒曰。我以日始出時近日中時遠。一兒以日初出遠日中時近。長水校尉關子楊。以為天去人上遠而四傍近。以星宿昏時出東方其間甚疎相去丈餘。夜半在上視之甚數相去唯一二尺。日為天陽。火為地陽。地陽上昇。天陽下降。令置火於地。從傍與上診其熱。遠近不同乃差半焉。日中在上當天陽之衡。故熱於始出。從太陽中來故涼。西在桑榆大小雖同。氣猶不如清朝也。

> 桓譚『新論』にこう記されている。 私は子供の頃、街の噂でこんな話を聞いた。 孔子が東方へ旅をしていると、二人の子供が言い争っているのに出会った。その理由を尋ねると、一人の子供は「私は、太陽は出始めの時に近く、真昼には遠くなると思う」と言い、もう一人の子供は「太陽は出始めの時は遠く、真昼には近くなる」と言った。 長水校尉の関子楊はこう考えた。天は人の上方へは遠く、四方の側面は近い。星々は黄昏時に東の空に現れるが、その間隔はまばらで、一丈あまりも離れている。真夜中に頭上を見上げると、星々は非常に密集して見え、間隔はわずか一、二尺ほどである。太陽は天の陽のものであり、火は地の陽のものである。地の陽は昇り、天の陽は降りる。そこで、地上に火を置き、その熱を横からと上から測ると、遠近の違いによって半分ほどの差が生じる。真昼の太陽が上にあるのは、天の陽の中心にあるからであり、したがって出始めの時よりも熱い。また、真昼の太陽は大いなる陽の中心から来るため、涼しくなる。夕方に西の桑や楡の木の陰に隠れる時は、大きさは同じでも、その気配はまだ早朝の清らかさには及ばないのである。

論衡曰。夫日月不圓。視若圓者。去人遠也。夫日火精。在地水火不圓。在天火何故獨圓。日月在天猶五星。五星猶列星不圓。光曜若圓。何以明之。春秋之時星霣宋都。視之如石。石也不圓。是知日月五星亦不圓也。

> 『論衡』にこう言っている。「太陽や月は丸くない。丸く見えるのは、人間から遠く離れているからだ。太陽は火の精である。地上の火や水は丸くない。ならば、天上の火だけなぜ丸いのだろう。太陽や月が天上にあるのは、五つの惑星と同じである。五つの惑星は多くの星々と同じで、丸くはない。ただ、その光が輝いて丸く見えるだけだ。どうしてそれがわかるかというと、春秋の時代に、星が宋の都に落ちた。それを調べてみると、石のように見えた。しかし石は丸くない。これによって、太陽や月、五つの惑星もまた丸くないと知ることができる。」

論衡曰。儒言。日中有三足烏。日者火也。烏入中焦爛。安得如立。然烏日氣也。

> 論衡に曰く、儒者は言う。「太陽の中には三本足の烏がいる」と。しかし太陽は火である。烏がその中に入れば焼け焦げてしまう。どうしてそのまま立っていられるだろうか。しかし、この烏は太陽の気（エネルギー）そのものである。

詩推度災曰月三日成魄。八日成光。蟾蠩體就穴鼻始萌宋均注曰決鼻兔也春秋演孔圖曰。蟾蠩月精也。春秋元命包曰。陰精為月。日行十三度。常詘任而受受陽精也受明精在內。故金水內景。河圖始開曰。黃泉之埃上為青雲。赤泉之埃上為赤雲。白泉之埃上為白雲。玄泉之埃上為玄雲淮南又載河圖括地象曰。崑崙山出五色雲氣。

> 詩「推度災」に曰く「月は三日にして魄を成し、八日にして光を成す。蟾蠩（せんそ）は体を就（な）し、穴鼻は始めて萌ゆ。」<note>宋均注に曰く「決鼻（けつび）は兎（うさぎ）なり」</note> 「春秋演孔図」に曰く「蟾蠩は月の精なり。」 「春秋元命包」に曰く「陰の精は月となり、日行十三度。常に詘（くつ）して任を受け、<note>陽の精を受くるなり</note>明の精を内に受く。故に金水は内景（ないけい）なり。」 「河図始開」に曰く「黄泉の埃（ほこり）は上りて青雲となる。赤泉の埃は上りて赤雲となる。白泉の埃は上りて白雲となる。玄泉の埃は上りて玄雲となる。」<note>「淮南子」にも載す</note> 「河図括地象」に曰く「崑崙山は五色の雲気を出す。」

易說卦曰。巽為風。撓萬物者莫疾風。風以動之。河圖帝通紀曰。風者天地之使也。

> 易経・説卦伝にいう。巽（そん）は風を象徴する。万物を揺り動かすものに、風よりも速いものはない。風はそれによって万物を動かす。また、『河図帝通紀』にはこうある。「風とは、天地の使いである」。

爾雅曰。四氣和為通正。謂之景風李巡曰景風太平之風也。南風謂之颽風。東風謂之谷風。北風謂之涼風。西風謂之太風。焚輪謂之頹郭朴注曰風從上下。扶搖謂之焱從上下也。風與火為忳音屯忳盛貌也。因風為飄。日出而風為暴。風而雨土為霾音埋。陰而風為曀。易稽覽圖曰。降陽為風。降陽之動不鳴條。

> 『爾雅』に言う。四つの気が和らぎ、通じて正しくなることを「通正」と言い、これを「景風」という<note>李巡は「景風とは平和の世の風である」と注釈している</note>。南の風を「颽風」といい、東の風を「谷風」といい、北の風を「涼風」といい、西の風を「太風」という。回りながら吹き下ろす風を「頹」といい<note>郭朴は注釈で「風が上から下へ吹くこと」と述べている</note>。旋風が立ち上るのを「焱」という<note>上から下へ吹く風のことである</note>。風と火が一緒になるのを「忳」という<note>音は屯（トン）。忳は盛んな様子を表す</note>。風に乗って飛ぶことを「飄」という。日の出とともに吹く風を「暴」といい、風が吹いて土が舞い上がるのを「霾」という<note>音は埋（マイ）</note>。曇って風が吹くのを「曀」という。『易緯稽覧図』に言う。「陰気が降りて陽気となると風が生じる。陰陽の動きが穏やかであれば、風は木の枝を鳴らさない。」

易說卦曰。震為雷動萬物者莫大於雷。河圖帝通紀曰。雷天地之鼓也。

> 易経の「説卦伝」にこうある。「震は雷を表す。万物を動かすものは、雷より大きなものはない。」 また、「河図帝通紀」にはこう記されている。「雷は、天地の鼓（つづみ）である。」

左傳曰。藏氷以時則雷出震。棄氷不用則雷不發而震。

> 現代語訳： 『春秋左氏伝』にこうある。氷を適切な時期に貯蔵すれば、雷は春とともに轟き出る。しかし、氷を粗末に扱って用いなければ、雷は発生せず、大地を震わせることもない。

春秋元命包曰。陰陽合而為雷。

> 春秋元命包に曰く、陰と陽が調和して雷となる。

師曠占曰。春雷始起其音柏柏格格。其霹靂者。所謂雄雷旱氣也。其鳴依音。音不大霹靂者。所謂雌雷水氣也。師曠占曰。春分雨雷有音。如雷非雷。音在地中。其所住者。兵起其下。無雲而雷名曰天狗。行不出三年其國凶。

> 師曠の占いに曰く、春の雷が初めて起こる時、その音はハクハク、カクカクとしている。その霹靂（はくれき）のことを雄雷と言い、旱の気である。その鳴る音が穏やかで、霹靂の大きくないものを雌雷と言い、水の気である。 師曠の占いに曰く、春分の日に雨と雷が音を伴って起こるものがある。それは雷のようで雷ではなく、その音は地中にある。その音のある場所の下では兵乱が起こる。雲がなくして雷が鳴るものを天狗という。このようなことがあれば、三年経たないうちにその国に凶事が起こる。

河圖始開圖曰。激陽為雷。

> 河図始開図に曰く、激陽は雷となる。

易稽覽圖曰。陰陽和合其電耀耀也。其光長。春秋元命包曰。陰陽激為電。史記天官書。電者陰陽之動也。

> 易しい『稽覽図』（けいらんず）には「陰陽が和合すると、その稲光は耀き渡り、その光は長く続く」とあります。 『春秋元命包』（しゅんじゅうげんみょうほう）には「陰陽が激しくぶつかり合って雷光となる」と述べられています。 また『史記』天官書には「電（いなずま）とは陰陽の動きである」と記されています。

穀梁傳曰。隱公曰霆雷謂急雷今之霹靂也。

> 穀梁伝にこうある。隠公が言うには、「霆雷」（はげしい雷、すなわち現在でいうところの霹靂である）。

爾雅曰。疾雷為霆蜺郭朴注曰。雷之急激者謂之霹靂也說文曰。震霹靂振物也。

> 雷の激しいものを霆（てい）と呼びます。<note>郭朴（かくぼく）の注釈には、雷の急激なものを霹靂（へきれき）と言うとあります。</note> 『説文解字』によれば、震（しん）とは霹靂が物を震わせることを意味します。

釋名曰。霹靂折也。震戰也。所擊輒破。若攻戰也。異苑曰。沙門釋慧遠捿神廬岳。甞有游龍翔其前。遠公有怒以石擲中。仍騰躍上昇。有傾風飈燁。公知是龍之所興。登山燒香會僧齊聲唱偈。於是霹靂迴向投龍之石。雲雨乃除。異苑曰。乞伏虜凶虐暴惡。嘗中霹靂。其挺引身出外。題背四字表其凶匿。國少時為涉去所棄。

> 釋名に言う。「霹靂とは、打ち砕くという意味である。震とは、戦（おのの）くことである。打つところは必ず破壊する。あたかも攻め戦うかのようである。」 異苑に言う。「僧の釋慧遠は廬岳に神霊を宿していた。かつて一匹の竜が彼の前に現れたことがある。慧遠法師は怒って石を投げつけた。竜は躍り上がって天に昇った。しばらくすると風が激しく吹き荒れた。法師はこれが竜の仕業であると悟り、山に登って香を焚き、僧たちを集めて斎（とき）の声を揃えて偈（げ）を唱えた。すると雷鳴は方向を変え、竜は石を投げた者へと向かっていった。雲や雨はやがて消え去った。」 また異苑に言う。「乞伏虜（きつぶくりょ）は凶暴で残忍な人物であった。ある時、彼は落雷に打たれた。その稲妻が彼の体を外に引きずり出した。背中には四文字が現れ、その凶悪な行いを露わにしていた。国は間もなくして涉去（しょうきょ）に見捨てられた。」

頌曰。

> 偈に曰く。

日月長懸 天曜常暉 晝金夜玉孰與玄期 出則晃朗 沒已還晞虧盈隱顯 晦朔旋璣 星辰列位福壽靈威 聖人建立 隨業增微雲龍相會 升降分離 擊動雷電寒暑應時

> 日月が常に空に懸かり、 天の星々は絶えず輝き続ける。 昼は黄金、夜は宝玉のごとし。 誰がその神秘の巡りを知るだろう。 昇れば光り輝き、沈めばまた姿を隠す。 満ち欠け、現れ隠れ、 晦日と朔日、天の車輪は回る。 星々がその位に並ぶ。 福、長寿、霊妙な威光。 聖人がこれを基盤として、 業に従って善悪を積み重ねる。 雲と龍は相会し、 昇り降り、分かれたり結びついたりする。 雷と電光を轟かせ、 寒さ暑さが時に応じて巡る。

## 法苑珠林卷第四

> 法苑珠林 巻第四