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title: "法苑珠林 · 瞻波國修羅窟大頭仙人"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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西國志云。中印度在瞻波國。西南山石㵎中。有修羅窟。有人因游山修道遇逢此窟。人遂入中見有修羅宮殿處。妙精華乍類天宮。園池林菓不可述盡。阿修羅眾既見斯人希來到此。語云。汝能久住以不。答云。欲還本處。修羅既見不住。遂施一桃與食訖。修羅語言。汝宜急出。恐汝身大窟不得容。言訖走出。身遂增長形貌麁大。人頭纔出。身大孔塞。遂不出盡。自爾已來年向數百。唯有大頭如三碩甕。人見共語具說此緣。人愍語云。我等鑿石令汝身出。其事云何。答云。恩澤。人奏國王。具述此意。君臣共議。此非凡人力敵千人。若鑿令出。儻有不測之意。誰能抗之。因此依舊。時人號為大頭仙人。唐國使人王玄策。已三度至彼。以手摩頭共語。了了分明。近有山內野火燒頭焦黑。命猶不死。西國志六十卷。國家修撰。奉。

> 『西国誌』にこう説かれている。 中インド、瞻波国の西南の山あいの岩窟の中に、阿修羅の窟がある。ある人が山に遊び修行をしていて、たまたまこの洞窟に出くわした。人が中に入ると、そこには修羅の宮殿があり、その素晴らしさや華やかさは天の宮殿にも似ていた。庭園や池、林、果物は言葉で尽くせないほどだった。阿修羅たちは、この人がめったに来ない珍しい者だと見て、こう言った。「おまえは長くここに留まれるか」と。その人は答えた。「元の場所に帰りたい」と。修羅たちは彼が留まらないのを見て、一つの桃を与えて食べさせた。そして言った。「急いで出なさい。おまえの体が大きくなり、窟に入らなくなるといけないから」と言った。その通りに外へ出ようとすると、体が成長して形が大きくなり、頭だけがようやく出たところで、体が大きくなって穴に詰まり、ついには出られなくなった。 それ以来、数百年が過ぎた。頭だけが三石入りの甕のように大きくなったままだ。人々が彼を見て話をすると、彼はこの縁起を詳しく語った。人々は哀れに思い、「われわれが岩を掘って、あなたの体を出してあげよう。それはどうか」と言った。彼は答えた。「ありがたい」と。人々はこれを王に申し上げ、その事情を詳しく述べた。君臣ともに議論して、「これは並の人間ではない。その力は千人に匹敵する。もし掘り出して出してやったなら、万一、思いもよらぬ企てがあったら、誰がそれに抗えるだろうか」と言った。このため、そのままにしておいた。当時の人々は、この者を「大頭仙人」と呼んだ。 唐の国の使いである王玄策は、すでに三度も彼のもとに行き、手でその頭を撫でながら話をした。言葉ははっきりと聞き取れた。最近では、山の中で野火が燃え、彼の頭は焦げて黒くなったが、命はまだ絶えていない。『西国誌』六十巻は、国の命によって撰ばれたものである。謹んで申し上げる。

勅令諸學士畫圖。集在中臺。復有四十卷。從麟德三年起首至乾封元年夏未方訖。余見玄策。具述此事。