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title: "法苑珠林 · 5 業因部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 業因部第五

> 第五部 業と因

如智度論說。惡有三品。但造下品之惡。即生餓鬼趣中。依如十地論。亦同此說。於十惡業。隨造何業。一一先生三塗。後得人身。若依正法念經說。若起貪嫉邪佞諂曲欺誑於他。或復慳貪積財不施。皆生鬼道。從鬼命終。多生畜生道中。受遮吒迦鳥身。恒常飢渴受大苦惱。唯飲天雨仰口而承。不得更飲餘水。是故常困飢渴也。依業報差別經說。具造十業生餓鬼中。一身行輕惡。二口行惡。三意行輕惡。四慳澁多貪。五起非分惡。六諂曲嫉妬。七起於邪見。八愛著資生。即便命終。九困飢而亡。十枯渴而死。以是業生餓鬼中。

> 『智度論』に説くところによれば、悪には三つの品階がある。下品の悪のみを造れば、餓鬼の世界に生まれる。『十地論』に依っても、同じくこのように説く。十の悪業のうち、どの業を造ろうとも、まず三つの悪道に生まれ、その後、人間の身を得る。 もし『正法念経』の説に依れば、貪りの心、妬み、へつらい、曲がった心、欺き偽り、あるいはまた吝嗇で財を積みながら施さない者、これらは皆、鬼道に生まれる。鬼の命が終われば、多くは畜生道に生まれ、遮吒迦鳥（チャタカ鳥）の身を受ける。常に飢えと渇きに苦しめられ、大きな苦悩を受ける。ただ天の雨だけを仰いで口で受け、他の水を飲むことはできない。それゆえ常に飢えと渇きに悩まされるのである。 『業報差別経』の説に依れば、十の業をことごとく造って餓鬼に生まれる者がある。一に、行いによる軽い悪。二に、言葉による悪。三に、心による軽い悪。四に、吝嗇で多く貪る。五に、分に過ぎた悪を起こす。六に、へつらい妬む。七に、邪見を起こす。八に、生活の資財に執着し、そのまま命終する。九に、飢えに苦しんで死ぬ。十に、乾き渇いて死ぬ。これらの業によって、餓鬼の中に生まれるのである。

又分別功德論云。有諸沙門行諸禪觀。或在塚間。或在樹下。時在塚間觀於死屍。夜見飢鬼打一死屍。沙門問曰。何以打此死屍耶。答曰。此屍困我如是。是以打之。道人曰。何以不打汝心打此死屍。當復何益也。於須臾頃。復有一天。以天曼陀羅花散此臭屍。沙門問曰。何為散花此臭屍耶。答曰。由我此屍得生天上。此屍即是我之善友。故來散花報往昔恩。道人答曰。何不以花散汝心中。乃散臭屍。夫為善惡之本皆心所為。乃捨本求末耶。

> さらに『分別功徳論』には次のように説かれている。 ある時、多くの修行者たちが様々な瞑想修行を行っていた。ある者は墓場で、ある者は木の下で修行していた。ある時、墓場で死体を観察していると、夜になって飢えた鬼が現れ、一つの死体を打ち叩いた。修行者が尋ねた。「なぜこの死体を打つのですか」。鬼は答えた。「この死体が私をこれほど苦しめたのです。だから打っているのです」。修行者は言った。「なぜあなた自身の心を打たずに、この死体を打つのですか。それに何の意味があるのでしょう」。 しばらくして、今度は一人の天人が現れ、天の曼陀羅花をこの臭い死体にまいた。修行者が尋ねた。「なぜこの臭い死体に花をまくのですか」。天人は答えた。「私はこの死体のおかげで天界に生まれることができました。この死体こそ、私の良き友です。だから来て花をまき、昔の恩に報いるのです」。修行者は言った。「なぜあなたの心に花をまかずに、臭い死体にまくのですか。善悪の根本はすべて心がなすものです。あなたがたは根本を捨てて、末梢を追い求めているのではないですか」。