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title: "法苑珠林 · 宋李旦"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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宋李旦。字世則。廣陵人也。以孝謹質素。著稱鄉里。元嘉三年正月十四日暴死。心下不冷。七日而蘇。唅以飲粥。宿昔復常云。有一人。持信幡來至床頭稱。府君教喚。旦便隨去。直北向行。道甚平淨。既至城閣高麗似今宮闕。遣傳教慰勞問呼。旦可前至。大廳事上見有三十人。單衣青幘列坐森然。一人東坐披袍隱机。左右侍衛可有百餘。視旦而語坐人云。當示以諸獄令世知也。旦聞言已。舉頭四視。都失向處。乃是地獄中。見群罪人受諸苦報。呻吟號呼不可忍視。尋有傳教稱。府君信君可還去。當更相迎。因此而還。至六年正月復死。七日又活。述所見事較略如先。或有罪囚寄語報家道。生時犯罪使為作福。稍說姓字親識鄉伍。旦依言尋求皆得之。又云。甲申年當行疾癘殺諸惡人。佛家弟子作八關齋。戒修心善行可得免也。旦本作道家祭酒。即欲棄錄本法。道民諫制。故遂兩事。而常勸化作八關齋。

> 宋の李旦（りたん）。字は世則（せそく）。広陵（こうりょう）の人。孝行で謹み深く、質素な人柄で、故郷の村で評判であった。元嘉三年正月十四日、突然に亡くなったが、胸のあたりだけは冷えていなかった。七日経って蘇ると、粥を飲ませ、一夜明ければ元のように元気になった。彼の話では、一人の使いが旗を持って枕元に来て、「府君がお呼びです」と言った。李旦はそのまま連れられて北へ向かって行くと、道はとても平らで清らかだった。やがて着いた城や楼閣は、見事で現代の宮殿のようであった。伝教使いが慰め、労い、招き入れると、大きな広間の上には三十人の人が、色織りの単衣（ひとえ）と青い頭巾をまとい、きちんと座っていた。一人は東側に座り、袍（ほう）をまとい机に寄りかかり、その周りには百余りの侍衛がいた。その人が李旦を見て、同席の人々に言った。「諸々の地獄を見せて、世の人々に知らせよ」と。李旦がこれを聞いて顔を上げ、四方を見渡すと、それまでの場所はどこにもなく、すでに地獄の中にいた。そこには多くの罪人が様々な苦しい報いを受け、うめき声をあげて叫び、見ていられないほどだった。しばらくして伝教使いが来て言った。「府君より信がある。君は帰ってよい。後日また迎えに来よう」。こうして帰ってきたが、六年の正月にまた亡くなり、七日して再び蘇り、見聞きしたことをかつてと同じように詳しく語った。あるいは罪人の囚人が、家族に伝言を頼み、「生きている時に罪を作ったので、今から福のために善行を積んでほしい」と言った。そして次第に姓名や知人、村のことを語った。李旦はその通りに尋ねてゆき、みな見つけ出すことができた。また「甲申年の年には疫病が流行り、多くの悪人を殺すであろう。仏教の弟子は八斎戒（はちさいかい）を守り、心を修め善行を積めば、免れることができる」と言った。旦はもともと道家の祭酒（さいしゅ）であったが、すぐにその教えを捨てようとしたが、道民たちが止めたため、二つの道を同時に行うことになった。しかし常に勧めて、人々に八斎戒を行わせるようにした。

宋尚書僕射滎陽鄭鮮之。元嘉四年從大駕巡京。至都夕暴亡。乃靈語著人曰。吾壽命久盡早應過世。賴比歲來敬信佛法放生布施。以此功德延駐數年耳。夫幽顯報應有若影響宜放落俗務崇心大教。于時勝貴多皆聞云右三驗出冥報記也。

> 宋の尚書僕射、滎陽の鄭鮮之は、元嘉四年に御車の列に従って都を巡りました。都に着いた夕方、突然亡くなりました。すると霊が人に取り憑いて語りました。「私の寿命はとっくに尽きており、本来ならもっと早くこの世を去るはずでした。しかし、ここ数年、心から仏法を敬い、生き物を放ち施しをしてきました。その功徳のおかげで、数年命が延びたのです。目に見える世界と見えない世界の報いは、影や響きのように確かにあります。どうか世俗の務めを離れ、心を大いなる教えに向けてください」と。当時、身分の高い人々の多くがこれを聞いたということです。 <note>以上の三つの話は、冥報記に出ています。</note>