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title: "法苑珠林 · 2 會名部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 會名部第二

> 第二部　会の名称

問曰。云何名地獄耶。答曰。依立世阿毘曇論云。梵名泥犁耶。以無戲樂故。又無喜樂故。又無行出故。又無福德故。又因不除離惡業故。故於中生。復說。此道於欲界中最為下劣。名曰非道。因是事故。故說。地獄名泥犁耶。如婆沙論中。名不自在。謂彼罪人為獄卒阿傍之所拘制不得自在。故名地獄。亦名不可愛樂。故名地獄。又地者底也。謂下底。萬物之中地最在下。故名為底也。獄者局也。謂拘局不得自在。故名地獄。又名泥黎者梵音。此名無有。謂彼獄中無有義利。故名無有也。問曰。地獄多種。或在地下。或處地上。或居虛空。何故並名地獄。答曰。舊翻地獄名狹處。局不攝地空。今依新翻經論。梵本正音名那落迦。或云捺落迦。此總攝人處苦盡。故名捺落迦。故新婆沙論云。問何故彼趣名捺落迦。答彼諸有情無悅無愛無味無利無喜樂。故名那落迦。或有說者。由彼先時造作增長增上暴惡身語意惡行往彼令彼相續。故名捺落迦。有說。彼趣以顛墜。故名捺落迦。如有頌言。

> 問うて曰く、何をもって地獄と名づくるや。答えて曰く、『立世阿毘曇論』に依れば、梵名は泥犁耶（奈落）という。遊び楽しむことがないからである。また喜び楽しむことがないからである。また出ることがないからである。また福徳がないからである。また悪業を離れ除くことがないからである。ゆえにその中に生まれる。また説く、この道は欲界の中で最も下劣であり、名づけて非道という。この因縁によって、地獄を泥犁耶と説く。『婆沙論』の中では、不自在と名づける。すなわち、その罪人は獄卒の阿傍に拘束され、自在を得られない。ゆえに地獄と名づける。また、愛楽すべからずと名づける。ゆえに地獄と名づける。また、地とは底である。すなわち下の底をいう。万物の中で地は最も下にある。ゆえに底と名づける。獄とは局（かぎ）りである。すなわち拘束されて自在を得られないことをいう。ゆえに地獄と名づける。また、泥黎というのは梵音であり、これを無有と訳す。すなわち、その獄中に義利（利益）が無いことをいう。ゆえに無有と名づける。 問うて曰く、地獄には多くの種類がある。あるいは地下にあり、あるいは地上にあり、あるいは虚空に住する。何ゆえにすべて地獄と名づけるのか。答えて曰く、古訳では地獄を狭処と翻訳し、限定的で地と空とを収めていなかった。今、新しく翻訳された経論に依れば、梵本の正音は那落迦（奈落迦）という。あるいは捺落迦ともいう。これは人の処にある苦をすべて総摂する。ゆえに捺落迦という。ゆえに『新婆沙論』に言う。問う、何ゆえにその趣を捺落迦と名づけるのか。答う、その有情には悦びも愛も味も利も喜び楽しむことも無い。ゆえに那落迦という。あるいは説く者があって、彼らが先に、増上暴悪の身・語・意の悪行を造作・増長し、そこに往き、その相続を起こさせる。ゆえに捺落迦という。あるいは説く、その趣は顛墜（転落）するがゆえに、捺落迦という。例えば偈頌に言う、

顛墜於地獄 足上頭歸下由毀謗諸仙 樂寂修苦行

> 地獄に堕ちる 足は上に、頭は下に向く 諸々の仙人を誹謗し 静けさを楽しみ苦行を修める人々を罵ったからである

有說。捺落名人。迦名為惡。惡人生彼處。故名捺落迦。問何故最下大者名無間耶。答彼處恒受苦受。無喜樂間。故名無間。問餘地獄中。豈有歌舞飲食受喜樂異熟。故不名無間耶。答餘地獄中。雖無異熟喜樂。而有等流喜樂。如於施設論說。等活地獄中。有時涼風所吹血肉還生。有時出聲唱言等活。彼諸有情欻然還活。唯於如是血肉生時及還活時。暫生喜樂間苦受。故不名無間也。

> ある経典に説く。「捺落（ナーラカ）」という言葉のうち、「捺」は人間を、「落迦」は悪を意味する。悪人が生まれる場所であるから「捺落迦」と名づける。 問う。なぜ最も下層にある大きな地獄を「無間（むげん）」というのか。 答える。その場所では常に苦しみを受け続け、喜びや楽しみの間（あいだ）が一切ないからである。「無間」という。 問う。他の地獄には、歌や舞、飲食による喜びや楽しみの異熟果（報い）があるというのか。それゆえに「無間」と呼ばれないのか。 答える。他の地獄には、異熟果としての喜びや楽しみはないが、等流果（はたらきの結果）としての喜びや楽しみがある。例えば『施設論』にこう説かれている。「等活地獄では、時に涼しい風が吹いて血肉が再び生え、時に『等活』と声が響く。そこにいる有情たちはたちまち生き返る。その血肉が生じるときや生き返るときに、一時的に喜びや楽しみが苦しみの間に生じる。それゆえに他の地獄は『無間』とは呼ばれないのである。」