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title: "法苑珠林 · 4 時量部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 時量部第四

> 第四時量部

如起世經云。佛言。如憍薩羅國斛量胡麻。滿二十斛。高盛不概。有一丈夫。滿百年已取一胡麻。如是次第滿百年已。復取一粒擲著餘處。擲滿二十斛胡麻盡已。爾所時節我說其壽猶未畢盡。且以此數略而計之。如是二十頞浮陀壽為一泥羅浮陀壽。二十泥羅浮陀壽為一阿呼壽。二十阿呼壽為一呼呼婆壽。二十呼呼婆壽為一阿吒吒壽。二十阿吒吒壽為一搔揵提迦壽。二十搔揵提迦壽為一憂鉢羅壽。二十憂鉢羅壽為一拘牟陀壽。二十拘牟陀壽為一奔荼黎迦壽。二十奔荼黎迦壽為一波頭摩壽。二十波頭摩壽為一中劫。

> 『起世経』にはこうある。仏がおっしゃった。「例えば、コーサラ国でごまを量るのに、二十斛（約四百リットル）の容器に山盛りいっぱいに入れて、ならさないようにする。そこから一人の男が、百年ごとに一粒のごまを取り出し、それを別の場所に投げ捨てる。そうして、二十斛のごまがすべてなくなるまで続ける。その間に経過した時間は、実はまだ地獄の寿命の一分にも満たない。これを基にして大まかに計算しよう。このように、二十のアンブダ（頞浮陀）の寿命が一のニラブダ（泥羅浮陀）の寿命となる。二十のニラブダの寿命が一のアーフ（阿呼）の寿命となる。二十のアーフの寿命が一のハハバ（呼呼婆）の寿命となる。二十のハハバの寿命が一のアタタ（阿吒吒）の寿命となる。二十のアタタの寿命が一のスクマーティカ（搔揵提迦）の寿命となる。二十のスクマーティカの寿命が一のウトパラ（憂鉢羅）の寿命となる。二十のウトパラの寿命が一のクムダ（拘牟陀）の寿命となる。二十のクムダの寿命が一のプンダリーカ（奔荼黎迦）の寿命となる。二十のプンダリーカの寿命が一のパドマ（波頭摩）の寿命となる。二十のパドマの寿命が一中劫となる」。

又那先比丘問佛經云。如世間火不如泥犁中火熱。如持小石著世間火中至暮不消取大石著泥犁火中即消。亦如有人作惡死在泥犁中數千萬歲其人不死。亦如大蟒蛟龍等以沙石為食即消。如人懷胎腹中有子不消。此並由善惡業力致使消與不消。如人所作善惡隨人如形影隨身。人死但亡其身不亡其行。譬如然火夜書火滅字存火至後成。今世所作行後世成之。

> 那先比丘が仏経で問うには、「例えば、世の中の火は泥犁（地獄）の火ほど熱くはない。小さな石を世の中の火の中に入れれば夕方まで溶けないが、大きな石を泥犁の火の中に入れれば即座に溶ける。また、悪をなした人が泥犁に落ちて数千万年経っても死なないのと同じだ。また、大きな蟒蛇や竜などは砂や石を食べて即座に消化する。しかし、人間が妊娠しても胎内の子は消化されない。これらはすべて善悪の業の力によって、消化されるか否かが決まるのだ。人がなす善悪はその人に従うこと、形や影が身体に従うのと同じだ。人は死ねばその身体は滅びるが、その行いは滅びない。例えば、火をつけて夜に文字を書けば、火が消えても文字は残り、再び火が来れば後の文字が現れる。今世でなした行いは、後世に結実するのである。」

又如鉢頭摩地獄中火焰熾盛。罪人去此火一百由旬。火已燒炙。若去六十由旬。罪人兩耳已聾無所聞知。若去火五十由旬。其罪人兩目已盲無所復見。如瞿波利比丘已懷惡心謗舍利弗目揵連。身壞命終墮此鉢頭摩地獄中。

> また、鉢頭摩地獄では、猛火が熾しく燃え盛っています。罪人がこの火から百由旬離れていても、すでに火に焼かれてしまいます。六十由旬に近づくと、罪人の両耳は聞こえなくなり、何も聞き取れなくなります。五十由旬にまで近づくと、罪人の両目は見えなくなり、もう何も見えなくなります。 たとえば、瞿波利比丘が、すでに悪心を抱いて舎利弗と目犍連を誹謗し、その身が壊れ命が終わった後、この鉢頭摩地獄に堕ちたように。

又如起世經云。波頭摩地獄所住之處。若諸眾生離其處所一百由旬。便為彼獄火焰所及。若離五十由旬。所住眾生為彼火薰皆盲無眼。若離二十五由旬。所住眾生身之肉血燋然破散。謂於梵行出家人邊生污濁心故。損惱心故。毒惡心故。不利益心故。無慈心故。無淨心故。自受斯殃。是故於一切梵行人所。起慈身口意業常受安樂。爾時世尊說此伽陀曰。

> さらに『起世経』にはこう説かれている。波頭摩地獄に住む場所から、もし衆生が百由旬離れても、すでにその地獄の炎に及ぼされる。五十由旬離れれば、そこに住む衆生はその火の熱気にやられて皆、目が見えなくなる。二十五由旬離れれば、そこに住む衆生の身の肉や血は焼け焦げ、破れ散ってしまう。 これは、清らかな修行者（梵行）に対して汚れた心を起こし、損なわせようとする心、毒のある心、利益にならない心、慈しみのない心、清らかでない心を持ったことによる報いである。それゆえ、あらゆる清らかな修行者に対して、慈しみのある身・口・意の行いを起こし、常に安楽を受けるべきである。 そのとき、世尊は次の偈（ガーター）を説かれた。

世間諸人在世時 舌上自然生斤斧所謂口說諸毒惡 還自衰損害其身應讚歎者不稱譽 不應讚者反談美如是名為口中諍 以此諍故無樂受若人博戲得資財 是為世間微諍事於淨行人起濁心 是名曰中大鬪諍如是三十六百千 泥羅浮陀地獄數五頞浮陀諸地獄 反墮波頭摩獄中以毀聖人致如是 由口意業作惡故

> 世の中の人々が生きている間、 舌の上に自然と刃が生まれる。 それは口で様々な毒や悪を語り、 結局は自分自身を傷つけ、衰えさせるからだ。 称えるべき人を誉めず、 称えるべきでない人をかえってほめたたえる。 これを「口の中の争い」という。 この争いによって、楽しい感覚は得られない。 もし人が博打で財産を得ても、 それは世の中の小さな争い事にすぎない。 しかし、清らかな行いをする人に対して汚れた心を起こすこと、 これを「大いなる争い」という。 こうして三十六万の数、 泥羅浮陀（にらふだ）の地獄の数々、 また五つの頞浮陀（あぶだ）の地獄、 さらに波頭摩（はどま）の地獄に落ちる。 聖者を謗ることによってこのような結果になる。 それは口と心の行いで悪をなしたからである。