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title: "法苑珠林 · 晉居士趙泰驗"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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晉趙泰。字文和。清河貝丘人也。祖父京兆太守。泰郡察孝廉。公府辟不就。精思典籍有譽鄉里。甞晚乃膺仕終於中散大夫。泰年三十五時。甞卒心痛須臾而死。下屍于地。心煖不已屈申隨人。留屍十日卒咽喉中有聲如雨。俄而蘇活。說初死之時。夢有一人來近心下。復有二人乘黃馬。從者二人扶策泰掖。徑將東行不知可幾里。至一大城。崔崒高峻。城邑青黑狀錫。將泰向城門入經兩重門。有瓦屋可數千間。男女大小亦數千人行列而立。吏著皂衣有五六人。條疏姓字云。當以科呈府君。泰名在二十。須臾將泰與數千人男女。一時俱進。府君西向坐簡視名簿訖。復遣泰南入黑門。有人著絳衣坐大屋下。以次呼名問生時所事。作何罪行何福善。諦汝等辭以實言也。此常遣六部使者。常在人間疏記善惡。具有條狀不可得虛。泰答父兄仕宦。皆二千石。我少在家修學而已。無所事也。亦不犯惡。乃遣泰為水官監。作使將二千餘人。運沙裨岸晝夜勤苦。後轉泰水官都督。知諸獄事給泰馬兵。令案行地獄。所至諸獄楚毒各殊。或針貫其舌。流血竟體。或被頭露髮裸形徒跣。相牽而行。有持大杖從後催促鐵床銅柱燒之洞然。驅迫此人抱臥其上。起即燋爛尋復還生。或炎鑪巨鑊焚煮罪人。身首碎墜隨沸翻轉。有鬼持叉倚于其側。有三四百人立于一面。次當入鑊相抱悲泣。或劍樹高廣不知限極。根莖枝葉皆劍為之。人眾相訾自登自攀。若有欣競而身首割截尺寸離斷。泰見祖父母及二弟在此獄中。相見涕泣。泰出獄門見有二人齎文書來。語獄吏言。有三人。其家為其於塔寺中懸幡燒香救解其罪可出福舍。俄見三人自獄而出。已有自然衣服完整在身。南詣一門云名開光大舍。有三重門朱彩照發。見此三人即入舍中。泰亦隨入。前有大殿。珍寶周飾。精光耀目。金玉為床。見一神人。姿容偉異殊好非常。坐此座上。邊有沙門立侍甚眾。見府君來恭敬作禮。泰問此是何人府君致敬。吏曰。號名。

> 晉の趙泰。字は文和。清河郡貝丘県の人である。祖父は京兆の太守であった。泰は郡から孝廉に推挙されたが、公府からの招聘は辞退した。書物に深く思いをめぐらせ、郷里で名声があった。後にようやく官職に就き、最終的に中散大夫となった。 泰が三十五歳の時、突然心臓が激しく痛み、しばらくして息絶えた。遺体は地面に置かれたが、心臓は温かく、体は自由に動かせた。遺体を十日間安置したが、やがて喉の奥から雨のような音がした。まもなくして蘇生した。 当初の死の様子を語るに、一人の人が心臓のあたりに近づいてくる夢を見た。さらに二人の人々が黄馬に乗り、従者二人が泰の脇を支えながら、まっすぐ東へと向かった。どのくらいの距離を進んだかはわからない。 やがて一つの大きな都に着いた。そびえ立つ高楼は高く険しく、城壁は青黒く錫のようであった。泰は都の門へと導かれ、二重の門をくぐった。数千軒ほどの瓦屋があり、数千人の男女が列をなして立っていた。役人が五、六人いて、姓名を書き留めていた。その書類を府君に提出するつもりらしく、泰の名前は二十番目にあった。 しばらくして、泰は数千人の男女と共に一斉に進んだ。府君は西向きに座り、名簿を見終えると、再び泰を南の黒門へと向かわせた。緋色の衣を着た人が大きな建物の下に座っており、名前を順に呼び、生前の行い、何の罪を犯したか、何の善行を積んだかを尋ねた。「お前たちの言葉をよく聞き、真実を述べよ。常に六部の使者を人間界に遣わし、善悪を記録させている。はっきりとした記録があり、偽りは許されない」と言う。 泰は答えた。「父や兄たちは仕官し、皆二千石でした。私は若い頃から家で学問をしていただけで、特別なことはしておりません。また罪を犯したこともありません。」そこで泰は水官の監とされ、二千人余りを率いて、川の土手に砂を運んで補強するという昼夜の重労働を課せられた。 その後、泰は水官の都督に転じ、すべての獄の事情を知らされ、馬と兵を与えられて、地獄を巡察するように命じられた。訪れる地獄ごとに、責め苦の様子は様々であった。ある者は針で舌を貫かれ、血が全身に流れている。またある者は髪を振り乱し、裸で足を引きずりながら、互いに連れ立って歩いている。後ろからは大きな杖を持った者が追い立てている。鉄の床や銅柱が焼けて真っ赤になり、それに罪人を抱きつかせたり寝かせたりする。起き上がると焼けただれ、すぐにまた元の状態に戻る。また、熱い炉や巨大な釜で罪人を煮る。頭や体が砕けて飛び散り、煮えたぎる湯の中でくるくると回る。鬼が大きな熊手を持って傍らに立っている。三四百人が一列に並んで、次に自分が釜に入れられる番になると、互いに抱き合って悲しみ泣く。 また、剣の木が高く広くそびえ、その根、幹、枝、葉のすべてが剣でできている。人々はお互いに嘲り合いながら、自ら登り、自らよじ登る。まるで競い合うかのようであるが、体や頭は切り刻まれ、寸断される。 泰はここで祖父母と二人の弟がこの地獄にいるのを見た。彼らは涙を流して語り合った。泰が地獄の門を出ると、二人の者が書類を携えて来て、獄吏に言った。「三名の者がいる。その家族が寺院に幡を掲げ、香を焚いてその罪を許し請うたので、彼らを福の館へ出してやれ。」するとすぐに三人が地獄から出てきた。自然に衣服が整い、身に着けられていた。彼らは南の門に向かい、そこにある館は「開光大舎」と呼ばれていた。三重の門があり、朱色に輝いていた。三人が館の中に入ると、泰も後に続いた。 前方には大きな殿堂があり、宝物が周囲を飾り、精妙な光が目を奪う。金や玉で作られた寝台があり、一人の神人がそこに座っていた。姿かたちは非常に優れて特別に美しく、その座に座っていた。側には沙門が大勢立って仕えていた。すると府君が来て、恭しく礼をした。泰は「この方はどなたですか。あなたが礼をされるのは。」と役人に尋ねた。役人は答えた。「称号は…（以下略）」

世尊度人之師。有頃令惡道中人皆出聽經。時云有百萬九千人。皆出地獄入百里城。在此到者奉法眾坐也。行雖虧殆尚當得度。故開經法。七日之中隨本所作善惡多少差次免脫。泰未出之頃。已見千人昇虛而去。出此舍復見一城。方二百餘里。名為受變形城。地獄考治已畢者。當於此城更受變報。泰入其城見有土瓦屋數千區。各有房巷。正中有瓦屋高床。欄檻彩飾。有數百局。吏對校文書云。殺生者。當作蜉蝣朝生暮死。劫盜者。當作猪羊受人屠割。婬妷者作鶴鶩麞麋。兩舌者。作鵄梟鵂鶹。捍債者。為駝騾牛馬。泰案行畢還水官處主者語泰。卿是長者子。以何罪過而來在此。泰答。祖父兄弟皆二千石。我舉考公府辭不行。修志念善不染眾惡。主者曰。卿無罪過。故相使為水官都督。不爾與地獄中人無以異也。泰問主者曰。人有何行死得樂報。主者唯言。奉法弟子精進持戒。得樂報無有謫罰也。泰復問曰。人未事法時所行罪過。事法之後得除以不。答曰。皆除也。語畢。主者開滕篋檢泰年紀。尚有餘算三十年在。乃遣泰還。臨別主者曰。已見地獄罪報如是。當告世人皆令作善。善惡隨人其猶影響。可不慎乎。時親表內外候視泰五六十人。同聞泰說。泰自書記以示時人。時晉太始五年七月十三日也。乃為祖父母二弟。延請僧眾大設福會。皆命子孫改意奉法課勸精進。時人聞泰死而復生多見罪福。互來訪問。時有太中大夫武城孫豐關內侯常共郝伯平等十人。同集泰舍。欵曲尋問莫不懼然。皆即奉法。

> 世尊は人々を導く師である。 やがて、悪道にいる者たちも皆、経を聞くために出てくるようにと命じられた。 その時、百九万人が地獄から出て、百里の城の中に入った。 ここに来て集まっている人々は、みな教えを敬い、その場に座っている。 行いに欠けるところがあっても、なお救われることができる。 それゆえ経典の教えが開かれたのである。 七日間、それぞれが元々行った善悪の程度に応じて、差をつけて救われる。 泰がまだ現れ出でない間に、すでに千人が虚空に昇っていくのを見た。 この館を出て、また一つの城を見た。周囲は二百里余りで、名を「受変形城」という。 地獄での責め苦を終えた者たちは、この城で新たな姿への変異の報いを受けるのである。 泰がその城に入ると、土や瓦でできた家が数千区あり、それぞれに部屋や路地があった。 中央には瓦葺きの高台の家があり、手すりや囲いには飾りが施され、そこには数百の机があった。 役人たちが机に向かい書類を照合していて、こう言った。 「生き物を殺す者は、朝に生まれ夕べに死ぬ蜉蝣となる。盗みを働く者は、屠殺される豚や羊となる。淫らな行いをする者は、鶴や鴨、鹿となる。二枚舌を弄する者は、梟や木菟となる。借金を踏み倒す者は、駱駝や騾馬や牛馬となる」 泰がすべてを見終えて水官の役所に戻ると、主者が泰に言った。 「そなたは長者の子である。どのような罪過があって、ここに来たのか」 泰は答えた。「祖父も兄弟も皆、二千石の官でした。私は孝廉に推挙されて公府に招かれましたが、辞退して参りませんでした。心を修め善を志し、さまざまな悪に染まりませんでした」 主者は言った。「そなたには罪はない。だからこそ、水官の都督として働かせているのだ。もしそうでなければ、地獄の者たちと同じ境遇になっていたであろう」 泰は主者に尋ねた。「人はどのような行いをすれば、死後に楽しい報いを得られますか」 主者はただ一言、「仏法の教えを守る弟子が、心を込めて戒律を守れば、楽しい報いを得て、罰を受けることはない」と答えた。 泰がさらに尋ねた。「人がまだ仏法に帰依していなかった時に犯した罪過は、帰依した後に免れますか」 答えは「すべて免れる」であった。 話が終わると、主者は書類の箱を開け、泰の年齢を調べた。まだ三十年の余命があったので、泰を現世へ送り返した。 別れに際し、主者は言った。「地獄の罪の報いは、このとおりである。世の人々に告げ、皆が善を行うようにさせなさい。善悪は人に従い、影や響きのようにその結果が伴う。慎まなくてよいだろうか」 その時、親族や知人たち五十～六十人が、泰の話を同じように聞いていた。 泰は自らこれを書き記し、時の人々に示した。時の晋の太始五年七月十三日のことであった。 そこで泰は、祖父母と二人の弟のために、僧侶たちを招いて大規模な福のための法会を設けた。 そして、子や孫たちに心を改めて仏法を奉じ、励み努め精進するように命じた。 時の人々は、泰が死んで生き返り、多くの罪や福の報いを見てきたと聞き、互いに訪ねて問い尋ねた。 当時、太中大夫の武城の孫豊、関内侯の常と共にいた郝伯平ら十人が、一緒に泰の家に集まった。 詳しく尋ねるうちに、皆が恐れ慎み、すぐに仏法を信奉するようになった。