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title: "法苑珠林 · 晉沙門支法衡驗"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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晉沙門支法衡。晉初人也。得病旬日亡。經三日而蘇活說。死時有人將去。見如官曹舍者數處。不肯受之。俄見有鐵輪。輪上有鐵爪從西轉來。無持引者而轉駛如風。有一吏呼罪人當輪立。輪轉來轢之。翻還如此。數人碎爛。吏呼衡。道人來當輪立。衡恐怖自責悔不精進。今當此輪乎。語畢謂衡曰。道人可去。於是仰首見天有孔。不覺𭝶爾上昇。以頭穿中。兩手博兩邊。四向顧視見七寶宮殿及諸天人。衡甚踊躍不能得上。疲而復還下。所將衡去人笑曰。見何等物不能上乎。乃以衡付船官。船官行船使為柂工。衡曰。我不能持柂強之。有船數百皆隨衡後。衡不曉捉柂蹌沙洲上。吏司推衡。汝道而失。以法應斬。引衡上岸雷鼓將斬。忽有五色二龍推船還浮。吏乃原衡罪。載衡北行三十許里。見好村岸有數萬家。云是流人。衡竊上岸。村中饒狗互欲嚙之。衡大恐懼。望見西北有講堂。上有沙門甚眾。聞經唄之聲。衡遽走趣之。堂有十二階。衡始躡一階。見亡師法柱踞胡床坐。見衡曰。我弟子也。何以而來。回起臨階以手巾打衡面曰。莫來。衡甚欲上。復舉步登階。柱復推令下。至三乃止。見平地有一井口。深三四丈。塼無隙際。衡心念言。此井自然。井邊有人謂曰。不自然者何得成井。唯見法柱故倚望之。謂衡可復道還去。狗不嚙汝。衡還水邊亦不見向來船也。衡渴欲飲水。乃墮水中。因便得蘇。於是出家持戒菜食。晝夜精思為至行沙門。比丘法橋衡弟子也。

> 晋の沙門・支法衡は、晋の初めの人である。病気になり十日ほどして亡くなったが、三日経って蘇生し、次のように語った。 死んだ時、誰かに連れて行かれた。役所のような建物がいくつかあったが、どこも受け入れてもらえなかった。しばらくすると、鉄の輪が見えた。その輪には鉄の爪がついており、西の方から回ってきた。誰も引っ張る者はいないのに、風のように速く回っている。役人が罪人を呼び、輪の前に立たせた。輪が回ってきて彼らを轢き、また戻っては轢く。数人が砕け散った。役人が衡を呼び、「道士よ、輪の前に立て」と言った。衡は恐れおののき、自らを責めて「精進しなかったことを後悔する。今、この輪の前に立たねばならないのか」と言った。すると、役人は衡に「道士よ、去っても良い」と言った。 そこで顔を上げると、天に穴が見えた。気づかぬうちに体が浮き上がり、頭をその穴に突き入れ、両手で両側を掴んだ。四方を見渡すと、七宝の宮殿や多くの天人たちが見えた。衡は大いに喜んだが、どうしても上がれず、疲れて再び下りてしまった。衡を連れて来た者は笑いながら、「どんなものを見たのか、上がれなかったのか」と言い、衡を船の役人に預けた。船の役人は船を運行させ、衡に舵を取らせようとした。衡は「私は舵を取れません」と言ったが、無理やりやらされた。何百艘もの船が衡の後ろに従った。衡が舵をうまく操れずに砂州に乗り上げると、役人が衡を責めて「お前は道を誤った。法により斬罪に処すべきだ」と言い、衡を岸に引き上げて太鼓を打ち鳴らし、斬ろうとした。 その時、突然、五色の二匹の龍が現れ、船を押して再び浮かばせた。役人は衡の罪を許し、衡を載せて北へ三十里ほど行った。美しい村の岸辺があり、数万の家々があった。「ここは流人の村だ」と言う。衡はこっそり岸に上がった。村には犬が多く、次々に噛もうとしてきた。衡は大いに恐れた。西北の方に講堂が見え、そこには多くの沙門がいて、読経の声が聞こえてきた。衡は急いでそこへ走った。講堂には十二の階段があった。衡が最初の一段に足を掛けると、亡き師の法柱が胡床に座っているのが見えた。法柱は衡を見て、「我が弟子よ、なぜ来たのか」と言い、立ち上がって階段の縁に来て、手巾で衡の顔を打ち、「来るな」と言った。衡はどうしても上がりたかったので、再び階段を登ろうとした。法柱は再び彼を押し下ろした。三度目にして止まった。平らな地面に井戸の口が見え、深さは三、四丈ほどで、煉瓦は隙間なく積まれていた。衡は心の中で「この井戸は自然にできたのだろうか」と思った。井戸のそばの人が言った。「自然でなければ、どうして井戸ができようか」。ただ法柱だけがそこに立って見ているようだった。法柱は衡に「元の道を戻りなさい。犬はお前を噛まないだろう」と言った。衡が水辺に戻ると、先ほどの船はもう見えなかった。 衡は喉が渇いて水を飲もうとし、水中に落ちた。そこで蘇生したのである。その後、衡は出家して戒律を守り、菜食をし、昼夜精進して修行に励む沙門となった。比丘の法橋は、衡の弟子である。