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title: "法苑珠林 · 唐柳智感判地獄驗"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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唐河東柳智感。以貞觀初為長舉縣令。一夜暴死。明旦而蘇。說云。始忽為冥官所追至大官府。使者以智感見已謂感曰。今有一官闕。故枉君任之。智感辭以親老。且自陳福業未應便死。王使勘之籍信然。因謂曰。君未當死可權判錄事。智感許諾。謝吏引退至曹。曹有五判官連坐。感為第六。其廳事是長官人坐。三間各有床。案務甚繁擁。西頭一坐處無判官。吏引智感就空坐。群吏將文書簿帳來。取智感署置於案上。而退立階下。智感問之。對曰。氣惡逼公。但遙以案中事答。智感省讀其如人間者。於是為判句文。有頃食來。諸判官同食。智感亦欲就之。諸判官曰。君既權判不宜食此。感從之竟不敢食。日別吏送智感歸家蘇。而方曉。自歸家中。日暝。吏復來迎。至彼而旦。故知幽顯晝夜相反矣。於是夜判冥事晝臨縣職。遂以常。歲餘智感在冥曹。因起至廁。於堂西見一婦女。年三十許。姿容端正衣服鮮明。立而掩涕。智感問是何人。答曰。妾是興州司倉參軍之婦也。攝來此方別夫子。是以悲傷。智感以問吏。吏曰。官攝來有所案問。且以證其夫事爾。智感因謂婦人曰。感長舉縣令也。夫人若被勘問。幸自分疏。無為牽引司倉俱死無益。婦人曰。誠不願引之。恐官相逼耳。感曰。夫人幸勿相牽。可無逼迫之慮。婦人許之。既而智感還州先問。司倉婦有疾否。司倉曰。吾婦年少無疾患。智感以所見告之。說其衣服形貌。且勸令作福。司倉走歸家。見其婦在機中織無患也。不甚信之。後十餘日司倉婦暴疾死。司倉始懼而作福禳之。又興州官二人考滿當赴京選。謂智感曰。君判冥道事。請問吾選得何官。智感至冥曹。以某姓名問小錄事。錄事曰。名簿並封在石函中。檢之二日方可得報。及期來報。仍具二人今年所得官名號。智感以報二人。二人至京選吏部。擬其官皆與報不同。州官聞之以語智感。後問小錄事。覆檢簿云。定如所檢不錯也。既而選人過門下。門下審退之吏部。重名果是冥簿。檢報者於是眾咸信服。智感每於冥簿。見其親識名狀及死時日月。報之使修福多得免。智感權判三年。其部吏來告曰。已得隆州李司戶。授正官以代公。不復判矣。智感至州因告李刺史。李德鳳遣人往隆州審焉。其司戶已亡。問其死日即吏來告之時也。從此遂絕。州司遣智感領囚送京。至鳳州界囚四人皆逃。智感憂懼捕捉不獲。夜宿於傳舍。忽見其故部吏來。告曰。囚盡得矣。一人死。三人在南山西谷中。並已擒縛。願公勿憂。言畢辭去。智感即請人兵入南山西谷。果得四囚。囚知走不免。因來拒抗。智感格之殺一囚。三囚受縛。果如所告。智感今在南任慈州司法。光祿卿柳亨為臨說之。亨為卭州刺史。見智感親問之。然御史裴同節亦云見。數人說如此爾右一驗出冥報記。

> 唐の時代、河東の柳智感という人物がいた。彼は貞観の初めに長挙県の県令となった。ある夜、突然に亡くなったが、明け方に蘇生した。その話によると、突然に冥官に連れて行かれ、大きな役所に至った。使いの者が智感を引率して謁見すると、王は智感に向かって言った。「今、一つの官位に欠員が出たので、無理を承知であなたに就いてもらいたい」と。智感は親が年老いていることを理由に辞退し、また自らの福業を述べて、未だ死ぬべき時期ではないと主張した。王は命じて籍を調べさせると、確かにその通りであった。そこで王は言った。「あなたは死ぬべき時期ではない。暫定的に録事の職務を執り行いなさい」と。智感は承諾した。礼を述べた吏が彼を引率して役所に入った。そこには五人の判官が連なって座っており、智感は六番目となった。その執務室は長官の席であり、三つの間にはそれぞれ机があり、業務は非常に多忙であった。西端の一つの席には判官がおらず、吏が智感をその空席に導いた。大勢の吏たちが文書や帳簿を持ってきて、智感の机上に置き、階下に下りて立った。智感が彼らに問うと、答えて言った。「気配が強くてあなたに近づけません。机上の事柄について遠くからお答えします」と。智感はそれを調べてみると、まるで人間界のもののようであった。そこで彼は判決文を作成した。しばらくして食事が運ばれてきた。他の判官たちは皆で食事を始めた。智感もそれに加わろうとしたが、判官たちが言った。「あなたは暫定的な判官ですので、これを食べるべきではありません」と。智感はそれに従い、ついに食べることができなかった。日が暮れると、吏が智感を家に送り帰して蘇生させた。そして夜が明けた。家に帰ってからは、夕暮れになると吏が再び迎えに来て、あちらに着くと夜が明けた。これにより、幽界と顕界では昼夜が逆転していることを知った。こうして彼は夜は冥界の事務を執り行い、昼は県の職務を執り行うようになり、常にそうであった。一年余りが経ち、智感が冥界の役所にいた時のことである。彼が立ち上がって厠に行くと、堂の西側に一人の女性がいた。年は三十歳ほどで、姿かたちは端正で、衣服は鮮やかであった。立って涙を拭いていた。智感が誰かと問うと、答えて言った。「私は興州の司倉参軍の妻でございます。ここに連れて来られ、まさに夫と別れることとなり、悲しみに暮れております」と。智感が吏に問うと、吏は言った。「官が召喚して、ある事件の取り調べをするためです。また、彼女の夫の事件の証人とするためです」と。智感はそこで女性に言った。「私は長挙県の県令である智感です。奥様が取り調べを受けることになれば、どうかご自身で弁明なさってください。どうか司倉を巻き込んで、共に死ぬような無駄なことはなさらないでください」と。女性は言った。「本当に夫を巻き込みたくはありません。ただ、官に強制されるのが怖いのです」と。智感が言った。「奥様、どうか私を巻き込まないでください。強制される心配はございません」と。女性はそれを承諾した。その後、智感は州に戻り、まず司倉に「奥様はご病気ですか」と尋ねた。司倉は言った。「私の妻は若く、病気はありません」と。智感は自分の見たことを告げ、彼女の衣服や容貌を説明し、さらに功徳を積むように勧めた。司倉は家に走って帰ると、妻が機を織っており、何の変わりもないのを見て、あまり信じなかった。十余日後、司倉の妻が急病で亡くなった。司倉は初めて恐れ、功徳を積んで災いを除こうとした。また、興州の役人二人が任期を終え、京に上って選官を受けることになった。彼らは智感に言った。「あなたは冥界の事務を執り行っておられますので、私たちが何の官に選ばれるかをお聞きください」と。智感は冥界の役所に行き、その二人の姓名を小録事に尋ねた。録事は言った。「名簿は全て石の箱に封入されています。調べるのに二日かかりますので、その後に返答いたします」と。約束の日が来て報告があり、二人が今年得る官職の名と号が詳細に記されていた。智感はそれを二人に伝えた。二人は京に上り、吏部に選官を申請したが、その結果は智感の報告とは全て異なっていた。州の役人がこれを聞き、智感に話した。後に智感が小録事に問い直すと、簿を再調査して言った。「確かに調査した通りで間違いありません」と。その後、選ばれた人々が門下省を通過すると、門下省はそれを審査して吏部に差し戻した。改めて任命された官職は、確かに冥簿に記載されたものであった。智感が報告した通りの結果となったので、人々は皆、信服した。智感は冥簿で、自分の親族や知人の名前や容姿、そして死亡した日時を見ることがあった。彼らにそれを知らせて功徳を積ませると、多くは免れることができた。智感が暫定的に判官を務めて三年が経った時、彼の部署の吏が来て告げた。「既に隆州の李司戸が正官としてあなたの後任に任命されました。もう判決を執り行う必要はありません」と。智感は州に行き、李刺史にそのことを告げた。李徳鳳は人を遣わして隆州に確認させた。その司戸は既に亡くなっていた。その死亡日を尋ねると、吏が来て告げた日時と一致した。これ以降、冥界との繋がりは絶えた。州の役所は智感に囚人を護送して京に送るよう命じた。鳳州の境界に至った時、四人の囚人が皆逃亡した。智感は憂い恐れ、捕まえることができなかった。夜に宿舎に泊まると、突然、以前の部署の吏が現れて告げた。「囚人は全て捕まりました。一人は死亡し、三人は南山の西の谷におり、既に捕らえられています。どうかご安心ください」と言って、立ち去った。智感はすぐに兵を率いて南山の西の谷に入ると、果たして四人の囚人を得た。囚人たちは逃げ切れないと知り、抵抗してきた。智感は彼らと戦い、一人の囚人を殺し、三人の囚人を捕らえた。まさに吏の告げた通りであった。智感は現在、南の任地で慈州の司法を務めている。光禄卿の柳亨が臨（？）に語ったところによると、亨は卭州刺史の時に智感に会い、直接問いただしたという。また、御史の裴同節も見たと言い、数人がこのように語っている<note>以上、一つの証例。『冥報記』より</note>

## 法苑珠林卷第七

> 法苑珠林 巻第七