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title: "法苑珠林 · 2 王族部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 王族部第二

> 第二部 王族の章

如長阿含經云。天地初成諸天下來。食其地味變化為人。因有諍起。眾議立主。選得一人豪族最尊。𠕋為國主以治百姓。此即是釋迦先祖之王廣如前劫量篇具說。

> 『長阿含経』にはこう説かれています。天地が初めてできた時、天界の者たちが地上に降りて来て、大地の味を食べたことから人間に変化しました。やがて争いが起こり、皆で話し合って指導者を立てることになりました。そこで選ばれたのは、最もすぐれた家柄で最も尊い一人の人でした。この人が国王に任命されて民を治めるようになり、これこそが釈迦の先祖の王なのです。 <note>詳しくは、前の「劫量篇」で述べられている通りです。</note>

又依樓炭經云。後有他王治化不如先王。其壽遂減。生至八萬歲。展轉稍減至一萬歲乃至百歲。從劫初有王名大人相已來。依四分律總算合有八萬四千二百五十三王出世。其中別有十大轉輪聖王。王四天下。自外諸王不可備列。且列如來七世祖族名諱。具錄如下。故五分律云。過去有王名欝摩王四分名懿師摩此王庶子有四。名一名照目長阿含經名曰面光二名聰目經名食眾三名調象經名路指四名尼樓經名莊嚴尼樓王有子名烏頭羅。烏頭羅王有子名瞿頭羅。瞿頭羅王有子名尸休羅。尸休羅王有四子。一名淨飯。二名白飯。三名斛飯。四名甘露飯。若依長阿含經四分律等。皆云。師子頰王有四子。一名淨飯王。有二子一是菩薩二是難陀第二白飯王有二子一是調達二是阿難第三斛飯王有二子一是摩訶男二是阿那律第四甘露飯王有二子一是娑婆二是󰍑提依智度論云。師子頰王有一女名甘露味。甘露味有子名施婆羅。依雜阿含經云。世尊姑子名低沙比丘是也。依分別功德論云。阿難有妹。出家作比丘尼不出名字嫌迦葉訶阿難。作小兒者是。又大方便經云。白淨王劫初已來嫡嫡相承作轉輪王。近來二世不作輪王。而作閻浮提王。又優婆塞戒經云。我於初釋迦佛所發心。於寶頂佛所滿初僧祇。於然燈佛所滿第二僧祇。於迦葉佛所滿第三僧祇俱舍論云。逆次逢勝觀然燈寶髻佛。則毘婆尸所滿三僧祇。若正滿為言在於勝觀。已滿為語在於飲光。經論不同理各據矣。良由釋迦高貴古今無比。宿殖福因今受勝報。

> 『樓炭経』によれば、後に他の王が現れ、その治め方が先代の王より優れていなかったため、人々の寿命は次第に減り始めた。当初は八万歳だったものが、徐々に減って一万歳、さらには百歳にまで至った。劫の初めに「大人相」という名の王が現れて以来、『四分律』に基づいて計算すると、合計で八万四千二百五十三人の王がこの世に現れた。その中には、特に十人の転輪聖王がおり、彼らは四つの天下を治めた。それ以外の王たちはすべてを列挙することはできないので、ここでは如来の七代前までの祖先の一族と名前を記すことにする。以下に詳しく記す。 『五分律』にはこうある。昔、鬱摩王という王がいた（『四分律』では懿師摩という）。この王には四人の庶子がいた。その名は、第一を照目（『長阿含経』では面光）、第二を聡目（同経では食衆）、第三を調象（同経では路指）、第四を尼樓（同経では荘厳）という。尼樓王には烏頭羅という子があった。烏頭羅王には瞿頭羅という子があった。瞿頭羅王には尸休羅という子があった。尸休羅王には四人の子があった。第一を浄飯、第二を白飯、第三を斛飯、第四を甘露飯という。 『長阿含経』や『四分律』などによれば、師子頬王には四人の子があった。第一の浄飯王には二人の子があった（一人は菩薩、もう一人は難陀）。第二の白飯王には二人の子があった（一人は調達、もう一人は阿難）。第三の斛飯王には二人の子があった（一人は摩訶男、もう一人は阿那律）。第四の甘露飯王には二人の子があった（一人は娑婆、もう一人は提）。 『智度論』によれば、師子頬王には甘露味という一人の娘がいた。甘露味には施婆羅という子があった。 『雑阿含経』によれば、世尊の従兄弟に低沙比丘という人がいた。 『分別功徳論』によれば、阿難には妹がおり、出家して比丘尼となった（名前は記されていない）。彼女は迦葉が阿難を叱ったことを嫌がり、阿難を子供扱いした、という話がある。 また『大方便経』にはこうある。白浄王は劫の初めから代々正嫡が転輪王の位を継いできた。しかし、近頃の二代は輪王とはならず、閻浮提の王となった。 さらに『優婆塞戒経』にはこうある。私は、最初の釈迦仏のもとで発心し、宝頂仏のもとで第一阿僧祇劫を満たし、然燈仏のもとで第二阿僧祇劫を満たし、迦葉仏のもとで第三阿僧祇劫を満たした（『倶舎論』によれば、逆に遡って勝観仏、然燈仏、宝髻仏に遇い、毘婆尸仏のもとで三阿僧祇劫を満たしたという。もし「満ちた」ということを言うならば勝観仏においてであり、「すでに満ちた」ということを言うならば飲光仏においてである。経論によって説が異なるが、それぞれに根拠がある。そもそも釈迦は高貴であること古今に比類なく、過去世に積んだ福の因縁により、現在このように勝れた報いを受けているのである）。