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title: "法苑珠林 · 3 種姓部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 種姓部第三

> 第3章 家系の部

如十二遊經云。阿僧祇時有菩薩為國王。父母早喪。讓國與弟捨位求道。遙見一婆羅門。姓曰瞿曇。因從學道。婆羅門言。當解王衣如吾所服受瞿曇姓。於是菩薩受瞿曇姓。入於深山食果飲水坐禪念道。菩薩乞食遂還國界。舉國吏民無能識者。謂為小瞿曇。菩薩於城外甘蔗園中以為精舍佛所行讚經云。甘蔗之苗裔。釋無勝淨王才德純備。故曰淨飯王案淨飯遠祖乃是瞿曇之後身以其前世居甘蔗園。故經矚甘蔗之苗裔也於中獨坐。時有五百大賊。劫取宮物。路由菩薩廬邊。明日捕賊蹤跡在菩薩舍下。因收菩薩。前後劫盜法以木貫身。立為尖標。血流於地。是大瞿曇以天眼見之。便以神足飛來問曰。子有何罪酷乃爾乎。卿無子孫當何係嗣。菩薩答言。命在須臾何陳子孫。王使左右弩弓射殺之。瞿曇悲哀涕泣下棺斂之。取土中餘血以泥團之。著二器中還其精舍。左血著左器中。其右亦然。大瞿曇言。是道人若其志誠。天神當使血化為人。却後十月。左即成男。右即成女。於是便姓瞿曇氏。一名舍夷舍夷者是西方貴姓之號也血化為人。乃是宿世之事。恐文繁故不可具說所以也。又菩薩本行經云。甘蔗王次前有王。名大茅草。即以王位付諸大臣。大眾圍繞送王出城。剃除鬚髮服出家衣。王出家己。持戒清淨專心勇猛。成就四禪具足五通。得成王仙。壽命極長至年衰老肉消背曲。雖復拄杖不能遠行。時彼王仙有諸弟子。弟子欲往東西求覓飲食。取好軟草安置籠裏。用盛王仙懸樹枝上。何以故。畏諸蟲獸來觸王仙。時諸弟子乞食去後。有一獵師游行山野。遙見王仙謂是白鳥。遂即射之。時彼王仙既被射已。有兩滴血出墮於地。即便命終。彼諸弟子乞食來還。見彼王仙被射命終。復見有血兩滴在地。即下彼籠將王置地。集聚柴木焚燒王屍。收骨為塔。復將種種雜妙香華供養彼塔。尊重讚歎承事畢了。爾時彼地有兩滴血。即便生出二甘蔗牙。漸漸高大。至時甘蔗熟日炙開剖。其一莖蔗出一童子。更一莖蔗出一童女。端正可喜世無有雙。時諸弟子心念。王仙在世之時不生兒子。今此兩童是王仙種。養護看視報諸臣知。時諸大臣召喚解相大婆羅門。教令占相。并遣作名。彼相師言。此童子者既是日炙熟甘蔗開而出生故。一名善生。又其從甘蔗出故。第二復名甘蔗生。又以日炙甘蔗出故。亦名日種。彼女因緣一種無異。故名善賢。復名水波。時彼諸臣取甘蔗種所生童子。小年時即灌其頂立以為王。其賢善女。至年長大堪能伏事。即拜為王第一之妃。

> 『十二遊経』にこうある。無限の昔、ある菩薩が国王であった。父母は早くに亡くなり、国を弟に譲って位を捨てて道を求めた。遠くに一人のバラモンを見かけ、姓を瞿曇（ゴータマ）といった。そのバラモンに従って学んだ。バラモンは言った。「王の衣を解き、我がまとうような服を着て、瞿曇の姓を受けよ」。そこで菩薩は瞿曇の姓を受け、深い山に入って果物を食べ水を飲み、座禅して道を思った。菩薩は托鉢して国境に帰ったが、国の役人も民もだれ一人として見覚えがなく、「小瞿曇」と呼んだ。菩薩は城外の甘蔗園に精舎を設け<note>『仏所行讃経』には、「甘蔗の苗裔、釋無勝淨王、才德純備なるが故に淨飯王と曰ふ」とある。淨飯王の遠祖は瞿曇の後身であり、前世に甘蔗園に住んだことから、経典では「甘蔗の苗裔」と言われるのである。</note>、その中に独り座っていた。ある時、五百人の大盗賊が宮殿の品々を奪い、菩薩の庵のそばを通った。翌日、追跡すると足跡が菩薩の庵の下にあったため、菩薩は捕らえられた。当時の盗賊の刑罰は、木に体を貫き、尖った杭に立てるもので、血が地面に流れた。大瞿曇は天眼でこれを見て、神通力で飛来し尋ねた。「お前は何の罪でこのような酷い目に遭うのか。子孫もないのに、跡継ぎはどうするのか」。菩薩は答えた。「命はあとわずか、子孫の話など何になろう」。王は左右に命じて弓で射殺させた。瞿曇は悲しみ泣き、棺に入れて葬り、地面の残った血を土で練り固め、二つの器に入れて精舎に持ち帰った。左の血は左の器に、右も同じようにした。大瞿曇は言った。「この修行者が誠実なら、天神が血を人に変えさせよう」。その後十ヶ月、左は男に、右は女になった。こうして瞿曇氏、別名を舍夷という<note>舍夷とは西方の貴族の称号である。</note>。血が人に変わるのは過去世の出来事で、詳しく述べれば文が煩雑になるので省略する。 また『菩薩本行経』にはこうある。甘蔗王の前に大茅草という王がいた。王位を諸大臣に託し、大勢が王を城の外に送り出した。王は髪と髭を剃り、出家の衣をまとった。出家後は戒律を清らかに守り、専心して勇猛に修行し、四禅を成就し五通を具えて、王仙となった。寿命は非常に長く、老年になると肉は衰え背は曲がり、杖を使っても遠くへ歩けなくなった。この王仙には弟子たちがいた。弟子たちは東西に食を求める際、柔らかい草を選んで籠に入れ、王仙をその籠に入れて木の枝に吊るした。なぜなら、虫や獣が王仙に触れるのを恐れたからだ。弟子たちが托鉢に出かけた後、一人の猟師が山野を巡り、遠くに王仙を見て白い鳥だと思い、矢を射た。王仙は射られ、二滴の血が地面に落ち、即座に命を終えた。弟子たちが戻り、王仙が射殺され、地面に血の滴があるのを見た。籠を下ろし、王仙を地面に安置し、薪を集めて遺体を焼き、骨を塔に納め、様々な香華を捧げて塔を供養し、敬い称えて儀式を終えた。その時、地面の二滴の血から二本の甘蔗の芽が生え、次第に高く成長した。甘蔗が熟し、日が照って皮が裂けると、一つの茎から男の子が、もう一つの茎から女の子が生まれた。どちらも非常に美しく、世に並ぶ者はいなかった。弟子たちは考えた。「王仙は存命中に子供がいなかった。この二人の童は王仙の種である」。養育して世話し、大臣たちに知らせた。大臣たちは占いのできるすぐれたバラモンを呼び、占わせて名前をつけさせた。相師は言った。「この童子は日が甘蔗を熱して割れ、そこから生まれたので、一つ目の名を善生という。また、甘蔗から出たので、二つ目の名を甘蔗生という。さらに、日が甘蔗を熱して生まれたので、日種ともいう。少女も同じであるので、善賢といい、また水波という」。その時、大臣たちは甘蔗の種から生まれた童子を、幼い頃に頭上に灌頂して王とした。また、賢い善女は成長して仕えるにふさわしくなったので、王の第一妃とした。