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title: "法苑珠林 · 3 平等部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 平等部第三

> 平等部 第三

依大莊嚴論云。夫取福田當取其德。不應揀擇少壯老弊。佛言。我昔曾聞。有檀越遣知識道人詣僧伽藍請諸眾僧。但求老大不用年少。後知識道人請諸眾僧次到沙彌。然其不用。沙彌語言。何故不用我等。答言。檀越不用。非是我也。勸化道人即說偈言。

> 大荘厳論という経典によれば、福田を得ようとするならば、その人の徳を選ぶべきであり、若者や年寄りや見苦しい者だからといって、差別してはならないと説かれています。仏はこうおっしゃいました。「私は昔、こんな話を聞いたことがある。ある檀那（在家信者）が、知り合いの修行者に頼んで僧院へ行き、僧たちを招くように伝えた。しかしその檀那は、年長者だけを求め、若い者を呼ぼうとはしなかった。その後、その知人の修行者が僧たちを招く際に、沙弥（見習い僧）の順番が回ってきたが、やはり彼らは招かれなかった。そこで沙弥たちが言った。『なぜ私たちを招かないのですか？』すると修行者は答えた。『檀那が招かないと言ったのであって、私のせいではないのだ』と。その勧進する修行者は、次の偈（詩句）を唱えた。」

耆年有宿德 髮白而面皺秀眉齒缺落 背膢支節緩檀越樂如是 不喜見幼小

> 老齢で長年の徳を備え、 髪は白く、顔にはしわが寄っている。 美しい眉はありつつも歯は抜け落ち、 背は曲がり、手足の節々は緩んでいる。 檀越（だんおつ）はそのような姿を好み、 幼き者を見ることを喜ばない。

時寺中有諸沙彌。盡是羅漢。皆作是語。彼之檀越愚無智慧。不樂有德唯貪耆老。即說偈言。

> 時に寺の中に大勢の沙弥たちがいました。彼らはみな阿羅漢でした。そして皆こう言いました。「あの檀越は愚かで智慧がなく、徳を喜ばず、ただ年長者のみを欲するのだ」と。そして、次の偈を唱えました。

所謂長老者 不必在髮白面皺牙齒落 愚癡無智慧所貴能修福 除滅去諸惡淨修梵行者 是名為長老我破於毀譽 不生增減心但令彼檀越 獲得於罪過又於僧福田 誹謗生增減我等應速往 起發彼檀越莫令墮惡趣 彼諸沙彌等尋以神通力 化作老人像髮白而面皺 秀眉牙齒落膢脊而柱杖 詣彼檀越家檀越既見已 心生大歡慶燒香散名華 速請令就坐既至須臾頃 還服沙彌形檀越生驚愕 變化乃如是為飲天甘露 容色忽解變

> いわゆる「長老」とは、必ずしも髪が白くなった者を指すのではない。 顔に皺が寄り、歯が抜け落ちても、愚かで智慧がなければ、それは長老とは言えない。 尊ばれるべきは、善い行いを積み、あらゆる悪を滅ぼし清らかに修行を続ける者であり、これをこそ「長老」と呼ぶのである。 私は毀誉褒貶に心を動かされず、増えることも減ることもない心でいる。 ただ、あの在家の信者（檀越）が、罪過を負うことのないようにと願う。 また、僧という福田（功徳を生む場）に対して、誹謗中傷して善悪の評価を下すならば、 私たちはすぐにでも赴き、あの信者を目覚めさせねばならない。 彼を悪い境涯に堕とさないために。 すると、かの沙弥たちは、神通力を用いてたちまち老人の姿に変わった。 髪は白く、顔には皺が寄り、長い眉、そして歯も抜け落ち、 腰を曲げて杖をつきながら、その信者の家を訪れた。 信者はそれを見て、心から大いに喜び、 香を焚き、美しい花を散らして、急いで席に招き入れた。 ところが、しばらくすると、沙弥たちはもとの姿に戻った。 信者は驚き怪しみ、その変わりようを見て言った。 「まさか天上の甘露を飲まれたのでは？お姿が一瞬にして変わられたのですね。」

爾時沙彌即作是言。我非夜叉亦非羅剎。先見檀越選擇耆老於僧福田生高下想壞汝善根。故作是化令汝改悔。即說偈言。

譬如蚊子嘴 欲盡大海底世間無能測 眾僧功德者一切皆無能 籌量僧功德況汝獨一已 而欲測量彼

> 例えば、蚊の口で大海の底を全て汲み尽くそうとするようなものだ。 世の中の誰も、僧侶の功徳を測ることなどできない。 すべての者が、僧侶の功徳を推し量ることなどできない。 ましてや、あなた一人でそれを測ろうなどとできるはずがないのだ。

汝寧不聞如來所說四不可輕。王子蛇火沙彌等。如菴羅菓。內生外熟。外生內熟。莫妄稱量前人長短。一念之中亦可得道。於僧福田莫生分別。即說偈言。

> あなたは、如来が説かれた「四つの軽んじてはならないもの」を聞いたことがないのですか？それは、王子、蛇、火、そして沙弥（見習い僧）です。例えばアーマラの果実のように、外側は熟していても内側は未熟なものもあれば、内側は熟していても外側は未熟なものもあります。人の長所や短所を勝手に評価してはいけません。一瞬の心の持ち方で、すでに悟りを得ることもできるのです。僧伽という福徳の田んぼに対して、差別的な見方を起こしてはいけません。そこで、次のような偈が説かれました。

眾僧功德海 無能測量者佛尚生欣敬 自以百偈讚況餘一切人 而當不稱歎廣大良福田 種少獲大利是故於眾僧 耆老及少年等心而供養 不應生分別

> 僧侶たちの功徳の海は だれにもはかり知ることができません 仏さまでさえ喜びと敬いをもって 自ら百の偈で称賛されました ましてや他のすべての人々が 称賛しないはずがありましょうか 広大で素晴らしい福田（福を生む畑）です 少し蒔けば大きな利益を得られます それゆえ僧侶の集まりに対しては 長老であれ若い僧であれ 等しい心で供養をささげ 差別を起こしてはいけません

爾時檀越。聞是語已身毛為竪。五體投地求哀懺悔。

> その時、施主はこれらの言葉を聞いて、体中の毛が逆立つほどの衝撃を受けました。そして、五体を地面に投げ打って（深くひれ伏して）、哀れみを請い、懺悔を求めました。

頌曰。

> 偈に曰く。

通達四果 善會六情 探玄啟寤證理懷禎 老少和穆 普敬祇誠隨緣赴供 攝誘幽冥

> 四つの悟りの境地に達し、 六つの感覚を巧みに調和させ、 深遠な真理を探り、迷いを覚ます。 真理を体得し、清らかな徳を抱き 老いも若きも和やかに敬い合い 全てを敬い、誠実に仕える。 縁に従って供養に赴き、 迷える人々を導き、救済する。