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title: "法苑珠林 · 2 姦偽部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 姦偽部第二

> 第二部 偽りと欺瞞

如出曜經云。昔舍衛城中有一婦女。抱兒持瓶詣井汲水。有一男子顏貌端正。坐井右邊亦有經云見阿難行美顏貪愛求為夫婦事在別經彈琴自娛。時彼女人欲意偏多耽著彼人。彼人亦復欲意熾盛耽著女人。女人欲意迷荒以索繫小兒頸懸於井中。尋還挽出。小兒即死。愁憂傷結呼天墮淚自外云云又佛在拘睒彌國。國王號曰優填。拘留國有逝心。名摩因提。生女端正華色世間少雙。父覩女容一國希有。名曰無比。隣國諸王僚寀豪姓靡不娉焉。父答曰。若有君子容與吾女齊。吾將應之。佛時行在其國。逝心覩佛三十二相八十種好。身色紫金巍巍堂堂光儀無上。心喜而曰。吾女獲匹。正是斯人。歸語其妻曰。吾為無比得婿。促莊飾女當將往也。夫妻共服飾之。其女行步搖動華光珠。珍。瓔珞莊嚴光國。夫妻俱將至佛。妻道見佛跡相好之文。光采之色非世所有。知為天尊謂其夫曰。此人足跡之理。乃爾非世可聞。斯將非凡。必自清淨無復婬欲。將不取吾無自辱也。夫曰。何以知其然耶。妻因說偈言。

> （『出曜経』にこうある。） 昔、舎衛の城に一人の女がいた。子供を抱き、瓶を持って井戸に水を汲みに行った。 そこに一人の男がいた。顔かたちが端整で、井戸の右側に座り<note>また別の経典には、阿難が歩く美しい姿を見て、その女が愛欲を起こし夫婦になりたいと願った話が載せられている。</note>、琴を弾いて自ら楽しんでいた。 その時、あの女は欲望にとらわれ、その男に心を奪われた。男もまた欲望が盛んで、女に心を奪われた。 女は欲望に迷い乱れ、紐で子供の首を縛り、井戸の中に吊るし下ろした。そして、すぐに引き上げようとしたが、子供はすぐに死んでしまった。 女は悲しみ嘆き、天に向かって叫び涙を落とした。<note>この後の詳細は省略する</note> また、仏は拘睒弥（クシャーナ）という国におられた。その国の王は優填（ウダヤナ）と名乗った。 拘留国に逝心（バラモン）という者がいて、名を摩因提（マユーラ）といった。その娘は端正で、その美しさは世に並ぶものがなかった。 父は娘の姿を見て、国中に比類なき美しさであると知り、「無比（ムヒ）」と名付けた。 隣国の王たちや豪族たちは、皆こぞって娶ろうとした。父は答えた。「もし私の娘と容姿が釣り合う君子がいれば、娘を嫁にしよう。」 その時、仏がその国をお通りになった。逝心は仏の三十二相・八十種好を見て、その身体は黄金のように輝き、気品はこの上なく崇高であるのを見て、心から喜び言った。「我が娘の夫は、まさにこのお方だ。」 家に帰り妻に言った。「私は『無比』に良い婿を得た。すぐに娘を飾り立て、連れて行こう。」 夫婦は共に娘を着飾らせた。娘が歩くたびに、花、宝玉、宝石の飾りが光り輝き、国中を照らした。 夫婦は共に娘を連れて仏のもとへ行った。妻は道中で仏の足跡の相好の文様を見た。その光沢は世のものとは思えなかった。彼女はそれが天の尊い方のものと知り、夫に言った。「この御方の足跡の道理は、このようなものであるとは、世間では聞いたことがない。この御方は並々ならぬ方だ。必ずや清らかで、もはや淫欲はないだろう。もしや我が娘をお受けにならないかもしれない。自ら恥をかくことのないように。」 夫は言った。「どうしてそうだと分かるのか。」 妻はそこで偈を説いて答えた。

婬人曳踵行 恚者斂指步愚者足䟿地 斯跡天人尊

> 淫欲に溺れた者は、かかとを引きずって歩きます。 怒りに満ちた者は、指を握りしめて歩きます。 愚かな者は、足を引きずるように地面をこすります。 しかし、天人の尊は、そのような足取りをされません。

逝心曰。非爾女人所知。汝不樂者便自還歸。仍自將女詣佛所稽首佛足。白言。大仁。勤勞教授身無供養。有是麁女願給箕掃。佛言。汝以女為好耶。答曰。生得此女顏容實好。世間無雙。諸國王豪姓多有求者不以應之。竊見大仁光色巍巍非世所見。貪得供養故冒自歸耳。佛言。此女之好為著何許。逝心曰。從頭至足周旋觀之無不好也。佛言。惑哉肉眼。吾今觀之。從頭至足無一好也。汝見頭上有髮。髮但是毛。象馬之尾亦皆爾也。髮下有髑髏。髑髏是骨。屠家猪頭骨亦皆爾。頭中有腦。腦者如泥。臊臭逆鼻。下之著地莫能蹈者。目者是池。決之純汁。鼻中有洟。口但有唾。腹藏肝肺皆爾腥臊。腸胃膀光但盛屎尿。腐臭難論。腹為韋囊裹諸不淨。四支手足骨骨相拄。筋攣皮縮但恃氣息。以動作之。譬如木人機關作之。作之訖畢解剝其體。節節相離手足狼藉。人亦如是有何等好。而云少雙。昔者吾在貝多樹下。第六魔天王莊嚴三女。顏容華飾天中無比。非徒此倫。欲以壞吾道意。我便為說身中穢惡。即皆化成老母。形壞不復。慚愧而去。今此屎囊欲作何變。急將還去吾不取也。逝心聞佛所說恧然慚恥無辭。復白佛曰。若仁不取者。欲以妻優填王可乎。佛不答焉。逝心即送女與優填王。王獲女大喜悅。拜父為太傅。為女興宮。伎樂千人以給侍之。王正后師事於佛得須陀洹道。此女譖之於王。王惑其言。以百箭射后。后見矢不懼都無恚怒。一意念佛慈心。長跪向王。矢皆繞后三匝還住王前。百矢皆爾。王乃自覺悵然而懼。即駕金車白象馳詣佛所。未到下車。屏從叉手步進稽首佛足。長跪自陳曰。吾有重咎愧在三尊。所以彼婬妷圖欲興耶。於佛聖眾有毒惡念。以矢百枚射佛弟子。如事陳之。覩之心懼。惟佛至尊。無量之慈。白衣弟子慈力乃爾。豈況無上正真佛乎。我今首過歸命三尊。唯佛弘慈原赦其咎。佛歎曰。善哉。王覺惡悔過。此明人之行也。吾受王善意。王稽首如是至三。佛亦三受之。王又頭腦著地退就座曰。稟氣兇頑忿戾自恣。無忍辱心。三毒不除惡行快意。女人妖蠱不知其惡。自惟死後必入地獄。願佛加哀廣說女惡魑魅之態。入其羅網尠能自拔。我聞其禍必以自誡。國人巨細得以改操。佛言。用此為問耶。但說餘義。王曰。餘義異日稟之不晚。女亂惑意凶禍之大。不聞其禍何由遠之。願佛具為我釋地獄之變及女人之穢。佛言。且聽。男子有狂愚之惡却觀女妖。王曰。善哉。願受明教。佛曰。士有四惡急所當知。世有婬夫甞想覩女。思聞妖聲。遠捨正法。疑真信邪。欲網所裹沒在盲冥。為欲所使如奴畏主。貪樂女色不計九孔惡露之臭穢。渾沌慾中如猪處溷。不覺其臭。快以為安。不計後當在無擇之獄受痛無極。住心在婬吮其洟唾。玩其膿血。珍之如玉。甘之如蜜。故曰欲奴之士。斯其一惡態也。又親之養子懷妊生育。比得長大勤苦難論。到子成人漂家竭財。膝行肘步。因媒表情致彼為妻。若在異城尋而追之。不問遠近不避勤苦。注意在婬捐忘親老。既得為妻貴之如寶。欲私相娛樂惡見父母。信其妖言。或致鬪訟。不惟身所從來。孤親無量之恩。斯其二惡態也。又人處世勤身苦勞躬致財賄。本有誠信敬道之意。尊戴沙門梵志之心。覺世非常布施為福。娶妻之後情惑婬慾愚蔽自壅。背真向邪專由女計。若有布施之意。唯欲發言莊采女色。絕清淨行束成小人。不識佛經之重誡禍福之所歸。苟為婬使投身羅網。必墮惡道終而不改。斯其三惡態也。又善為人子不惟養恩。治生致財不以養親。但以東西廣求婬路。懷持寶物招人婦女。或殺六畜婬祀鬼神。飲酒歌舞合會男女。快樂歡娛終日彌多。外託祈福內以招姦。既醉之後互求方便。更相招呼以遂姦情。及其獲偶憙無以喻。婬結縛著無所復識。當爾之時唯此為樂。不覺惡露之臭穢地獄之苦痛。一則可笑。二則可哀。譬如狂荒不知其非。斯其四惡態也。男子有是四惡用墮三塗。當審遠此乃免苦耳。又復聽說女人之惡。方便說偈言。

> 逝心が言った。「それはお前のような女の知ることではない。もしお前が望まないならば、そのまま帰るがよい」。そして自ら娘を連れて仏の許に至り、足に額を触れて礼拝し、申し上げた。「大いなるお方よ、御教授は労多く、御供養もできずにおります。この粗末な娘がおりますので、掃除などのお役に立てたいと願います」。 仏が言われた。「あなたはこの娘を良いと思っているのか」。答えた。「生まれつきこの娘は顔かたちが実に良く、世に並ぶ者なく、諸国の王や豪族たちも多くの者が妻に望みましたが、応じませんでした。ひそかにお方の光り輝くお姿を拝見し、世に見ないものにて、供養を得たいと欲し、あえてお帰りを願う次第です」。 仏が言われた。「この娘の良さは、いったいどこにあるのか」。逝心が言った。「頭から足に至るまで、あまねく見渡して、良くない所はありません」。 仏が言われた。「惑わされた肉眼よ。私が今これを観ずるに、頭から足に至るまで、一つとして良い所はない。あなたは頭の上に髪があると見る。髪はただの毛であり、象や馬の尾も全て同じである。髪の下には頭蓋骨がある。頭蓋骨は骨であり、肉屋の豚の頭の骨もまた全て同じである。頭の中には脳がある。脳は泥のようであり、生臭くて鼻を逆なでし、下に落ちれば地に足をつける者もいない。目は池のようなものであり、それを開けばただの汁である。鼻の中には鼻水がある。口にはただの唾がある。腹の中の肝臓や肺などは、全てそのように腥く、腸や胃や膀胱はただ屎尿を盛るのみであり、腐って臭くて語るに及ばない。腹は革袋であり、諸々の不浄を包んでいる。四つの肢や手足は骨と骨とが互いに支え合い、筋は縮み、皮はちぢみ、ただ氣息によって動かされている。あたかも木の人形を仕掛けで動かすようなものである。仕掛け終えてその体をばらせば、節節は離れ、手足は散らばる。人もまたこのようなものであり、何の良さがあって、世に並ぶ者なしと言うのか。 かつて私がベーダ樹の下にいた時、第六の魔天王が三人の娘を飾り立てた。その顔かたちは天において比べる者もなく、ただのこの娘の比ではない。我が道心を壊そうと欲したので、私は彼女たちに身の中の穢れを説いた。するとたちまち老母と化し、姿は崩れて元に戻らず、恥じ入って去って行った。今この屎袋が何の変化を起こそうというのか。すぐに連れて帰れ。私は受け取らぬ」。 逝心は仏の説かれたことを聞いて、恥じ入り、返す言葉もなく、再び仏に申し上げた。「もしお方がお受け取りにならないならば、これを優填王の妻としたいのですが、よろしいでしょうか」。仏は答えられなかった。逝心はすぐに娘を優填王のもとに送った。王は娘を得て大いに喜び、その父を太傅に任じ、娘のために宮殿を建て、千人もの芸人や楽人を与えて仕えさせた。 王の正后は仏に師事し、須陀洹（預流果）を得ていた。この娘が王に讒言した。王はその言葉に惑わされ、百本の矢で后を射ようとした。后は矢を見ても恐れず、全く怒りの心もなく、一心に仏を念じ、慈しみの心を持って王に向かってひざまずいた。矢は全て后の周りを三度巡り、王の前に戻った。百本の矢が皆そのようであった。王はそこでようやく悟り、心は悩み恐れた。すぐに金の車と白象に乗って仏のもとに駆けつけた。下車もせずに、従者を退け、拱手し歩み入り、仏の足に額を触れて礼拝し、長く跪いて自ら陳べた。「私は重い過ちがございます。三宝に対して恥じ入るばかりです。あの淫らな女は邪を起こそうと企て、仏の聖なる僧伽に対して毒悪な思いを抱き、百本の矢で仏の弟子を射ようといたしました。その事を陳べますと、心に恐れを抱きます。思うに仏は至尊の御方にして、無量の慈しみを持たれます。白衣の弟子でさえ、その慈力はこのようなもの。ましてや無上の正真の仏においておや。私は今、自ら過ちを告白し、三宝に帰命いたします。どうか仏の広大な慈しみにより、その過ちを赦したまえ」。 仏は嘆じられた。「善いかな。王は悪に気づき悔い改めた。これは明らかな人の行いである。私は王の善意を受け入れよう」。王はこのようにして三度まで礼拝し、仏も三度これを受けた。王はまた頭を地につけて退き、座に就いて言った。「私は気質が凶悪で、怒りに任せて自ら放恣にふるまい、忍辱の心なく、三毒を除かず、悪行を快び、女の妖しい惑わしにその悪を知らず、自ら思うに死後必ず地獄に堕ちるでありましょう。願わくは仏の哀れみにより、女の悪、そして魑魅のさまを広く説きたまえ。彼女の羅網に入れば自力で抜け出せる者は少ない。私はその禍いを聞き、必ず自らの戒めとし、国の人々、大小共に、これにより心を改めるでありましょう」。 仏が言われた。「そのようなことを問うのか。他の教えを説こう」。王が言った。「他の教えは別の日に伺うも遅くはありません。女が心を惑わすことは、凶禍の大なるものです。その禍を聞かねば、どうして遠ざけることができましょうか。願わくは仏が私のため、地獄の変異と女の穢れとを詳しく解き明かしたまえ」。 仏が言われた。「よく聞け。男子には狂愚の悪がありながらも、女の妖怪を顧みる。王が言った。「善いかな。願わくは明らかな教えを受けましょう」。 仏が言われた。「男子には四つの悪があり、急いで知るべきである。世に婬欲の夫という者がいて、常に女を見たいと望み、妖しい声を聞きたいと思い、遠く正しい法を捨て、真実に疑いを持ち、邪を信じる。欲望の網に包まれ、盲いた暗闇に没し、欲望の僕となり、奴隷が主を恐れるが如し。女の色を貪り楽しみ、九つの孔から漏れ出る悪露の臭い穢れを計らず、混沌たる欲望の中にあって、豚が汚水の中にいる如く、その臭いに気づかず、快いと安心して思い、後々、無択地獄において限りない苦しみを受けるであろうことを計らない。心は婬欲に留まり、その洟や唾をすすると共に、その膿や血を玩び、それを宝玉のように珍重し、蜜のように甘いとする。ゆえに、これを欲望の僕の士という。これがその第一の悪の態である。 また、親は子を養うに、懐妊し生育し、ようやく成長するに至るまで、その苦労は語り難い。子が成人すれば、家を空費し、財を尽くし、膝行肘歩にて、媒人により情を伝え、彼女を妻とする。もし異郷にあれば、尋ねて追い、遠近を問わず、勤苦を避けず、婬欲に心を注ぎ、親の老いを忘れ捨てる。いったん妻を得れば、これを宝のように貴び、私的に娯楽を欲し、父母と会うのを嫌う。その妖しい言葉を信じ、あるいは訴訟を引き起こす。自らの身の由来を思わず、孤親の無量の恩を顧みない。これがその第二の悪の態である。 また、人が世に処するに、身を勤め苦労して財物を得る。元来、誠実や敬道の心、沙門や梵志を尊び敬う心があった。世は無常であると覚り、布施を福としていた。妻を娶った後、情欲に惑わされ、婬欲に愚かれて自ら塞がり、真に背き邪に向かい、もっぱら女の計らいによる。もし布施の心があっても、ただ言葉を発しようとする時には女の色を飾り、清浄の行いを絶ち、小人と化す。仏経の重い戒めや、禍福の帰するところを知らず、ただ婬欲の使いに任せて羅網に身を投じ、必ず悪道に堕ち、終わりまで改めない。これがその第三の悪の態である。 また、よく人の子としてありながら養育の恩を思わず、生計を立て財を得ても親を養わず、ただ東西に広く婬欲の道を求め、宝物を懷いて人の婦女を招く。あるいは六畜を殺して鬼神を婬祀し、酒を飲み歌舞し、男女を会合させ、楽しみ娯しみ、終日その度を増す。外には福を祈ると偽り、内には姦淫を招く。酔った後は互いに機会を求め、互いに呼び合って姦情を遂げる。その相手を得れば、喜びは言い表せないほどであり、婬欲の結びつきに縛られ、もはや認識するものはない。その時にはただこれを楽しみとし、悪露の臭い穢れや地獄の苦痛を覚えない。一つには笑うべく、二つには哀れむべきである。あたかも狂人がその非を知らざるが如し。これがその第四の悪の態である。 男子にこの四つの悪があることにより、三悪道に堕ちる。まさにこれをよく遠ざけて、はじめて苦しみを免れるのである。 また、女人の悪についても聞け」と、かくのごとく偈を説き給うた。

以為欲所使 放意不能安習近於非法 將何以為賢欲為畜生行 以欲還自殘溷𦚭在臭中 不知為劇難如𦚭在溷中 不知東與西結著於婬欲 蓋此亦虫倫婬既不見道 日夜種罪根現在君臣亂 上下為迷昏王法為錯亂 政治為迷煩農夫捨常業 賈人為珍連現世更牢獄 死已入太山當受百種毒 其痛難可言烊銅灌其口 山車迮其身此輩有百數 難可一二陳常在三惡道 宛轉如車輪若世時有佛 而已不得聞女人最為惡 難與為因緣恩愛一縛著 牽人入罪門女人有何好 但是諸不淨何不諦信是 為此發狂荒其內甚臭穢 外為嚴飾容加又含毒螫 劇如蛇與龍譬如錦縚矛 羅縠裹鋒芒愚者覩其表 玩之以自方智者覺知捨 癡者致死傷婬欲亦如是 抱刃以自喪覩新即厭故 所樂亦無常言為刀斧裁 笑為棘與槍內懷臭穢毒 飾外以華香愚者見歡喜 不惟後受殃譬如鴆毒藥 以和甘露漿癡人貪其味 飲之皆仆僵亦如薪得火 草木被重霜所向無不壞 是為最不祥女毒甚於是 莫能見其形覩表不見裏 故有婬欲情其體甚易見 癡人惜不絕絕欲以求道 去道如絲髮人本清淨種 如魚處深淵羅網四面張 著者不得還欲網劇於是 結著甚獨堅知者能自覺 可得脫其緣譬如飢猨猴 望見熟甘菓投身冒荊棘 是輩百向墮亦如魚食鉤 飛蛾入燈火專心投危欲 不惟後受禍

> 欲に使われて　心を放てば安らかならず 非道に親しめば　何をもって賢とせん 欲は畜生の行い　欲によって自らを傷つく 汚泥の中に虫がいるがごとく　その苦しみを知らず 泥中の虫のごとく　東西もわからず 婬欲に縛られれば　これもまた虫の仲間 婬欲は道を見えなくし　日夜に罪の根を植える 今の世で君臣は乱れ　上下は迷い昏れる 王の法は乱れ　政治は迷い煩う 農夫は常の業を捨て　商人は希少品に走る 現世で牢獄に入り　死んで地獄に落ちる 百種の毒を受け　その苦しみ語り尽くせず 溶かした銅を口に注がれ　鉄の車に体を押し潰される こうした苦しみは数限りなく　一つ一つに挙げることは難しい 常に三悪道を　車輪のように巡り続ける 世に仏が現れても　それを聞くことができない 女は最も悪しきもの　縁を結ぶのは難しい 愛欲の一つの絆が　人を罪の門に引き入れる 女に何の良さがあろうか　ただ不浄なるものばかり なぜ真実を見極めず　これに狂うのか その内は甚だ汚く臭うのに　外は美しく装う さらに毒を含むこと　蛇や竜よりも甚だしい 例えば錦の矛（ほこ）のように　美しい布に鋒（きっさき）を包んでいる 愚か者はその表面を見て　喜んで自ら近づく 賢者は悟ってそれを捨て　愚か者は死に至る 婬欲もまた同じ　刃を抱いて自らを滅ぼす 新しきを見れば旧きを厭い　楽しみもまた無常 言葉は刀斧となり　笑顔は棘と槍となる 内に臭い毒を抱きながら　外を花や香りで飾る 愚か者はそれを見て喜び　後に受ける災いを考えない 例えば鴆毒（ちんどく）を　甘露に混ぜるがごとし 愚か者はその味に貪り　飲めばみな倒れる また薪が火を得るがごとく　草木が霜に打たれるがごとし 向かうところ全てを壊す　これ最も不祥なり 女の毒はこれより甚だしく　その姿を見ることはできない 表面を見て内面を見ないから　婬欲の情が生まれる その実体は見やすいのに　愚か者は惜しんで絶たない 欲を絶って道を求めることは　髪の毛ほどの違いもない 人間は本来清らかな種　魚が深淵にいるがごとし 羅網が四方に張られ　かかれば戻れない 欲の網はこれより激しく　絡まりは特に堅い 知る者は自ら覚り　その縁から逃れられる 例えば飢えた猿が　熟れた果実を見て 身を荊に投じるように　こうした者は百に堕ちる また魚が針にかかり　蛾が灯りに飛び込むように 一心に危険な欲に身を投じ　後に受ける災いを考えない

佛說如是。優填王歡喜。即以頭面著地白佛言。實從生年以來不聞女人惡態乃爾。男子悖亂隨之墮惡。但不知故不制心意。從是以後終身自悔。歸命三尊不敢復犯。為佛作禮歡喜而退。書云。仲尼稱難養小人與女子。近之則不遜。遠之則怨也。是以經言。妖蠱女人有八十四態。大態有八。慧人所惡。一者嫉妬。二者妄嗔。三者罵詈。四者呪詛。五者鎮壓。六者慳貪。七者好飾。八者含毒。是為八大態。是故女人多諸妖媚。願捨諂邪以求正法。早得出家自利利人。

> 仏がこのようにお説きになると、優填王は大変喜び、頭を地につけてひれ伏して申し上げた。「本当に、生まれてこのかた、女の悪い姿態がこれほどであるとは聞いたことがありません。男が道理を乱し、それに従って悪道に落ちることも、ただ知らずに心を制御しないからでございます。これより以後、生涯自ら悔い改め、三宝に帰依し、再び犯すことはいたしません。」そして仏に礼拝し、喜んで退いて行った。 経典にはこうある。仲尼（孔子）は言った。「小人と女は養い難い。近づければ不遜になり、遠ざければ恨む。」と。ゆえに経典には、女には妖しい惑わしの八十四の態があり、大きな態には八つがある。賢人の嫌うところである。一つは嫉妬、二つは訳もなく怒ること、三つはののしること、四つは呪うこと、五つは（呪術で）押さえつけること、六つは慳吝（けちんぼう）、七つは飾りたがること、八つは毒を含むこと。これが八大態である。このゆえに、女には多くの妖しい媚びがある。どうか諂いや邪な心を捨てて正しい法を求め、早くに出離し、自らを利し他を利することを願う。

又智度論云。女人相者。若得敬待則令夫心高。若敬待情捨則令夫心怖。女人如是常以煩惱憂怖與人。云何可近親好。如說國王有女。名曰拘牟頭。有捕魚師。名術波伽。隨道而行。遙見王女在高樓上。窓中見面想像染著。心不暫捨。彌歷日月不能飲食。母問其故。以情答母。我見王女心不能忘。母喻兒言。汝是小人。王女尊貴不可得也。兒言。我心願樂不能暫忘。若不如意不能活也。母為子故入王宮中。常送肥魚鳥肉以遺王女。而不取價。王女怪而問之。欲求何願。母白王女。願却左右。當以情告。我唯有一子。敬慕王女。情結成病。命不云遠。願垂愍念賜其生命。王女言。汝去至月十五日。於某甲天祠中住天像後。母還語子。汝願已得。告之如上。沐浴新衣在天像後住。王女至時白其父王。我有不吉。須至天祠以求吉福。王言。大善。即嚴車五百乘出至天祠。既到勅諸從者齊門而止。獨入天祠。天神思惟。此不應爾。王為施主。不可令此小人毀辱王女。即厭此人令睡不覺。王女既入見其睡重。推之不寤。即以瓔珞直十萬兩金遺之而去。後此人得覺見有瓔珞。又問眾人。知王女來。情願不遂憂恨懊惱。婬火內發自燒而死。以是證知。女人之心。不擇貴賤。唯欲是從。

> 『大智度論』にはこう説かれています。 「女というものは、敬意をもって遇されれば夫を得意にさせ、その心づかいが薄くなれば夫を不安にさせる。このように女は常に悩みや恐れを人に与えるものだから、どうして親しく交わることができようか。 たとえば、ある国の王にコームダ（拘牟頭）という姫がいた。漁師のスパガ（術波伽）という男が道を行くと、遠くに高い楼閣の窓から姫の姿を見て、たちまち心を奪われ、恋い慕う気持ちが止まらなくなった。幾日も幾月も過ぎ、食事も喉を通らず、母が理由を尋ねると、息子は「王女を見て以来、心から忘れられない」と打ち明けた。 母は言った。「おまえは身分の低い者だ。王女のような高貴な方を得ることはできない。」しかし息子は「この想いが叶わなければ生きてはいられません」と執拗に訴えた。 そこで母は息子のために王宮に通い、新鮮な魚や肉を絶えず王女に届け、代金を受け取らなかった。王女が怪しんで「何か願いがあるのか」と尋ねると、母は「お側の方々を下がらせてください。打ち明けます」と言い、こう話した。「私は一人息子を持ちます。その子が貴女様に憧れ、想いが病となり、命も長くありません。どうかお慈悲をかけて、命を救ってください。」 王女は言った。「月の十五日に、決まった天祠に行き、神像の後ろに控えていなさい。」 母は戻って息子に「願いは叶った」と伝え、指示を守って沐浴し、新しい衣を着て神像の後ろに控えるよう言った。 十五日、王女は父王に「不吉なことがあります。天祠でお参りをして吉を祈りたい」と願い出た。王は「よろしい」と許し、五百台の車を整えて天祠へ向かった。着くと、従者たちに門のところでとどまるよう命じ、一人で祠の中に入った。 すると天神が考えた。「これはあってはならないことだ。王はこの祠の施主である。このような身分の低い者に王女を汚させるわけにはいかない。」そこで神は漁師を深い眠りに落とし、目を覚まさないようにした。 王女が中に入ると、漁師は激しく眠り込んでいて、揺すっても起きない。そこで十万両の価値がある瓔珞を彼のそばに置いて去っていった。 後に漁師が目を覚ますと、瓔珞があるのに気づき、人に尋ねて、王女が来たことを知った。望みが叶わなかったことで、深く憂い、悔しがり、その情欲の炎が内から燃え上がり、自ら命を絶って死んでしまった。 このことからも明らかなように、女の心は相手の貴賤を選ばず、ただ欲望に従うものである。」

又薩婆多論云。寧以身分內毒蛇口中不犯女人。蛇有三事害人。有見而害人。有觸而害人。有齧而害人。女人亦有三害。若見女人而發欲想滅人善法。若觸女人身犯中罪滅人善法。若共交會身犯重罪滅人善法。一若為毒蛇所害害此一身。若為女人所害害無數身。二者若為毒蛇所害害報得無記身。若為女人所害害善法身。三者若為毒蛇所害害五識身。若為女人所害害六識身。四者若為毒蛇所害得入清眾。若為女人所害不與僧同。五者若為毒蛇所害。得生天上。人中值遇賢聖。若為女人所害入三惡道。六者若為毒蛇所害故得四沙門果。若為女人所害於八正道無所成益。七者若為毒蛇所害。人則慈念而救護之。若為女人所害眾共棄捨無心喜樂。以是因緣故。寧以身分內毒蛇口中。終不以此而觸女人。

> 『薩婆多論』にはこう説かれている。 「いっそ毒蛇の口に自分の身体を差し入れる方が、女に触れるよりはましである。 蛇には人を害する三つの方法がある。見て害するもの、触れて害するもの、噛んで害するものだ。女にもまた三つの害がある。女を見て欲心を起こせば、人の善い行いを滅ぼす。女に触れれば中程度の罪を犯し、善い行いを滅ぼす。女と交われば重罪を犯し、善い行いを滅ぼす。 第一に、毒蛇に害されれば、この一つの身体が害されるだけである。女に害されれば、無数の身体が害される。 第二に、毒蛇に害されれば、善悪の区別のない身体（無記身）を害されるだけだが、女に害されれば善い行いの身体（善法身）を害される。 第三に、毒蛇に害されれば五つの感覚（五識身）を害されるが、女に害されれば六つの感覚（六識身）を害される。 第四に、毒蛇に害されれば、清らかな僧の集まりに入ることができる。女に害されれば、僧と同じ場所にもいられない。 第五に、毒蛇に害されれば、天に生まれ変わり、人間として賢聖に出会うことができる。女に害されれば、三つの悪道に落ちる。 第六に、毒蛇に害されれば、四つの沙門の果を得られる。女に害されれば、八正道において何の成就も得られない。 第七に、毒蛇に害されれば、人々は慈しみをもって救おうとする。女に害されれば、人々は皆避け、喜んで近づこうとしない。 これらの理由から、いっそ毒蛇の口に自分の身体を差し入れる方が、女に触れるよりはましなのである。」

又增一阿含經云。女人有五力輕慢夫主。云何為五。一色力。二親族之力。三田業之力。四兒力。五自守力。是謂女人有此五力便輕慢夫主。夫有一力盡覆弊彼女人。所謂富貴力也。今弊魔波旬亦有五力。所謂色聲香味觸。愚癡之人著此五法不能得度若聖。弟子成就一無放逸力不為所繫。則能分別生老病死之法勝魔五力。不墮魔境至無為處。爾時世尊便說此偈。

> 『増一阿含経』にはこう説かれています。 女性には五つの力があり、それによって夫を軽んじるものです。 その五つとは、第一に色の力、第二に親族の力、第三に田畑や仕事の力、第四に子どもの力、第五に自らを守る力です。 この五つの力があるため、女性は夫を軽んじるのです。 しかし、夫にはただ一つの力があり、それによって女性のすべてを覆い尽くします。 それが富貴の力です。 今、悪魔の波旬にも五つの力があります。 すなわち、色・声・香・味・触の五つの感覚の対象です。 愚かな人々はこの五つのものに執着し、それを超えて解脱することができません。 しかし、聖なる弟子が一つの「放逸しない力」を成就すれば、それに縛られることはなく、生・老・病・死の法を正しく見分け、悪魔の五つの力に打ち勝ち、悪魔の境涯に堕ちずに、涅槃の境地に至ることができるのです。 その時、世尊はこの偈を説かれました。

戒為甘露道 放逸為死徑不貪則不死 失道為自喪

> 戒めは甘露へと続く道。 怠りは死へと続く路。 貪らなければ不死を得るが、 道を失えば自ら滅びを招く。

爾時世尊告諸比丘。女人有五欲想。云何為五。一生豪貴之家。二嫁適富貴之家。三使我夫主言從語用。四多有兒。五在家獨得由己。是謂有此五事可欲之想。

又大威德陀羅尼經云。佛告阿難。譬如有大沙聚將一滴水潤此沙聚可令徹過。如一婦人。以千數丈夫受欲果報。不可令其知足也。其婦人有三法不知厭足。一自莊嚴。二於丈夫邊所受欲樂。三哀美言詞。阿難。其婦女有五𦚭蟲戶。而丈夫無此。其五𦚭蟲。在陰道中。其一蟲戶有八千蟲。兩頭有口。悉如針鋒。彼之𦚭蟲。常惱彼女而食噉之。令其動作。動已復行。以彼令動。是故名惱。婬婦女人此不共法。以業果報發起欲行。貪著丈夫不知厭足。其婦女人若見丈夫。即作美言瞻視熟視。視已復視瞻仰觀察意念欲事。面看邪視欲取他面。齒銜下脣面作青紫。以欲心故額上污流。若安坐時即不欲起。若復立時復不欲坐。木枝畫地搖弄兩手。或行三步。至第四步左右瞻看。或在門頰頻申出息。逶迤屈曲。左手舉衣。右手拍髀。又以指爪而刮齒牙。草枝擿齒手搔腦後。宣露脚脛嗚他兒口。平行而蹶。急視諸方。如是等相。當知婦人欲事以發。厭離棄捨勿令流轉生大暗中。

> また、大威徳陀羅尼経にこう説かれています。 仏は阿難に告げた。「譬えば、大きな砂の山があり、たった一滴の水でその砂の山を全て濡らし尽くせるようなものだ。それと同じく、一人の女が千人もの男と欲の果報を受けたとしても、決して満足することはない。 女には、満足を知らない三つのことがある。第一に自らを飾り立てること、第二に男から受ける欲の楽しみ、第三に美しい言葉を聞くことである。 阿難よ、女には五つの虫の穴があり、男にはこれがない。その五つの虫は陰の中にいる。その一つの虫の穴には八千の虫がおり、両方の端に口があり、すべて針の先のようである。それらの虫は常に女を悩ませ、食べている。そのために女を動かす。動いた後、また行為を起こさせる。その虫が動かすから、これを悩みという。 淫らな女というものは、この共通しない法を持つ。業の果報によって欲の行為を起こし、夫に執着して満足を知らない。その女というものは、もし男を見れば、すぐに美しい言葉をかけ、じっと見つめ、何度も見つめ、眺め、心に欲事を思い描く。顔を横に向けて流し目で見て、相手の顔を見ようとする。歯で下唇を噛み、顔色を青紫にする。欲の心のために額に汗が流れる。座っていれば立ちたがらず、立っていれば座りたがらない。木の枝で地面に線を描き、両手を弄る。あるいは三歩歩いて、四歩目で左右を見回す。門のわきで伸びをし、息をつく。くねくねと体を曲げ、左手で衣を上げ、右手で腿を叩く。また指の爪で歯を掃い、草の枝で歯をほじり、手で頭の後ろをかく。脛を露わにし、他人の子の口に口付ける。まっすぐ歩くようでいて突然つまずき、あちこちを急ぎ見る。 このような相があるならば、女の欲心が起きたと知るべきである。厭い離れ、捨て去り、暗黒の大きな中に流転させてはならない。」

又正法念經云。天鳥為諸天說偈云。

> また、正法念経にはこう説かれています。天の鳥が天人たちに次の偈（うた）を告げます。

婦人非常友 如燈焰不停彼則是常怨 猶如畫石文雖親近富者 無物則厭人有物婦女近 無物婦女捨與物興供養 作種種功德其心如火焰 而不可秉執男如是隨順 如心之所欲彼如是婦女 而常誑男子如蛇華所覆 如灰土覆火色如是覆毒 婦女亦如是猶如見毒樹 悅眼而不善婦女如毒華 智者應捨離

> 女性は真の友ではない 灯火の炎が停まらぬように 彼女たちは常なる怨敵 岩に刻まれた文のごとし 富める者に近づいても 物がなければ人を厭う 財があれば女性は近づき 財がなければ女性は離れる 物を与えて供養をなし 様々な功徳を積んでも その心は炎のごとく 捉えること能わざるもの 男性が心のままに 従順に振る舞っても 女性は常に男を欺く 蛇を花で覆うがごとく 灰で火を覆うがごとし 美しさは毒を覆い隠す 女性もまた同じである 毒の樹を見るがごとく 目には麗しくも善からず 女性は毒の花のようなもの 賢者はこれを離れるべきである

又阿含口解十二因緣經云。有阿羅漢。以天眼徹視見女人墮地獄中者甚多。便問佛。何以故。佛言。用四因緣故。一由貪珍寶物衣被欲心多故。二由相嫉妬故。三由多口舌故。四由作姿態婬意多故。以是因緣故墮地獄多耳。

> また、「阿含口解十二因緣経」にはこうあります。 ある阿羅漢が天眼で徹見したところ、地獄に落ちている女たちが非常に多いのを見ました。そこで仏にその理由を尋ねました。 仏はお答えになりました。「四つの原因によるからである。第一に、珍宝や衣服などに対する貪りの心が強いから。第二に、互いに嫉妬し合うから。第三に、言葉による争いが多いから。第四に、身振りや媚態によって婬欲の思いが強いからである。これらの因縁によって、地獄に落ちる者が多いのだ。」と。

頌曰。

> 偈に曰く。

五欲混神因 六賊亂心色幻焰逐情飄 愛網隨心織鑄金雖改秋 斬籌方未極觀鴿既無辯 攀猿此焉息

> 五つの欲望は精神を惑わす原因となり、 六つの煩悩が心と色を乱す。 幻の炎は情欲に流され漂い、 愛の網は心のままに織りなされる。 黄金を鋳造しても秋を変えられず、 計算の棒を切っても限りはない。 鳩の観察にはもう迷いもなく、 木に登る猿の心はここに静まる。

## 法苑珠林卷第二十一

> 法苑珠林 第二十一巻