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title: "法苑珠林 · 8 洗僧部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 洗僧部第八

> 洗僧部 第八

如譬喻經云。佛以臘月八日神通降伏六師。六師不如投水而死。仍廣說法度諸外道。外道伏化白佛言。佛以法水洗我心垢。我今請僧洗浴以除身穢。仍為常緣也今臘月八日洗僧唯出此經文。

> 例えば『譬喩経』にこう記されています。仏は臘月八日に神通力をもって六師（六人の外道の師）を降伏させました。六師は仏に及ばず、水に身を投げて死んでしまいました。そこで仏はなおも広く説法し、多くの外道たちを救済しました。外道たちは仏に帰依し、こう申し上げました。「仏は法の水をもって、私たちの心の汚れを洗い流してくださいました。今、私たちは僧侶の方々をお招きして沐浴を施し、体の穢れを除きたいと思います」と。これが恒例の行事の由来となったのです。<note>現在の臘月八日の「洗僧」の行事は、この経文にのみ由来する</note>。

又摩訶剎頭經。亦名灌佛形像經云。佛告天下人民。十方諸佛皆用四月八日夜半時生。皆用四月八日夜半時去家學道。皆用四月八日夜半時得佛道。皆用四月八日夜半時般泥洹。佛言。所以用四月八日者。為春夏之際殃罪悉畢。萬物普生毒氣未行。不寒不熱時氣和適。今是佛生日。故諸天下人民共念佛功德浴佛形像。如佛在時。以示天下人。佛言。我為菩薩時。三十六返為天王帝釋。三十六返作金輪王。三十六返作飛行皇帝。今日諸賢誰有好心念釋迦佛恩德者。以香華浴佛形像求第一福者。諸天鬼神所證明知。四月八日浴佛法時。當取三種香。一都梁香。二藿香。三艾納香。合三種草香按而漬之。此則青色水。若香少者可以紺黛秦皮權代之。又用欝金香手按漬之於水中。按之以作赤水。以水清淨用灌像訖。以白練拭之。斷後自占更灌名曰清淨。其福第一也。

> また、摩訶剡頭経という経典があり、灌仏形像経とも呼ばれます。そこにはこう説かれています。 仏は天下の人々に告げられました。「十方の諸仏は、みな四月八日の夜半に生まれ、みな四月八日の夜半に家を離れて道を求め、みな四月八日の夜半に仏道を成就し、みな四月八日の夜半に涅槃に入られる。」 仏は言われました。「四月八日を選ぶのは、春夏の変わり目で、災いや罪がすべて尽き、万物が広く生まれ、毒気がまだ巡らず、寒からず暑からず、気候が穏やかで快適だからである。今が仏の誕生日であるゆえに、天下の人々はみな仏の功徳を思い、仏の像を浴びせて洗うのである。それは仏が在世の時のように、天下の人々に示すためである。」 仏は言われました。「私は菩薩であったとき、三十六回、天の帝王である帝釈天となり、三十六回、金輪王となり、三十六回、飛行皇帝となった。今、皆さんの中で、だれか釈迦仏の恩徳を思う善意のある方は、香や花をもって仏像を浴びせ、第一の福徳を求めてください。それは諸天や鬼神が証し、明らかに知るところとなるでしょう。」 四月八日に仏を浴びせて供養するときには、三種の香を用いるべきです。一つは都梁香、二つは藿香、三つは艾納香です。この三種の草香を混ぜて揉み、水に浸します。これが青色の水となります。もし香が少なければ、紺黛や秦皮で代用してもかまいません。また、鬱金香を用いて手で揉んで水に浸し、赤色の水を作ります。この清らかな水で仏像を灌ぎ洗い、その後、白い練り絹で拭き取ります。その後、自ら占って再び灌ぐことを「清浄」と名付けます。この福徳が第一のものなのです。

又溫室經云。佛告祇域長者。澡浴之法當用七物除去七病。得七福報。何謂為七物。一者然火。二者淨水。三者澡豆。四者酥膏。五者淳灰。六者楊枝。七者內衣。此是澡浴之法。何謂除七病。一者四大安隱。二者除風。三者除濕痺。四者除寒氷。五者除熱氣。六者除垢穢。七者身體輕便眼目清明。是為除七病。得七福者。一者四大無病所生常安。二者所生清淨面首端正。三者身體常香衣服淨潔。四者肌體濡澤威光德大。五者饒多人從拂拭塵垢。六者口齒香好所說肅用。七者所生之處自然衣服。

> また『温室経』にこう説かれている。仏が祇域長者に告げられた。「入浴の法には、七つのものを使って七つの病を除き、七つの福報を得るべきである。七つのものとは何か。第一に火を起こすこと、第二に清らかな水、第三に沐浴用の豆の粉、第四に酥油の膏、第五に灰、第六に楊枝、第七に下着である。これが入浴の法である。七つの病を除くとは何か。第一に四大が安らかで穩やかになること、第二に風の病を除くこと、第三に湿痺の病を除くこと、第四に寒さの病を除くこと、第五に熱気の病を除くこと、第六に垢や汚れを除くこと、第七に身体が軽快になり、目がはっきりと見えるようになることである。これが七つの病を除くことである。七つの福報を得るとは何か。第一に四大に病がなく、生まれるところ常に安らかであること、第二に生まれるところ清らかで、顔立ちが端正であること、第三に身体が常に香り、衣服が清らかで潔いこと、第四に肌が柔らかく潤い、威光と徳が大きいこと、第五に多くの人が従い、塵や垢を払い拭ってくれること、第六に口と歯が香り良く、言葉が人に従われ用いられること、第七に生まれるところに自然と衣服が現れることである」と。

又十誦律云。洗浴得五利。一除塵垢。二治身皮膚令一色。三破寒熱。四下風氣調。五少病痛。舍利弗。夏盛熱時有一客作人。園中汲水灌樹。見舍利弗發小信心。喚舍利弗脫衣樹下。以水澆洗身得輕涼。作人後命終即生忉利天上。有大威力。為功雖少。以遇良田獲報甚多。即下詣舍利弗所散華供養。舍利弗因其信心為說法要。得須陀洹果。

> さらに『十誦律』にはこうあります。沐浴には五つの利益があると。一つ目は、ほこりや汚れを落とすこと。二つ目は、肌を整えて色つやを良くすること。三つ目は、寒さや暑さを和らげること。四つ目は、体内の風の巡りを整えること。五つ目は、病むことが少なくなることです。 舎利弗よ、夏の最も暑い頃の話です。ある日雇われて働く人が、庭園で水を汲んで木に水をやっていました。その人は舎利弗を見て、少しばかりの信心の心を起こしました。そして舎利弗に呼びかけて、木の下で衣を脱いでもらい、水をかけてその身を洗いました。すると体が軽やかに涼しくなりました。 その働き人は、その後この世を終えると、たちまち忉利天に生まれ変わりました。そこには大きな力を持つ者として。行った功徳はわずかでしたが、それに値する善い機会（福田）に出会ったことで、受ける報いは非常に大きなものとなりました。 そこで彼は忉利天から下りてきて、舎利弗のもとを訪れ、花をまいて供養しました。舎利弗はその信心を見て、彼のために教えの要点を説きました。すると彼は須陀洹（初果）の悟りを得たのでした。

又賢愚經云。爾時首陀會天下閻浮提。至世尊所請佛及僧洗浴供養。世尊默然許可。即設飲食并辦洗具溫室。暖水調適酥油浣草。皆悉備有。於是世尊及諸比丘。納受其供共洗浴已。并厚飲食。其食甘美世所希有。食竟澡漱各還本處。是時阿難白佛。此天往昔作何功德。形體殊妙威相奇特。光明顯赫如大寶山。佛告阿難。乃往過去毘婆尸佛時。此天彼世為貧家子。常行庸作以供身口。聞佛說洗僧之德。情中欣然便勤作務。得少錢穀用設洗具。并及飲食請佛眾僧而以盡奉。由此福行壽終之後。生首陀會天有此光相。七佛已來乃至千佛出世亦皆如是洗佛及僧。佛授記曰。於未來世兩阿僧祇百劫之中當得作佛。號曰淨身。十號具足。

> また『賢愚経』にこう説かれています。 その時、首陀会の天人が閻浮提に降り立ち、世尊の御許に赴いて、仏と僧侶の皆さんを洗浴の供養に招きました。世尊は静かにその請けを許されました。そこで天人は飲食を整え、沐浴の道具や温室を用意し、温かい湯を適度に調え、酥油や洗うための草もすべて備えました。 こうして世尊と比丘たちはその供養を受け、共に身を清め、さらに豊かな食事をいただきました。その食事は美味で世にも稀なるものでした。食事が終わると、身を清め口を漱いで、それぞれの場所に戻られました。 その時、阿難が仏に問いました。「この天人はいかなる過去の功徳によって、このような殊妙な身体を得て、威相が特に優れ、光明が赫々と大宝山のように輝いているのでしょうか。」 仏は阿難に告げられました。「遠い過去の毘婆尸仏の時代、この天人は貧しい家の子であり、日々人に雇われて働き、口を糊していました。ある時、仏の僧侶を洗浴供養することの功徳を聞き及んで、心の中に喜びが生じ、それから一生懸命に働いて、わずかばかりの金や穀物を得て、それで沐浴の道具や飲食を整え、仏と僧侶を招いて心を尽くして供養したのです。 この福徳の行によって、命終わった後、首陀会天に生まれ、このような光相を得られたのです。それ以来、七仏の時代から千仏の世に至るまで、この天人は常にそれぞれの仏と僧侶を洗浴供養してきました。 仏は授記されました。『未来の二アサンキヤ劫・百劫の間において、仏となり、名を浄身如来といい、十号を完全に具足するだろう』と。」

又雜譬喻經云。昔佛弟難陀。乃往昔維衛佛時人。一洗眾僧之福功德。自追生在釋種身。珮五六之相神容晃昱金色。乘前之福與佛同世。研精道場便得六通。古人施一猶有弘報。況今檀越能多行者。普等之行必逮尊號。加增歡喜廣度一切。

> また『雑譬喩経』にはこうある。昔、仏の弟である難陀は、遠い昔の維衛仏の時代の人であった。かつて多くの僧侶を洗った功徳により、その報いとして釈迦族に生まれる身を得た。五、六の相を身に備え、その姿は輝くばかりに美しく、金色に光り輝いていた。前世の福によって仏と同じ時代に生まれ、修行に励んで六通を得たのである。古人が一度施しを行っただけでも大きな報いを受けたのだから、ましてや今の檀越（施主）が多くの施しを行えば、その功徳はいっそう大きい。平等の行いを実践すれば、必ず尊い境地に達することができるだろう。さらに喜びを増し、すべての人々を救い導くのである。

又福田經云。有比丘名阿難。白世尊曰。我念宿命生羅閱祇國為庶民子。身生惡瘡治之不瘥。有親友道人來語我言。當浴眾僧取其浴水。以用洗瘡便可得愈。又可得福。我即歡喜往到寺中。加敬至心。更作新井香油浴具洗浴眾僧。以汁洗瘡尋蒙除愈。從此因緣。所生端正金色晃昱不受塵垢。九十一劫常得淨福慶祐廣遠。今復值佛心垢消滅逮得應真。又十誦律云。外國浴室形圖猶如圜倉。開戶通煙下作伏瀆。出外內施三擎閣齊人所及處。以瓨盛水滿三重閣。火氣上升。上閣水熱。中閣水暖。下閣水冷。隨宜自取用無別作湯。故云淨水耳。又增一阿含經云。爾時世尊告諸比丘。造作浴室有五功德。云何為五。一除風。二病得瘥。三除去塵垢。四身體輕便。五得肥白。若有四部之眾。欲求此五功德者。當求造浴室。

> また『福田経』にこう説かれています。あるとき、阿難という比丘が世尊に申し上げました。「私は過去世を思い返すと、羅閲祇国に生まれて庶民の子でありました。身体に悪い瘡ができて、治療しても治りませんでした。そこに親しい道人が私のもとに来て言いました。『僧侶たちを沐浴させなさい。その沐浴の水を取って、それで瘡を洗えば治るでしょう。また福徳も得られます』と。私は喜んで寺にまいり、深く敬いの心を込めて、新しい井戸を掘り、香油や沐浴の道具を備えて僧侶たちを沐浴させました。そしてその水で瘡を洗うと、まもなく治りました。この因縁によって、生まれるごとに端正な姿で、金色に輝き、塵や汚れがつかず、九十一劫のあいだ常に清らかな福徳と広大な恵みを受けました。今また仏に出会い、心の塵や垢が消え去って、阿羅漢の境地を得ることができました」と。 また『十誦律』にはこうあります。外国の浴室は形が円い倉のようで、扉を開けて煙を通し、下には溝を伏せて、外から内へと三つの棚を備え、人の手の届く高さにしています。甕に水を満たして三つの棚に置き、火気が上昇すると、上の棚の水は熱くなり、中の棚の水は温かくなり、下の棚の水は冷たくなります。その人の都合に応じて自分で取り、別に湯を沸かす必要がありません。それで「浄水」と呼ぶのです。 また『増一阿含経』にはこうあります。そのとき世尊は比丘たちに告げました。「浴室を造ることには五つの功徳がある。五つとは何か。第一に風を除くこと、第二に病が治ること、第三に塵や垢を除くこと、第四に身体が軽やかになること、第五に肥えて白くなることである。もし四部の衆生がこの五つの功徳を求めるならば、浴室を造ることを求めるべきである」と。

又僧祇律云。若欲浴時使園民等掃灑。令淨辦具薪炭溫暖得所。乃打揵稚應知入浴。各以腰帶繫衣作識安衣架上。入時不得掉兩臂而入。一手遮前而入。若欲與師揩者。當先白已無罪。不得一時舉兩手。當先令揩一臂一手覆前竟。次揩一臂一手及餘內外已。閉戶而坐令身汗出。籌量用水不得多用。若池水洗自恣無罪。不聽露地裸形而浴。若水齊腰腋得用無罪。若坐水中至臍亦得。出已取己衣著正理而去。

> また『僧祇律』にはこうあります。沐浴しようとするときは、庭や林の者に掃除させて清めさせなさい。薪や炭を用意し、湯加減を適切に温めてから、揵稚（けんち）を打って入浴の合図とする。それぞれ腰帯で衣を印し、衣架に掛けなさい。入る際は両腕を振って入ってはならない。片手で前を覆って入りなさい。もし師に体を擦ってもらいたいなら、先に告げてからなら罪はない。両手を同時に挙げてはならない。まず片方の腕を擦ってもらい、もう一方の手で前を覆いなさい。次にもう片方の腕と、内外の残りの部分を擦ってもらいなさい。その後、戸を閉じて座り、汗を出させる。水の使用量を計り、多く使ってはならない。もし池の水で洗うなら、自由にして罪はない。水が腰や脇の高さまでなら使っても罪はない。もし水の中に座って臍の高さまでならば、それもよい。出た後は自分の衣を取って着、正しく整えてから去りなさい。

述曰。因明洗僧遂申歎德。恐邊遠道俗不閑法用。故略明法事以標厥致耳。

> ここに述べん。因明の僧侶が身を清め、ついに徳を称えることを申し述べた。辺鄙な地の僧侶や在家の者たちが、法(の作法)に通じていないことを案じ、ゆえに法事の要点を簡潔に示して、その趣旨を明らかにする次第である。

竊惟尼連河裏非有垢而見除。嵐毘園內實無塵而示蕩。故知洗沐是清昇之本。灌澡為澄潔之原。可謂乘香範於前修。振芳猷於後業。所以東國泛七華之水。以濯一乘之賓。西方瑩八德之池。用滌九品之輩。故使醫王夜念發造溫室之心。長者晨言敬申洗僧之願。遂蒙如來善巧。近說七物之儀。大覺垂慈。遠記五天之報。然今此處摩訶施主某官。斯乃運廣大心行無上業。生生常修佛事。世世常轉法輪。故能信正法於群邪。敬緇徒於像季。深知講宣四句價重隋珠。飯沐一僧田高異道。遂使共相率勵勸課等侶。各捨淨財同崇此福。於是辦七物於嘉時。洗三尊於此日。又能屈請高德某法師。講宣溫室洗浴眾僧經一部。法師乃時稱學海。世號詞宗。出玄義而似雲屯。決眾難而方泉涌。能使俗徒開解。猶朗日之闢重昏。法侶除疑。等嚴霜之卷零葉。今既玄章盡軸。座停雷梵之八音。藻浴時臻。次歎洗僧之七物。一者鴻鑪熾火巨鑊氛氳。密室既已除寒。龍泉自然泛熱。二者輕清德水流湛金池。蕩垢皎若蓮紅。身首霑便玉潤。三者銀光豆屑細滑逼於兜羅。却膩本若雲披潔體方開露日。四者八味酥膏五香芬馥。排風去痺未謝摩祇。瑩質光顏何慚妙藥。五者玉管神灰雪華霜潔。邪風遇便息扇。亂想賴己恬凝。六者青楊細柳綠幹輕條。去熱則口發幽蘭。淨齒則氣合優鉢。七者齊縑魏素持作內衣。蔭患并得身安。蕩報自然光飾。七物並皆精備一心奉上。惟眾慈悲為歎祝願。

> ここに思うに、尼連河のほとりには汚れがあるわけではないが、それでも除かれる。嵐毘園の中には塵が無いけれど、なお洗い清められる。ゆえに知るべきだ、沐浴は清らかに上がるための根本であり、灌澡は澄み潔しとなるための源であると。これはまさに、香り高い規範を先人から受け継ぎ、芳しい道を後世に広めるものといえる。 それゆえ東方の国では七華の水を湛え、一乗の賓客を濯ぎ、西方では八徳の池を瑩（みが）き、九品の者たちを滌（あら）うのである。そのために医王は夜に念を発して温室を作る心を起こし、長者は朝に言を申して洗僧の願いを敬い呈した。そこで如来は巧みな方便をもって、近くには七物の儀式を説き、大覚は慈しみを垂れて、遠くには五種の天の報いを記された。 いまここに、摩訶施主なる某官は、まさに広大な心を運び、無上の業を行ずる人である。生々世々、常に仏事を修め、世世常に法輪を転ずる。それゆえ群邪の中で正法を信じ、像法の末にあって緇徒を敬うのである。よく知るのだ、四句の偈を講ずることは隋の珠よりも重い価値があり、一僧に飯を供え沐浴させる功徳は外道の田よりも高きことを。そこで互いに励まし合い、同侶を勧め導き、各々が浄財を捨てて同じくこの福を尊んだ。 ここに七物を佳き時に整え、三尊をこの日に洗い奉る。また高徳の某法師を請じて、『温室洗浴衆僧経』一部を講ぜしめる。法師は時に学海と称され、世に詞宗と呼ばれる。玄義を出だせば雲のたなびくがごとく、衆難を決すれば泉の湧くがごとし。俗の徒をして開解せしむるは、朗日が重昏を開くがごとく、法の侶の疑いを除くは、厳霜が落ち葉を巻くがごとし。 いま既に玄章は軸を尽き、座には雷梵の八音やまず、藻浴の時が来たれば、次いで洗僧の七物を嘆ずる。 一つには、大いなる炉に火を熾（おこ）し大釜は湯気もうもうと立ちこめる。密室はすでに寒さを除き、龍泉は自然と熱く湧き出ずる。 二つには、軽清の徳水は金池に湛えて流れる。垢を蕩えば皎皎として蓮の紅きがごとく、身と頭に沾（うるお）せば玉のごとく潤う。 三つには、銀光の豆屑は細かく滑らかで兜羅綿にもまさる。脂を除くこと雲の披くるがごとく、潔い体は日影に開く。 四つには、八味の酥膏と五種の香りは芬芬として馥郁たり。風を排し痺れを去ることは摩祇にも劣らず、質を瑩（みが）き顔を光らす、何ぞ妙薬に恥じようか。 五つには、玉管の神灰は雪の白さ霜の清らかさ。邪風は遇えば即ち扇（あお）ぐことをやめ、乱想は頼りて自ずから恬かに凝まる。 六つには、青楊の細柳、緑の幹に軽やかな條。熱を去れば口には幽蘭の香り発し、歯を浄めれば気は優鉢の花に合わん。 七つには、斉の練り絹、魏の素は、もって内衣と為す。病を蔭（おお）えば身は安らぎを得、報いを蕩えば自然に光り飾らる。 七つの物はすべて精妙に整えられ、一心に捧げ奉る。願わくは、衆の慈悲もて祝い歎じたまえ。

夫欲起居淨國。必須預蕩十力之形。逈託天宮。先當澡彼六和之眾。譬若聲調響順形直影端。因果之理必然。非關鬼神之授。然今施主等仰襲醫王建斯溫室。營辦七物洗浴三尊。獎率有緣弘揚妙典。以茲殊勝莫大善根。先用莊嚴。今日某法師等有大勢力。生生常轉法輪獲大神通。世世常修佛事長幼受無窮之智。眷屬極不夭之年。障累與朝霧俱消。嘉慶共繁星等列。諸施主等。願高臨八正。趣大道於菩提。富有七珍。惠蒼生而無盡。又願片時營佐之者。除七病而莫遺。豪分助讚之徒。獲七福而無竭。見聞隨喜咸趣法城。叩頭彈指齊昇佛果。敷揚玄教已自周圓。嚴儀洗具復皆備訖。唯眾一心奉請三寶。

> さて、清らかな国に身を置こうと願うならば、まず心の十の力を備えた行いを整えなければならない。遠く天の宮殿に身を託すには、先に六和の僧伽を清めるべきである。音が調えば響きも従い、形が正しければ影もまっすぐになるように、因果の道理は必然であり、鬼神の力によるものではない。 今ここに、施主の方々は医王の教えを敬い、この温室を建て、七つの物を整えて三宝を沐浴させ、縁ある人々を導いて妙なる教えを広められている。この殊勝な、この上ない善い根を用いて、まず今日の法師の方々を荘厳する。法師方は大きな力を持ち、生まれるたびに常に法輪を転じ、大いなる神通を得て、世々常に仏の教えを修行し、老若あらゆる者が尽きることのない智慧を受け、眷属は皆、天寿を全うするであろう。障りや煩いは朝霧とともに消え去り、喜びや慶びは満天の星のように並び輝く。 施主の方々は、願わくば八正道を高く仰ぎ、菩提という大きな道へと進み、七つの宝を豊かに具え、すべての生きとし生けるものに限りなく施しを与えんことを。また、この一時の営みを助けた者たちは、七つの病を残すことなく除かれ、わずかでも助け讃えた者たちは、七つの福を尽きることなく得るであろう。見る者、聞く者、ともに喜ぶ者、皆が仏法の城に至り、頭を下げ指を鳴らす者、皆が仏の悟りに昇るであろう。 玄妙なる教えを説き広めることはすでに円く満ち、厳かに整えられた沐浴の具もすべて備わった。ただみなと心を一つにし、三宝を心からお迎えしたい。

稽首歸依上請十方諸佛三世慈尊。五分法身真應兩體。九十八使惑纏已盡。三十二相微妙莊嚴。實無四求假同四事。為眾生故有感便來。唯願各各乘摩尼寶殿。坐碼碯雲中放百億光明照三千剎土。梵王持蓋帝釋布華。降此道場入溫室浴。

> 敬って、十方の諸仏、三世の慈尊に帰依いたします。如来の五分法身（戒・定・慧・解脱・解脱知見）と、真身・応身の二つの御姿は、九十八種の煩悩の結縛を尽くし尽くされ、三十二相の微細妙なる荘厳を備えておられます。 実に四つの求め（衣食住薬）を超えておられるのに、衆生のためを思って、あたかも四つの事柄（衣食住薬）のように仮に受け入れられ、感応があれば来臨なさいます。 どうか仏様方は、それぞれ摩尼宝の殿に乗り、碼碯（めのう）の雲の上に座って、百億の光明を放ち、三千の刹土を照らし、梵王は宝蓋を捧げ、帝釈天は華をまき散らして、この道場に降り立ち、温室の浴に入ってくださいますよう。

次請發心已上補處已還歡喜離垢之人。善慧法雲之士。三賢十聖一切諸菩薩。惟願運天人於掌內。安法界於毛端。齊馭四足之靈鵬。俱騁六通之神驥。不見相而見。不來相而來。降此道場入溫室浴。

> 次に、発心の位より補処（仏の次の位）に至るまで、歓喜地や離垢地の修行者たち。善慧地や法雲地の聖者たち。三賢・十聖のすべての菩薩よ。どうか、天と人々を掌の中に運び、法界を毛先の上に安んじ、四つの足を持つ霊なる鵬に共に乗り、六つの神通力を備えた神馬にともに駆け出し、姿を見ずして見え、来るという形をとらずして来たまえ。この道場に降り立ち、温室に入って沐浴されたし。

次請山中宴坐獨覺大人。言下證真四果高士。及向趣聖僧賓頭上座等。惟願空中振錫戲六神通。雲內持瓶具十八變。發波斯之信仰。伏勞度之邪心。及此現前和合大眾。百臘已下乃至無臘。並入溫室浴。

> 山中で静かに坐っておられる独覚の尊い方々よ。言葉の端々で真理を悟った四果の高僧たちよ。そして、悟りを求めて修行する聖僧や賓頭盧上座の皆さまよ。どうか虚空に錫杖を振り、六神通を自在に遊ばせ、雲の中に水瓶を携えて十八の変化を示し、波斯匿王の信仰を起こさせ、労度の邪心を調伏してください。そして、今この場に集まられた和合の大衆の皆さまも、百臘以上の方々から、まだ臘を経ていない方々まで、ともに温室に入って沐浴しなさい。

次請山中宴坐獨覺大人。言下證真四果高士。及向趣聖僧賓頭上座等。惟願空中振錫戲六神通。雲內持瓶具十八變。發波斯之信仰。伏勞度之邪心。及此現前和合大眾。百臘已下乃至無臘。並入溫室浴。

> 山中で静かに坐っておられる独覚の尊い方々よ。言葉の端々で真理を悟った四果の高僧たちよ。そして、悟りを求めて修行する聖僧や賓頭盧上座の皆さまよ。どうか虚空に錫杖を振り、六神通を自在に遊ばせ、雲の中に水瓶を携えて十八の変化を示し、波斯匿王の信仰を起こさせ、労度の邪心を調伏してください。そして、今この場に集まられた和合の大衆の皆さまも、百臘以上の方々から、まだ臘を経ていない方々まで、ともに温室に入って沐浴しなさい。

次請弘慈本誓誓度四生。方便善權權形六道。隨聲即至如影赴身。不念即彰不請之友。並入溫室浴。

> さらに、弘慈の本誓を請いて、四生を度さんと誓う。方便善権として、六道に権形を現す。声に随って即ち至り、影が身に赴くが如し。念ぜずとも彰れ、請わざる友となる。ともに温室に入りて浴せん。

次請三界天眾四海龍王八部鬼神一切含識有形之類蠕動之流。並入溫室浴。

> さらには、三界の天の衆、四海の龍王、八部の鬼神、すべての命あるもの、形あるもの、蠢くものたちよ。みな温室に入って沐浴しなさい。

歎請既周。大眾和合唄讚持香依次行。道頌曰。

> 歎請がすでに終わり、大衆は和合し、唄讃の歌と香を捧げながら、順に進んで行く。道中、このように唱える。

三寶冥興 四生標式 慈蔭十方恩流萬德 智抱八藏 化周百億酬恩義重 斯由福力 采畫彫形傳經建福 舟濟橋梁 興齊沐浴不顧身命 精誠何抑 盛哉勝業功成難測

> 三宝は静かに世に現れ、 あらゆる命の道しるべとなり、 その慈しみの陰は十方の世界を覆う。 その恵みはあらゆる徳となって流れ広がり、 智慧は八蔵（すべての教え）を抱き、 教化は百億の世界に及ぶ。 恩に報いることは大切なことであり、 これらはすべて福徳の力によるものである。 絵を描き、形を彫り、 経典を伝え、福徳を積み、 舟を渡し、橋をかけ、 斎会を催し、身を清める。 身の命をも顧みず、 真心を尽くすこと、それ以外に何があろうか。 なんと素晴らしい善い行いであろうか。 その功徳の成果は測り知れないのである。