---
title: "法苑珠林 · 6 故塔部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcy5axly05tul4047n513n6a"
---

## 法苑珠林卷第三十八

> 法苑珠林 第三十八巻

西明寺沙門釋道世撰

> 西明寺の僧、道世が撰す

### 敬塔篇第三十五之二

> 第三十五之二 塔を敬う章

### 故塔部第六

> 塔の章 第六

依像法決疑經云。造新不如修故。作福不如避禍。斯言驗矣。或有村坊墳塔故寺伽藍堂殿朽壞舍屋崩摧。蓆扇蓬戶靡隔煙塵。甕牖茅茨無掩霜露。是以門墻凋毀糞穢盈階。路絕人蹤。僧徒漂寄不修不飾。日就衰羸。造罪造愆無時暫捨。夜暗燈燭本自無聞。晝日幡華元來非見。堂絕梵唄鑪停海檀。遂使惡鬼効靈善神捨衛。伽藍無固直為僧徒慢惰佛法既衰。亦由白衣無敬。此而不憂更欲何求。

> 『像法決疑経』にこうある。「新しく造るよりも、古いものを修繕するほうがよい。福を求めるよりも、災いを避けるほうがよい」。この言葉はまことにそのとおりである。あるいは村や里に、墓塔や古い寺院、堂や殿が朽ち果て、屋根や壁が崩れ落ちていることがある。葦や草で編んだ粗末な戸や窓は、煙やちりを防ぐこともできない。甕をはめ込んだ窓や茅葺きの屋根は、霜や露をしのぐこともできない。こうして門や壁は崩れ落ち、落ち葉やごみが庭にあふれ、人の足跡も絶えてしまう。僧侶たちは流浪の身となり、修理もせず、飾りもせず、日ごとに荒れ果てていく。しかし彼らは罪を重ね、過ちを犯すことを、一刻も休むことがない。夜になっても灯りをともすことはもともと聞いたこともなく、昼間になっても旗や花を飾ることはまったく見たこともない。堂には読経の声も絶え、香炉には栴檀の香りも絶えてしまった。それゆえに悪鬼が勢力を得て、善神はその地を去ってしまうのである。伽藍が守られないのは、まさに僧侶たちが怠けているからであり、仏法が衰えるのも、在家の人々が敬いの心を持たないからである。このようなことを憂えないで、いったい何を憂えようとするのか。

又寶梁經云。有一賢者。面上有國王文理。相師見已嫁女與之。後時賢者入僧寺中杖倚伽藍。生憍慢故失國王文理墮大地獄。

> また宝梁経にはこう説かれています。昔、ある賢者がいた。その顔には国王の相（文武の相）が備わっていた。相師（人相見）はそれを見て、自分の娘を彼に嫁がせた。その後、その賢者は僧寺に入り、杖を伽藍（寺院）に寄りかけて立てた。そのとき、傲慢の心を生じたために、国王の相を失い、大地獄に堕ちてしまった。

又薩遮經云。或嫌塔寺及諸形像妨礙送置餘處者。如是惡人。攝在惡逆眾生分中。上品治之。

> また『薩遮経』にはこう説かれています。「あるいは塔や寺院、また諸々の仏像を嫌い、それが邪魔だとして他の場所に移したり捨てたりする者がいる。そのような悪人は、大逆の罪を犯す衆生の類いに数えられ、最も重い罰をもって処断される。」

又十輪經云。若破寺殺害比丘。其人壽終支節皆疼。多日不語死墮阿鼻地獄。具受諸苦又三千威儀云。掃塔上有五事。一不得著履上。二不得背佛掃塔。三不得取上善土持下棄。四不當下佛像上故華。五當旦過澡手自持淨巾還拭佛像。復有五事。一當先灑地。二當使調。三當待𤍜。四不逆掃。五不得逆風掃。復有五事。一不得去善土。二當自手拾。草三當取中土轉著。下處四不得令四角掃處有迹。五掃塔前。六步使淨此據事務故限約六步若事閑豫多掃彌善也。

> また『十輪経』にはこう説かれている。もし寺を破壊し比丘を殺害する者がいれば、その人は命終わるときに手足の節々がすべて痛み、長い間言葉を発することができず、死後は阿鼻地獄に堕ちて、あらゆる苦しみを受けることになる。 また『三千威儀経』には、塔を掃除する際の五つの決まりごとが説かれている。一つには、履物を履いたまま塔に上がってはならない。二つには、仏に向かって背を向けて塔を掃いてはならない。三つには、上の良い土を取って下に捨ててはならない。四つには、仏像の上の古い花をそのまま放置してはならない。五つには、毎朝手を洗い、清らかな布で仏像を拭かなければならない。 さらに五つの事柄がある。一つには、先に地面に水をまくこと。二つには、掃き具合を適切に整えること。三つには、乾くのを待つこと。四つには、風に逆らって掃かないこと。五つには、風に向かって掃かないこと。 さらにまた五つの事柄がある。一つには、良い土を除き去らないこと。二つには、自分自身の手で草を拾うこと。三つには、中ほどの土を取って低い場所に移すこと。四つには、四隅に掃いた跡を残さないこと。五つには、塔の前を六歩の範囲で清めることである。<note>これは修道の都合により六歩に限定されたものであり、もし時間に余裕があれば、より多くの場所を掃いても、なおさら良いのである。</note>

又正法念經云。若有眾生淨心供養眾僧掃如來塔。命終生意躁天。身無骨肉亦無污垢。香氣能熏一百由旬。其身淨潔猶如明鏡。

> また、『正法念経』にはこう説かれています。もし生きとし生けるものが清らかな心で僧侶たちに供養し、如来の塔を掃くならば、その命終わりの後、意燥天に生まれ変わります。その身には骨も肉もなく、汚れもありません。香りは百由旬もの遠くまで漂い、その体は明鏡のように清らかであります。

又正法念經云。若有眾生識於福田。見有佛塔風雨所壞。若僧房舍。以福德心塗飾治補。復教他人令治故塔。命終生白身天。其身鮮白入珊瑚林。與諸天女五欲自娛。業盡還退。若生人中其身鮮白。

> また『正法念経』にはこう説かれている。もし衆生が福田を識り、仏塔が風雨によって損壊しているのを見たり、僧房の舎が傷んでいるのを見て、福徳の心をもって塗り飾り修繕し、さらに他の人にも教えて古い塔を修理させるならば、命終わった後、白身天に生まれる。その身は鮮やかに白く、珊瑚の林に入り、天女たちと五欲の楽しみを享受する。業が尽きれば退き還るが、もし人中に生まれれば、その身は鮮やかに白いのである。

又雜寶藏經云。若掃僧房一閻浮提地。不如掃佛塔一手掌成論亦同。

> また、『雑宝蔵経』にはこう説かれています。僧房の周囲を掃除するよりも、仏塔の手のひらほどの広さを掃除する功徳のほうが勝れていると。\*（註：『成実論』にも同様のことが説かれている）\*

又撰集百緣經云。掃地得五功德。一自除心垢。二除他垢。三去憍慢。四調伏心。五增長功德得生善處。

> また『撰集百縁経』にはこうあります。掃除をすると五つの功徳が得られる。一つ目は、自分の心の汚れを取り除くこと。二つ目は、他人の心の汚れも取り除くこと。三つ目は、傲慢さをなくすこと。四つ目は、心を整えること。五つ目は、徳を積んで善い場所に生まれることです。

又無垢清淨女問經云。掃地得五功德。一自心清淨他人見生淨心。二為他愛。三天心歡喜。四集端正業。五命終生善道天中。又沙彌威儀經云。掃地有五法。一不得背人。二不得逆掃。三當令淨。四不得有迹。五當即畚棄。又增一經云。掃佛塔有五法。一水灑地。二除去瓦石。三平正其地。四端意掃地。五除去穢惡地既淨已。隨能持一枝香華散布地上供養得福無量。故華嚴偈云。

> また『無垢清淨女問経』には、地を掃くことにより五つの功徳を得ると説かれています。第一に、自らの心が清らかになり、他人が見ても清らかな心を生じさせること。第二に、他者から愛されること。第三に、天人の心が喜ぶこと。第四に、端正な業を積むこと。第五に、命終の後、善道である天に生まれることです。 また『沙彌威儀経』には、地を掃く際の五つの作法が説かれています。第一に、人に背を向けて掃かないこと。第二に、逆方向に掃かないこと。第三に、清らかにすること。第四に、掃いた跡を残さないこと。第五に、その場ですぐに塵やごみを取り除くことです。 また『増一経』には、仏塔を掃くことには五つの作法があると説かれています。第一に、水をまいて地を湿らせること。第二に、瓦や石を取り除くこと。第三に、地を平らにすること。第四に、心を正しく落ち着けて掃くこと。第五に、汚れや不浄を取り除くことです。地が清められたなら、一枝の香華を持って、その花を地に散布して供養すれば、無量の福徳を得ることができます。 ゆえに『華厳経』の偈にはこうあります。

散華莊嚴淨光明 莊嚴妙華以為帳散眾雜華遍十方 供養一切諸如來

> 散華は荘厳にして淨らかな光明あり　莊嚴なる妙華をもって帳(とばり)となす 眾の雜華を散じて十方に遍(あまね)くす　一切の諸如來を供養せん

又百緣經云。昔佛在世時。與諸比丘到殑伽河邊。見一故塔毀落崩壞。比丘問佛此是何塔。朽故乃爾。佛告比丘。此賢劫中波羅柰國梵摩達王。正法治化。唯無子息。禱祀諸神求索有子。困不能得。時王國中有一池水生一蓮華。其華臺中有一童子結跏趺坐。有三十二相八十種好。口出優鉢羅華香。身諸毛孔出栴檀香。王及妃后見甚歡喜。即抱還宮養育漸大。隨其行處蓮華承足。因香立字栴檀香。後寤非常成辟支佛。身升虛空作十八變。尋入涅槃。王收舍利起塔供養。是彼塔耳。比丘問佛。宿殖何福受斯果報。佛告比丘乃往過去拘樓孫佛時有長者子。甚好婬色。見一婬女心生妉著。無財可與。遂至塔中盜華與之。乃共夜宿。曉即身體生其惡瘡。痛不可言。喚醫療治。醫占云。須牛頭栴檀用塗瘡上可得除愈。時長者子即賣家宅得於金錢滿六十萬。尋用買香正得六兩。擬用塗瘡。心自思惟。即語醫言。我今所患乃是心病。即持所買牛頭栴檀。擣以為末。入其塔中發誓願言。如來往昔修諸苦行。誓度眾生除其厄難。我今此身墮一生數。唯願世尊。慈悲憐愍除我此患。作是誓已用香塗塔。以償華價。至心供養求哀懺悔。瘡尋得差。身諸毛孔有栴檀香。聞此香已歡喜禮拜發願而去。緣是功德不墮惡道。天上人中常受快樂。隨其行處蓮華承足。身諸毛孔常有香氣。是故智者當作是學。

> また『百縁經』にこう記されています。 昔、仏が世にいらっしゃった頃のこと。仏は多くの比丘たちと共に殑伽河の畔にやって来ました。そこに一つの古い塔があり、崩れ落ちて朽ち果てていました。 比丘たちが仏に尋ねました。「これは何の塔なのでしょうか。こんなにも古く朽ち果ててしまっています」 仏は比丘たちに告げました。「この賢劫の中に、波羅奈国に梵摩達王という王がいました。正しい法によって国を治めていましたが、ただ一人の子もありませんでした。そこで神々に祈り祀って子を求めたのですが、どうしても得られませんでした。 その時、王の国の池に一輪の蓮華が生じました。その花の台座の中に、一人の童子が結跏趺坐（足を組んで坐る姿）でいました。三十二相（仏の身体にそなわる三十二の特徴）と八十種好（さらに細かい八十の特徴）を備え、口からは優鉢羅華（青蓮華）の香りがし、身体の毛孔からは栴檀の香りが放たれていました。 王と妃はこれを見て非常に喜び、すぐに抱きかかえて宮中に連れ帰り、養育しました。成長するにつれて、その子が歩くところには必ず蓮華が足の下に現れました。その香りによって「栴檀香」と名付けられました。 後にこの子は世の無常を悟って辟支仏（縁覚）となりました。身体を虚空に昇らせ、十八の神通変化を示し、やがて涅槃に入りました。王はその舍利を収めて塔を建て、供養しました。これがその塔なのです」 比丘たちがまた仏に尋ねました。「どのような福徳を過去に植えたので、このような果報を受けたのでしょうか」 仏は比丘たちに告げました。「遠い過去、拘楼孫仏が世にいらっしゃった時代のこと。ある長者の子がいました。この者はひどく婬欲の情に溺れやすい者でした。 ある時、一人の婬女（遊女）を見て心に執着を生じましたが、与える財がありませんでした。そこで塔の中に忍び込み、花を盗んで婬女に渡し、共に一夜を過ごしました。 夜が明けると、その長者の子の身体に悪い瘡（できもの）が生じました。痛みは言葉にできません。医者を呼んで治療させましたが、医者は占って言いました。 「牛頭栴檀（最高級の栴檀）を瘡に塗れば、治るでしょう」 そこで長者の子は家や土地を売り払い、金銭六十万を得ました。それで香を買い求めると、ちょうど六両が得られました。瘡に塗ろうとしましたが、心の中でこう考えました。 「私が今患っているのは、実は心の病だ」 そこで買った牛頭栴檀を持って、粉末にし、塔の中に入って誓願を立てました。 「如来は過去世において様々な苦行を修め、誓って衆生を救い、その厄難を取り除こうとされました。私のこの身は一生のうちに堕ちるべき者です。どうか世尊よ、慈悲深く私を哀れみ、この患いを取り除いてください」 この誓いを立て終えて、香を塔に塗り、盗んだ花の代価を償いました。心を込めて供養し、哀れみを求めて懺悔しました。 すると瘡はすぐに治りました。そして身体の諸毛孔から栴檀の香りが漂うようになりました。この香りを聞いて喜び、礼拝して発願し、立ち去りました。 この功徳によって、悪道に堕ちることなく、天上や人間の中で常に楽しみを受けました。その歩くところには蓮華が足の下に現れ、身体の諸毛孔からは常に香りが漂いました。 それゆえ、智者はこのように学ぶべきなのです。

又小法滅盡經云。後劫火起時。曾作伽藍所不為火焚。乃至金剛界為土臺也。

> また『小法滅盡経』にはこう説かれています。後の劫（こう）において劫火が起こる時、かつて伽藍（がらん）を作った場所は火に焼かれない。たとえ金剛界（こんごうかい）であっても、土の台となってしまうのである。

又菩薩本行經云。昔佛在世時告五百阿羅漢。汝等各說前世宿行所作功德。今得值我得道因緣。時有阿羅漢。名婆竭多梨。即從坐起白佛言。世尊。我念過去無央數劫有佛出世。號曰定光。入涅槃後分布舍利起塔供養。法欲末時有一貧人。無方自濟賣薪為業。向澤採薪。遙見澤中有一塔寺。甚為巍巍。即到塔邊瞻覩形像歡喜作禮。唯見狐狼飛鳥走獸止宿之處。草木荊棘不淨滿中。逈絕無人復無行跡。無供養者。貧人覩見心中愴然。而不曉知如來神德。但以歡喜誅伐草木掃除不淨。掃訖歡喜繞之八匝作禮而去。緣此功德命終之後生光音天。眾寶宮殿光明晃焴。於諸天中巍巍最勝不可計量。盡其天壽而後復百返作轉輪王。七寶自然王四天下。後復壽盡常生國王大姓長者家。財富無量。顏容端正殊妙無雙。人見歡喜無不愛敬。欲行之時道路自淨。虛空之中雨散眾華。婆竭多言。昔貧人者今我身是。由昔掃塔生處自然。一阿僧祇九十劫中不墮惡道。天上人間富貴尊榮封受自然快樂無極。今最後身值釋迦佛。捨豪出家得阿羅漢。三明六通具八解脫。若有人能於佛法僧少作微善如毛髮許。所生之處受報弘大無有窮盡。

> また『菩薩本行経』にはこう説かれています。 昔、仏が世にいらした時、五百人の阿羅漢に告げられた。「汝らはそれぞれ、前世の行いによって積んだ功徳を語りなさい。それによって今、我に遇い、道を得る因縁を得たのである。」その時、婆竭多梨という名の阿羅漢がいた。彼はすぐに座から起ち上がり、仏に申し上げた。 「世尊よ。私は過去の無数の劫の昔を思い起こします。その時、定光仏という仏が世に現れられました。この仏が涅槃に入られた後、舎利を分けて塔を建て、供養しました。教法がまさに滅びようとする時、一人の貧しい人がいました。彼は生計を立てる術がなく、薪を売って生業としていました。ある時、沢へ薪を採りに行き、遠くに沢の中に一つの塔寺があるのを見ました。それは非常に立派なものでした。彼はすぐに塔の辺りに行き、仏像を仰ぎ見て、歓喜して礼拝しました。しかし見ると、そこは狐や狼、飛鳥、獣たちが止まり住む場所となっており、草木や荊棘が生い茂り、不浄なものが満ちていました。人跡絶えて誰もおらず、訪れる人もありませんでした。供養する者もいなかったのです。貧しい人はこれを見て、心に哀れみの念を抱きました。彼は如来の神徳をよく知ってはいませんでしたが、ただ歓喜の心で草木を刈り払い、不浄を掃き清めました。掃除が終わると、喜びのあまり塔を八周して礼拝し、去っていきました。 この功徳によって、命が終わった後、光音天に生まれました。そこでは衆宝でできた宮殿が光明に輝き、諸天の中でもひときわ際立って荘厳で、計り知れないものでした。天の寿命を使い果たした後も、百回にわたって転輪聖王と生まれ変わりました。七宝が自然にそろい、天下を統治しました。また寿命が尽きると、常に国王や大姓、長者の家に生まれ、財産は無量で、容貌は端麗で比類なく、人々は見る者すべてが喜び、敬愛しない者はありませんでした。歩こうとする時には道が自然に清められ、虚空の中から花びらが散りました。 婆竭多梨は言いました。「昔の貧しい人こそ、今の私です。昔、塔を掃いたことによって、生まれるところが自然と清らかであり、一阿僧祇九十劫の間、悪道に堕ちることなく、天上や人間界で富貴と尊栄を受け、自然に楽しみを得て限りがありませんでした。そして今、最後の身を受けて釈迦仏に遇い、豪華な生活を捨てて出家し、阿羅漢を得ました。三明・六通を具え、八解脱を成就しました。 もし人が仏法僧に対して、毛先ほどの僅かな善を行うことがあれば、その生まれるところには大きな報いを受け、尽きることがありません。」

又譬喻經說。祇陀太子昔毘婆尸佛時。布施一奴一婢給掃寺廟。緣此功德世世常得七寶宮宅。門戶兩邊常有自然金銀男女擎持寶鉢。滿中七寶取無窮盡。夜中常有自然天兵五百餘騎。衛護其舍。無敢近者。輪王七寶者。一金輪寶。二白象寶。三紺馬寶。四神珠寶。五玉女寶。六主藏臣寶。七主兵神寶。

> また、譬喻経にこう説かれています。祇陀太子は、はるか昔の毘婆尸仏の時代に、一人の奴婢を布施して寺の掃除をさせました。この功德によって、代々必ず七宝で飾られた宮殿を与えられました。門の両側には常に金银の男女が自然に現れ、宝鉢を持って立ち、その中には七宝が満ちて、いくら取っても尽きることがありませんでした。夜には常に五百余騎の天兵が自然に現れ、その家を守護し、近づこうとする者はいませんでした。輪王の七宝とは、第一に金輪宝、第二に白象宝、第三に紺馬宝、第四に神珠宝、第五に玉女宝、第六に主蔵臣宝、第七に主兵神宝です。

又雜寶藏經云。昔舍衛國中有一長者。造立塔寺。後時命終生忉利天。其婦晝夜追憶夫故愁憂苦惱。以憶夫故常掃治夫所造塔寺。夫下觀見即來婦所。問訊安慰而語之言。汝憶我故大憂愁耶。婦即語言。汝為是誰。天尋答言。我是汝夫。以作塔寺功德因緣得生天。見汝憶我修治塔寺。故來汝所。婦言。近我。夫則答言。人身臭穢不復可近。汝復欲得為我妻者。勤供佛僧修掃塔寺。願生我天。若得生天我必當還以汝為妻。婦用夫語。作諸功德發願生天。其後命終得生天上。還為夫婦。夫婦相將來至佛所。佛為說法。夫婦並得須陀洹果。既得果已還歸天上。

> 『雑宝蔵経』にもこう説かれています。 昔、舎衛国の都に一人の長者がいました。彼は塔や寺院を建てました。その後、長者は亡くなって忉利天に生まれ変わりました。 彼の妻は、夫を追悼して昼夜嘆き悲しみ、苦しみ悩みました。夫を偲ぶあまり、彼女は夫が建てた塔や寺院をいつも掃除し、手入れをしました。 これを天から見た夫は、妻のところに降りて来て、挨拶し、慰めてこう言いました。「あなたは私を偲んでひどく悲しんでいるのですか。」 妻は言いました。「あなたはどなたですか。」 天人（夫）は答えました。「私はあなたの夫です。塔や寺院を建てた功徳によって天に生まれ変わりました。あなたが私を偲んで塔や寺院を手入れしているのを見て、ここに来たのです。」 妻は言いました。「私にもっと近づいてください。」 夫は答えました。「人間の体は汚れていて、臭いので、もはや近づくことはできません。もし再び私の妻になりたいのなら、精進して仏や僧侶に供養し、塔や寺院を掃除し、私のような天に生まれたいと願いなさい。もし天に生まれ変わることができれば、必ずや私はあなたを妻に迎えましょう。」 妻は夫の言葉に従い、様々な善行を積み、天に生まれたいと願いました。その後、妻は亡くなり、天に生まれ変わって、再び夫婦になりました。 夫婦は一緒に仏のところへ参りました。仏は二人のために説法をされました。夫婦はともに須陀洹の悟りを得ました。悟りを得た後、二人は天に帰って行きました。

又分別功德論云。昔舍衛城中有夫婦二人。而無子息。夫婦精進信敬三寶時婦蚤亡。由信敬故生忉利天。以為天女。面首端正天中少比。天女自念。我極端正。今此世間誰任我夫。便以天眼觀見本夫。今已出家年老暗短專信而已。常勤掃除塔廟善業。見其掃塔必應生天。天女尋下。光明照曜住其夫前。比丘見已問其因緣。天女答曰。我是君婦。今為天女。我觀天上無任我夫。見君精進常勤掃塔。必應生天。若得生天願同一處還為我夫。是以故來陳其情狀。白意已訖還歸天上。時夫比丘見此事已。從是以後倍加精進。修補塔廟積功轉勝。應生第四兜率天上。天女憶夫復來語言。君福轉勝應生兜率天。我今不復得君為夫。語訖還去。比丘聞已倍加精進。遂獲得阿羅漢果。三明六通具八解脫。

> また『分別功徳論』にはこうある。昔、舎衛城に夫婦がいたが、子供がなかった。夫婦は精進し、仏法僧の三宝を篤く敬っていた。あるとき妻が早く亡くなり、その信仰の功徳によって忉利天に生まれた。天女となり、顔立ちは端正で、天の中でも比べる者がいないほど美しかった。天女は思った。「私はこの上なく美しい。今この世の中で、誰が私の夫にふさわしいだろうか」と。そこで天眼で見ると、前世の夫がすでに出家し、年老いて目もはっきりしないが、ひたすら信仰に励んでいる姿が目に入った。常に塔や寺院を掃除し、善い行いを積んでいた。彼が塔を掃除しているので、必ず天に生まれるだろうと分かった。天女は天から降り立ち、光明を放ち輝きながら夫の前に立った。比丘はこれを見て、その因縁を尋ねた。天女が答えた。「私はあなたの妻でした。今は天女になりました。天の上を見渡しても、私の夫にふさわしい人はいません。あなたが精進し、常に塔を掃除しているのを見ました。必ず天に生まれるでしょう。もし天に生まれるなら、同じところにいて、また私の夫になってほしい。その思いを伝えたくて来ました」。そう言い終えると、天女は天へ帰っていった。この時、夫の比丘はこの出来事を見て、それからいっそう精進に励み、塔や寺院の修復に努めて功徳を積み重ね、ついには第四の兜率天に生まれるほどの功徳を積んだ。天女は夫のことを思い出し、またやって来て言った。「あなたの福徳はさらに勝れ、兜率天に生まれるでしょう。私はもうあなたの妻になることはできません」。そう言って帰っていった。比丘はこの言葉を聞いて、ますます精進し、ついに阿羅漢果を得た。三明・六通・八解脱をすべて具えたのである。

又百緣經云。佛在世時。迦毘羅城中有一長者。財寶無量。其婦生一兒。端正殊妙見者敬仰。漸大見佛得阿羅漢果。爾時世尊告諸比丘。乃往過去九十一劫有毘婆尸佛。入涅槃後有王名槃頭末帝。收取舍利造四寶塔而供養之。其後小毀。有童子入塔見此破處。和顏悅色集喚眾人共塗治塔。發願而去。緣是功德九十一劫不墮地獄畜生餓鬼。天上人中受樂無極。常為天人所見敬仰。乃至今值於我。為諸人所見敬仰出家得道。聞佛所說歡喜奉行。

> さらに『百縁経』にはこうあります。 仏が世にいらっしゃった頃、カピラ城に一人の長者がいました。財宝は限りなくありました。その妻が一人の男の子を授かりました。背格好は整い、実に美しく、見る者はみな敬い慕うほどでした。成長して仏にお会いし、阿羅漢の悟りを得ました。 その時、世尊は比丘たちにこうお告げになりました。 「遠い昔、九十一劫の昔、毘婆尸仏がおられました。その仏が涅槃に入られた後、槃頭末帝という王がいました。王は仏の舎利を納め、四つの宝の塔を建てて供養しました。 その後、塔が少し傷んでしまいました。一人の童子が塔の中に入り、その壊れた箇所を見つけました。童子はやわらかな笑顔で、人々を集め、一緒に塔を塗り修め、そして願いを立てて立ち去りました。 この功徳によって、九十一劫の間、地獄・畜生・餓鬼の苦しみに堕ちることなく、天界や人間の世界で限りない喜びを味わいました。常に天や人々から敬い慕われました。 そして今、私のもとに生まれてきたのです。多くの人々から敬われ慕われ、出家して悟りを得ることができたのです。」 仏の説法を聞いた人々は、大いに喜び、心から実践しました。

頌曰。

> 偈に曰く。

遺身八萬塔 寶飾高百丈儀鳳異靈烏 金盤代仙掌積栱承雕角 高簷挂樹網寶地若池沙 風鈴如積響刻削生千變 丹青圖萬像煙霞時出沒 神仙乍來往晨霧半層生 飛幡接雲上游蜺不敢息 翔鵾詎能仰聖變無窮瑞 感福豈三兩願假舟航末 彼岸誰為廣

> 遺骨を納めた八万の塔、 宝の飾りは高さ百丈にも及ぶ。 鳳凰の如き霊鳥が異なる瑞気を運び、 金の盤は仙人の承露の掌に代わる。 幾重にも組まれた斗栱は彫刻された隅木を受け、 高い軒には蜘蛛の巣が掛かる。 宝の地は池の砂のように広がり、 風鈴の音は積み重なるように響きわたる。 彫り刻まれて千もの変化を生み、 丹青の彩りは万の姿を描き出す。 煙霞は時に現れ時に消え、 神仙たちはふと訪れ去ってゆく。 朝の霧は半ばに幾重にも立ちこめ、 翻る幢幡は雲の上に届く。 遊ぶ虹も休むことなく、 翔ける鵬も仰ぎ見ることなどできようか。 聖なる変現は限りない瑞兆をもたらし、 受ける福徳はどうして三つや二つだけであろうか。 願わくは舟航の末にすがりて、 彼岸の広きは誰のためのものか。 （この塔の功徳によって、すべての者が彼岸に至らんことを。）