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title: "法苑珠林 · 相州石鼓山竹林聖寺"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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高齊初有異僧。投鄴下寺中夏坐。與同房僧亡名欵曲意得。客僧患痢甚困。名以酒與之。客曰不可也。名曰。但飲。酒雖是戒禁有患通開。客顰眉為飲之患損。夏滿辭還本寺。相送出都。客曰。頗聞鼓山竹林寺乎。名曰聞之。古來虛傳竟無至者。客曰。無心相造。何由而至。一夏同房多相惱亂。患痢飲酒乃是佳藥。本非所欲為意而飲。願不此及人。山寺孤逈。時可歷覽。想一登陟以副虛懷。名聞喜躍曰。必能導達夕死無恨。至九月間剋望尋展。幸賜提引。不爾無由。客曰。若來可從鼓山東面而上。東度小谷。又東北上即是山寺。至期與好事者五六人。直詣石窟寺。山僧曰。何以得來。曰欲往竹林道由於此。僧曰。世人可笑。專聽妖言。此山東西我並遊涉。何處有寺。古有斯言。不勞往也。名曰。彼客致詞極非猛浪何有虛也。只得尋之。尋而不獲非余咎也。石窟寺僧數十相隨。依言東上。度谷尋嶺。忽見一翁把钁斵地。又見一僧來至鋤禾四邊。把鋤曳钁曰。去年官寺道人放馬食我禾盡。今年復來蹋我秋苗。舉钁趂僧。並皆返歸。唯名一人東北獨上。翁曰。放儞上山。乞蟲喫却。遂依東上。林木深茂。聞南嶺上有吟詠聲。名曰。非往者客耶。曰是也。排榛而出。執手敘闊相將造寺。瞬目間忽見崇峯簉曰脩竹干雲重門洞開複殿基列。門外東西槽櫪飾以金鋪。似有馬蹤而無繫者。行至門首。曰且住此。通和尚去。須臾便出引入至佛殿前禮拜訖。西至廊下。和尚可年九十許。眉長鼻高狀如西僧。傍有官吏可三十人。執文簿有所判斷。舉手告曰。下里山寺殊無可觀。何能遠涉。名即禮拜十數拜。和尚曰。行來疲頓可止將至房去。便引西房北東轉見僧憑案讀經。名便禮拜都不慰問。便引盡北行東出至本客房中。歡笑通宵屢言永住。彼曰。一任和尚不敢為礙。待明為諮。報曰。和尚不許。乃至中食不異鄴中。臨別和尚曰。知欲永住。知友情也。然出家人不可兩處安名。本寺受供可得乖否。必欲永住。可除彼名好去。便辭送出執手憤惋。既別悽然。行一里間。數數反顧寺塔。林竹依然滿目。更行二里返顧並無。但是峯崖雜樹。行行西下。依隨本道。不見田苗。亦無田翁乃至石窟。備為僧說之。

> 高斉の初め、一人の異僧がいた。鄴下の寺にやって来て、夏の間そこに滞在した。同じ房の僧である亡名と親しく付き合い、心安く過ごした。客僧が下痢の病に苦しみ、すっかり弱ってしまった。亡名は酒を彼に与えた。客僧は「それはいけません」と言った。亡名は言った。「ただ飲みなさい。酒は戒律で禁じられているが、病にかかれば通じて許されるのだ。」客僧は眉をひそめてそれを飲み、病は癒えた。 夏が終わり、客僧は自分の寺に帰ることになった。亡名は見送って都の外まで出た。客僧が言った。「鼓山の竹林寺というのを聞いたことがあるか。」亡名は言った。「聞いたことはあります。昔からの言い伝えで、実際に行った者は誰もいないと聞いています。」客僧は言った。「心がなければ、どうして行けるだろうか。一夏同じ房で過ごし、ずいぶん迷惑をかけた。下痢の時に飲んだ酒は、実に良い薬だった。元々望んでいたことではなく、あなたの心のために飲んだのだ。どうかこのことを他人に話さないでほしい。山寺は人里離れて静かで、時には眺めを楽しむこともできる。一度登って、その心を満たされることを願う。」亡名はこれを聞いて喜び勇んで言った。「必ずご案内いただけますなら、夕方に死んでも悔いはありません。九月に日を決めて訪ねます。どうか導きの手を差し伸べてください。そうでなければ、行く手段がありません。」客僧は言った。「来るなら、鼓山の東の面から登りなさい。東に進んで小さな谷を渡り、さらに北東に上がれば、そこが山寺です。」 約束の日、亡名は興味を持つ五六人の者と共に、直接石窟寺へ向かった。山僧が言った。「どうしてこんな所に来たのか。」亡名は言った。「竹林寺へ行こうと思い、この道を通ったのです。」僧は言った。「世の中の人は笑えますな。ひたすら妖しい言葉を信じている。この山の東西は、私はすべて歩いたが、どこに寺などあるものか。昔からそんな話はあるが、わざわざ行くことはない。」亡名は言った。「あの客僧の言葉は、決していい加減なものではありません。どうして偽りがあろうか。ただ探してみるだけです。探しても見つからなければ、それは私の責任ではありません。」 石窟寺の僧数十人が一緒に付いて行った。言われた通りに東へ登った。谷を渡り、峰を尋ねて進むと、突然一人の老人が鍬で地面を掘っているのを見た。また一人の僧が来て、四方の禾を鋤いているのを見た。鍬を持ち、耨を引きながら言った。「去年、官寺の道人が馬を放して、我が禾を食い尽くした。今年もまた来て、我が秋の苗を踏みにじるのか。」鍬を挙げて僧を追い払おうとした。皆は引き返してしまった。ただ亡名一人だけが北東へ独りで登った。老人は言った。「お前を山に登らせてやろう。虫に食われるがよい。」そこで亡名は言う通り東へ登った。 林は深く茂っていた。南の峰の上で吟詠する声が聞こえた。亡名は言った。「以前の客僧ではないか。」声が答えた。「そうです。」笹の茂みをかき分けて出ていくと、手を握り合い、久闊を叙し、共に寺へ向かった。瞬く間に、高く聳える峰が迫り、長い竹が雲に届き、重い門が開かれ、多くの堂宇が並んでいるのが見えた。門の外には東西に馬槽や繫ぎ柱が飾られ、金の飾り金具が施されており、馬の跡はあるが繋がれている馬はいなかった。門の前に歩み寄ると、「ここに暫くお待ちください。和尚に取り次ぎます」と言った。 しばらくして出てきて、中へ案内し、仏殿の前で礼拝を済ませた。西の廊下へ行くと、和尚は九〇歳ほどで、眉が長く鼻が高く、西洋の僧のようだった。傍らには官吏が三十人ほどおり、書類を手にして何かを裁断していた。手を挙げて言った。「鄙びた山寺には何も見るべきものはない。よくぞ遠い道を来てくれた。」亡名はすぐに十余度礼拝した。和尚は言った。「旅で疲れただろう。ここで休みなさい。房に案内しよう。」と言って、西の房に案内し、北から東へ回ると、僧が机に凭れて経を読んでいるのが見えた。亡名は礼拝したが、何も問われなかった。さらに北へ行き、東に出て、自分の客僧の房に着いた。夜通し語り合い、何度も永住を願った。彼は言った。「和尚の御心のままに。妨げにはなりません。明るくなったらお尋ねください。」報告すると、「和尚はお許しにならない」とのことであった。昼食も鄴中と変わりなかった。 別れ際に、和尚は言った。「永住したいというのは分かっている。友を思う情があるのだな。しかし、出家者が二つの場所に名を置くことはできない。本寺で供養を受けているのに、それを捨てることができるか。どうしても永住したいなら、あちらの名を除いておいでなさい。」そこで別れを告げ、送り出されたが、手を握り合い、心は忸怩たるものがあった。別れた後、悄然として、一里ほど歩く間、何度も振り返って寺の塔を見た。林や竹は依然として目にいっぱいだった。さらに二里歩いて振り返ると、何もなかった。ただ峰や崖、雑樹があるばかりだった。歩いて西へ下り、元の道に従ったが、田の苗も見えず、田の翁もいなかった。石窟寺にまで戻り、僧たちに詳しくこのことを語った。