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title: "法苑珠林 · 2 業因部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 業因部第二

> 第二 業因の章

如對法論云。復次有四種諸業差別。謂黑黑異熟業。白白異熟業。黑白黑白異熟業。非黑白無異熟業能盡諸業。黑黑異熟業者。謂不善業。由染污故。不可愛異熟故。白白異熟業者。謂三界善業。不染污故。可愛異熟故。黑白黑白異熟業者。謂欲界雜業。善不善雜故。非黑白無異熟業能盡諸業者。謂於方便無間道中。諸無漏業以方便道無間道。是彼諸業對治故。非黑者。離煩惱垢故。白者。一向清淨故。無異熟者。生死相違故。能盡諸業者。由無漏業。為永拔得黑等三有漏業與異熟習氣故。

> 『如対法論』にこう説かれています。 さらに、四種類の業の区別がある。 すなわち、暗黒で暗黒の果報を招く業、白くて白い果報を招く業、黒白混じりで黒白の果報を招く業、そして、黒でも白でもなく果報もなく、あらゆる業を滅し尽くす業である。 「暗黒で暗黒の果報を招く業」とは、不善の業である。煩悩に染まっているからであり、愛すべきでない果報をもたらすからである。 「白くて白い果報を招く業」とは、三界における善の業である。煩悩に染まっていないからであり、愛すべき果報をもたらすからである。 「黒白混じりで黒白の果報を招く業」とは、欲界における雑多な業である。善と不善が混ざっているからである。 「黒でも白でもなく果報もなく、あらゆる業を滅し尽くす業」とは、方便道と無間道における、すべての無漏の業のことである。なぜなら、方便道と無間道は、それらの諸々の業に対する対治法となるからである。「黒ではない」とは、煩悩の汚れを離れているからである。「白い」とは、もっぱら清らかであるからである。「果報がない」とは、生死の世界と相反するからである。「あらゆる業を滅し尽くす」とは、無漏の業によって、黒などの三つの有漏の業と、その果報の習気を永遠に断ち切るからである。

又優婆塞戒經云。若善男子。有人不解如是業緣。無量世中流轉生死。雖生非想非非想處。壽八萬劫。福盡還墮三惡道故。佛告善男子。一切摸畫無勝於意。意畫煩惱。煩惱畫業。業則畫身。

> また、『優婆塞戒経』にはこう説かれています。「善き男子よ、ある人々はこの業と縁の道理を理解せず、無数の世を生死の流れの中にさまよう。たとえ非想非非想処に生まれ、八万劫の寿命を得ても、福徳が尽きれば再び三悪道に堕ちてしまう。」 仏は善き男子に告げられた。「一切の描画は、心（意）に勝るものはない。心が煩悩を描き、煩悩が業を描き、業が身体を描くのである。」

又阿毘曇雜心業品偈云。

> また、アビダルマの『雑心論』「業品」の偈にもこうある。

業能莊飾世 趣趣各處處是以當思業 求離世解脫身口意集業 在於有有中彼業為諸行 嚴飾種種身身業當知二 謂作及無作口業亦如是 意業當知思

> 行いが世界を飾り、 それぞれの場所へと導く。 だからこそ、その行いをよく考え、 世の中を離れて解脱を求めよ。 身と口と意の業が集まり、 様々な生存の世界の中にある。 その業が様々な行いとなって、 いろいろな姿を飾り立てる。 身の業には二つあると知るべきだ。 それは「作」と「無作」である。 口の業も同じであり、 意の業は「思（おもい）」であると知るべきだ。

又涅槃經云。善男子。因有五種。何等為五。一生因。二和合因。三住因。四增長因。五遠因。云何生因。生因者。即是業煩惱等及外諸草木子。是名生因。云何和合因。如善與善心和合。不善與不善心和合。無記與無記心和合。是名和合因。云何住因。如下有柱屋則不墮。山河樹木因大地故而得住立。內有四大無量煩惱眾生得住。是名住因。云何增長因。因緣衣服飲食等故令眾生增長。如外種子。火所不燒。鳥所不食。則得增長。如諸沙門婆羅門等。依因和尚善知識等。而得增長。如因父母子得增長。是名增長因。云何遠因。譬如因呪鬼不能害。毒不能中。依憑國王無有盜賊。如牙依因地水火風等。如乳人攢為蘇遠因。如無明色等為識遠因。父母精血為眾生遠因。如時節等悉名遠因。善男子。涅槃之體非是如是五因所成。云何當云是無常因。一切諸法復有二種因。一者作因。二者了因。如陶師輪繩。是名作因。如燈燭等照暗中物。是名了因。善男子。大涅槃者。不從作因而有了因。了因者。即是三十七品助道之法六波羅蜜。是名了因。又云。三解脫門三十七品。能為一切煩惱作不生生因。亦為涅槃而作了因。善男子。遠離煩惱則得了了見於涅槃。是故涅槃唯有了因無有生因。又云。若離如是三十七品。終不能得聲聞正果。乃至阿耨多羅三藐三菩提果。不見佛性及佛性果。以是因緣。梵行即是三十七品。何以故。三十七品性非顛倒。能壞顛倒。性非惡見。能壞惡見。性非悑畏。能壞悑畏。性是淨行故。能令眾生畢竟造作清淨梵行也。

> また『涅槃経』にはこう説かれています。「善男子よ、因には五種類がある。その五種類とは何か。第一に生因、第二に和合因、第三に住因、第四に增長因、第五に遠因である。 では、生因とは何か。生因とは、業や煩悩など、また外界の草木の種子などのことである。これを生因という。 和合因とは何か。例えば、善は善心と和合し、不善は不善心と和合し、無記は無記心と和合する。これを和合因という。 住因とは何か。下に柱があれば家屋は倒れず、山河や木々は大地によってその場に留まる。内には四大と無量の煩悩があり、衆生はそれによってその身を保つ。これを住因という。 增長因とは何か。衣服や飲食などの因縁によって、衆生は成長する。例えば外界の種子が火で焼かれず、鳥に食べられなければ成長するようなものである。また沙門やバラモンなどは、和尚や善知識に依って成長する。子供は父母に依って成長する。これを增長因という。 遠因とは何か。例えば、呪文によって鬼が害をなさず、毒も効かない。国王に頼れば盗賊もいない。種子が地・水・火・風に依るようなもの。乳をかき混ぜて酥（バター）になるのが遠因である。また、無明や色などが識の遠因であるように、父母の精血が衆生の遠因となる。季節などもすべて遠因と呼ばれる。 善男子よ、涅槃の本体は、このような五つの因によって成るものではない。それなのに、どうして無常の因であると言えるだろうか。 また、すべての諸法には二種類の因がある。第一は作因、第二は了因である。例えば陶師がろくろや縄を用いるのが作因である。灯火などが暗闇の中の物を照らし出すのが了因である。 善男子よ、大涅槃は作因によって得られるものではなく、了因によってある。了因とは、すなわち三十七品の助道の法、六波羅蜜のことである。これを了因という。 また、三解脱門と三十七品は、あらゆる煩悩に対して『不生』を生じさせる因となり、また涅槃にとっての了因となる。善男子よ、煩悩を離れれば、涅槃をありのままに見ることができる。それゆえ、涅槃には了因のみがあって、生因はないのである。 また、もしこの三十七品を離れるならば、ついに声聞の正果を得ることはできない。ましてや阿耨多羅三藐三菩提の果、仏性、そして仏性の果を見ることなどできないのである。この因縁によって、梵行とはすなわち三十七品である。なぜなら、三十七品の性質は顛倒しておらず、顛倒を壊すことができる。性質は悪見ではなく、悪見を壊すことができる。性質は怖れではなく、怖れを壊すことができる。性質は清らかな行いであるがゆえに、衆生をしてついに清らかな梵行を造り行わせることができるのである。」」

述曰。上來雖引經論明業因多種。至時斷罪未明輕重。故別引優婆塞戒經辯業不同。別有四例。一將物對意有四。二輕重不同有八。三上中下不同復八。四依薩婆多論。有心無心不同復八。臨時判罪並皆攝盡。故經第一云。有物重意輕。有物輕意重。有物重意重。有物輕意輕。第一有物重意輕者。如無惡心殺於父母者是。第二物輕意重者。如以惡心殺於畜生者是。第三物重意重者。如以極惡心殺所生母者是。第四物輕意輕者。如以輕心殺於畜生者是。

> 述べよう。これまで経論を引用して業因の多様性を明らかにしてきたが、実際に罪を断じる際に軽重の基準がまだ明らかではない。そこで、特に『優婆塞戒経』を引用して、業の違いを弁別する。別に四つの例がある。第一に、対象と意図の組み合わせに四種。第二に、軽重の違いに八種。第三に、上中下の違いにも八種。第四に、『サルバースティヴァーディン論』に基づき、有心・無心の違いにも八種がある。これらによって、臨機の罪の判定はすべて網羅される。ゆえに経典の第一に曰く、「対象が重く意図が軽いものがある。対象が軽く意図が重いものがある。対象が重く意図が重いものがある。対象が軽く意図が軽いものがある」と。 第一に「対象が重く意図が軽い」とは、例えば悪心なく父母を殺す場合である。第二に「対象が軽く意図が重い」とは、例えば悪心をもって畜生を殺す場合である。第三に「対象が重く意図が重い」とは、例えば極めて悪しき心で生みの母を殺す場合である。第四に「対象が軽く意図が軽い」とは、例えば軽い心で畜生を殺す場合である。

第二如是惡業復有八種輕重不同。何等為八。一者方便重根本成已輕。二有根本重方便成已輕。三有成已重方便根本輕。四有方便根本重成已輕。五有方便成已重根本輕。六有根本成已重方便輕。七有方便根本成已重。八有方便根本成已輕。物是一種。以心力故得輕重果。如十善業道有其三事。一方便。二根本。三成已。若復有人能勤禮拜供養父母師長和尚有德之人。先意問訊言則柔軟。是名方便。若作已竟能修念心歡喜不悔。是名成已。作時專著。是名根本。十善既爾。十惡亦然。

> 第二に、こうした悪業にはさらに八種類の軽重の違いがある。どのような八種類か。第一に、方便（準備段階）は重いが根本（行為の本体）と成已（行為の完了後）は軽いもの。第二に、根本は重いが方便と成已は軽いもの。第三に、成已は重いが方便と根本は軽いもの。第四に、方便と根本は重いが成已は軽いもの。第五に、方便と成已は重いが根本は軽いもの。第六に、根本と成已は重いが方便は軽いもの。第七に、方便と根本と成已のすべてが重いもの。第八に、方便と根本と成已のすべてが軽いもの。対象は同じであっても、心の働きによって軽重の結果が生じる。 十善業道には三つの要素がある。一つ目は方便、二つ目は根本、三つ目は成已である。もしある人が、熱心に礼拝し、父母や師長、和尚、徳のある人を供養し、進んで挨拶し、言葉が柔らかければ、これを方便と名付ける。もし行為を終えた後、念を修め、心から喜び後悔しなければ、これを成已と名付ける。行為に専心し集中することを、根本と名付ける。十善がそうであるように、十悪もまた同様である。

第三是十業道復有三種。謂上中下。或方便上。根本中。成已下。或方便中。根本上。成已下。或方便下。根本上。成已中綺互作八准前可知。

> 第三に、十の善悪の道（十業道）には、さらに三つの種類があります。すなわち、上・中・下です。 あるいは、準備段階が上級で、根本（実行）が中級、完了後が下級のもの。 あるいは、準備段階が中級で、根本が上級、完了後が下級のもの。 あるいは、準備段階が下級で、根本が上級、完了後が中級のもの。 <note>このように組み合わせが複雑に交わることで、八通りの場合があることは、先の説明に従って理解できます。</note>

第四依薩婆多論。方便根本成已有心無心作八句。准類可知。

> 第四に、『サルヴァースティヴァーダ論（薩婆多論）』に依れば、 「方便（準備の段階）」「根本（実行の段階）」「成已（行いを終えた後）」、 そして「有心（心があること）」「無心（心がないこと）」の 組み合わせで八つの分類（八句）を作る。 この分類に従えば、類推して理解できるはずである。

又如阿毘曇心論云。有五種果。一報果。二所依果。三增上果。四身力果。五解脫果。若是善有漏法。或四果。或五果。能斷結使。是謂五果。不依斷結。是謂四果。除解脫果。若是無漏法。或四果或三果。若能斷結。於四果中除其報果。若不斷結。除報果解脫果。若是無記法中唯有三果。除報果解脫果。

> また、阿毘曇心論にこう述べられています。「五つの果がある。一に報果、二に所依果、三に増上果、四に身力果、五に解脱果である。もし善の有漏法であれば、四果または五果となる。煩悩の束縛を断ち切ることができる場合、これを五果という。煩悩の束縛を断ち切らない場合、これを四果といい、解脱果を除く。もし無漏法であれば、四果または三果となる。煩悩の束縛を断ち切ることができる場合、四果の中から報果を除く。煩悩の束縛を断ち切らない場合、報果と解脱果を除く。もし無記法の中では、ただ三果のみがあり、報果と解脱果を除く。」