---
title: "法苑珠林 · 2 呵欲部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcy5b0co08hol4044unsfg97"
---

### 呵欲部第二

> 第二部 欲望を離れること

第一明貪欲滋多者。如涅槃經偈云。

> 第一に、貪欲が増え続けることについて説明します。『涅槃経』の偈にこうあります。

若常愁苦 愁遂增多 如人喜眠眠則滋多 貪婬嗜酒 亦復如是

> 常に苦しみを思い悩めば、その苦しみはますます増えていくのです。それは、人が眠りを好めば、ますます眠りが増すのと同じです。貪欲や情欲、酒を好むことも、まったく同じことなのです。

又正法念經偈云。

> また、『正法念経』の偈（うた）にはこう説かれています。

如火益乾薪 增長火熾然如是受樂者 愛火轉增長薪火雖熾然 人皆能捨離愛火燒世間 纏綿不可捨

> 火に乾いた薪を加えれば、ますます燃え盛るように、 楽しみを受ける者も、愛欲の火はさらに燃え広がる。 薪の火は激しく燃えても、人は皆それを捨て去ることができる。 しかし愛欲の火は世の中を焼き尽くし、執着して離れることができない。

又智度論偈云。

> また、『智度論』の偈にこうある。

世人愚惑 貪著五欲 至死不捨為之後世 受無量苦 譬如愚人貪著好果 上樹食之 不肯時下人伐其樹 樹傾乃墮 身首毀壞痛苦而死 得時樂少 失時苦多如蜜塗刀 舐者貪甜 不知傷舌後受大苦

> 世の人々は愚かで迷い、五つの欲望に執着し、死に至るまで手放せません。 そのために、来世において限りない苦しみを受けます。まるで愚かな人が、 美味しい果実に執着して木に登り、それを食べて、なかなか下りようとしないようなものです。 人がその木を伐ると、木が倒れて落ち、頭や体を壊し、 苦しみながら死んでしまいます。得られる楽しみはわずかで、失う時の苦しみは大きいのです。 これは蜜を塗った刀のようなもので、舐める者はその甘さに夢中で、舌を傷つけることに気づきません。 後に大きな苦しみを受けるのです。

成實論偈云。

> 成実論の偈に言う。

貪欲實苦 凡夫顛倒 妄生樂想智者見苦 見苦則斷 受欲無厭如飲鹹水 轉增其渴 以增渴故何得有樂 譬如狗齩 血塗枯骨增涎唾合 想謂有美 貪欲亦爾於無味中 邪倒力故 謂為受味故知色欲 苦實樂虛 要無貪求方名真樂

> 貪欲は実は苦しみである。しかし凡夫はさかさまに見て、誤って楽しいと思い込む。 賢者はこれを苦しみと見る。苦しみと見れば、それを断つことができる。欲望を受け入れて満足することはなく、 それはあたかも塩水を飲むようなもの。飲めば飲むほど、かえって渇きが増す。渇きが増すばかりで、 どこに楽しみがあろうか。例えるなら、血のついた乾いた骨を犬が噛むようなもの。 それがよだれと混ざり合い、美味しいと思い込む。貪欲もまた同じである。 味のないものに、誤った見方の力によって、味わいがあると思い込むのだ。 ゆえに知るべきである。色や欲は苦しみが実体であり、楽しみは虚ろである。貪り求めることのないことこそが、 真の楽しみなのである。

第二明觀女不淨者。但惟諸女。外假容儀。內懷臭穢。迷人著相。不覺虛誑。唯大智者能知可惡也。又禪祕要經云。長老目連得羅漢道。本婦將從。盛服莊嚴欲壞目連。目連爾時為說偈言。

> 第二に、女性の不浄について観じる方法を明かします。ただ、あらゆる女性は、外見だけを仮に装い、内側は臭く汚れています。人を惑わし、外見に執着させ、虚偽であることに気づかせません。ただ、大きな智慧ある人だけが、それが嫌悪すべきものであると知ることができます。 また、『禅秘要経』にはこうあります。長老の目連（もくれん）が阿羅漢（あらかん）の道を得た時、元の妻が侍女を連れ、華やかに装って目連を誘惑しようとしました。その時、目連は彼女たちに次の偈（げ）を説きました。

汝身骨乾立 皮肉相纏裹不淨內充滿 無一是好物韋囊盛屎溺 九孔常流出如鬼無所宜 何足以自貴汝身如行廁 薄皮以自覆智者所棄遠 如人捨廁去若人知汝身 如我所惡厭一切皆遠離 如人避圊廁汝身自莊嚴 華香以瓔珞凡夫所貪愛 智者所不惑汝是不淨聚 集諸穢惡物如莊嚴廁舍 愚人以為好汝脇肋著脊 如椽依梁棟五藏在腹內 不淨如屎篋汝身如糞舍 愚夫所貪保飾以珠瓔珞 外好如畫瓶若人欲染空 始終不可著汝欲來燒我 如蛾自投火一切諸欲毒 我今已滅盡五欲已遠離 魔網已壞裂我心如虛空 一切無所著正使天欲來 不能染我心

> あなたの体は骨と皮だけになり、肉と皮がまとわりついている。 内側は汚れで満ち、一つとして清らかなものはない。 革袋に大小便を満たしたように、九つの穴から常に流れ出る。 まるで鬼のように何の価値もなく、何をもって自らを貴ぶのか。 あなたの体は歩く便所であり、薄い皮で覆われているだけ。 賢者は遠く離れ去る、人が便所を捨てるように。 もし人があなたの体を、私が嫌い厭うように知るならば、 すべての人は遠く離れる、人が便所を避けるように。 あなたの体は飾り立て、花や香りや瓔珞で装う。 凡夫は貪り愛するが、賢者は惑わされない。 あなたは不浄の集まりであり、あらゆる汚れたものを集めている。 便所を飾り立てて、愚か者がそれを良いと思うようなもの。 あなたの肋骨は背骨にくっつき、垂木が梁に寄りかかるよう。 五臓は腹の中にあり、不浄でまるで糞の箱のよう。 あなたの体は糞の家、愚か者が貪り守るもの。 宝の瓔珞で飾られ、外見は絵の描かれた瓶のように美しい。 もし人が虚空に染まろうとしても、永遠に着くことはない。 あなたが私を焼こうとするのは、蛾が自ら火に飛び込むようなもの。 あらゆる欲望の毒を、私は今や完全に滅ぼした。 五つの欲望はすでに遠く離れ、悪魔の網は壊れ裂けた。 私の心は虚空のごとく、一切に執着することはない。 たとえ天の欲望が訪れようとも、私の心を染めることはできない。

又增一阿含經云。寧以火燒鐵錐而刺于眼。不以視色興起亂想。又正法念經云。女人之性心多嫉妬。以是因緣。女人死後多生餓鬼趣中。雖有美言心如毒害。強知虛詐能惑世間。

> 増一阿含経にはこう説かれています。 「火で焼いた鉄の鏃で目を刺される方がまだましである。 色欲に心を奪われ、乱れた思いを起こすよりは、まだましである。」 また、正法念経にはこうあります。 「女というものは、心に嫉妬が多い。 その因縁によって、女は死後、餓鬼道に生まれることが多い。 たとえ美しい言葉を口にしても、その心は毒のように害をなす。 見せかけの知識や虚偽によって、世の人々を惑わす力を持つ。」

第三明女人難親可厭者。故優填王經偈云。

> 第三に、女というものは親しみがたく、嫌うべきものであることを明らかにします。そこで、『優填王経』の偈にはこうあります。

女人最為惡 難與為因緣恩愛一縛著 牽人入罪門

> 女性こそが最も恐ろしく、 縁を結ぶのが難しい存在である。 愛執の一つの絆に絡め取られれば、 人は罪の門へと引きずり込まれてしまう。

非直牽人入惡道。天中退落亦由女惑。故正法念經偈云。

> まっすぐに人を悪道へ導くわけではありませんが、天界から落ちるのもまた女性の惑わしによるものです。ゆえに『正法念経』の偈にはこうあります。

天中大繫縛 無過於女色女人縛諸天 將至三惡道

> 世の中のもっとも大きな束縛は、女色に勝るものはない。 女は天人の心さえも縛りつけ、地獄・餓鬼・畜生の三悪道へと導いてしまう。

又智度論云。菩薩觀欲種種不淨。於諸衰中女衰最重。火刀雷電霹靂怨家毒蛇之屬。猶可暫近。女人慳妬。瞋諂妖穢。鬪諍貪嫉。不可親近。故佛說偈云。

> また『智度論』にこう説かれています。 菩薩は欲望というものを、様々な不浄なものとして観じます。数々の衰えの中でも、女の衰えが最も重いのです。火や刀、雷や稲妻、怨みを持つ者や毒蛇といったものたちは、まだ一時的に近づくことができます。しかし、女性の慳吝（けちんぼう）や嫉妬、怒りやへつらい、妖しく汚らわしい振る舞い、争いや貪りやねたみは、近づいてはいけません。 それゆえに仏は偈（うた）を説かれました。

寧以赤鐵 宛轉眼中 不以散心邪視女色 含笑作姿 憍幔羞慚迴面𥍉眼 美言妬瞋 行步妖穢以惑於人 婬羅欲網 人皆投身坐臥行立 迴眄巧媚 薄智愚人為之心醉 執劍向敵 是猶可勝女賊害人 是不可禁 毒蛇含毒猶可手捉 女情惑人 是不可觸

> むしろ焼けた鉄の塊を 目の上で転がす方がましだ 散り乱れた心で 女の姿を邪な目で見るよりは 笑みを作り、気取った態度で 驕り高ぶり、恥じらいのふりをする 顔を背け、目を瞬かせ 美しい言葉で嫉妬や怒りを隠す 歩く様は邪（よこしま）で卑しく 人を惑わす 情欲の罠、欲望の網に 人は皆、身を投じる 座り、横になり、立ち、歩きながら 振り返り、巧みに媚びる 浅はかな智慧の愚か者は それに心を酔わせる 剣を手に敵に向かうのは まだ打ち勝つこともできよう 女という賊が人を害するのは 防ぎようがない 毒蛇が毒を宿していても 手で掴むことはまだできる 女の心が人を惑わすのは 触れることさえ許されない

又增一經偈云。

> さらに、一つの経典の偈（うた）にこうあります。

莫與女交通 亦莫共言語有能遠離者 則離於八難

> 女性と深く交わってはならない 言葉を交わすことさえ避けなさい もしもそこから遠ざかることができるなら その人は八つの困難を離れることができるのだ

故薩遮尼乾子經尼乾子說偈云。

> よって、『薩遮尼乾子経』において尼乾子が説いた偈にはこうある。

自妻不生足 好婬他婦女是人無慚愧 受苦常無樂現在未來世 受苦及打縛捨身生地獄 受苦常無樂

> 自分の妻に満足せず、他の女を好む者は、 その人は恥じる心がなく、苦しみばかりで安らぎがない。 現在も未来の世も、苦しみを受け、打たれ、縛られる。 身を捨てれば地獄に生まれ、苦しみばかりで安らぎがない。

又雜譬喻經云。佛在世時。有一婆羅門生於兩女。女皆端正。乃故懸金。九十日內募索有能訶我女醜者。便當與金。竟無募者。將至佛所。佛便訶言。此女皆醜無有一好。阿難白佛言。此女實好。而佛言惡。有何不好。佛言。人眼不視色是為好眼。耳鼻口亦爾。身不著細滑。是為好身。手不盜他財。是為好手。今觀此女眼視色。耳聽音。鼻嗅香。身喜細滑。手喜盜財。如此之者。皆不好也。

> また『雑譬喩経』にはこうあります。仏が在世の頃、あるバラモンに二人の娘がいました。二人ともたいへん美しく、そこでバラモンは「九十日の間、我が娘の醜いところを指摘できる者には懸賞金を与える」と張り出しました。ところが、誰も名乗り出る者はいませんでした。そこでバラモンは娘たちを連れて仏のところへ行きました。すると仏は、「この娘たちはどちらも醜く、一つも良いところはない」とおっしゃいました。阿難が仏に問いました。「この娘たちは実際に美しいのに、なぜ仏は醜いとおっしゃるのですか。どこに良くない点があるのでしょうか。」仏は答えられました。「人の目が色に惑わされないこと、それが良い目である。耳、鼻、口も同じだ。体が滑らかな感触に執着しないこと、それが良い体である。手が他人の財産を盗まないこと、それが良い手である。ところが、この娘たちは目は色を追い、耳は音に聴き入り、鼻は香りを嗅ぎ、体は滑らかな感触を好み、手は他人の財産を盗みたがる。このような者たちは、みな良いとは言えないのだ。」

又佛說日明菩薩經云。菩薩呵色欲法。女色者世間之枷鎖。凡夫戀著不能自拔。女色者世間之重患。凡夫困之至死不免。女色者世間之衰禍。凡夫遭之無厄不至。行者既得捨之。若復顧念。是為從獄得出還復思入。從狂得正而復樂之。從病得差復思得病。智者怒之。知其狂而顛蹶死無日矣。凡夫重色甘為之僕。終身馳驟為之辛苦。雖復鈇質寸斬鋒鏑交至。甘心受之不以為患。狂人樂狂不是過也。行者若能棄之不顧。是則破枷脫鎖惡狂厭病。離於衰禍。既安且吉。得出牢獄永無患難。女人之相其言如蜜。而其心如毒。譬如渟淵澄。鏡而蛟龍居之。金山寶窟而師子處之。當知此害不可暫近。室家不和婦人之由。毀宗敗族婦人之罪。實是陰賊滅人慧明。亦是獵圍尠得出者。譬如高羅群鳥落之不能奮飛。又如密網眾魚投之刳腸俎肌。亦如暗坑無目投之如蛾赴火。是以智者知而遠之。不受其害惡而穢之。不為此物之所惑也。

> また、仏説の「日明菩薩経」には、菩薩が色欲を呵責する教えが説かれています。 女性の色は、世間における枷である。凡夫はそれに執着し、自ら抜け出せない。 女性の色は、世間における重い病である。凡夫はそれに苦しみ、死ぬまで逃れられない。 女性の色は、世間における衰えと災いである。凡夫がそれに遭えば、災厄の及ばないところはない。 修行者はすでにこれを捨てたのに、もし再び顧みるならば、それは牢獄から出て、また入ろうとするようなもの。 狂気から正気を得たのに、再びそれを楽しむようなもの。 病から癒えたのに、再び病を得ようと願うようなもの。 賢者はこれを哀れみ、彼らが狂っていて、いつ倒れて死んでもおかしくないと知るのである。 凡夫は色を重んじ、喜んでその僕となる。一生涯、忙しく駆け回り、そのために苦労する。 たとえ鉄の刃で寸断されようと、刀や矢が次々と当たろうと、心からそれを受け入れ、災いとは思わない。 狂人が狂っているのを喜ぶのも、これに過ぎない。 修行者がもしこれを捨てて顧みなければ、これすなわち枷を破り、鎖を脱し、悪しき狂気を憎み、病を厭い、衰えや災いから離れることとなる。 すでに安らかであり、かつ吉祥であり、牢獄を出て、永遠に患難がない。 女人の姿は、その言葉は蜜のようでいて、その心は毒のようである。 例えるならば、澄んで鏡のような淵であっても、蛟龍がそこに住む。 金の山や宝の窟であっても、獅子がそこにいる。 この害は、暫時も近づいてはならないと、知るべきである。 家庭の不和は、女が原因である。 家系を滅ぼし、宗族を破るのは、女の罪である。 実に陰の賊であり、人の智慧の光明を滅ぼす。 また、狩りの罠のようなもので、そこから抜け出せる者はほとんどいない。 例えるならば、高い網に群鳥が落ちれば、奮い立って飛ぶことができない。 また、密な網に多くの魚が投げ込まれれば、腸をかき切られ、肉を細切れにされる。 また、暗い穴に目のない者が落ち込むようなもの。 蛾が火に飛び込むようなものである。 ゆえに、賢者はこれを知って遠ざけ、その害を受けない。 これを悪しきもの、穢れたものとして、この物に惑わされることがないのである。

又佛般泥洹經云。佛告柰女。好邪婬者有五自妨。一多聲不好。二王法所疾。三懷異多疑。四死入地獄。五地獄罪竟受畜生形。皆罪所致。能自滅心不邪婬者有五增福。一多人稱譽。二不畏縣官。三身得安隱。四死上天生五從意清淨得泥洹道。

> また『仏般泥洹経』にはこうあります。仏が奈女に告げられました。「邪な淫行を行う者は、五つの自らを損なう過ちがある。第一に、評判が悪くなる。第二に、国の法律で罰せられる。第三に、疑い深くなる。第四に、死んで地獄に落ちる。第五に、地獄の罪が終わった後、畜生の形を受ける。これらはすべて罪がもたらすものだ。自らの心を抑えて邪な淫行を行わない者には、五つの福が増す。第一に、多くの人に称賛される。第二に、役所を恐れない。第三に、身が安らかになる。第四に、死んで天に生まれる。第五に、心が清らかになり、涅槃の道を得る。」