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title: "法苑珠林 · 唐刑部郎中宋行質"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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唐尚書刑部郎中宋行質。博陵人也。性不信佛。有慢謗之言。至永徽二年五月病死。至六月九日。尚書都官令史王璹暴死。經二日而蘇。自言。初死之時見四人來至其所云。官府追汝。璹隨行入一大門。見廳事甚壯。向北為之。廳上西間有一人坐。形容肥黑。廳東間有一僧坐。與官相當。皆面向北。各有床几案縟。侍童子二百許人。或冠或辮。皆美容貌。階下有吏文案。有一老人。著枷被縛立東階下。璹至庭亦已被縛。吏執紙筆問璹。辭曰。貞觀十八年任長安佐史之日。因何改李須達籍。答曰。璹前任長安佐史。貞觀十六年轉選。至十七年蒙授司農寺府吏。十八年改籍。非璹罪也。廳上大官讀其辭辯。顧謂東階下老囚曰。何因妄訴耶。囚曰。須達年實未至。由璹改籍。加須達年大。豈敢妄耶璹云。璹至十七年。改任告身見在。請追驗之。官司呼領璹者三人。解璹縛將取告身。告身至大官。自讀之。謂老囚曰。他改任大分明。汝無理令送老囚出北門外。昏闇多有城。城上皆有女牆。似是惡處。大官因書案上。謂璹曰。汝無罪。放汝去。璹辭拜。吏引璹至東階拜辭僧。僧印璹臂曰好去。吏引璹出東南。行度三重門。每皆勘視臂印。然後聽出。至四門。門甚壯大。重樓朱粉三戶並開。狀如官城門。守衛嚴切。又驗印聽出。門東南行數十步。聞有人從喚璹。璹迴顧見侍郎宋行質。面色慘黑。色如濕地。露頭散腰著故緋袍。頭髮短垂。如胡人者。立於廳事階下。有吏主守之。西近城有一大木牌。高一丈二尺許。大書牌上曰。此是勘當擬過王人。其字大方尺餘甚分明。廳事上有床坐几案。如官府者。而無人坐。行質見璹悲喜。口云。汝何故得來。璹曰。官追勘問改籍。無事放還。行質捉其兩手謂璹曰。吾被官責問功德簿。吾手中無功德簿。坐此困苦。加之飢渴寒苦不可言說。君可努力。至我家急語令作功德也。如是殷勤四囑之。璹乃辭去。行數十步。又呼璹。還未及言。廳上有官人來坐怒璹曰。我方勘責事。汝何人輒至囚處。使卒搭其耳推令去。璹走又至一門。門吏曰。汝被搭耳。耳當聾。吾為汝却其中物。因以手挑其耳。耳中鳴乃驗。即放。出門外黑如。漆璹不知所。在以手摸西及南。皆是牆壁。唯東無障礙而闇不可行。立待少時見向者追璹之吏從門出來。謂璹曰。君尚能待我甚善。可乞我錢一千。璹不應。內自思曰。吾無罪放來。何為覓賄。吏即謂曰。君不得無行。吾向若不早將汝過官令。二日受縛。豈不困耶。璹心然之。因愧謝曰。依命。吏曰。吾不用汝銅錢。欲得白紙錢。期十五日來取。璹許。因問歸路。吏曰但東行二百步。當見一處。牆穿破見明。可推倒之。即至君家。璹如信行。至牆推之良久。乃至依倒處出。即至其所居。隆政坊南門矣。於是歸家見人坐泣。入戶而蘇。至十五日。璹忘與錢。明日復病困絕。見吏來怒曰。君果無行。期與我錢。遂不與。今復將汝去。因即驅行。出金光門令入坑。璹拜謝百餘拜。遂即放歸。又蘇璹告家人。買紙百張作錢送之。明日璹又病困。復見吏曰。君幸能與我錢。而錢不好。璹辭謝請更作許之。又蘇。至二十日。璹令用六十錢買白紙百張作錢并酒食。自於隆政坊西門渠水上燒之。既而身輕體健。遂念誦不廢。臨問其事。時與刑部侍郎劉燕客大理少卿辛茂將。在大理鞫問請。劉召璹至。與辛卿等對問之云耳右三驗出冥報記。

> 唐代の尚書刑部郎中・宋行質は、博陵の人であった。生来仏を信じず、軽んじ謗る言葉があった。永徽二年五月に病死した。同年六月九日、尚書都官の令史・王璹が急死し、二日経って蘇生した。自ら語るには、当初死んだ時、四人が来て「役所がお前を召している」と言った。璹は彼らに従って大きな門をくぐると、北向きの壮麗な庁舎があった。その西側の間に一人の肥えた黒い男が座り、東側の間には一人の僧が官員と相対して座っていた。いずれも北を向き、それぞれ机や褥があり、美しい容貌の侍童が二百人ほどいた。階段下には官吏が書類を扱っており、一人の老人が枷をはめられ東の階段下に立っていた。璹も庭に到着すると捕えられた。 官吏が紙と筆を取り出し、璹に問うた。「貞観十八年、長安の佐史だった時、なぜ李須達の戸籍を改ざんしたのか。」璹は答えた。「私は以前長安の佐史でしたが、貞観十六年に転任し、十七年に司農寺の府吏に任命されました。十八年の戸籍改ざんは私の罪ではありません。」上の大官がその供述を読み、東の階段下の老囚に「なぜ偽って訴えるのか」と尋ねた。囚人は言った。「須達は実際には年齢に達していません。璹が戸籍を改ざんし、須達の年を増やしたのです。どうして偽りましょうか。」璹は言った。「私は十七年に転任しました。その任命状は現存しています。どうか確認をお願いします。」役人は璹を連れてきた三人に命じて璹の縄を解かせ、任命状を取りに行かせた。任命状が届くと大官は自ら読み、老囚に言った。「彼の転任は明らかだ。お前の言い分は理不尽である。」そして老囚を北門の外に連れて行かせた。そこは暗く、城壁には塀があり、悪い場所のようだった。 大官は机上に書いて、璹に言った。「お前に罪はない。放してやろう。」璹は礼を述べた。官吏が璹を東の階段に連れて行き、僧に礼を取らせた。僧は璹の腕に印を押して「行ってらっしゃい」と言った。官吏は璹を東南に連れて行き、三重の門をくぐるごとに腕の印を確認してから出した。四つ目の門は非常に壮大で、朱塗りの楼閣があり、三つの戸が開いていた。宮城の門のようで、守衛は厳重だった。さらに印を確認して出ると、東南に数十歩行ったところで、後ろから呼ぶ声がした。振り返ると、侍郎の宋行質がいた。顔色は黒く、濡れた土のように見え、頭は露わで腰紐はなく、古びた緋の袍を着て、髪は短く垂れ、胡人のようだった。庁舎の階段下に立ち、官吏が監守していた。西の城壁近くには高さ一丈二尺ほどの大きな木の札があり、「これは審査を経た王人の記録である」と大書されていた。字は一尺四方ほどで、はっきりと見えた。庁舎には机や褥があったが、座っている者はいなかった。 行質は璹を見て悲喜こもごもに言った。「お前はなぜここに来たのか。」璹が「役所に呼ばれて戸籍のことで尋問されましたが、無罪で返されました」と答えると、行質はその両手を握り、言った。「私は役所から功徳の記録を問われたが、手元に功徳がなく、このために苦しんでいる。飢えや渇き、寒さで言葉にできないほどだ。お前はぜひ私の家に行き、すぐに功徳を積ませてくれ。」こうして幾度も懇願した。璹が別れを告げて数十歩行くと、再び呼び止められた。振り返ると、庁舎に役人が現れ、怒って璹に言った。「私はちょうど審問中だ。お前は何者で、囚人のところに勝手に来るのか。」そして従卒に命じて璹の耳を叩き、追い払わせた。璹は走って門に至ると、門番が「耳を叩かれて、お前は聞こえなくなっている。中のものを取ってやろう」と言い、手で耳をほじると耳の中で鳴る音がした。門を出ると、外は漆のように暗く、璹は方角がわからなかった。手で西と南を探ると壁だったが、東だけは障害がなく、しかし暗くて歩けなかった。しばらく立っていると、先ほどの召使の官吏が門から出てきて言った。「お前はまだ待っていてくれたか。千文の金をくれ。」璹は答えずに考えた。「私は無罪で返されたのだ。なぜ賄賂を求められるのか。」すると官吏は言った。「お前はそう言うな。もし私が早くお前を役所に通さなければ、二日も縛られていただろう。苦しんだではないか。」璹は納得し、謝って「その通りにします」と言った。官吏は「銅銭は要らない。白紙の銭が欲しい。十五日後に取りに来る」と言った。璹は承諾し、帰り道を尋ねた。官吏は「東に二百歩行けば、壁に穴の開いた明るい場所がある。それを押し倒せば家に着ける」と言った。璹はその通りに進み、壁を押すと倒れた。そこから出ると、自分の住む隆政坊の南門だった。家に帰ると、人々が座って泣いていた。中に入って蘇生した。 十五日、璹はお金を渡すのを忘れた。翌日、再び病に倒れ、先の官吏が現れて怒った。「お前は約束を破った。金をやる約束だったのに。今度は連れて行くぞ。」そして彼を金光門の外へ連れて行き、穴に落とそうとした。璹は百回以上謝罪し、放免された。再び蘇生した。璹は家族に、百枚の紙を買って紙銭を作るように言った。翌日、また病に倒れ、また官吏が現れて「お前は金をくれたが、質が悪い」と言った。璹は謝罪し、作り直すことを約束した。さらに蘇生した。二十日、璹は六十文で白紙百枚を買い、紙銭と酒食を作り、隆政坊の西門の溝の上で焼いた。すると体が軽くなり、健康になった。そして念仏誦経を怠らなくなった。 この出来事を聞いた時、私は刑部侍郎の劉燕客、大理少卿の辛茂将と共に大理寺で審問をしていた。劉が璹を呼び、辛卿らと共に対面して問いただした、とのことである。 <note>以上の三つの証拠は『冥報記』に収められている。</note>