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title: "嘉泰普燈錄 · 泉州教忠晦庵彌光禪師"
description: "嘉泰普灯录由南宋高僧正受编撰于嘉泰年间，是继五灯会元后重要的禅宗灯录体史书。全书三十卷，收录历代禅师机缘语录、行实传记及偈颂，涵盖临济、云门等宗派，以普照禅法、嘉惠学人为宗旨。它系统传承了禅宗法脉与思想，是研究宋代禅宗历史与思想的重要文献，在佛教史上具有承前启后的地位，与五灯会元并称为禅宗灯录双璧。"
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### 泉州教忠晦庵彌光禪師

> 泉州教忠晦庵彌光禅師

閩之長樂人。族李氏。兒時寡言笑。聞梵唄則喜。十五依幽巖文慧禪師。十八圓頂。猶喜閱群書。一日。曰。既剃髮染衣。當期悟徹。豈醉於俗典耶。遂出嶺。謁圓悟禪師於雲居。次參黃檗祥．高庵悟。機語皆契。以淮楚盜起。歸謁佛心。會大慧寓廣。因往從之。慧謂曰。汝在佛心處所得者。試舉一二看。師舉。佛心上堂。拈普化公案云。佛心即不然。總不恁麼來時如何。劈脊便打。從教徧界分身。慧曰。汝意如何。云。某不肯他。後頭下箇注脚。慧曰。此正是以病為法。師毅然無信可意。慧曰。汝但揣摩看。師竟以為不然。經旬。因記海印信禪師拈曰。雷聲浩大。雨點全無。始無滯。趨告慧。慧以舉道者見瑯瑘并賢沙未徹語詰之。師對已。慧笑曰。雖進得一步。只是不著所在。如人斫樹。根下一刀。則命根斷矣。汝向枝上斫。其能斷命根乎。今諸方浩浩說禪者。見處總如此。何益於事。其榻岐正傳。三四人而已。師慍而去。翌日。慧問。汝還疑否。云。無可疑者。曰。只如古人相見。未開口時。已知虗實。或聞其語。便識淺深。此理如何。師悚然汗下。莫知所詣。慧令究有句無句。慧過雲門庵。師侍行。一夕。問曰。某到這裏。不能得徹。病在甚處。慧曰。汝病最癖。世醫拱手。何也。別人死了活不得。汝今活了未曾死。要到大安樂田地。須是死一回始得。師疑之愈深。後入室。慧問。喫粥了也。洗鉢盂了也。去却藥忌。道將一句來。云。裂破。慧震威喝曰。你又說禪也。師大悟。慧撾鼓告眾曰。龜毛拈得笑咍怡。一擊萬重關鏁開。慶快平生在今日。孰云千里賺吾來。師亦以頌呈之曰。一拶當機怒雷吼。驚起須彌藏北斗。洪波浩渺浪滔天。拈得鼻孔失却口。邵武黃端夫創庵。乞師住持。留二年。東歸分座於鼓山。參政李公邴以教忠迎開法。閱十年。移龜山。　上堂曰。有句無句。如藤倚樹。放憨作麼。及至樹倒藤枯。句歸何處。情知汝等諸人卒討頭鼻不著。為甚麼如此。只為分明極。飜令所得遲。上堂。夢幻空華。何勞把捉。得失是非。一時放却。擲拂子曰。山僧今日已是放下了也。汝等諸人又作麼生。復曰。侍者。收取拂子。　上堂。卓拄杖。喝一喝。曰。不是坐來頻勸酒。自從別後見君稀。便下座。　上堂。一物不將來。兩肩擔不起。直下便承當。坐在屎窖裏。還有獨脫出來底麼。設有。也是黃龍精。　僧問。文殊為甚麼出女子定不得。曰。山僧今日困。云。罔明為甚麼却出得。曰。令人疑著。云。恁麼則擘開華嶽千峰秀。放出黃河一派清。曰。一任卜度。　問。如何是向上事。曰。七十三八十四。師住龜山歲餘。以疾歸雲門庵。紹興乙亥二月八日。剃沐更衣。告眾右脇而逝。十五日。闍維。獲設利五色。門人慧空頂歸教忠。六月八日。建塔于山之陽。

> 閩の長楽の人。姓は李氏。幼い頃から言葉少なく、笑いも少なかった。梵唄を聞くと喜んだ。十五歳で幽巖文慧禅師に師事し、十八歳で得度した。それでもなお群書を読むことを好んだ。ある日、言った。「すでに髪を剃り、衣を染めたのだから、悟りを徹底することを期すべきだ。どうして俗典に酔っていられようか」。そこで嶺を出て、雲居で圓悟禅師に謁し、次いで黄檗祥・高庵悟に参じた。機縁と問答はみな合致した。淮楚で盗賊が起こったため、帰って佛心に謁した。ちょうど大慧が広に寓居していたので、それに従った。大慧が言った。「お前が佛心のところで得たものを、一二挙げてみよ」。師が挙げた。「佛心が上堂し、普化の公案を拈じて言った。『佛心はそうではない。総じてそうでない時に来たらどうするか。背中を真っ二つに打つ。教えに従って遍界に分身する』」。大慧が言った。「お前はどう思うか」。師が言った。「某は彼の後ろに注釈を付けることを肯んじない」。大慧が言った。「これはまさに病を法とするものだ」。師は毅然として信じるに足ると思わなかった。大慧が言った。「お前はただ推し量ってみよ」。師はついにそうではないと思った。十日ほど経って、海印信禅師が拈じて言ったことを思い出した。「雷声は浩大だが、雨粒はまったくない」。ようやく滞りがなくなった。急いで大慧に告げた。大慧は、道者が瑯瑘に会い、并びに賢沙が未徹の語を詰めたことを挙げて問うた。師が答え終わると、大慧は笑って言った。「一歩進んだとはいえ、ただ所在についていない。人が木を伐るように、根元から一刀のもとに断てば、命根は断たれる。お前は枝を伐っている。それで命根を断てるだろうか。今、諸方で盛んに禅を説く者たちは、見処が総じてこのようだ。事に何の益があろう。その榻岐の正伝は、三四人だけだ」。師は憤って去った。翌日、大慧が問うた。「お前はまだ疑っているか」。師が言った。「疑うべきものはない」。大慧が言った。「ただ、古人が相見した時、口を開く前からすでに虚実を知り、あるいはその語を聞いて、すぐに浅深を識った。この理はどうか」。師は慄然として汗を流し、どこに行くべきかわからなかった。大慧は有句無句を究めるよう命じた。大慧が雲門庵を訪れた時、師は侍行した。ある夕べ、師が問うた。「某はここまで来て、徹底することができない。病はどこにあるのか」。大慧が言った。「お前の病は最も癖がある。世の医者は拱手する。なぜか。他人は死んで生き返れないが、お前は今生きていて、まだ死んでいない。大安楽の田地に至ろうとするには、一度死ななければならない」。師の疑いはますます深まった。後に入室した時、大慧が問うた。「粥を食べ終わった。鉢盂を洗い終わった。薬忌を除いて、一句を道え」。師が言った。「裂破」。大慧は威を震わせて喝した。「お前はまた禅を説いている」。師は大悟した。大慧は鼓を打ち鳴らして大衆に告げた。「亀毛拈得笑咍怡。一撃万重関鎖開。慶快平生今日に在り。孰か云わん千里吾を賺すを」。師もまた頌を呈した。「一拶当機怒雷吼。驚起須弥蔵北斗。洪波浩渺浪滔天。拈得鼻孔失却口」。邵武の黄端夫が庵を創り、師に住持を乞うた。二年留まった後、東に帰り鼓山で分座した。参政の李公邴が教忠を以て迎え、開法を請うた。十年を閲し、亀山に移った。 上堂して言った。「有句無句。藤の樹に倚るが如し。憨を放って何を為す。樹倒れ藤枯るるに及んで、句は何れの処に帰するか。情けを知る汝等諸人、卒に頭鼻を討つも著かず。何ぞ甚だしくかくの如き。只だ分明極まりて、翻って所得を遅からしむ」。上堂して言った。「夢幻空華。何ぞ把捉を労せん。得失是非。一時に放却す」。拂子を擲って言った。「山僧今日すでに放下した。汝等諸人はまたどうするか」。また言った。「侍者。拂子を収めよ」。上堂して、拄杖を卓ち、一喝して言った。「坐来頻りに酒を勧むるに非ず。別後より君を見ること稀なり」。便ち下座した。上堂して言った。「一物も将し来らず。両肩も担いで起きず。直下に便ち承当すれば、屎窖裏に坐す。独り脱出来たる底あるか。設い有らば、これも黄龍精なり」。 僧が問うた。「文殊は何ぞ女子定を出だすことを得ざる」。師が言った。「山僧今日困す」。僧が言った。「罔明は何ぞ却って出だすことを得る」。師が言った。「人をして疑わしむ」。僧が言った。「恁麼ならば、華嶽千峰を擘き開きて秀、黄河一派を放出して清し」。師が言った。「一任して卜度す」。問うた。「如何なるか是れ向上の事」。師が言った。「七十三八十四」。 師は亀山に住すること歳余り、病のため雲門庵に帰った。紹興乙亥二月八日、剃髪沐浴し衣を更え、大衆に告げて右脇して逝った。十五日、闍維し、五色の舎利を得た。門人慧空頂が教忠に帰した。六月八日、山の陽に塔を建てた。