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title: "大華嚴一乘法界圖註并序 · 註"
description: "雪岑所著的《大華嚴一乘法界圖註并序》是华严宗重要典籍，以图解形式阐释《华严经》核心教义。作者雪岑为元代华严学高僧，融合华严圆融思想与禅修实践，系统解说法界缘起、一乘圆教等理论。该书以图释经，通过十玄门、六相圆融等框架展现事事无碍的宇宙观，强调众生皆具佛性、万法相即相入的华严境界。作为华严宗修行指南，它继承唐代法藏、澄观学说，对东亚佛教哲学影响深远，至今仍是研究华严思想与实修体系的重要文献。"
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○東土義相述

> 東土の義相を述べる

世尊。七處九會。為頓機人。說頓部。已是錯了。義相法師。向清平世界。為什麼　鑿空摸影。不識好惡。說這般閑話。到這裏。安着一字。肉上剜瘡。減着一字。眼中着屑。於最清淨法界上。且喜沒交涉。雖然。法。本法無法。無法法。亦法。今付無法時。法法。何曾法。伊麼。則將山河大地。草木叢林。一一拈來。作一切法。亦得。將語默動靜。縱橫妙用。一一覷破。作不是法。亦得。奈為如此。

> 世尊は、七つの場所で九度の説法を行い、一気に悟りに至る素質を持つ人々のために、直ちに悟りへ導く教えを説かれた。それだけでもう間違いである。義相法師は、清らかで平らな世界に向かって、なぜ空を彫り影を探るように、無いものを求めるのか。善し悪しも見分けず、このような無駄話を言う。ここに至っては、一字を加えれば肉に傷をつけることになり、一字を減らせば目に塵が入ることになる。最も清らかな法の世界においては、ありがたいことに何の関わりもない。もっとも、法とは、本来の法に法はなく、法のない法もまた法である。今、法のないものを授ける時、それぞれの法が、かつて法であっただろうか。そのようであれば、山河大地、草木叢林を、一つ一つ手に取って、すべての法とするのもよい。言葉や沈黙、動きや静けさ、縦横無尽の妙用を、一つ一つ見抜いて、法ではないとするのもよい。しかし、どうしてそうなっているのか。

我為法王。於法。自在。拈放。在我。與奪。臨時。將此一圖。作一法界。咄。

> わたしは法の王である。法において自在であり、つかむことも放すことも、わたしの思いのままである。与えることも奪うことも、その時々で自由に行う。この一図をもって、一つの法界とする。咄。

○法性圓融無二相

> 法の本性は円融して二つの相はない

法者。即六根門頭。森羅萬像。情與無情也。性者。六根門頭。常常受用。計較摸索不得底消息也。圓融者。一切法。即一切性。一切性。即一切法。即今。青山綠水。即是本來性。本來性。即是青山綠水也。無二相者。青山綠水。本來性。元是一箇王太白。本來無二也。但以世人。妄生分別。遂有我人。於清淨無礙中。瞥生異念。揑作十法界。熾然作用。要知不礙底消息麼。

> 法とは、六つの感覚の入り口に現れる、森羅万象すべてのもの、命あるものも命なきものも含まれます。性とは、六つの感覚の入り口で、いつも働きながらも、考えたり探ったりしてもつかまえられない、そのはたらきのことをいいます。円融とは、すべての法がそのまますべての性であり、すべての性がそのまますべての法であるということです。たとえば、今目の前にある青山や緑の水は、そのまま本来の性であり、本来の性は、そのまま青山や緑の水なのです。無二相とは、青山や緑の水と本来の性が、もともと一つの同じもの、少しも二つではないということです。ところが、世の人々は間違って分別を起こし、我と人を分けてしまいます。清らかで妨げのない中に、ふと異なった思いが生じ、それをこねて十の世界を作り出し、盛んに働かせているのです。その妨げにならないはたらきを知りたいと思いますか。

微塵剎境。自他。不隔於毫釐。十世古今。始終。不離於當念。

> 微塵のような小さな世界も、自分と他人も、ほんのわずかも隔てられていない。過去・現在・未来のすべての時間も、始まりも終わりも、今この一瞬の思いから離れていない。

○諸法不動本來寂

> すべてのものは動かず、もともと静かである。

諸法。即前。現前一切受用也。不動者。即前。計較摸索不得也。本來寂者。即前。無二相。所謂不動絲毫。合本然也。道箇本然。早是動也。畢竟。如何。痴人面前。不得說夢。

> すべてのものごとは、そのまま目の前にあらわれている、ありのままの姿である。動かないとは、あれこれと計らったり探し求めたりすることができない、ということだ。もともと寂かであるとは、二つに分かれた姿がない、ということである。いわゆる、ほんのわずかも動かず、もともとのありのままにかなっている、ということだ。しかし、この「もともとのありのまま」と言ってしまった時点で、すでに動いてしまっている。結局のところ、どうであろうか。痴(おろ)かな人の前で、夢の話をしてはならない。

○無名無相絕一切

> 名前も形もなく、すべてを超えている。

到這裏。非佛非菩薩。非二乘非凡夫。非法非非法。非法性非非法性。非緣起非證分。可以名。目耶。可以相。知見耶。一切攀緣。擬議。都沒。奈何方信道。

> ここに至れば、仏でもなく菩薩でもない。二乗でもなく凡夫でもない。法でもなく非法でもない。法性でもなく非法性でもない。縁起でもなく証分でもない。名づけることができるだろうか。相をもって知り見ることができるだろうか。一切の攀縁も、思いはかることも、すべて及ばない。どうしようもない。ここに至って初めて、道というものを信じるのである。

欲言。言不及。林下。好商量。

> 言葉にしようとすれば、言葉が届かない。静かな林の中でこそ、じっくりと語り合うのがよい。

○證智所知非餘境

> 証の智慧によってのみ知られるもので、他には知ることができない。

三世諸佛之所證。證此者也。歷代禪師之所悟。悟此者也。自靈峰少室已後。代代相承。蓮芳續焰者。不知其幾何。但契此而已。境者。如上所云。絕一切者。非商量。有分之境也。伊麼。則這介境。與世間境。同耶。異耶。良久云大丈夫。秉慧釰。般若鋒兮。金剛焰。非但能摧外道心。早曾落却天魔膽。咄。再犯。不容。

> 三世の諸仏が証されたのは、このことです。歴代の禅師が悟られたのも、このことです。霊峰や少室以来、代々受け継がれ、蓮の芳しさのように炎を絶やさずに伝えてきた人は、どれほどいるか分かりません。ただ、このことと一つになっただけなのです。境とは、先に述べたとおりです。一切を断ち切るものは、あれこれと計らうことのできるような境ではありません。そのようであるなら、この一つの境は、世間の境と同じなのでしょうか、違うのでしょうか。しばらくして言う。大丈夫よ、慧の剣を手にし、般若の鋒と金剛の炎をもってすれば、外道の心を砕くだけでなく、すでに天魔の胆をも落としてきたのだ。咄。再び犯すことは許さない。

○真性甚深極微妙

> 真の本性は、はかり知れないほど深く、この上なく微妙です。

若論大華嚴。重重無盡法界。不涉唇吻。早是說了也。不干教乘。早已演了也。直饒溪聲。為舌相。山色。為身器。盡山河大地。為寂場。惣情非情。為眾會。言說。不着。讚揚。難盡。相師。入無縫罅處。強生穿鑿。所謂　彼既無瘡。勿傷之也。雖然。教海波瀾。不碍默味。相師。坐寬。蕩蕩地。任他道。法性圓融無二相。諸法不動本來寂。無名無相絕一切。證智所知非餘境。四句。道盡了也。不搽紅粉。便有風流。氣象。且道。四句。還有你思量計較。分別意識也無。自寂場。至于今日。便是一條鐵。無你接觜處。相師。慈悲之故。不惜眉毛。有落草之談。便道。真性。甚深。極微妙。早是十分帶泥帶水去也。山僧。今日。重為注脚。葛藤。不少。

> 大華厳について言えば、限りなく重なり合う法界は、口にすることさえ及びません。すでに語り尽くされているのです。教えの枠を超えて、すでに示されているのです。たとえ渓流の音を仏の舌とし、山の色を仏の身体とし、山河大地のすべてを静寂の道場とし、生きとし生けるものもそうでないものもすべてを集いの場としても、言葉ではとらえきれず、讃え尽くすことはできません。相師が継ぎ目のないところに入り、無理にこじ開けようとする。いわゆる「相手に傷がなければ、傷つけてはならない」ということです。とはいえ、教えの海の波は、黙した味わいを妨げません。相師はゆったりと座り、広々としています。人がどう言おうと任せておけばよい。「法性は円かに融け合い、二つの相はない。諸法は動かず、もともと静寂である。名もなく相もなく、すべてを絶している。証の智だけが知るところで、他に知るものはいない」。この四句で、すでに語り尽くしています。紅やおしろいを塗らなくても、それだけで風流な気品があるのです。さあ、この四句に、あなたが考えたり比べたりする分別の意識があるでしょうか。静寂の道場から今日に至るまで、それはただ一筋の鉄のようなもので、あなたが口を挟む隙間はありません。相師は慈悲のゆえに、眉毛を惜しむことなく、俗世に降りる話をしてこう言いました。「真の本性は、はなはだ深く、きわめて微妙である」と。これですでに、十分に泥と水をまとっているのです。山僧は今日、改めて注釈を加えます。絡み合う蔓は、少なくありません。

前。云。法性者。融淨穢。通真俗。所謂不可取不可捨。若除一切。不得全法界之智。若添一事。不得名清淨之界者也。此。云。真性者。別取有情門中。證入分。退身一步。假作真性之名。非指法性外。別有一段真性也。若是藏人。竪看。有分。若是圓頓機中。橫看。早是錯了也。不竪不橫。且道。是什麼消息。橫竪。且置一邊。作麼生是甚深底道理。以謂真也。全是夢幻。以謂假也。純是實相。非性非相。非真非假。而性而相。而真而假。故。云。甚深也。契文殊之妙智。宛是初心。則深也。不可得。入普賢之玄門。曾無別体。則淺也。不可得。妙有。得之而不有。真也。不可得。真空。得之而不空。假也。不可得。理絕名言。謂智斷修證。故。云。極微妙。還會麼。

> 前。云。法性者。融淨穢。通真俗。所謂不可取不可捨。若除一切。不得全法界之智。若添一事。不得名清淨之界者也。此。云。真性者。別取有情門中。證入分。退身一步。假作真性之名。非指法性外。別有一段真性也。若是藏人。竪看。有分。若是圓頓機中。橫看。早是錯了也。不竪不橫。且道。是什麼消息。橫竪。且置一邊。作麼生是甚深底道理。以謂真也。全是夢幻。以謂假也。純是實相。非性非相。非真非假。而性而相。而真而假。故。云。甚深也。契文殊之妙智。宛是初心。則深也。不可得。入普賢之玄門。曾無別体。則淺也。不可得。妙有。得之而不有。真也。不可得。真空。得之而不空。假也。不可得。理絕名言。謂智斷修證。故。云。極微妙。還會麼。

莫謂如來。成斷滅。一聲。還續一聲來。

> 如来が消え去ってしまったなどと考えてはいけません。ひと声の念仏が、またひと声と続いていくのです。

○不守自性隨緣成

> 自らの本性を守らず、縁に従って形を成す。

一切法。本來無性。一切性。本來無住。無住。則無体。無体。則隨緣不碍。隨緣不碍。故。不守自性。而成十方。三世矣。自性者。諸法無相。本來清淨之体也。會麼。

> すべてのものは、もともと決まった性質を持っていません。すべての性質は、もともととどまることなく移り変わります。とどまらないということは、固定した実体がないということです。実体がなければ、さまざまな縁に従って自由に現れます。縁に従って自由に現れるからこそ、自分の性質にとどまらず、十方・三世に広がっていくのです。自性とは、すべてのものにかたよりがなく、もともと清らかな本体のことです。おわかりでしょうか。

去年梅。今年柳。顏色。聲香。摠依舊。

> 去年の梅、今年の柳。色も香りも、すべて昔のまま。

○一中一切多中一

> 一つの中にすべてがあり、すべての中に一つがある。

所以。不守自性。隨緣而成故。一法。無自性故。具一切。而成一。一切法。無自性故。以一法。而成一切。是故。一中。一切。多。不碍於一。一切中。一。一。不碍於多。伊麼。則一毫端裏。三世。諸佛。處處。度生。無邊剎海。一切。眾生。箇箇。涅槃。毫端。剎海。空花中。境界。諸佛。眾生。夢幻中。物色。譬如虛空。雖遍一切。而亦不離於一塵。要識虛空建立底消息麼。

> だから、自性を守らず、縁に従って形を成すのである。一つの法は自性がないから、すべてを含んで一となる。すべての法は自性がないから、一つの法によってすべてとなる。したがって、一の中にすべてがあり、多くても一を妨げない。すべての中に一があり、一であっても多くを妨げない。このようであれば、一毫の先の中に、三世の諸仏が处处で衆生を救い、無辺の刹海のすべての衆生が、それぞれ涅槃に入る。毫端と刹海は、空花の中の境界であり、諸仏と衆生は、夢幻の中の物色である。たとえば虚空は、すべてに遍じているが、また一つの塵から離れることもない。虚空がどのように成立しているかの消息を知りたいか。

依簷山色。連雲翠。出檻花枝。帶露香。

> 軒先に寄る山の色は、雲と連なって翠(みどり)に映え、 欄干を越えて伸びる花の枝は、露を帯びて香っている。

○一即一切多即一

> 一つがすべてであり、すべてが一つである。

所以。一中。一切。多中。一故。以有一法故。即有一切。以有一切故。即有一法。以有眾生故。即有諸佛。以有諸佛故。即有眾生。虛空。無碍。生。佛。無二。緣生。無住。因果。同時。無量圓因。不出於剎那。無邊果海。不離於當念。要識虛空動作底消息麼。

> ですから、一つの中に一切があり、一切の中に一つがあります。一つの法があるからこそ、一切があるのです。一切があるからこそ、一つの法があるのです。衆生があるからこそ、諸仏があるのです。諸仏があるからこそ、衆生があるのです。虚空にはさわりがなく、衆生と仏とに二つはありません。縁によって生じ、とどまることはなく、因果は同時です。限りない円満な原因は、一瞬から離れず、果てしない功徳の海は、今の一念を離れません。虚空のはたらきのありさまを、知りたいと思いますか。

竹影。掃階。塵不動。月穿潭底。水無痕。

> 竹の影が階段を掃く。塵は動かない。月が潭の底を貫く。水に痕跡はない。

○一微塵中含十方

> 一つの微塵の中に、十方の世界が含まれている。

只這一星兒中。包含無盡法界。無量生佛。淨土。穢土。一一充滿。一一周遍。無欠無餘。伊麼。則只這一星兒。還有許多限量麼。無量法界。還有許多伎倆麼。咄。要大。即大。要小。即小。一塵。計十方。十方。為小。以十方。量一塵。一塵。為大。無緣起故。無自性故。為甚如此。

> この一つの小さな点の中に、果てしない世界のすべてが含まれている。無数の生きとし生けるものも、仏も、清らかな国土も、けがれた国土も、どれもみな満ちあふれ、すみずみまで行き渡っていて、足りないものも余るものもない。そういうわけで、この一つの小さな点に、いったいどれほどの限界があるだろうか。果てしない世界に、いったいどれほどの働きがあるだろうか。さあ、大きくなれと思えば大きくなり、小さくなれと思えば小さくなる。一つのちりが十方を包み、十方が小さくなる。十方で一つのちりを測れば、一つのちりが大きくなる。縁起がないからであり、自性がないからである。なぜそうなのか。

昨夜。金烏。飛入海。曉天。依舊一輪飛。

> 昨夜、金色の烏は海へ飛び込んだ。夜明けの空には、それでもやはり、ひとつの太陽が昇ってくる。

○一切塵中亦如是

> すべての塵の中でも、同じように。

只這十方法界。介介。是一微塵。一微塵。亦不可得。如光如影。亦如因陀羅網。互相參徹。重重交映。一一寶中。眾象。無盡。一一佛國。滿十方。十方。入一。亦無餘。非擬議。所知。非智眼。所見。何也。

> この十方法界のすべては、どこまでも一つの微塵にすぎません。しかもその一つの微塵さえ、本当にはつかまえられないのです。光のようであり、影のようであり、またインドラの網のようです。お互いに溶け合い、幾重にも照らし合っています。一つ一つの宝の中に、無数のすがたが尽きることなく映り、一つ一つの仏の国が十方に満ちています。十方が一つに収まり、それでも余ることはありません。これは推測や知識で計れるものではなく、智慧の目で見えるものでもありません。なぜでしょうか。

經行。及坐臥。常在於其中。

> 歩いたり、座ったり、横になったりして、いつもその中にいます。

○無量遠劫即一念

> 无量の遠い劫が、そのまま一念です。

如前所說。微塵。十方。無有自性体相故。一切古今。三世諸佛。從初發心。立普賢願。窮未來際。不離如今。或謦欬一聲。或彈指一下。乃至揚眉瞬目。無不是諸佛方便。且道。還相委悉麼。不離當處。常湛然。覓則知君。不可見。

> 先に述べたように、微塵も十方も、それ自体に固有の本性や形はありません。過去・現在・未来のすべての仏たちは、最初に悟りを求める心を起こしたときから普賢の願いを立て、未来の果てまでそれを続けています。それは今この瞬間を離れることはありません。あるいは咳を一声する、あるいは指を一回弾く、さらには眉を上げたり目を動かしたりする、そのすべてが仏の巧みな導きなのです。さて、ここをよく見極められますか。この場を離れることなく、常に静かに澄みわたっている。求めればあなただと分かるけれど、目に見えるものではありません。

○一念即是無量劫

> 一瞬の思いは、そのまま永遠の時間なのです。

即今。一念。亘徹十世。橫遍十方。建立一切諸佛。同時。度生。行布一切眾生。同時。滅度。非古非今。非新非舊。且道。無量遠劫。還有時分也無。無影樹下。合同船。瑠璃殿上。無知識。

> 今この一念は、十世を貫き、十方を横に遍ねく。一切の諸仏を建立し、同時に衆生を度し、一切の衆生を行布し、同時に滅度する。古にも非ず今にも非ず、新にも非ず旧にも非ず。さて道わん、無量遠劫に、なお時分あるや否や。影なき樹の下、合同の船。瑠璃の殿の上、知識なし。

○九世十世互相即

> 九世と十世は互いに即ち合う

一念。多劫。同時。無碍。故。三世中。各具三世。而融於平等之世。法法。常住。交徹無碍。

> 一念も、長い時間も、同時に存在し、何の妨げもありません。ですから、過去・現在・未来のそれぞれに、また過去・現在・未来があり、それらは平等な一つの時の中に溶け合っています。すべてのものは常にここにあり、互いに溶け合って妨げることがありません。

○仍不雜亂隔別成

> 分け隔てすることなく、乱れることなく、整っている。

有体。則有雜。有相。則有亂。無体。則無相。故。無用為用。無用為用。故。其用。不窮。建立三世。亦在我。收攝一念。亦在我。三世。一時。一時。三世。不異古。而即新。不異新。而是古。一切亘然。古今。無間。

> 体があれば、雑さがある。相があれば、乱れがある。体がなければ、相もない。だから、用なきを用とする。用なきを用とするから、その用は尽きることがない。三世を建立するのも、私においてである。一念に収め摂めるのも、私においてである。三世は一時であり、一時は三世である。古に異ならずして、すなわち新しい。新に異ならずして、すなわち古である。一切はわたりあって然としており、古今の間に隔たりはない。

將謂少林消息斷。桃花。依舊笑春風。

> 少林の教えは途絶えたと思っていたのに、桃の花はいつも通り、春風に笑いかけている。

○初發心時便正覺

> 初心を起こしたその瞬間に、すでに正しい悟りを得ている。

了知真性。無生。無自性。無緣起。絕對待。如是而發心。如是而行李。故。初發心時。圓圓果海。已遍了也。所謂善財童子。不離法界。遍歷百城。不越初心。便登樓閣。方信道。

> 真実の本性を知るとは、何も生まれず、固有の性質もなく、縁によって起こるのでもなく、一切の対立を超えているということです。このように理解して心を起こし、このように実践するのです。ですから、最初に心を起こしたその瞬間に、円満な悟りの世界はすでにすべて悟られているのです。善財童子が法界を離れることなく百の城を巡り、初心を超えることなくそのまま楼閣に登ったというのは、まさにこの道を信じたからなのです。

休論長安好風流。得便宜是落便宜。

> 長安の華やかさをあれこれ言うのはやめよう。得をしたと思うことが、実は損をしていることなのだ。

○生死涅槃常共和

> 生と死と涅槃は、いつもともに和している。

若論生死。即是普賢。境界。若論涅槃。即是具縛輪迴。且道。涅槃。與輪迴。相去。幾何。

> 生死を語るなら、それは普賢の境地である。涅槃を語るなら、それは縛られた輪廻そのものである。さて、涅槃と輪廻はどれほど隔たっているだろうか。

無明實性。即佛性。幻化空身。即法身。

> 無明の本性は、そのまま仏の性質です。幻のように現れた空しいこの身は、そのまま真理の身です。

○理事冥然無分別

> 理と事は、もともと一体で、分け隔てはありません。

說理。說事。縱有千般。不過甚深真性。不守自性而已。真性之理。妙用。恒然。真性之事。法法。常融。東林。欝密。南岳。嵯峨。普賢之境。文殊面目。攀蘿登頂。挈瓶採蓮。文殊之智。普賢妙用。緣起時。的的無性。無性處。常常緣起。還相委悉麼。

> 理を説き、事を説く。たとえ千般あろうとも、ただ甚深の真性が自性を守らないだけのことである。真性の理は、妙用して恒に然り。真性の事は、法法常に融じる。東林は欝密、南岳は嵯峨。普賢の境界、文殊の面目。蘿を攀じて頂に登り、瓶を挈げて蓮を採る。文殊の智、普賢の妙用。縁起の時、的的として無性。無性の処、常常に縁起。還って相委悉せるか。

一地。具是一切地。非色。非心。非行業

> 一つの境地。すべての境地を備えている。色でもなく、心でもなく、行為でもない。

○十佛普賢大人境

> 十人の仏と普賢の大いなる人の境地

要見大人境界麼。

> 大きな人の世界を見てみたいと思いませんか。

適有人。從天台來。却從南岳去。

> ちょうどそこに、天台山からやって来た人がいて、そのまま南岳へと向かって去っていった。

○能仁海印三昧中

> 能ある人は、海のように静かな心の修行の中で

於真性中。顯理。顯事。縱有多端。推其自性。了不可得。則佛與眾生。乃真性中之光影。無佛可成無生可度。但一真性而已。如閻浮海中。所有閻浮山河大地。草木叢林。推其實体。了不可得。則山河色相。乃大海之光影。無性可見。無相可取惟一大海而已。十佛內證。只如是耳。

> 真の本性の中には、理が現れ、事が現れる。さまざまな現れ方があるとしても、その本来の性質を突き詰めれば、とらえることはできない。つまり、仏と衆生は、真の本性の中に映る光と影のようなものだ。成るべき仏もなく、救うべき衆生もない。ただ一つの真の本性があるだけだ。たとえば、閻浮の海の中にあるすべての山河や大地、草木や森を、その実体を突き詰めれば、とらえることはできない。つまり、山河や色の形は、大海に映る光と影のようなものだ。見るべき本性もなく、取るべき形もない。ただ一つの大海があるだけだ。十方の仏の内なる悟りも、ただこれだけなのだ。

○飜出如意不思議

> 意のままに現れる不思議なはたらき

海印定中。所起之法。如何形狀。非性非相。非理非事。非佛非眾生。非真非假。而所說之教。即性即相。即理即事。即佛即眾生。即真即假。一音演暢。而隨類各異。隨類各異。而圓攝一音。以眾生。種種心。說眾生。種種性。非識情。所到。非思量。所及。故。云。如意不思議。會麼。

> 海印定の中に起こる法とは、どんな形をしているのでしょう。本性でもなく姿でもなく、理でもなく事でもなく、仏でもなく衆生でもなく、真でもなく仮でもありません。しかし、そこから説かれる教えは、そのまま本性であり姿であり、そのまま理であり事であり、そのまま仏であり衆生であり、そのまま真であり仮です。一つの音でよどみなく説きながら、相手の種類に応じてそれぞれ異なって聞こえます。それぞれ異なって聞こえながら、まるごと一つの音に収まっています。衆生のさまざまな心に応じて、衆生のさまざまな性質を説くのです。これは識や情の及ぶところではなく、思量の届くところではありません。だから「如意不思議」というのです。おわかりですか。

夜靜水寒。魚不食。滿船空載月明歸。

> 夜は静かで水は冷たく、魚は食いつかない。船には何もなく、ただ月明かりだけを積んで帰る。

○雨寶益生滿虛空

> 雨のように宝が降り注ぎ、生きとし生けるものを益し、虚空を満たす

這一介如意寶。流出百千如意寶。這一海印定光三昧。流出百千海印定光三昧。然而。這海印定光三昧。非但十佛大人境界。獨證。一切眾生。各有十佛大人境界。海印定光三昧。從生。至死。從旦至暮。或嗔或喜。或語或默。一一。各有一一海印。一一海印。一一。流出眾生煩惱海。一一煩惱海。各具真如法性海。無二無雜。故。其滿虛空益但八字打開。兩手分付而已。

> この一つの如意宝から、百千の如意宝が流れ出る。この一つの海印定光三昧から、百千の海印定光三昧が流れ出る。しかし、この海印定光三昧は、ただ十佛という偉大な人だけの境地ではない。すべての生きとし生けるものに、それぞれ十佛という偉大な人の境地がある。海印定光三昧は、生まれるときから死ぬときまで、朝から夕べまで、あるときは怒り、あるときは喜び、あるときは語り、あるときは黙っている。その一つ一つに、それぞれの海印がある。一つ一つの海印から、それぞれ生きとし生けるものの煩悩の海が流れ出る。一つ一つの煩悩の海には、それぞれ真如法性の海がそなわっている。二つでもなく混じり合いもない。だから、それが虚空に満ちあふれる利益は、ただ八字を開いて、両手で分け与えるだけのことである。

○眾生隨器得利益

> すべての生きとし生けるものは、それぞれの器に応じて利益を得る。

大富。家中。器器。皆金。海印定中。法法。皆真。但有大小。方圓。染淨。異耳。其所得益。不是他法。只為大者。言大。小者。言小。方者。言方。圓者。言圓。染者。言染。淨者。言淨。非博小以令大。刻方以為圓。革染而說淨也。會麼。

> 大金持ちの家では、どの器もみな金でできている。海印定の中では、すべての法がみな真実である。ただ大小・方円・染浄の違いがあるだけだ。そこで得られる利益は、別の法によるのではない。大きいものには「大きい」と言い、小さいものには「小さい」と言い、四角いものには「四角い」と言い、丸いものには「丸い」と言い、汚れたものには「汚れた」と言い、清らかなものには「清らかな」と言うだけのことである。小さいものを広げて大きくするのでもなく、四角いものを削って丸くするのでもなく、汚れたものを改めて清らかに説くのでもない。わかるか。

山虛。風落石。樓靜。月侵門。

> 山は静かに、風が石を落とす。楼は静まり、月が門に差し込む。

○是故行者還本是故行者還本際際

> だから修行する者は、もとの境地へと還っていく。だからこそ修行する者は、もとの境地へと還るのである。

要識本際麼

> 「本際」を知りたいのか。

問禪。禪是妄。求理。理非親。直饒玄會得。也是眼中塵。

> 禅を問うても、禅は妄想です。理を求めても、理は親しいものではありません。たとえ玄妙に悟ったとしても、それは目の中の塵にすぎません。

○叵息妄想必不得

> 妄念を止めようと強く思えば、かえって止まらない。

三世諸佛。是守屍鬼。歷代禪師。是博地凡夫。直饒佛。說。菩薩。說。剎。說。三世。一時說。不異㞘沸熱椀鳴。聲。於向上一著。了沒交涉。盡大地。是業識。茫茫。無本可㨿。何故。

> 三世の諸仏は、屍を守る鬼にすぎない。歴代の禅師も、ただの凡夫だ。たとえ仏が説き、菩薩が説き、刹那が説き、三世が一時に説いたとしても、それは熱い茶碗の底で沸き立つ音と変わらない。向上の一着においては、まったく関わりがない。大地のすべては業識であり、茫々として拠り所となる本など何もない。なぜか。

但以假名字。引導於眾生。

> ただし、仮の名前を用いて、眾生を導くのである。

○無緣善巧捉如意

> 縁がなくても、巧みに如意を捉える。

以真如。性緣起之無緣。捉出家中。無相之如意。是名。善巧。其善巧。本非伎倆。所到。會麼。

> 真如の性質が縁起する、縁なき縁。家を出た者の中から、相なき如意を捉え出す。これを善巧と名づける。その善巧は、もともと伎倆ではない。行き着くところ、会得したか。

江上。晚來。堪畫處。漁人。披得一蓑歸。

> 夕暮れの川辺は、まるで一幅の絵のように美しい。漁師が蓑をまとって家へと帰っていく。

○歸家隨分得資粮

> 家に帰れば、それぞれにふさわしい糧を得る。

歸家活計。本無奇特。但以本地風光。得本來閑田地。足伊家活計。其所謂資粮。三十道品。即是。飢飯渴漿。寒附火。熱乘凉。有什麼消息。雖然。種瓜得瓜。種果得果。一乘清淨法界。下得種子。豈無玄談分。速道。

> 家に帰って生きるための営みは、もともと何も特別なものではない。ただ、もともとの土地の風景のままで、本来ののどかな田畑を得れば、それでその人の暮らしは十分に成り立つ。いわゆる糧(かて)となるもの、それは三十の道の品々である。つまり、腹が減れば飯、喉が渇けば飲み物、寒ければ火に当たり、暑ければ涼を取る、それだけのことだ。そこに何の変わりがあろうか。とはいえ、瓜を植えれば瓜が実り、果を植えれば果が実る。ひとつの清らかな法の世界に種を蒔いておいて、どうして深い語らいの分がなかろうか。早く言ってみよ。

長因送客處。憶得別家時。

> お客さんを見送ったその場所で、家を離れたときのことを思い出しました。

○以陀羅尼無盡寶

> 陀羅尼の尽きることのない宝によって

這介寶藏。不在佛界。不在生界。不在淨界。不在染界。一一圓明。一一交映。要識總持法界。無盡妙寶麼。

> この宝の蔵は、仏の世界にあるのでもなく、生きとし生けるものの世界にあるのでもなく、清らかな世界にあるのでもなく、汚れた世界にあるのでもありません。一つ一つが完全に輝き、一つ一つが互いに映し合っています。すべてを包み込む法の世界、尽きることのないすばらしい宝とは何か、知りたいと思いませんか。

你看十二時中。遇聲遇色。遇逆遇順。方知不從他得。

> あなたは一日中、音に触れ、色に触れ、逆らうことに出会い、順うことに出会います。そのとき初めて、それが他人から得たものではないとわかるのです。

○莊嚴法界實寶殿

> ○荘厳法界実宝殿

因陀羅網。影像互參。重重無盡。不因莊嚴。不因修證。本來具足。本來圓成故。云。實。又云。這介實字。不得動着。動着。則禍生。

> インドラの網は、映像が互いに映し合い、幾重にも尽きることがない。飾り立てるからでもなく、修行して悟るからでもない。もともと備わっているからであり、もともと円満に完成しているからである。だから「実」という。また言う、この「実」という一字に、手を触れてはならない。触れれば災いが生じる。

○窮坐實際中道床

> ○窮坐実際中道床

深入法性海。了無究竟處。故。云。窮。把斷要津。不通凡聖。故。云。坐。無真無妄。不屬有為。故。云。實。一切凡聖。容身無地。故。云。際。喚作一物。不得動着之謂中。三乘五性。常常履踐之謂道。究竟平常。不用安排之謂床。雖然。恁麼華藏世界。離染清淨。豈有如此商量。若有如此商量。爭到今日。若無商量。十普法界。向什麼處。出生。左手。拍一下。云。佛事門中。不捨一法。右手。拍一下。云。不見一法。即如來。還會麼。大千沙界。海中漚。一切聖賢。如電拂。

> 深く法性の海に入れば、どこまでも究極の到達点はない。ゆえに「窮（きわ）める」という。要所をしっかりと遮（さえぎ）り断てば、凡（ぼん）も聖（しょう）も通れない。ゆえに「坐（ざ）」という。真もなく妄（もう）もなく、有為（うい）にも属さない。ゆえに「実（じつ）」という。すべての凡も聖も、身を容（い）れる場所がない。ゆえに「際（さい）」という。一つの物と呼んでも、少しも動かすことができない、それを「中（ちゅう）」という。三乗（さんじょう）も五性（ごしょう）も、いつも履（ふ）み行（ゆ）く、それを「道（どう）」という。究極にして平常、何も作為しない、それを「床（しょう）」という。そうではあるが、このような華蔵世界（けぞうせかい）は、汚れを離れ清らかであるのに、どうしてこのような理屈の話があろうか。もしこのような理屈があるなら、どうして今日に至るだろうか。もし理屈がなければ、十普法界（じっぽほうかい）は、どこから生まれてくるのか。左手をひとつ打って言う。「仏事の門中（もんちゅう）では、一つの法も捨てない。」右手をひとつ打って言う。「一つの法も見ない、それがすなわち如来である。」まだわかるか。大千沙界（だいせんしゃかい）は海の中の泡（あわ）。すべての聖賢は稲妻（いなずま）のように払い去られる。

○舊來不動名為佛

> 古くから変わらないものを、仏と呼びます。

按台教。以六即。判圓教。佛所謂一切眾生。皆有佛性。有佛。無佛。性相。常住。從淺。至深。位位。不二。名佛。本圖總髓論。比如有人。在床。入睡。夢中。回行三十餘馹。覺後。方知不動在床。喻從本法性。經三十句。還至法性。只一不動。故。云。舊來不動。佛。然。說圓說頓。以名。現佛。觸犯。當頭。不得名為舊來不動佛。莫有離教網葛藤。碎祖師玄關者麼。請道將來。如無。自道去也。

> 天台宗では、六即をもって円教を判じます。仏が説かれるには、すべての衆生に仏性があり、仏があってもなくても、その性と相は常住であり、浅いところから深いところまで、どの位も二つではなく、それを仏と名づけます。 『本図総髄論』にたとえがあります。たとえば、ある人が床の上で眠りにつき、夢の中で三十余日の旅をめぐります。目が覚めてから、はじめて自分が床から動いていないことを知ります。これは、本来の法性から三十句を経て、また法性に戻ることをたとえています。ただ一つの動かないもの、それゆえ「旧来不動の仏」と言います。 しかし、円を説き頓を説いて、それをもって現在の仏と名づけるならば、それは当頭に触犯することになり、「旧来不動の仏」とは名づけられません。教網の葛藤を離れ、祖師の玄関を砕く者がいるでしょうか。どうか言ってみなさい。もしなければ、私が代わって言いましょう。

說盡山雲海月情。依前不會。空惆悵。

> 山や雲、海や月の情趣をすっかり語り尽くしても、相手はやはり理解しない。ただむなしく思い悩むばかりである。

法界圖。終。

> 『法界図』 終わり。

弘治十五年　壬戌二月　　日　龍壽寺開板

> 弘治十五年　壬戌二月　　日　龍寿寺で開板