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title: "八識規矩纂釋 · 七識頌"
description: "八識規矩纂釋是明代廣益法師對玄奘大師八識規矩頌的注釋性著作。該書誕生於明代佛教唯識學復興的背景下，廣益法師旨在系統闡釋玄奘所傳的唯識精要。全書以眼耳鼻舌身意六識、末那識與阿賴耶識為綱領，深入剖析心識結構、功能及轉識成智的修行次第。此作被譽為漢傳唯識學的重要入門典籍，對理解法相宗義理具有橋樑作用，在佛教思想史上佔有承先啟後的關鍵地位，是研究唯識教義不可或缺的權威注疏。"
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### ○七識頌

> 七識の頌

帶質有覆通情本 隨緣執我量為非

> 本質を帯びた煩悩はすべての心に通じ、情に基づく。 縁に随って我を執るが、その認識は誤りである。

此頌七識境性量也。此識於三境中唯緣真帶質境。謂以心緣心。中間相分兩頭生。以挾帶本質己相而起。名真帶質。言通情本者。揀前六識乃以心緣色為似帶質境也。謂此帶質又通七識能緣心。以恒起執故。即情也。又通八識見分是所緣。即本也。本者謂七識依此見分而立。故以此七識緣第八見分為我中間相分。乃體相之相以。七識與八識見分本質交帶挾起故名為真。以此相分一半與所緣第八見分同一種生。一半與能緣第七見分同一種生。以八識之見分一半作前七識。即有覆性。一半乃內八識見分體。即無覆性。今七識恒起徧計執。第八見分為自內我。故曰依彼轉緣彼。故四性之中唯有覆無記。若無覆無記則屬第八識。以非善不善無可記錄。故名無記。謂此識雖無善惡而恒與四惑相應葢覆真性故名有覆無記。隨緣執我量為非者。此句乃揀量也。若言帶質境則屬比量所緣。今因與四惑相應。隨緣第八見分執之為我。本非是我謬執為我。故名非量。

> この頌は、第七識の対象の性質と量を説明したものです。この識は三つの対象のうち、ただ「真帯質境」だけを縁じます。心をもって心を縁ずるので、その中間に相分が両方から生じます。本質を挟み帯びて自らの相を起こすので、「真帯質」と名づけます。「通情本」というのは、前の六識が心をもって色を縁ずるのは「似帯質境」であるのと区別する言葉です。この帯質はまた、第七識の能縁の心にも通じます。常に執着を起こすからです。これがすなわち「情」です。また第八識の見分にも通じ、それが所縁です。これがすなわち「本」です。「本」とは、第七識がこの見分に依って成り立つという意味です。そこで第七識が第八識の見分を縁じて我とする、その中間の相分は、体相の相です。第七識と第八識の見分の本質が交わり帯びて挟み起こるので、「真」と名づけます。この相分の半分は所縁の第八識の見分と同じ種から生じ、半分は能縁の第七識の見分と同じ種から生じます。第八識の見分の半分が前七識となると、有覆性となります。半分は内なる第八識の見分の体であり、無覆性です。いま第七識は常に遍計執を起こし、第八識の見分を自らの内なる我とします。そこで「彼に依って転じ、彼を縁ずる」と言います。ですから四性のうち、ただ有覆無記だけです。もし無覆無記であれば、それは第八識に属します。善でも不善でもなく、記録することができないので「無記」と名づけます。この識は善悪はないものの、常に四つの煩悩と相応して真性を覆い隠すので、「有覆無記」と名づけます。「随縁して我を執る、量は非なり」というのは、この句は量を区別したものです。もし帯質境と言えば、比量の所縁に属します。いま四つの煩悩と相応し、縁に随って第八識の見分を執って我とします。もともと我ではないのに誤って我と執るので、「非量」と名づけます。

八大徧行別境慧 貪癡我見慢相隨

> 八つの遍行と別境、そして慧。 貪り、愚かさ、我見、慢がそれに伴う。

此頌七識所具相應心所也。謂大隨八。徧行五。別境中之慧。根本惑中貪．癡．見．慢。共十八心所也。問。此識何與八大相應耶。答。若無昏沉應不定有無堪任性。掉舉若無應無囂動。便是善等。非染污位。若染心中無散亂者。應非流蕩非染污心。若無失念不正知者。如何能起煩惱現前。若無不信懈怠放逸。如何論說此三心所染心相應。故染污意決定皆與八大隨煩惱相應而生。問。此識何與五徧行相應耶。答。此五法徧一切識與諸心等。故七識應具也。問。何與別境中之慧相應耶。答。慧與我見為體性故。故亦宜有。問。何與根惑中之貪．癡．見．慢．四煩惱相應耶。答。一我貪者。謂此識一向貪愛第八見分。執之以為我則躭染愛著不暫捨故。二我癡者。即無明。謂此識不了第八之體本無實我。妄計為實。迷無我理。故名我癡。三我見者。謂不了第八本非是彼之我。而起我見。妄認為我故。四我慢者。由執為我。遂令驕倨自大貢高飛舉故。問。根本六中開見成十。此識何獨具四耶。答。以有我見故餘諸見不生。問。何故此識不與疑．瞋二煩惱相應耶。答。由我見故。審詳明決疑無容起。故不與疑相應。由我愛故。深生躭著。瞋不得生。故不與瞋相應。問。何故不與別境四法相應耶。答。謂欲是希望。未遂合事。此識恒與第八和合。緣以為境。更無希望。故不與欲相應。解者。於事尚在未定。起決定解印證持守。此識決定恒執第八為自內我。更無異念不煩印持。故不與勝解相應。念唯記憶過去所習事業。此識恒緣第八現境。不煩記憶。故不與念相應。定唯一意專注境。此識任運。剎那念念別緣。不專不一。故不與定相應也。問。何故此識不與善十一心所相應耶。答。善是淨故。此識染污。故不與善相應。問。何故不與十小隨相應耶。答。以忿等十法行相麤動。此識審細。故不與相應。又無慚．無愧唯是不善。此識唯無記。故亦不與相應。問。何故不與四不定相應耶。答。惡作是追悔過去所作事業。此識恒緣第八。無有疑悔。故不與惡作相應。睡眠是藉外緣辛苦勤勞。身不自在。心睡昧劣。有時暫現。此識一類內執第八為我。不假外緣。故不與睡眠相應。尋伺者。尋謂尋求。令心匇遽於意言境麤轉為性。伺謂伺察。令心匇遽於意言境細轉為性。此識唯依內門而轉一類執我。不假尋伺。故非七識所具耳。

> この頌は、第七識（末那識）に備わっている相応する心所を説いたものです。すなわち、大随煩悩の八つ、遍行の五つ、別境の中の慧、根本惑の中の貪・痴・見・慢、合わせて十八の心所です。 問い：この識はなぜ八つの大随煩悩と相応するのでしょうか。答え：もし昏沈がなければ、心に堪任性がないかどうか定まらないはずです。掉挙がなければ、心がざわつき動くことがなくなり、それは善などであって、染污の位ではなくなります。もし染污の心に散乱がなければ、流れ漂う心ではなく、染污の心ではなくなります。もし失念と不正知がなければ、どうして煩悩を前に起こすことができるでしょうか。もし不信・懈怠・放逸がなければ、どうしてこれら三つの心所が染污の心と相応すると論じることができるでしょうか。ですから染污の意は、必ず八つの大随煩悩と相応して生じるのです。 問い：この識はなぜ五つの遍行と相応するのでしょうか。答え：これら五つの法はすべての識とさまざまな心に遍く働くものですから、第七識にも備わっているはずです。 問い：なぜ別境の中の慧と相応するのでしょうか。答え：慧は我見と一体の性質であるからです。ですから慧もまたあるべきです。 問い：なぜ根本惑の中の貪・痴・見・慢の四つの煩悩と相応するのでしょうか。答え：第一に我貪とは、この識がひたすら第八識の見分を貪り愛し、それを執して我とし、深く染まり愛着して少しも手放さないことです。第二に我痴とは、すなわち無明です。この識は第八識の本体に本来実体としての我がないことを理解せず、誤って実在すると計らい、無我の理に迷うので、我痴と名づけます。第三に我見とは、第八識が本来その我ではないことを理解せず、我見を起こし、誤って我と認めることです。第四に我慢とは、我と執することによって、驕り高ぶり、自ら偉いと誇り、高ぶり浮かれることです。 問い：根本の六つの煩悩のうち、見を開いて十としますが、この識はなぜ特に四つだけを備えているのでしょうか。答え：我見があるため、他の諸見は生じないからです。 問い：なぜこの識は疑と瞋の二つの煩悩と相応しないのでしょうか。答え：我見によって、詳しく審らかにし明快に決しているので、疑が起こる余地がありません。ゆえに疑と相応しません。我愛によって、深く耽り執着しているので、瞋が生じることができません。ゆえに瞋と相応しません。 問い：なぜ別境の四つの法と相応しないのでしょうか。答え：欲とは希望であり、まだ遂げていない事に向かうものです。この識は常に第八識と和合し、それを縁として境としているので、さらなる希望がありません。ゆえに欲と相応しません。勝解とは、事がまだ定まらないうちに、決定の理解を起こして印可し保持することです。この識は決定して常に第八識を自らの内なる我と執し、他に異なる念がなく、改めて印持する必要がありません。ゆえに勝解と相応しません。念とはただ過去に習った事業を記憶するものです。この識は常に第八識の現境を縁としており、記憶する必要がありません。ゆえに念と相応しません。定とはただ一つの意が境に専注することです。この識は自然に働き、刹那刹那に別々に縁しており、専一ではありません。ゆえに定と相応しません。 問い：なぜこの識は十一の善心所と相応しないのでしょうか。答え：善は清浄であるからです。この識は染污であるため、善と相応しません。 問い：なぜ十の小随煩悩と相応しないのでしょうか。答え：忿などの十の法は働きが粗く動的であるからです。この識は審らかで細やかです。ゆえに相応しません。また無慚・無愧はただ不善のみです。この識はただ無記であるため、これとも相応しません。 問い：なぜ四つの不定と相応しないのでしょうか。答え：悪作とは過去にした事業を追い悔いることです。この識は常に第八識を縁としており、疑い悔いることがありません。ゆえに悪作と相応しません。睡眠とは外的な縁による苦労や勤労で、身が自在でなく、心が眠って昧く劣った状態で、時に一時的に現れるものです。この識は一類に内へ第八識を我と執し、外的な縁を借りません。ゆえに睡眠と相応しません。尋と伺について、尋とは尋求であり、心をして意言の境に急ぎ粗く働かせる性質です。伺とは伺察であり、心をして意言の境に急ぎ細やかに働かせる性質です。この識はただ内なる門に依って働き、一類に我を執るのみで、尋や伺を借りません。ゆえに第七識には備わらないのです。

恒審思量我相隨 有情日夜鎮昏迷

> いつも絶え間なく自分という思いがつきまとい、生きとし生けるものは昼も夜も迷いの中に沈んでいる。

此頌七識自性行相皆是思量。故恒相隨第八見分執之為我。論云。思量為性相者。雙顯此識自性行相也。意以思量為自性故。即復用彼為行相故。由斯兼釋所立別名。以能恒審思量名末那故。未轉依位恒審思量所執我相。已轉依位亦恒審思量無我相故。恒之與審於八識中有四句分別。八識恒而非審。謂不執我。無間斷故。六識審而非恒。謂執我。有間斷故。五識非恒非審。不執我。有間斷故。七識亦恒亦審。執我。無間斷故。不恒則與八識血脈斷矣。不審則與六識血脈斷矣。以七識無本位。故護法云。五八無法亦無人。六七二識甚均平。五八無執。六七有執。是均平義。五八一恒一非恒。六七一恒一非恒。亦是均平也。有情日夜鎮昏迷者。鎮。常也。謂第七識恒常思量審察。一向執我。故令諸有情恒處生死之中。常於長夜昏迷而不自覺者。以七識執我之過也。

> この頌では、七識の自性と働きはすべて「思量」である。だから常に第八識の見分に伴い、それを我だと執着する。論に「思量を性相とする」とあるのは、この識の自性と働きの両方を示している。意は思量を自性とするので、そのままそれを働きとするのである。これによって、別名が立てられた理由も併せて説明される。常に詳しく思量するはたらきがあるので「末那」と名づけるからである。転依していない段階では、常に詳しく、執着された我の相を思量する。転依した段階でも、常に詳しく、無我の相を思量する。この「恒」と「審」について、八識の中には四つの区別がある。八識は恒であって審ではない。我を執らず、途切れることがないからである。六識は審であって恒ではない。我を執り、途切れることがあるからである。五識は恒でも審でもない。我を執らず、途切れることがあるからである。七識は恒でもあり審でもある。我を執り、途切れることがないからである。恒でなければ八識とのつながりが断たれ、審でなければ六識とのつながりが断たれる。七識には独自の領域がないからである。だから護法はこう言う。五識と八識には法もなく人もない。六識と七識はきわめて均平である。五識と八識には執着がなく、六識と七識には執着がある。これが均平の意味である。五識と八識は一方が恒で一方が恒でない。六識と七識も一方が恒で一方が恒でない。これもまた均平である。有情は日夜いつも昏迷しているとは、鎮は「常」の意味である。第七識は常に思量し審察して、もっぱら我に執着する。だからすべての有情をして、常に生死の中にあり、いつも長い夜に昏迷して自覚しないのである。これは七識が我に執着する過ちによるものである。

四惑八大相應起 六轉呼為染淨依

> 四つの惑いと八つの大随煩悩は相伴って起こり、六つの転識は染浄の依と呼ばれる。

此牒前染所與識相應。故令有情日夜昏迷。障真義智。蔽聖慧眼。其由煩惱為害耳。轉者不定義。即三性．三量．三境易脫不定。名為轉識。前七皆名轉識。唯第八名不轉識。第六轉識呼第七為染淨依者。謂此識有漏。內常執我。故令第六念念成染。由此識無漏。恒思無我。故令第六念念成淨。七識為所依。六識為能依。依即根也。是以第六成染成淨皆由第七識。故云六轉呼為染淨依。　有漏章竟。

> この識は以前の煩悩と結びつき、識と相应している。それゆえに有情をして日夜迷わせ、真の道理の智慧を妨げ、聖なる慧眼を覆い隠す。それは煩悩による害である。転とは定まらないという意味である。すなわち三性・三量・三境が移り変わり定まらないことを転識という。前の七つはすべて転識と名づける。ただ第八のみを不転識と名づける。第六の転識が第七を染浄の依と呼ぶのは、この識に漏があり、内に常に我を執るため、第六をして念念に染となさしめる。この識に漏がなければ、常に無我を思うため、第六をして念念に浄となさしめる。第七識を所依とし、第六識を能依とする。依とはすなわち根である。したがって第六が染となり浄となるのは、みな第七識によるのである。ゆえに六転は呼んで染浄の依となすという。有漏の章、ここに終わる。

極喜初心平等性 無功用行我恒摧

> 深い喜びに満ちた初心の平等な心を、私は常に努力することなく自然に育んでいきます。

此頌七識下品中品轉智義也。凡一地具初中後三心。即入．住．出。故有三品。今謂末那識於初地初心即當轉平等性智。以地前六識作生空觀。到初地初心即破分別二障。故曰分別二障極喜無。而平等性智方纔現前。此乃下品初轉也。以俱生二執全未破故。曰六七俱生地地除。故從二地作雙空觀斷俱生二執起。至第七無功用行破藏識方斷俱生我執。故云我恒摧。良由第六識入生空觀。礙此七識。俱生我執不生。俱生法執猶存。故云單執末那居種位。平等性智不現前。不現前者但未圓滿。乃中品轉也。故曰第七修道除種現。由第六識入生法二空觀故。礙此七識俱生我法二執不起。故云雙執末那歸種位。平等性智方現前。直至等覺後心。二執方纔破淨。此智方得圓滿。乃上品轉也。故曰金剛道後總皆無。言居者居住。歸者歸藏。問。第七轉智何由第六入雙空觀耶。答。第七乃有覆無記。唯俱生無分別惑。故以無分別於緣境時。唯任運轉。無力斷惑。故登地時自不能轉。由六識斷分別二障。轉二空智。故第七仗之得初下品轉也。至八地無功用道。乃破俱生我執。俱生法執猶存。故云我恒摧。此但我執摧落。乃中品轉耳。

> この頌は、七識が下品・中品において智に転じる意義を説いたものである。およそ一地には初・中・後の三心、すなわち入・住・出が備わる。ゆえに三品がある。今、末那識は初地の初心において、ただちに平等性智に転じると言う。地前において六識が生空観を修し、初地の初心に至って分別の二障を破るからである。ゆえに「分別の二障は極喜に無し」と言い、平等性智がようやく現前する。これがすなわち下品の初転である。俱生の二執が全く破られていないから、「六七は俱生、地地に除す」と言う。ゆえに二地から双空観を修して俱生の二執を断じ始め、第七の無功用行に至って蔵識を破り、ようやく俱生我執を断ずる。ゆえに「我は恒に摧く」と言う。まさに第六識が生空観に入ることによって、この七識が妨げられ、俱生我執が生じないのである。俱生法執はなお存続する。ゆえに「単執の末那は種位に居す」と言い、平等性智は現前しない。現前しないとは、ただ未だ円満でないというだけである。これが中品の転である。ゆえに「第七は修道にて種現を除す」と言う。第六識が生法二空観に入るゆえに、この七識の俱生我法二執が起こらないように妨げる。ゆえに「双執の末那は種位に帰す」と言い、平等性智がようやく現前する。等覚の後心に至って、二執がようやく破り尽くされ、この智がようやく円満を得る。これが上品の転である。ゆえに「金剛道の後、総て皆無し」と言う。居とは居住、帰とは帰蔵の義である。問う。第七識の転智は、なぜ第六識が双空観に入ることによるのか。答える。第七識は有覆無記であり、ただ俱生の無分別の惑のみである。ゆえに無分別にして縁境する時、ただ任運に転じ、惑を断ずる力がない。ゆえに登地の時、自らは転ずることができない。六識が分別の二障を断じ、二空の智を転ずるによって、第七識はこれに依って初の下品の転を得るのである。八地の無功用道に至って、ようやく俱生我執を破るが、俱生法執はなお存続する。ゆえに「我は恒に摧く」と言う。これはただ我執が摧け落ちただけで、すなわち中品の転である。

如來現起他受用 十地菩薩所被機

> 如来が他受用の身を現すのは、十地の菩薩が教化される対象だからです。

此頌七識上品轉智義也。以前初地初心但下品轉。俱生我執但伏而未斷。俱生法執猶存。至七地無功用行名中品轉。但我恒摧。從八地起但伏俱生法執而猶間起。皆非最極。直至如來究竟位中。煩惱．所知二障種現俱盡。平等性智方得圓滿。名上品轉也。故此智圓時則能現他受用微妙報身。住華藏界。為十地菩薩說大法也。此佛說法。二乘絕分。故言十地菩薩所被機耳。故曰於如來究竟位中轉成無漏。則能現前他受用身。即能被之佛。十地菩薩乃所被之機也。報身有二。一自受用。乃自受用廣大法樂。與法身同體。唯佛與佛乃能知之。十地菩薩可見者。乃他受用耳。

> この頌は、七識が上品に転じて智となる意義を説いています。初地の初心では、まだ下品の転であり、俱生我執は伏せるだけで断じておらず、俱生法執もなお存続しています。七地の無功用行に至って中品の転と呼ばれますが、ただ我執を常に摧くだけです。八地からは俱生法執を伏せるものの、なお間欠的に起こります。いずれも最も極まったものではありません。如来の究竟位に至って、煩悩と所知の二障の種子と現行がともに尽き、平等性智がようやく円満となります。これを上品の転と呼びます。したがって、この智が円満となるとき、他受用の微妙な報身を現じ、華蔵界に住して十地の菩薩のために大法を説くのです。この仏の説法は、二乗には全く縁がありません。それゆえ十地の菩薩が教えを受ける機であると言います。だから「如来の究竟位において転じて無漏となり、よく他受用身を現前させる」と説かれます。すなわち、能化の仏が他受用身であり、十地の菩薩が所化の機なのです。報身には二つあります。一つは自受用で、自ら広大な法楽を受用し、法身と同体であり、唯仏と仏のみがこれを知ることができます。十地の菩薩が拝することのできるものは、他受用身なのです。