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title: "大丈夫論 · 16 功德勝品"
description: "大丈夫论由古印度佛教哲学家提婆罗菩萨所造，北凉时期高僧道泰法师汉译。该论属北传佛教重要典籍，以大乘菩萨道思想为核心，阐述何谓真正的精神大丈夫，强调慈悲利他、舍己为众的菩提心行。论述菩萨为度众生甘忍苦难、不惜牺牲的伟岸胸襟，激励修行者发起勇猛心践行菩萨道。此论在佛教体系中彰显了大乘佛教的核心价值观，对汉传佛教菩萨思想的发展影响深远，为修行者提供了重要的理论依据与实践指南。"
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### 功德勝品第十六

> 第十六章 功徳の勝れた功徳

有人等以財物施一福田，心不同故得報有種種——有得三有樂者、有得寂滅樂者、有得利他樂者——思願勝故得報不同。以愛心作福者，受報時愚闇；悲心修福者，受果時得於智慧；不敗壞菩提心為饒益眾生作福者，當知此福為福中最勝；其餘修福，名相似福非第一福。修一味智慧，當知此福為最第一，饒益世間故三寶種不斷，知業知果知歸依佛慈悲。計我行福如行惡者甚可慚愧，善丈夫者見人天世間無救，終不為己修福。生死中苦尚不可聞，況復眼見？眾生受身極可患厭，云何為我修福作業？悲者所不能作。一剎那頃不離悲心為眾生親友，云何為我作福？有嘗功德味者，得自在修福、得他報恩勝氣味，夢中尚不為己修福，況復覺時？以智能見過，終不求有造福，悲心者終不為解脫修福。智者棄求有業，悲者棄解脫業。所以者何？悲者為利益他故，無勝智慧平等造作。因福一果福無與等者，從十力得智。為己得樂捨利他樂，名背恩者。唯我能知，從佛得知，故一切眾生是我修福之伴。設當得果而獨受用，名背恩者。極難得樂，豈得獨受？其如是丈夫為一切所棄。設得千涅槃樂不為饒益，不如救一眾生苦，勝得千涅槃樂。解脫樂尚不獨受。何以故？見世間眾生無歸無救故。尚不獨受解脫樂，況復無上菩提？

> ある人が財物を福田に施しても、心の違いによってその報いには様々な種類がある。すなわち、三有の楽しみを得る者もいれば、寂滅の楽しみを得る者もおり、また他を利する楽しみを得る者もいる。これは願いの勝れたところによって、報いに違いが生じるのである。 愛著の心で福を積む者は、報いを受ける時、愚かで闇い。悲しみの心で福を修める者は、果報を受ける時、智慧を得る。菩提心を退転させず、衆生を益するために福をなす者は、この福こそが福の中でも最も勝れたものであると知るべきである。その他の福を修めるのは、似て非なる福であり、第一の福ではない。 一つの智慧のみを修める者こそ、この福が最も第一であり、世を益するゆえに三宝の種が絶えることがないことを知るべし。そして業を知り、果を知り、仏に帰依し、慈悲を修めるのである。 私は、私のために福を積むことは、悪行を行うのと同じであると考えるならば、まことに慙愧に堪えない。善き丈夫は、人天の世の中に救いのないことを見て、決して自分のために福を修めない。生死の中の苦しみすらも聞くに堪えないのに、ましてや目の当たりにするなどなおさらである。衆生が身を受けるのは、極めて厭うべきものである。どうして自分のために福を積み、業をなすことがあろうか。悲しみの心を持つ者は、そのようなことはできない。 一刹那の間も悲心を離れず、衆生の親友たる者が、どうして自分のために福を積もうか。功徳の味を嘗めたことのある者は、自在に福を修め、他より報恩の勝れた味わいを得ることになる。夢の中ですら自分のために福を積むことはないのに、ましてや覚めている時はなおさらである。智慧をもって過ちを見極めた者は、結局のところ福を求める有の業を造らない。悲しみの心を持つ者は、結局のところ解脱のために福を修めない。 智ある者は有の業を求めることを捨て、悲しみの心を持つ者は解脱の業を捨てる。なぜなら、悲しみの心を持つ者は他を利益するために、勝れた智慧をもって平等に造作するからである。一つの福の因から生じる果報に匹敵するものはなく、それは十力から智慧を得るに至る。 自分のために楽を得ようとして他を利する楽を捨てる者は、恩に背く者であるという。ただ私だけが知り、仏に従って知ることができた。それゆえ、一切の衆生は、私が福を修める時の伴侶なのである。もし果報を得て、それを独りで受用するならば、これまた恩に背く者であるという。極めて得難い楽であるのに、どうして独りで受けることができようか。 もしそのようなことをする者は、一切の者に見捨てられるのである。たとえ千の涅槃の楽を得ても、それを他を益することのために用いないよりは、一の衆生の苦しみを救う方が勝れている。千の涅槃の楽を得るよりも勝れているのだ。 解脱の楽すらも独りで受けることはしない。なぜなら、世間の衆生に帰依する者もなく、救う者もいないのを見るからである。解脱の楽すらも独りで受けないのに、ましてや無上の菩提においてはなおさらである。