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title: "佛性海藏智慧解脫破心相經 · 第二"
description: "佛性海藏智慧解脫破心相經是一部漢傳佛教經典，相傳為唐代高僧所譯或撰，原經已佚，僅存經名於部分古代經錄。本經以闡述眾生本具佛性為核心，強調透過智慧觀照破除心識執著與虛妄相，從而證得解脫。其思想融合如來藏與般若中觀學說，對中國佛教心性論發展具有深遠影響，尤其為禪宗與天台宗所重視，是探討佛性思想與修行實踐的重要文獻依據。"
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## 佛說智慧海藏經卷下

> 仏説智慧海蔵経 巻下

或小遍一切處。眾生身中皆有佛身。汝當如是學可得出世。爾時除疑大士及諸大眾。皆悉疑或心中未決。以偈問佛。

> あるいは小さなものはすべての場所に遍くあります。众生の身の中には皆、仏の身があります。あなたはこのように学べば、世を超えることができます。そのとき、除疑大士と多くの人々は皆、疑いを持ち、心の中で決めかねていました。そこで偈をもって仏に問いかけました。

我初聞佛說 諸法如虛空 七殺如幻化即與佛身同 如此之境界 我心倍增疑其若與佛同 云何有黠疑 或有盲聾者或復男女形 長短有好醜 或復作畜生種種諸形相 隨體別作名 復有佛菩薩亦有諸眾生 國土各各別 如有善惡聲若有一佛身 如何種種形 佛若作如是不應有眾生 一身作多身 云何有闇明分身入形相 如何有罪福 眾生佛性作復云有受苦 我今如盲人 未見如是道唯願佛世尊 為我分別說 我得聞是已受持讀誦之 佛若去世後 我等當流布若有煩惱者 使得聞是經 教令受持讀勉離諸厄難 以是因緣故 仰請世尊說為愍眾生故 願說為如是

> 仏の教えを初めて聞いたとき、 すべてのものは虚空のようであり、 七つの殺しも幻のように実体がないと説かれました。 それは仏の身と同じだと。 しかし、このような境地について、 私の心には疑いがますます大きくなります。 もし仏と同じであるなら、 なぜ迷いや疑いがあるのでしょう。 目が見えない人や耳が聞こえない人、 あるいは男の形や女の形、 背が高い人も低い人も、美しい人も醜い人も、 あるいは畜生の姿をとるものもいます。 さまざまな形に応じて、それぞれ異なる名がつけられます。 また仏や菩薩もいれば、 さまざまな生きるものたちもいます。 それぞれの国土も異なり、 善い声や悪い声があるかのようです。 もし一つの仏の身であるなら、 どうしてさまざまな形があるのでしょう。 仏がそのようであるなら、 生きるものがいるはずがありません。 一つの身が多くの身となるなら、 どうして暗さと明るさがあるのでしょう。 分かれた身が形に入るなら、 どうして罪と福があるのでしょう。 生きるものの仏性がつくるなら、 どうして苦しみを受けることがあるのでしょう。 私は今、目の見えない人のように、 このような道をまだ見ていません。 どうか仏世尊よ、 私のために詳しく説いてください。 私はこれを聞いたなら、 受け持ち、読み、唱えるでしょう。 仏がこの世を去られた後、 私たちはこれを広く伝えましょう。 悩み苦しむものがいれば、 この経を聞かせることができるように。 教えて受け持ち読むよう導き、 さまざまな災いや困難から離れさせてください。 このような理由から、 世尊に仰いでお願いします。 生きるものを哀れむがゆえに、 どうかこのように説いてください。

爾時佛告除疑大士。汝莫作如是疑。乃問佛之因緣不可思議。汝當諦聽諦聽。及諸大眾善思念之。吾當為汝分別說之。善男子。譬如春月地出殞氣。靉靆垂布如可承攬。龍王興雨。一時普注大地得潤。種類隨形皆悉生牙。狀根大小垂枝布葉。高下長短種種形色。敷榮結實各有時節。在先隨後各不相待。香甛辛酢別形異味。堅軟澁滑事相不同。先生後熟晚種早收。如是迭換不可思議等。是一味之雨能有無量種味殊別不同。各自長養不相比類。佛今分身亦復如是。以我無為之身能作無量形根。故名無邊身。以我無心之心能令一切皆各自有心。以我無身之命能令作一切形命。我以無言之說令一切皆各有無量語言。我以微塵之身能遍滿虛空間無空處。我以三千大千世界之身。內著一塵亦不迫迮。我以虛無之身能為輕重。如是自在不可測量。非諸聲聞緣覺。凡夫所知諸佛。喻如一味之雨潤益雜類草木皆令成熟。佛亦如是。應以佛身成熟者。即現佛身如成熟之。應菩薩成熟者。即現菩薩身如成熟之。應以辟支佛成熟者。即現辟支佛身如成熟之。應以聲聞身成熟者。即現聲聞身如成熟之。應以四道果成熟者。即現四道果身如成熟之。應以三十三天成熟者。即現三十三天王身如成熟之。應以天龍夜叉乾闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽人非人等成熟者。即皆現身如成熟之。眾生無邊。佛亦應之亦復無邊。種種方便引喻。如是令得解脫。無所不作。無所不為。導引諸子皆令得正知見解脫。善男子。佛不離眾生。眾生不離佛。是故水不離波。波不離水。水若無風波則不現。風若動時水則名波。寂靜故則無動亂。無動亂故則名為水。佛性眾生亦復如是。善男子。心動故則無寂靜。無寂靜故名為波浪。眾生如是則無智慧水。無慧水故身則垢穢。五陰有實則七殺之所覆。沒處處不安。皆由動亂佛性不現。名為眾生。善男子。水若無風澄清不渾。日月參辰星河五岳。於水中自然而現明了。覩見眾生亦爾。靜定故心則澄清。佛性於其身中了了自現。若見佛性則無煩惱。生死永盡。即名出世人也。爾時世尊欲重宣此義。而說偈言。

> そのとき、仏は除疑大士に告げられた。「あなたはそのような疑いを起こしてはならない。仏の因縁を問うことは不可思議である。よく聴き、よく聴きなさい。そして大衆も皆、よく心に留めて思念しなさい。私があなたのために分別して説こう。 善男子よ。たとえば春の月、大地から湿った気が立ちのぼる。もやもやと垂れこめて、手に取れるかのように見える。そこに竜王が雨を降らせる。ひとときにくまなく注がれ、大地は潤う。種々の草木はそれぞれの形にしたがって、みな芽を出す。根の大小、枝を垂れ葉を広げ、高い低い、長い短い、さまざまな形や色。花を開き実を結ぶのに、それぞれの時節がある。先か後かは互いに待つことなく、香り・甘さ・辛さ・酸っぱさ、形も味も異なり、固い・柔らかい・渋い・滑らか、そのありようも同じではない。先に生まれ後に熟すもの、遅く種をまき早く収穫するもの。このように入れ替わり変わることは不可思議で、一つの味の雨が無量の種々の味を生み出し、それぞれ異なって、それぞれが自ら育ち養われ、互いに比べることはできない。 仏が今、身を分けるのもまた同じである。私の無為の身によって、無量の形ある根を作ることができる。ゆえに無辺身と名づける。私の無心の心によって、一切のものにそれぞれの心を持たせることができる。私の無身の命によって、一切の形ある命を作ることができる。私は無言の説によって、一切のものにそれぞれ無量の言葉を持たせる。私は微塵の身によって、虚空の間に遍く満ち、空のないところはない。私は三千大千世界の身によって、その中に一塵を収めても、狭くもならない。私は虚無の身によって、軽くも重くもなれる。このような自在は測り知ることができない。声聞や縁覚、凡夫の知ることのできるところではない。 諸仏は、たとえば一つの味の雨が雑多な草木を潤し、みなを成熟させるようなものである。仏もまた同じである。仏身によって成熟すべき者には、すなわち仏身を現して成熟させる。菩薩によって成熟すべき者には、すなわち菩薩身を現して成熟させる。辟支仏によって成熟すべき者には、すなわち辟支仏身を現して成熟させる。声聞の身によって成熟すべき者には、すなわち声聞身を現して成熟させる。四道の果によって成熟すべき者には、すなわち四道の果の身を現して成熟させる。三十三天によって成熟すべき者には、すなわち三十三天王の身を現して成熟させる。天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人・非人などによって成熟すべき者には、すなわち皆その身を現して成熟させる。衆生は無辺であり、仏もまたそれに応じて、また無辺である。種々の方便と譬えによって、このように解脱を得させる。なさざるところなく、為さざるところはない。すべての子らを導き、みな正しい知見と解脱を得させる。 善男子よ。仏は衆生を離れず、衆生は仏を離れない。それゆえ水は波を離れず、波は水を離れない。水に風がなければ波は現れない。風が動くとき、水を波と名づける。寂静であるがゆえに動乱がなく、動乱がないがゆえに水と名づける。仏性と衆生もまた同じである。 善男子よ。心が動くがゆえに寂静がなく、寂静がないがゆえに波と名づける。衆生はこのようであるから、智慧の水がない。智慧の水がないがゆえに、身は垢に穢れる。五陰を実有と見るならば、七つの殺に覆われ、没してどこにあっても安らかでない。すべては動乱によって仏性が現れないのであり、これを衆生と名づける。 善男子よ。水に風がなければ、澄み清らかで濁らない。日・月・星・銀河・五岳が、その水の中に自然に明らかに映る。衆生を見ることもまた同じである。静定であるがゆえに心は澄み清らかになる。仏性はその身の中に、はっきりと自ら現れる。もし仏性を見れば、煩悩はなくなる。生死は永遠に尽きる。すなわち出世の人と名づけるのである。」 そのとき、世尊はこの意味を重ねて宣べるために、偈を説かれた。

本無今現有 現有還歸無 以無能為有有無同如如 從有說無時 亦復無無心利益我我故 無心如起身 身有則心應七殺亦復然 為度迷闇故 說身有七神七相隨名有 信耶背正真 變我指為鬼無明皆同然 譬如嬰孩兒 聞語即生怖母憐兒幼小 畏子啼過度 即便語其子汝今莫復啼 汝若更啼哭 外有狼狐來小兒聞此語 即便大恐懼 止聲不敢啼信其母語故 既至成長已 處處無所畏自在行無礙 始解母本意 見我啼過度嚇我不令啼 憐愍其子故 言道狼狐來諸佛亦如是 慈悲愍一切 或空說言有或有說言空 處處皆利益 有見義不同為有說言有 為空說道空 若見平等者我說萬行同 一切眾生類 皆有如來性見性說有我 不見說有鬼 如是之人等闇中作瑋瑋 七殺如虛空 無目何處避如來一音說 所見各有異 見鬼是世間見我是出世 有有世帝法 空空第一義若說有鬼時 恐怖迷闇者 眾生妄繼我即起我我心 放逸縱六情 廣造十惡業妄相顛倒故 五逆違經義 如來方便說云死當作鬼 展轉三塗中 罪盡方始出種種引喻說 令使信解之 眾生無慧目聞說即信有 畏罪生憂苦 佛為說淨戒迷闇目不見 既聞即受持 譬如小兒等信母說狐狼 謂呼真實有 即止不啼哭聲聞凡夫人 道鬼亦如是 世世所流轉一切不能離 唯有大菩薩 了了明二諦有無皆空寂 方作慈悲慧 知鬼本空相分別說二諦 見有即有鬼 有空無二諦聲聞凡夫人 亦如小嬰兒 處處皆恐迫無有自在時 大士菩薩等 知有皆是虛狐狼及鬼獄 悉是空寂無 是故行世間隨順眾生說 各各隨根機 方便令得出譬如一大澤 縱廣數百里 其中多惡獸嶮岨甚可畏 師子虎狼等 能熊及豺狗賊害毒蛇黿 蝮蝎野干輩 象龍夜叉鬼雜雜無量類 皆悉集其中 能噉人身命行人恒沙眾 至中皆滅命 所去無量數得過甚希少 唯有一長者 正有子一人愛之恒不離 與共行此澤 日便向欲暮澤中有一屋 子至此屋所 即便生懈怠欲依此屋宿 唯止不肯去 父憐其愛惜方便如引喻 云道此屋中 有虎食人處汝當莫懈怠 將至安隱國 子聞父語已心生大忙怖 進力不敢停 共父相隨去得達至彼村 止住無所畏 諸佛亦如是憐愍眾生輩 生死大澤中 種種說譬喻現生五陰裏 引迷令覺悟 令使厭五陰不聽在中住 為說有三塗 道鬼償罪處眾生聞是語 憂愁大恐怖 方便造萬行皆令在中去 努力強精進 生死乃得度大士菩薩等 遊行生死澤 處處在中行心不生迫迮 身為大火炬 照了三界闇置彼大明珠 在於勇猛幢 若得見珠光皆獲正真路 一切聲聞等 亦如彼一子信父說屍虎 不知有以無 承音即信之謂鬼獄是實 心生迫迮已 進力不敢停辛苦步步前 得達於彼岸 五陰空無相萬法亦復然 得悟一乘義 成佛亦不久會宗盡相法 是名大涅槃

> 本無であったものが今、現に有る。現に有るものはまた無に帰る。無をもって有をなすことができる。 有も無も同じく如如である。有から無を説く時も、また無の心もない。 我れを利益する我れのため、無心にして身を起こす。身が有れば心が応じる。 七殺もまた同じである。迷いの闇を度するため、身に七つの神があると説く。 七つの相に随って名と有がある。信じる者は正真に背く。我れを変じて鬼と指す。 無明はみな同じである。たとえば嬰児が言葉を聞いてすぐに怖がるようなものだ。 母は子の幼さを憐れみ、子が泣きすぎるのを畏れて、すぐにその子に語る。 「汝は今、もう泣いてはならない。もしさらに泣き叫ぶなら、外に狼や狐が来るぞ」 小児はこの言葉を聞いて、すぐに大いに恐れ、声を止めて泣くことができない。 母の言葉を信じるからである。やがて成長してしまえば、どこへ行っても恐れることがない。 自在に行じて妨げがない。初めて母の本意を解する。我れが泣きすぎるのを見て、 我れを嚇して泣かせまいとしたのだ。子を憐れむがゆえに、狼や狐が来ると言ったのだ。 諸仏もまた同じである。慈悲は一切を憐れみ、あるいは空をもって有と説き、 あるいは有をもって空と説く。どこにおいてもみな利益がある。見る者によって義は同じではない。 有る者のために有と説き、空なる者のために空と説く。もし平等に見る者があれば、 我れは万行は同じであると説く。一切の衆生は、みな如来の性を有する。 性を見る者は我れが有ると説き、見ない者は鬼が有ると説く。このような人々は、 闇の中でうつむいている。七殺は虚空のようである。目がなければどこに避けられよう。 如来は一音で説くが、見る者によってそれぞれ異なる。鬼を見るのは世間であり、 我れを見るのは出世である。有有は世の帝法、空空は第一義である。 もし鬼が有ると説く時、恐怖し迷う闇の者は、衆生は妄りに我れを継ぐと考え、 すなわち我れ我れの心を起こす。放逸にして六情をほしいままにし、広く十悪の業を造る。 妄相顛倒のゆえに、五逆は経義に違う。如来は方便をもって説く。 「死ねば鬼となる」と。展転して三塗の中にあり、罪が尽きて初めて出る。 種々の引喩を説き、信解させる。衆生は慧の目がなく、 有ると聞いてすぐに信じる。罪を畏れて憂苦を生じる。仏はそのために浄戒を説く。 迷える闇の目には見えないが、聞けばすぐに受持する。たとえば小児が 母の狐狼の言葉を信じ、それを真実有ると呼び、すぐに泣き止むようなものだ。 声聞と凡夫人の、道の鬼も同じである。世々に流転し、 一切は離れることができない。ただ大菩薩のみが、はっきりと二諦を明らかにし、 有も無もみな空寂であると知り、そして慈悲の慧を起こす。鬼はもと空の相であると知り、 分別して二諦を説く。有を見ればすなわち鬼が有り、空有れば二諦はない。 声聞と凡夫人は、また小さな嬰児のようである。どこへ行っても恐れ迫られ、 自在な時がない。大士菩薩たちは、有るものはみな虚ろであると知る。 狐狼や鬼や地獄は、すべて空寂で無であると。それゆえ世間を歩み、 衆生に随順して説き、それぞれの根機に随って、方便をもって出させようとする。 たとえば一つの大沢がある。縦横数百里、その中には多くの悪獣がいて、 険阻でとても恐ろしい。師子や虎や狼など、熊や豺狗、 賊害する毒蛇や鼈、蝮や蝎や野干のたぐい、象や龍や夜叉鬼、 雑々として無量の類が、みなその中に集まり、人の身命を食べることができる。 行人は恒沙の衆が、その中に至ってみな命を滅ぼす。去った者は無量の数、 過ぎることができる者はきわめて少ない。ただ一人の長者がいて、ちょうど子が一人あり、 これを愛して常に離れず、ともにこの沢を行く。日はまさに暮れようとする。 沢の中に一つの家がある。子はこの家の所に至って、すぐに懈怠を生じ、 この家に依って宿ろうとして、ただ止まって行こうとしない。父はその愛惜を憐れみ、 方便として喩えを引くように言う。「この家の中には、 虎が人を食う所がある。汝は懈怠してはならない。安隠の国へ連れて行こう」 子は父の言葉を聞いて、心に大いに慌て恐れ、進力を出して止まらない。 ともに父に随って去る。彼の村に達して、止住して恐れることがない。諸仏もまた同じである。 衆生を憐れみ、生死の大沢の中で、種々の譬喩を説き、 現に五陰の中に生じ、迷える者を導いて覚悟させる。五陰を厭わせ、 その中に住むことを許さない。そのために三塗があると説く。道の鬼が罪を償う所である。 衆生はこの言葉を聞いて、憂愁と大いなる恐怖を生じ、方便をもって万行を造り、 みなその中を去らせる。努力して強く精進すれば、生死を度ることができる。 大士菩薩たちは、生死の沢を遊行し、どこへ行ってもその中を行き、 心に迫り苦しむことがない。身は大きな火の炬となり、三界の闇を照らし出す。 かの大いなる明珠を、勇猛の幢に置く。もし珠の光を見ることができれば、 みな正真の路を得る。一切の声聞たちも、またかの一子のようである。 父が屍虎を説くのを信じ、有るか無いかを知らず、音を承ってすぐに信じ、 鬼や地獄は実であると呼ぶ。心に迫り苦しんで、進力を出して止まらない。 苦労して一歩一歩前に進み、彼岸に達する。五陰は空無相であり、 万法もまた同じである。一乗の義を悟れば、成仏もまた久しくはない。 会宗尽相の法、これを大涅槃と名づける。

爾時除疑大士從坐而起。整理衣服。長跪叉手。白佛言。世尊我欲發問。不敢輒耳。世尊聽許。乃敢發問。佛言。我今涅槃時將欲至。一切大眾所有疑惑今悉可問。眾若不問我滅度。後一切眾生必墮疑網。爾時世尊作此語已。端坐師子座。身諸毛孔上下支節金光流布。四面一時皆作金色。大眾見已悲號哽咽。哀動天地。各相謂言。無上慈父將捨棄我入於涅槃。世間空虛無可宗仰。我等徒眾喻如群盲不能自行。將墮坑泥永不能出。亦如眾聾。何所聽受皆語。除疑大士言。人者宿誓遠劫奉承聖志。總持無量大藏。聰慧辯才。方便無礙。哀愍我等。請問世尊。佛去世後為眾生作大依止。唯願仁者必為我問。

> そのとき、除疑大士は座から立ち上がり、衣服を整え、ひざまずいて両手を合わせ、仏に申し上げた。「世尊よ、私はお尋ねしたいことがあります。しかし、軽々しくは口にできません。どうかお許しください。お許しいただいてから、お尋ねいたします。」 仏はおっしゃった。「私が涅槃に入る時が、まもなく来ようとしている。ここに集うすべての人々の疑問は、今、すべて尋ねてよい。人々が尋ねなければ、私が亡くなったあと、すべての生きとし生けるものは必ず疑いの網に落ちてしまうだろう。」 世尊がこうおっしゃると、まっすぐに獅子の座にお座りになり、全身の毛穴という毛穴、上下の手足の関節から、金色の光が流れ出た。四方のすべてが、一斉に金色に輝いた。 これを目にした人々は、泣き叫び、むせびながら、その悲しみは天地を揺るがした。互いに語り合った。「無上の慈父が、まさに私たちを捨てて涅槃に入ろうとされている。世間は空しくなり、頼りとするものもなくなる。私たちは、目の見えない者たちがひとりで歩けないようなものだ。穴や泥の中に落ちて、永遠に出られなくなるだろう。耳の聞こえない者たちのように、何を聞き、何を受け止めればよいのか。」 そこで除疑大士が言った。「人は遠い昔の劫に誓いを立て、聖なる志に従ってきた。膨大な教えのすべてを心に保ち、聡明で弁才に優れ、巧みな手段に妨げがない。どうか私たちを哀れみ、世尊にお尋ねください。仏が亡くなられたあと、生きとし生けるものの大きな拠り所となってください。どうか、あなたが必ず私たちのために問うてください。」

爾時除疑大士。稱大眾意問佛言。云何名八邪之所牽。唯願世尊為我解說。佛言。八邪者天龍夜叉乾闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽人非人等。有此八種人。遊行世間。詐稱是真來。惑行人使人歸之。皆邪非正。眾生著者墮於八難。故言八邪之所牽也。除疑復問佛言。此八種人各行何行如可得識。唯願說之。佛言。善男子。諦聽諦聽。吾當為汝分別說之。天龍者專行幻法。水中走馬。足下不濕。臂上種樹。剝驢拔井。或化作龍羊蛇犬。山林河水地中出花。吞火噉鐵。或現作佛菩薩。眾生見已皆悉歸仰。不得正解脫。名為一邪。

> そのとき、除疑大士は大衆の意を代表して仏に問うた。「どのようなものを、八つの邪まなものに引かれるというのでしょうか。どうか世尊、私たちのために説き明かしてください。」 仏は言われた。「八邪とは、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽、そして人と人ならざる者たちである。この八種の者が世間をさまよい歩き、自分こそ真実の者だと偽って現れ、修行する人を惑わして帰依させる。みな邪まなものであって正しいものではない。衆生がこれに執着すれば、八難に堕ちてしまう。だから八つの邪まなものに引かれるというのである。」 除疑が再び仏に問うた。「この八種の者は、それぞれどのような行いをするのでしょうか。見分けられるように、どうか説いてください。」 仏は言われた。「善男子よ、よく聴きなさい、よく聴きなさい。私があなたのために一つ一つ説き明かそう。天や龍の者は、もっぱら幻の法を行じる。水の上を馬で走っても足元が濡れず、腕の上に木を植え、驢馬の皮を剥いだり井戸を引き抜いたりする。あるいは龍や羊や蛇や犬に姿を変え、山林や河や水や地中から花を咲かせる。火を呑み鉄を噛み、あるいは仏や菩薩の姿となって現れる。衆生はこれを見てみな帰依し仰ぎ見るが、正しい解脱を得ることはできない。これを第一の邪まなものという。」

善男子。夜叉者專行婬欲。殺生血食。詐稱言我是天中天。得大自在。信任六師。不識佛性。不得般若波羅蜜。專說世間無義語。有目之徒悉皆歸依。不得正解脫。名為二邪。

> 善男子よ。夜叉とは、ひたすら淫欲の行いにふけり、生き物を殺してその血や肉を食べながら、自分こそが天の中の天、大いなる自在を得た者だと偽って言うものです。六師を信じ、仏性を知らず、般若波羅蜜を得ることもできません。ただ世間の無益な言葉ばかりを説き、目ある者たちはみなこれに帰依してしまいます。かくして正しい解脱を得ることはできず、これを二つの邪と名づけるのです。

善男子。乾闥婆者專行音樂。鼓舞弦歌。箜篌箏笛。耽行笙瑟。種種皆能言。我自悟。眾生見之皆悉敬仰。謂為是真。不得正解脫。名為三邪。

> 善い男子よ。乾闥婆とは、もっぱら音楽を奏でる者である。舞い踊り、弦を奏で、歌う。箜篌や箏や笛を奏で、笙や瑟に耽る。種々のことを皆よくこなす。私自身が悟った。衆生はこれを見て皆、敬い仰ぎ、これこそ真実であると思う。しかし正しい解脱を得ることはできない。これを三つの邪まなものという。

阿脩羅者善能飲酒。不能使醉。自言。飲酒無罪。此是解脫。我能消殺。眾生見之謂。是聖人。不得般若波羅蜜。名為四邪。

> 阿修羅は酒を飲むことがよくできるが、酔わせることはできない。自ら言う。「酒を飲んでも罪はない。これこそ解脱だ。私は殺すことができる」と。衆生はこれを見て、「聖人だ」と言う。般若波羅蜜を得なければ、これを四邪という。

緊那羅者善能舞戲。擲空到折圓圈紐臂。戾脚清𨢩白紵弄槃。唱和音聲。眾生見之心生樂著。不得解脫。名為五邪。

> 緊那羅は、舞や芸事を巧みに行います。宙に投げ上げてはくるりと回り、腕を組んで舞い、足をしなやかに動かし、白い布を操り、皿回しをし、声を合わせて歌います。人々はそれを見て心が楽しく引き寄せられ、解脱を得ることができません。これを五つの邪といいます。

迦樓羅者善能槃馬。弄槊飛刀擲矢騁鞍。旋馬援弓𢱍強角走相撲。眾生見之心遂樂著。不得正解脫。名為六邪。

> 迦樓羅は、馬を巧みに操り、矛を弄し、刀を飛ばし、矢を投げ、鞍を駆って走り、馬をめぐらして弓を引き、強弓を張り、力比べや相撲を取る。人々はこれを見て心に喜び執着する。正しい解脱を得ることはできない。これを六つの邪れという。

摩睺羅伽者善解世法。僥倖絞假多詐少實。辭牒文章。能和私散。非諂曲兩頭多諸語言。不會宗義。眾生見之心生忻仰。不得正解脫。名為七邪。

> 摩睺羅伽は世の道理をよく理解している。しかし、偶然の幸運に頼り、偽りが多く実が少ない。文章や書類を巧みに操り、私的な争いをまとめることができる。へつらって両面を使い分け、多くを語るが、教えの本質をつかんでいない。人々はそれを見て喜び仰ぎ慕うが、正しい解脱を得ることはできない。これを七つの邪れと言う。

人非人者市道郭閃。妄言綺語。翻覆無信。諂媚多端。專求誑或。方便萬差。無有一實。眾生著之。不得解脫。名為八邪。

> 人であっても人でなくても、街や道で嘘をつき、飾った言葉を交わし、態度をころころ変えて信義がなく、へつらい媚びる態度はさまざまで、もっぱら人を欺こうとし、その手口は千差万別で、少しの真実もありません。衆生はこれに執着して、解脱することができません。これを八つの邪まな道と呼びます。

諸佛菩薩能同此八種行能利益。如是八種人皆使出世。故言不捨八邪證八解脫。此之謂是。爾時除疑大士復問佛言。世尊如是之人乃行此行。菩薩大士亦行是行。一切眾生盲無慧目。云何世間而能別之。唯願世尊。為解說之。令一切眾生皆得正解脫知見。佛告除疑大士。汝是大慈念諸眾生著邪受苦。我今將欲滅度。汝若不問無目之人皆悉信邪。墮於地獄受苦無量。永處闇障。耳初不聞一乘之名。況能見佛。汝當諦聽。吾當為汝分別解說。善男子。八邪之心自是非他口。不說大乘方等。不見佛性。不能和通經典。善能所作了了明解。於諸身色不能捨離。雖說經法不合空義。專求伺人之過。自作愆咎覆藏不悔。自封所化是我眷屬。或見他人。如與同聚。心生忿怒。生大誹謗。自讚毀他。如是之人。是八邪徒黨菩薩大士。雖與同行慈悲為首推直與人抱曲向己。雖與天龍同行教以斷見而不取著。雖與夜叉同行示欲之過食肉殺生而無害心。教除五陰不聽執著。雖與乾闥婆同行。教除耳聽猶如空嚮不聽愛樂。示以法音。八正伎樂使人捨之。如入禪定。入阿脩羅中示現飲酒。不起昏心。捨諸相惑。增益智慧。入迦樓羅中教以調伏諸根不令放逸。自作教人如不取勝。令諸眾生心性調順。在緊陀羅中示現法喜歌舞。恩和調暢。八音方等。梵聲朗徹。見者歡欣。處在摩睺羅伽中。教諸眾生捨於諍論。無彼無我。無取無捨。見善不讚。見惡不毀。離世語言。常以軟善調伏其心。習於空慧。入於人非人中。教以忍辱。捨於俗事。專求智慧。入於一實定法。爾時除疑大士問佛言。世尊云何名萬惡之所蔟。唯願說之。我若聞已佛去世後。教令無量無邊眾生皆悉聞知。佛告除疑。善男子。萬惡者皆是著相。諸行不能捨。於諸見封執五陰。未得悟空。佛性未顯。貪求名譽。我慢貢高。癡欲益甚。毀謗大乘。而求小法捨於深法。愛樂淺語賤薄空宗。染著諸相忻仰繫縛。厭惡解脫求現相。諸業而不求見清淨佛性。如是之人名萬惡之所蔟。如斯之徒名地獄人也。

> 諸仏菩薩はこの八つの行いを共に行い、利益をもたらすことができます。このように八種類の人々をすべて世間から救い出すのです。だから「八つの邪を捨てずして八つの解脱を証する」と言うのです。これはまさにそのことです。 そのとき、除疑大士が再び仏に問いかけました。「世尊よ、このような人はこの行いを行い、菩薩大士もまたこの行いを行います。しかし一切の衆生は目が見えず智慧の眼を持ちません。どうして世間の人はそれを見分けることができるでしょうか。どうか世尊よ、私たちのために説き明かしてください。すべての衆生が正しい解脱の知見を得られますように。」 仏は除疑大士に告げました。「あなたは大いなる慈悲をもって、衆生が邪に執着して苦しむことを念じている。私が今まさに滅度しようとしている。あなたがもし問わなければ、目の見えない人々は皆、邪を信じ、地獄に堕ちて無量の苦しみを受け、永遠に闇の中に置かれるであろう。耳にすら一乗の名を聞くことがないのに、どうして仏を見ることができようか。あなたはよく聞きなさい。私があなたのために分別して説き明かそう。 善男子よ、八つの邪の心とは、自らは正しいとして他を非とし、大乗方等を説かず、仏性を見ず、経典を通じ合わせることができず、善くできることに固執して明了に理解しようとせず、さまざまな身体や色に捨離することができず、経法を説いても空の義に合わず、もっぱら他人の過ちを伺い求め、自ら犯した罪を覆い隠して悔い改めず、自ら教化した者を我が眷属と決めつけ、あるいは他人を見て同じ集まりであるかのように思い、心に怒りを生じ、大きな誹謗をなし、自らを讃えて他を毀ることである。このような人は八つの邪の徒党である。 菩薩大士は、彼らと共に行いながらも慈悲を第一とし、正しさを人に譲り、曲がったことを自ら引き受ける。天龍と共に行いながらも、断見を教えて執着しない。夜叉と共に行いながらも、欲望の過ちを示し、肉を食べ生き物を殺しても害する心はない。五陰を除くことを教え、執着を許さない。乾闥婆と共に行いながらも、耳で聞くことを除くことを教え、空の響きのように愛楽して聞かない。法の音を示し、八正の伎楽によって人々にそれを捨てさせる。禅定に入るかのようである。阿修羅の中に入って酒を飲むことを示現しても、心は昏くならず、もろもろの相の惑いを捨て、智慧を増す。迦楼羅の中に入って、諸根を調伏して放逸にさせないことを教える。自ら行い人にも教え、勝つことを取らないようにさせる。衆生の心を調和させ従わせる。緊陀羅の中にあっては法喜の歌舞を示現し、恩愛は和やかに調い、八音は方等にして、梵の声は朗らかに徹し、見る者は歓喜する。摩睺羅伽の中にあっては、衆生に諍論を捨てることを教え、彼もなく我もなく、取ることもなく捨てることもない。善を見ても讃えず、悪を見ても毀らず、世間の言葉を離れ、常に柔らかな善をもってその心を調伏し、空の慧を習う。人や非人の中に入っては、忍辱を教え、世俗の事を捨て、もっぱら智慧を求めて、一実の定法に入る。」 そのとき、除疑大士が仏に問いました。「世尊よ、どうして『万悪の集まるところ』というのですか。どうか説いてください。私が聞いたならば、仏が世を去られた後、無量無辺の衆生に教え示して、皆が聞き知ることができるようにいたします。」 仏は除疑に告げました。「善男子よ、万悪とはすべて相に執着することである。もろもろの行いを捨てることができず、もろもろの見に五陰を封じて執着し、いまだ空を悟らず、仏性も現れず、名誉を貪り求め、我慢して高ぶり、愚かな欲望はますます甚だしくなり、大乗を毀謗して小法を求め、深い法を捨て、浅い言葉を愛楽しんで空の宗を賎しみ薄く思い、もろもろの相に染まり執着して仰ぎ慕い繋がれ、解脱を厭い嫌って現れの相を求め、もろもろの業をなしても清浄な仏性を見ることを求めない。このような人を『万悪の集まるところ』という。このような者を地獄の人という。」

爾時會中有一菩薩。名曰迦難羅。從坐而起。白佛言。世尊向聞如來說八邪萬惡。始知世間之人愚癡無目。但見現前不識後世。已聞幻或未能別識。相牽談說云。是真人背正歸邪。謂為解脫。心規世榮。與道相違。現遭殃禍。死墮惡趣。捨施財物及以妻子奴婢牛羊驢馬車輿園林屋宅床敷臥具衣食種種之物。皆能布施。心希現報。不求出世。受施之人非真解脫。雖常讀經不解深義。讚嘆小法毀訾方等。但見虛偽五陰未覩佛性。雖復剔髮衣服法衣不名出家。如是之徒是外道眷屬。眾生信之遂墮黑闇。歸者受苦終無慧目。師墮地獄二皆無益。如此人輩甚可哀矣。我於往昔無量劫學行布施。頭目髓腦一切所有之物。盡施與人不識真正。但得外道邪魔。亦不殺我觀於五陰中而有佛性。過於此劫復生於閻浮提劫。名諸見國。名梵音王。名自高。復於此劫供養六師。所須之物皆悉給與。亦不教我觀五陰是空取於真實佛性。復過此劫劫名安樂國。名安住王名不動。我於此劫供養無量恒沙諸佛。亦不教我捨於五陰而取真實佛性。復過此劫劫名離垢國。名空寂王。名惠解。我於此劫供養無量恒沙諸佛。教我捨棄五陰離諸結縛。始見此經。我即受持。書寫讀誦。晝夜精勤。修心相續。不使緣外。於其夜中夢見。普賢菩薩教我觀身。猶如虛空方始得見佛性。忽然悟覺。於虛空中覩見釋迦牟尼佛。即與我受記。號明法王如來。我即供養百億釋迦。今復重見如來說。於此經典歡欣無量。我從過去無量阿僧祇。佛所受持此經。并復受持陀羅尼呪。令我心恒堅固。今得受記。我欲施此神呪。在此經上為利益無量無邊眾生。不審世尊聽許以不。若我來世成等正覺時。持此呪者皆來生我國同共受樂。以此之故所願如是。佛言。善哉。汝是眾生無上慈父。施呪救護。將大利益不可稱數。我今說之在於此經。若有無量百千萬億眾生受諸苦惱。聞此呪者三稱汝名。讀持此呪即得解脫。命終生天。世世受樂。汝成正覺皆生汝國。爾時迦難羅菩薩即於佛前而說呪偈。

> そのとき、集会の中に一人の菩薩があり、名を迦難羅といった。座から立ち上がり、仏に申し上げた。「世尊よ、先ほど如来が八邪と万悪について説かれるのを聞き、初めて世間の人の愚かで目が無いことを知りました。ただ目の前のことだけを見て、後世を知りません。すでに幻のようなものだと聞いても、まだ見分けることができません。互いに引っ張り合って語らうのに、『これは真人だ』と言い、正しい道を背いて邪に帰し、それを解脱だとしています。心は世の栄華を求め、道に背いています。現に災いを受け、死んで悪趣に堕ちます。財物や妻子、奴婢、牛羊、驢馬、車輿、園林、屋宅、床敷、臥具、衣食、種々の物を施し与えることができても、心は現世の報いを望み、出世の解脱を求めません。施しを受ける人も真の解脱ではなく、常に経を読んでも深い意味を解せず、小さい法を讃嘆して方等を誹謗します。ただ虚偽の五陰を見るだけで、まだ仏性を見ていません。たとえ頭を剃り法衣を着ても、出家とは名ばかりです。このような者たちは外道の眷属です。衆生が彼らを信じてついに暗黒に堕ちます。帰依する者は苦しみを受け、ついに智慧の目を得ません。師は地獄に堕ち、両方とも益がありません。このような人々はまことに哀れむべきです。 私は昔、無量劫の間、布施を行じることを学び、頭や目、髄や脳、一切の所有物をことごとく施し与えましたが、真正を知りませんでした。ただ外道や邪魔を得ただけで、五陰の中に仏性があることを教えてもくれませんでした。この劫を過ぎてまた閻浮提に生まれました。劫の名は諸見、国を梵音、王を自高といいました。またこの劫で六師を供養し、必要な物をことごとく与えましたが、五陰は空であると観じて真実の仏性を取ることを教えてくれませんでした。またこの劫を過ぎて、劫の名は安楽、国を安住、王を不動といいました。私はこの劫で無量恒沙の諸仏を供養しましたが、五陰を捨てて真実の仏性を取ることを教えてくれませんでした。またこの劫を過ぎて、劫の名は離垢、国を空寂、王を恵解といいました。私はこの劫で無量恒沙の諸仏を供養し、五陰を捨てて諸の結縛を離れることを教えられ、初めてこの経を見ました。私はすぐに受持し、書き写し読誦し、昼夜精勤して、心を修め相続させ、外縁に使わないようにしました。その夜のうちに夢で普賢菩薩が私に身を観ることを教え、それは虚空のようであると知り、初めて仏性を見ることができました。忽然として悟り覚り、虚空の中に釈迦牟尼仏を睹見しました。すぐに私に授記を与え、号を明法王如来とされました。私はすぐに百億の釈迦を供養しました。今また重ねて如来がこの経典を説かれるのを見て、歓喜無量です。私は過去無量阿僧祇の仏の所でこの経を受持し、また陀羅尼呪を受持しました。そのおかげで私の心は常に堅固で、今授記を得ました。私はこの神呪をこの経の上に施し、無量無辺の衆生を利益したいと思います。世尊はお許しくださいますか。もし私が来世で等正覚を成し遂げたとき、この呪を保つ者は皆、私の国に生まれて共に楽しみを受けます。このゆえに願いはこのとおりです。」 仏は言われた。「善いかな。あなたは衆生の無上の慈父である。呪を施して救護し、大きな利益をもたらすことは数えきれない。私が今これを説くのはこの経においてである。もし無量百千万億の衆生が諸の苦悩を受け、この呪を聞いてあなたの名を三度称え、この呪を読誦し保てば、すぐに解脱を得る。命終わって天に生まれ、世々に楽しみを受ける。あなたが正覚を成し遂げれば皆あなたの国に生まれる。」 そのとき迦難羅菩薩はすぐに仏の前で呪の偈を説いた。

呼呼膩　摩呼呼　嗚呼膩吒利　那羅帝那羅利　阿毘帝　曼多隸那隸　尼多訶帝膩吒利　伊尼吒盧帝　槃荼羅　槃荼盧尼提　若拘利　摩拘尼　塗莎

> 呼呼膩　摩呼呼　嗚呼膩吒利　那羅帝那羅利　阿毘帝　曼多隸那隸　尼多訶帝膩吒利　伊尼吒盧帝　槃荼羅　槃荼盧尼提　若拘利　摩拘尼　塗莎

諸有無常住 三世會歸空 觀心是無相眾生性皆同 慧解無分別 相或不得通盡相心亦滅 了了見真容 為著五陰故示聽恒蒙聾 除去相或盡 忽悟解正宗

> すべての存在に永遠に変わらないものはなく、 過去・現在・未来のすべてはやがて空に帰する。 心を観れば、そこに固定的な形はない。 生きとし生けるものの本性はみな同じである。 智慧によって理解すれば、区別はなくなる。 しかし形にとらわれていると、真実に通じることができない。 形を尽くして心もまた滅すれば、 はっきりと真実の姿を見る。 五つの要素にとらわれているために、 聞くように示されても、いつまでも聞こえない。 形へのとらわれが完全に除かれたとき、 ふと悟り、正しい教えを理解する。

前偈胡音胡字。中偈胡音漢字。後偈漢音漢字。翻胡作漢。

> 前の偈は胡の音と胡の字。中の偈は胡の音と漢の字。後の偈は漢の音と漢の字。胡を漢に翻訳する。

說此呪時。八萬菩薩住不動地。九千聲聞發大乘心。十千比丘得羅漢道。五千比丘尼得阿那含道。十億優婆塞得斯陀含道。二十億優婆夷得須陀洹道。無量天人得法眼淨。百千眾生皆發無等等阿耨多羅三藐三菩提心。爾時阿難問迦難羅菩薩言。云何奉持。云何修行。唯願仁者。為我解說。爾時迦難羅語阿難言。行此經呪之時。當在空靜之處。淨治一室。以香湯洗浴。著淨衣服。安置法坐。不限人之多少。端身正心。勿得轉動。請法王一人在於座上。分別解說。是諸行人和合為上。捨離語論。閉目思惟。使心不亂。攝伏六根不令放逸。日夜六時燒香供養。善心相續入善境界。以是至到得見佛性。眾罪消滅。結縛解脫。因是日已始得見無量阿僧祇諸佛。皆為作依止。無量阿僧祇菩薩共為等侶。阿難問言。受持此經得幾數福。持此經者消供養以不。佛言。百千萬分不如其一。以一閻浮提中所有珍寶并諸雜物。悉以供養一切諸佛菩薩。不如有人須臾之頃聽是經典。復置是事。以一佛世界所有珍寶以用布施。不如有人造此經一字。復置是事。以十佛世界所有珍寶。造作浮圖塔寺。遍滿一閻浮提。不如有人讀此經一偈。復置是事。以百佛世界所有珍寶。以用造作經書形像。遍滿三千大千世界。不如有人解此經一句之義。以是之故吾今付汝。我滅度後在在處處。廣宣流布。常使不絕。受持此經典者。諸佛菩薩之所護念。所以者何。若持此經即同佛涅槃。永無煩惱。生死所不能污。當知此人不久成佛。受持經人日消五兩金食。何況世間輕微供養。若有人能精心竭力。晝夜苦身。供養受持此經之人。功德不可思議。現世受樂常聞正法。命終生天面奉諸佛。爾時會中有天神王地神王海神王河神王山神王樹神王風神王火神王諸鬼神王等。從坐而起白佛言。世尊我等諸神王在所佐護。受持此經之人并及供養受持經人。弟子常為此人不使見惡。所求如意。其人行來。我等常送不令恐怖。亦復不使惡人惡鬼橫害。其人所須之物。我等冥會使之自然。而得生之處常與明師相遇永離愚鈍。佛言。善哉。汝等大慈能護三寶。令諸眾生安住佛法。心無驚動。離苦出世。汝於來劫亦得作佛。

爾時諸神王等聞佛所說。汝於來世亦得作佛。即起恭敬。以偈歎佛。

世尊大慈悲 哀愍度一切 敷演祕密藏有形靡不濟 降伏魔怨眾 制諸外道賊開現正真路 燒去煩惱惑 盲聾得視聽枷鎖自然脫 師子威力備 頻申皆出窟三塗變為淨 迷者悉得悟 流轉之徒眾安靜如法住 施我眾生目 覩見妙樂土令除我慢心 貢高所不怙 煩惱新草等五陰風吹聚 身中起慧火 焚燒令無主運化同虛空 晃蕩無處所 清淨無雲翳始聞空中語 了了心惺悟 慈光變諸苦心盡相亦滅 忽然見慈父 唯願佛世尊普愍度群生 震雷啟聾者 金碑決瞽盲

爾時佛告諸神王等。此經威力不可思議。受持此經功德亦不可思議。我說是經難可得聞。何況有人而得聞。何況有人而得受持讀誦書寫流通。功德巍巍難可度量。一切海水可知渧數。無有能知受持此經之人功德多少。一切大地可知塵數。無有能知受持此經之人功德限量。虛空可知分界。無有能知受持此經之人功德頭畔。一切諸佛可知名數。無有能知受持此經之人功德分界。以是因緣付囑於汝。在後流通世間莫使斷絕。我今涅槃時至不得久住。汝當努力承經聖志為作導師。爾時大眾聞說是語。皆各發聲悲號哽咽。叫呼大哭流涕泣血。不能自止。共相謂言。無上慈父將棄我等入於涅槃。我等徒眾無所宗仰。喻如嬰兒失母。涸魚無水。孤鳥失侶。猨猴失樹。孤窮孤路。伶併辛苦亦無恃託。依何所住。設復有疑當復問誰。世尊今去。何時復值假使還來云何可識。作此語已。舉手拍頭。推胸大叫。悲酸懊惱。痛哉苦哉。雨淚氣絕。五體投地。如太山崩。一一毛孔血流灑地。如波羅奢花。而白佛言。世尊為我徒眾且住於世莫般涅槃。我今在後無所依止。爾時佛告諸大眾。汝止。莫啼。我今語汝吾來去之狀。我若還來必得相識。

爾時佛告諸大眾。諦聽諦聽。吾當為汝說涅槃因緣。善男子。譬如春月。陰氣漸退。陽氣微溫。水凍消融。大地枯釋。溫和調暢。雲雨時注。一切草木皆悉萌牙。如得生長。我今出世亦復如是。煩惱氷凍受欲。陰氣漸漸衰微。濡善春陽。忍辱溫氣微微而出。慈悲時雨數數降注。菩提善牙因此而生。三月四月諸陽漸強。樹木卉草皆悉滋榮。開花結實。我今住首楞嚴三昧亦復如是。智慧諸陽漸得轉強。令諸聲聞凡夫方便滋榮。開菩提空花同結一實。七月九月陽氣衰微。陰氣微進。令諸花木枝葉彫落菓實成熟。菩薩及彼亦復如是。五陰陽氣以得衰微。佛性智陰轉轉強上。諸見枝葉悉皆彫落。解脫知見菓實如得成熟。正冬之月冷上氷結一切菓實。皆悉成熟。收獲斂治。內於窖倉。毒蛇惡虫入穴隱匿。塞局墐戶就室然火。我今涅槃亦復如是。無知冷結解圓妙果成熟無二斂治分別置空窖倉。我慢毒蛇諸有惡虫入寂滅穴隱。塞智慧局閉覺知戶。就涅槃室然種智火。以是因緣故入涅槃。善男子。我若出之時。或作人君。或作人臣。或作人父。或作人子。或作人夫。或作人婦。或作象馬禽獸龜鼈黿蛇蠢飛蠕動。無所不作。無所不為。如是不可思議。唯行平等可得識吾。一切大眾即起恭敬。遶佛三匝。實如聖教。佛說此經已。寶塔寶池忽然不現。樹木花林皆悉萎枯。如來世尊北首而臥入於涅槃。一切大眾叫喚大哭。氣絕僻地。猶如死屍。悲泣盈目。淚如上雨。淚滴於地。地為之烈。大地震動。泉源枯竭。飛落走伏。皆各懊惱。高下不淨還悉如本。獄囚還繫。地獄受苦。餓鬼飢虛。無有解脫。真容奄形金棺。盛於銀槨。白疊千端。練絹萬疋。蘇油灌之。以火焚燒。悉皆磨滅。二端不燒。留於後代。一切大眾作禮而去。

## 佛說智慧海藏經卷下

大唐寶應元年六月二十九日中京延興寺沙門常會因受請往此燉煌城西塞亭供養忽遇此經無頭名目不全遂將至宋渠東支白佛圖別得上卷合成一部恐後人不曉故於尾末書記示不思議之事合會願以此功德普及於一切我等與眾生皆共佛道。