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title: "五燈嚴統目錄 · 附錄寂音尊者彈斥薦福古遙嗣雲門偃"
description: "五燈嚴統目錄由明代高僧費隱通容集於清順治年間，是禪宗重要史書五燈嚴統的總目錄。該書編撰於明清易代之際，旨在釐清禪宗法脈源流，糾正以往燈錄之訛誤。主要內容系統梳理了自佛祖至南嶽、青原兩大系下各宗支的傳承世系，強調臨濟宗的正統地位。此目錄是研究中國禪宗史和法脈傳承的權威文獻，具有極高的史料價值，對後世禪宗典籍編纂影響深遠，是佛教燈錄體著作中的嚴謹典范。"
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### 附錄寂音尊者彈斥薦福古遙嗣雲門偃

> 付録 寂音尊者、薦福古を弾斥し、雲門偃を嗣ぐ

林間錄云。古塔主去雲門之世。無慮百年。而稱其嗣。青華嚴未始識太陽。特以浮山遠公之語故嗣之不疑。二老皆以傳言行之自若。其於己甚重。於法甚輕。古之人於法重者。永嘉黃檗是也。永嘉因閱維摩。悟佛心宗。而往見六祖曰。吾欲定宗旨也。黃檗悟馬祖之意。而嗣百丈。故百丈嘆以為不及也。

> 『林間録』にこうある。古塔主は雲門の世を去ることおよそ百年を経てから、その法嗣を称した。青華厳は太陽を未だかつて直接見たことがなかったが、ただ浮山遠公の言葉によって疑わずに法嗣とした。二人の老僧はともに伝法の言葉を自分自身のこととして行じ、平然としていた。そのことは自分自身については非常に重く見たが、法については非常に軽く見たのである。古人にして法を重んじた者は、永嘉と黄檗である。永嘉は『維摩経』を読んで仏心の宗を悟り、六祖のもとを訪れて「宗旨を定めたい」と言った。黄檗は馬祖の意を悟りながら、百丈を嗣いだ。それゆえ百丈は感嘆して「自分は及ばない」と言ったのである。

僧寶傳曰。古說法有三失。其一判三玄三要。為玄沙所立三句。其二罪巴陵之語。不識活句。其三分兩種自己。不知聖人立言之難。文字禪題古塔主論玄要云。吾無以徵其失。將撼臨濟起而使痛叱之乃快也。又題論兩種自己云。古葢吾法中罪人。而自以能嗣雲門。其自欺欺人之狀。不窮而自露。此三言者。又足見目謂得悟立言杜撰師承之不可已。而妄攀宗祖之不可為也。即古塔主廁名於傳燈。自是修燈者。無寂音之卓識。故不能奮董狐之筆。以濫入之。為後人僭竊之口實。然雖廁名傳燈。而終不免于種種之彈斥。法門紀綱。如此其肅。後人當以為鑑。又豈可從而效之哉此段正名錄檢出僧寶傳更多彈斥不具錄。

> 『僧宝伝』にこうある。古来、説法には三つの過失があるという。第一は、三玄三要を玄沙の立てた三句と解釈すること。第二は、巴陵の言葉を罪とし、活句（活きた句）を理解しないこと。第三は、二種の自己を区別しながら、聖人が言葉を置くことの難しさを知らないことである。 『文字禅』に「古塔主の玄要論」への評としてこうある。「私はその過失を正す術を持たない。臨済を揺り起こして、彼に激しく叱らせることができれば痛快であろうに」。また「二種の自己論」への評にはこうある。「古は、まさに我が仏法の中の罪人である。自ら雲門の継承者を名乗るとは、自分を欺き人を欺く様が、追究せずとも自ら露呈している」。これらの言葉は、悟りを得たと自称し、勝手に宗旨を立て、師承を偽るようなことをしてはならないことを、よく示している。また、宗祖を僭称してはならないことも明らかである。 たとえ古塔主が『伝灯録』に名を連ねていても、それは灯録を編んだ者に、寂音のような卓越した見識がなかったからである。だから、董狐の筆のような厳正な選別を振るえず、彼を濫りに収めてしまい、後人が僭越に乗っ取る口実を与えてしまったのだ。しかし、たとえ『伝灯録』に名を残すことになっても、結局は様々な批判・弾劾を免れなかった。法門の規律は、このように厳正なのである。後人はこれを戒めとすべきであり、どうしてこれに追随するなどできようか。 <note>この段は正名録により、僧宝伝からさらに多くの弾劾の言葉があるが、ここには全てを収録しない。</note>