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title: "佛說華手經 · 35 囑累品(一〇)"
description: "佛說華手經由鳩摩羅什大師於姚秦弘始年間譯出。此經屬大乘佛教重要經典，闡述菩薩行者如何以華手莊嚴佛土、修持六度萬行，強調心性修養與般若智慧。經中詳述諸法實相、菩薩階位及成就菩提之道，為修行者提供具體實踐指南。在佛教地位上，本經被視為闡發菩薩道精神的權威典籍，對漢傳佛教華嚴思想與禪觀修持有深遠影響，是研究大乘菩薩行門的核心經典之一。"
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### 囑累品第三十五

> 嘱累品 第三十五

「復次，堅意！若善男子、善女人發大乘心，若佛現在、若滅度後，眾華瓔珞若上華香以為供養。以是緣故，得八具足：福身色具足、財物具足、眷屬具足、持戒具足、禪定具足、多聞具足、智慧具足、所願具足；是名八具足福。」

爾時，世尊欲明此義即說偈言：

「若求佛道者， 供給佛塔廟，世世得福報， 汝當一心聽。常具足身色， 見者心得淨，福德大財富， 及得善眷屬。安住於戒中， 能深入禪定，得多聞智慧， 無量如大海。諸有所願求， 皆悉能具成，世間中尊上， 第一良福田。以是善根故， 得相三十二，相相各明顯， 以是嚴其身。是一一諸相， 以眾好嚴飾，一一諸相中， 各有八十光；是一一光中， 其明甚清徹，於八十種好， 亦出諸光明。從諸善業緣， 亦從願故生，隨諸願差別， 故得如是相。足輪相一指， 以眾好莊校，是福德神力， 汝當一心聽。我是足指中， 有好名照明，有光名極高， 安住於此中，能演出光明， 猶如過愛珠，是光如半月， 在於須彌山。有相名堅集， 有八十億光，諸光各有名， 亦各有明色。我從一光邊， 出千種色明，圍遶大千界， 下方作佛事。我今若普放， 善業所得光，世界若大小， 一切皆迷悶。從是光現無量佛， 遣到十方諸世界，廣化眾生作佛事， 有如是等神通力。我有三昧能普照， 用是三昧見世界，此三昧名須彌相， 是中有光名善法。有三昧名首楞嚴， 於一切中為最勝，因以淨心故能得， 通達十方無罣礙。有人見佛現滅度， 或有見佛初入胎，有人見生無所畏， 其心安靜行七步，或有人見坐道場， 謂我方今始成佛，又復見我轉法輪， 又見修行菩薩道，汝等觀是三昧力， 佛住是中得自在。有人知我壽劫數， 或有知我壽半劫，有見我壽一小劫， 若二三四若過是，有見我壽一億歲， 又見過是若復少。此閻浮提世界人， 知我壽命八十歲，又見我壽一日夜， 又人知我壽長遠，或有三千大千界， 謂我壽天一日夜。我知是人心喜樂， 隨其所樂為說法，隨眾所應為示現， 各各自謂為我說，見以歡喜生信解， 是佛希有神通力。我若示汝所為事， 一切凡夫皆狂惑，如來所行所為事， 汝等設見亦不識，菩薩若知我深行， 是人便能轉法輪。諸說法者各所樂， 不能盡知我所行，若不能知普智行， 是人所說甚微淺，若聞是法心退沒， 我以是故無所說。若人能知普智行， 是人心終不退沒，知一切法皆悉等， 是人隨順我所行。堅意當知是諸經， 於將來世無受者，唯除此會八菩薩， 今於我前合掌立。堅意當知如是人， 則能知我甚深行，亦為先會法之首， 常能照然佛法炬，常教眾生菩提心， 常為諸佛所稱歎。如今於我現前立， 過去佛前亦如是，如恒沙數諸世尊， 是人皆現於前立。時五百人從坐起， 合掌白言當護法，皆是佛聽護法者， 堅意汝亦在是數。復有八十菩薩起， 皆為救護佛法故，世尊我於未來世， 受持佛法如說行，當於濁亂惡世中， 廣說流布是法種。世尊尋便為授記， 即飛空中七多羅，八十億人得深喜， 各各自聞得受記。」爾時佛告阿難曰： 「汝能於後惡世中，受持如是諸經不？」 答言：「世尊！我不堪。」佛知故問迦葉言： 「汝能於我滅度後，受持如是諸經不？」 答言：「世尊！我不堪。我能把持三千界， 及大海水諸山林，諸餘麁重悉能持， 不能惡世護持法。今世比丘多弊惡， 不隨世尊所教法，何況世尊滅度後， 誰能信受是深經？必當語我如是言， 汝年老耄無智慧，云何反能教我等， 利根聰辯解義者？世尊！如是弊惡人， 樂世文頌外道論，捨離甚深禪定樂， 皆悉樂著世俗事。多欲難滿無厭足， 貪著美味求利養，我不能救是惡人， 見已反增我憂惱。我在空閑獨處時， 釋梵諸天來語我：『我世尊說如是法， 令多眾生住聖道，有某比丘得無漏， 某得神通到彼岸。』我聞是已心喜悅， 而答釋言何足怪！於後惡世釋梵天， 來至我所啼哭言：『大德當知佛法壞。』 我聞是已懷憂惱，不能廣說是罪緣， 亦復不能持此經，亦不能為作證明， 惡世比丘難與言。」時諸天神皆啼哭， 爾時佛告迦葉言：「我亦先知汝不能， 受持擁護我法種，我諸聲聞弟子等， 無能受持如是經。但諸菩薩承佛力， 則能受持如是法，於後惡世或生疑， 我今當斷此人惑。是經何故先來無， 但是比丘自造作？或見是經多無量， 為讀誦故心驚畏，是經廣博多散亂， 誰能讀誦令究竟？若人今見汝問我， 亦聞我今為汝說，是人於後甚惡世， 能聞是經得歡喜。」佛說如是護法時， 無量眾發菩提心，是諸眾生皆念言： 「我於來世聽是法，後當供奉諸世尊， 一心求覓佛大智，供給舍利及塔廟， 種種嚴飾尊形像。」

> 「もし仏道を求める人が、仏塔や寺院に供養を捧げれば、 世々にわたり福報を得られる。あなたは心を一つにして聞きなさい。 常に立派な身色を備え、見る者は心が清らかになり、 大きな福徳と財産を手にし、すぐれた眷属も得られる。 戒律に安らかにとどまり、深く禅定に入ることができ、 多くの教えを聞き、智慧を得る、その量は大海のように果てしない。 あらゆる願い求めることは、すべてかなえ成就する。 世の中で最も尊い、第一の善き福田である。 この善根によって、三十二の相を得る。 一つ一つの相はみな明らかに現れ、その身を飾る。 これらの一つ一つの相は、さまざまな好で飾られ、 一つ一つの相には、それぞれ八十の光がある。 その一つ一つの光の中、その輝きはきわめて清らかで、 八十の好の中にも、また諸々の光明が現れる。 さまざまな善業の縁から、また願いから生じるもの。 願いの違いに従って、そのような相を得るのだ。 足の輪相と一指は、さまざまな好で飾られている。 このような福徳と神力について、あなたは心を一つにして聞きなさい。 私の足の指の中に、「照明」という名の好がある。 「極高」という名の光があり、その中に安らかにとどまって、 光明を放つことができる。まるで優れた愛珠のようだ。 その光は半月のようであり、須弥山にある。 「堅集」という名の相があり、八十億の光がある。 それぞれの光には名前があり、それぞれに光の色がある。 私は一つの光の端から、千種類の色の明りを放つ。 大千世界を取り巻き、下の世界で仏事を行う。 もし私が今、善業によって得た光をすべて放つならば、 世界が大小であっても、すべての者が迷い惑うだろう。 この光から無量の仏が現れ、十方の世界に送り出され、 広く衆生を教化して仏事を行う。このような神通力がある。 私は世界を照らす三昧を持ち、その三昧によって世界を見る。 この三昧を「須弥相」といい、その中に「善法」という名の光がある。 「首楞厳」という名の三昧があり、すべての中で最も勝れている。 清らかな心によって得ることができ、十方に通じ、障りがない。 ある人は、仏が滅度に入るのを見る。ある人は、仏が胎内に入るのを見る。 ある人は、生まれながらに畏れることなく、心静かに七歩歩むのを見る。 ある人は、道場に座るのを見て、「今まさに私が仏になった」と言う。 また、私が法輪を転じるのを見る。また、菩薩の道を修行するのを見る。 あなたがたは、この三昧の力を観じなさい。仏はこの中に住み、自在を得ている。 ある人は、私の寿命が劫数であると知る。ある人は、私の寿命が半劫であると知る。 ある人は、私の寿命が一小劫であると見る。二劫、三劫、四劫、あるいはそれ以上も。 ある人は、私の寿命が一億歳であると見る。あるいはそれ以上、あるいはそれ以下とも。 この閻浮提の世界の人々は、私の寿命が八十歳であると知る。 また、私の寿命が一昼夜であると見る。また、私の寿命が長遠であると知る。 あるいは、三千大千世界の者は、私の寿命が天の一昼夜であると言う。 私は、これらの人々の心の喜びを知り、その喜びに従って説法する。 衆生に応じて姿を現し、それぞれが「自分のために説いてくれている」と思う。 見て喜び、信仰と理解を生む。これが仏の稀有な神通力である。 私があなたに示すことを、すべての凡夫は狂い惑うだろう。 如来の行いや行状を、あなたがたが見ても理解できないだろう。 菩薩が私の深い行いを知れば、その者は法輪を転じることができる。 説法する者たちは、それぞれ自分の好みがあるが、私の行いを完全には知ることができない。 もし普遍的な智慧の行いを知らなければ、その者の説法はきわめて浅いものである。 もしこの法を聞いて心が退没するなら、私はそのために説かない。 もし人が普遍的な智慧の行いを知れば、その心は決して退没しない。 すべての法が平等であると知る者、その人は私の行いに随順する。 堅意よ、知るがよい。これらの経典は、未来の世に受け継ぐ者がないだろう。 ただ、この会の八菩薩だけを除いて、今、私の前に合掌して立っている。 堅意よ、知るがよい。このような人は、私の深い行いを知ることができる。 また、先の会の法の首となり、常に仏法の灯明を照らし続け、 常に衆生に菩提心を教え、常に諸仏に称賛される。 今、私の前に立っているように、過去の仏の前でもまた同じである。 恒河の砂の数ほどの諸仏世尊の前に、この人々はみな現れて立つのである。」 その時、五百人の者が座を立って、合掌して言った。「私たちは法を護りましょう。」 これらはみな、仏が聞き届けた法の護持者である。「堅意よ、あなたもその中にいる。」 また八十人の菩薩が立ち上がった。みな仏法を救い護るためである。 「世尊よ、私は未来の世において、仏法を受け持ち、説かれた通りに修行し、 濁り乱れた悪い世の中であっても、広くこの法の種を説き流布しましょう。」 世尊はすぐに彼らに授記した。すると、空中に七多羅の高さに飛び上がり、 八十億の人が深い喜びを得て、それぞれに授記を聞いた。 その時、仏は阿難に告げた。「あなたは、後の悪世において、 このような諸経を受け持つことができるか。」 阿難は答えた。「世尊よ、私にはできません。」 仏は知りながら迦葉に問うた。「あなたは、私の滅度の後に、 このような諸経を受け持つことができるか。」 迦葉は答えた。「世尊よ、私にはできません。 私は三千世界や、大海の水や、さまざまな山林、 その他の重いものすべてを持ち運ぶことはできても、 悪世において法を護り持つことはできません。 今の世の比丘は多くが悪く、世尊の教える法に従いません。 ましてや世尊が滅度された後に、誰がこの深い経を信じ受けるでしょうか。 必ず私にこう言うでしょう。『あなたは年老いて耄碌し、智慧がない。 どうして逆に、私たちのような利根で聡明で辯才のある者を教えられるのか』と。 世尊よ、このような悪い人々は、世俗の文頌や外道の論を好み、 深い禅定の楽しみを捨て去り、みな世俗のことに執着します。 欲望が多く満たしがたく、足ることを知らず、美味を貪り、利養を求めます。 私はこの悪人を救うことができません。見ればかえって憂い悩みが増すばかりです。 私が閑静な場所に独りでいるとき、釈梵の諸天が来て私に言います。 『私たちの世尊は、このような法を説かれ、多くの衆生を聖道に留まらせた。 ある比丘は無漏を得、ある者は神通を得て彼岸に至った。』 これを聞いて私は心喜び、答えて言います。『何を怪しむことがありましょう！』 しかし後の悪世には、釈梵の天が私のところに来て泣き叫んで言うでしょう。 『大徳よ、知ってください。仏法が壊れています。』 これを聞いて私は憂い悩みを抱き、 この罪の縁を広く説くことができず、またこの経を持つこともできず、 また証明することもできません。悪世の比丘とは話が難しいのです。」 その時、諸天の神々はみな泣き叫んだ。すると仏は迦葉に告げた。 「私も先に、あなたが私の法の種を受け持ち護ることができないと知っていた。 私の声聞の弟子たちも、このような経を受け持つことはできない。 ただ、諸々の菩薩は仏の力によって、このような法を受け持つことができる。 後の悪世において、ある者は疑いを生むかもしれない。私は今、その者の惑いを断ち切ろう。 『この経はなぜ以前はなかったのか。ただこの比丘が自分で作ったものではないか。』 あるいは、この経が多く無限であるのを見て、読誦するために心に恐れをなす。 『この経は広博で散乱している。誰が読誦して究め尽くせるだろうか。』 もし人が、今あなたが私に問い、私が今あなたのために説くのを見たら、 その人は後の甚だしい悪世において、この経を聞いて喜びを得るだろう。」 仏がこのように法を護ることを説かれた時、無量の衆生が菩提心を発した。 これらの衆生はみな思った。「私は未来の世において、この法を聞こう。 後に諸世尊に供養し、一心に仏の大いなる智慧を求め、 舎利や塔廟に供養し、さまざまに尊い形像を飾ろう。」

爾時，阿難從坐而起，偏袒右肩，右膝著地，合掌白佛言：「世尊！當何名為此經？云何受持？」

> その時、阿難は座を立って、右肩をあらわにし、右膝を地につけ、合掌して仏に申し上げた。 「世尊よ、この経の名を何と称し、いかにして受持すべきでしょうか。」

佛告阿難：「此經名為『攝諸善根』，亦名『福德所依』，亦名『安慰諸菩薩心』，亦名『菩薩所問』，亦名『斷一切眾生疑』，當如是持。」

佛說是經已，慧命阿難、堅意菩薩、諸天、龍、神、乾闥婆、阿修羅、人非人等一切大眾，皆大歡喜，信受佛語。

## 佛說華手經卷第十