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title: "大乘法苑義林章 · 3 離合會釋"
description: "窥基，唐代高僧，唯识宗实际创始人玄奘的嫡传弟子，撰写了《大乘法苑义林章》。此书创作于佛教鼎盛的唐朝，是唯识宗的重要论著。全书系统阐述唯识教义，分章辨析法相、唯识、三性等核心义理，组织严密，义理精深。它被誉为大乘佛教的教理百科全书，是研究唯识学不可或缺的权威典籍，对汉传佛教思想发展影响深远。"
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第三離合會釋者。離者別也。合者同也。謂諸經論各各別說諸觀等名。今合解之。但是唯識之差別義。非體異也。一名有三十一類。花嚴等中。遮境離識名為唯心。辨中邊論。遮邊執路名為中道。般若經中。明簡擇性名為般若波羅蜜多。法花經中。明究竟運名曰一乘。此之四名通能所觀真．俗境觀。正智唯真。加行．後得竝通真．俗。若言證者後得唯俗。法花有說唯依果智。但說三車在門外故。宅中出者名衣裓．机案．及門。不與乘名。理亦不然。聲聞．緣覺．不退菩薩。乘此寶車直至道場故通因位。勝鬘經中。六法既為大乘故說。故通加行。至乘章中當具顯示。勝鬘經中。遮餘虛妄名一實諦。顯法根本亦名一依。由空為證。又是空性亦名為空。彰異出纏。顯攝佛德佛從中出。名如來藏。明體不染真實法性。名自性清淨心。功德自體亦名法身。無垢稱經。遮理有差別。名不二法門。大慧經中。表無起．盡亦名不生不滅。涅槃經中。彰法身因多名佛性。楞伽經中。表離言說名不思議。瑜伽等中顯不可施設名非安立。攝大乘等。顯此遍常等名圓成實。對法論等。明非妄倒名曰真如。此十三類名。唯所觀理唯真智境。恐文繁廣略舉爾所。非更無也。謂法界。法性。不虛妄性。不變異性平等性。離生性。法定。法住。法位。真際。虛空界。無我。勝義。不思議界等十四名。如大般若廣釋。合前三十一單名。二名有四。瑜伽論中。施設．非施設。淺深異故。名為安立．非安立諦。即勝鬘經。有作四聖諦。無作四聖諦。涅槃經中。亦名勝義．世俗二諦。顯揚論中。能詮所詮名名事二法。此之三名通能所觀。亦真．亦俗。初．中．後智。攝大乘等。顯所執無名生法二無我。亦通能所觀。唯真非俗。通初．中．後智。三名有四。解深密等。顯一切法有無事理種類差別。名為三性。顯三俱無遍計所執。亦名三無性。此二唯所觀。亦通三智真俗二境。若言三性等觀者。唯能觀非所觀。通三智及真俗。瑜伽等中。明離繫之方便亦名三解脫門。表印深理名三無生忍。唯能觀非所觀。唯本．後二智通真及俗。四名有四。菩薩地中明義總集。名四嗢拕南。諸行無常。有漏皆苦。諸法無我。涅槃寂靜。大智度論。顯宗差別名四悉檀。一世界悉檀。二第一義諦悉檀。三對治悉檀。四各各為人悉檀。此上二門通能所觀真俗三智。諸論以初觀麁亦名四尋思。唯能觀非所觀。唯加行智非中．後智。通真俗二。諸論以後觀細。亦名四如實智。亦唯能觀非所觀。通三智真俗所攝。五名有一。仁王經中。位別印可亦名五忍。一伏忍。在地前伏印故。二信忍。在初．二．三地。創得不壞信。相同世間類故。三順忍。在四．五．六地。順為出世行故。四無生忍。在七．八．九地。長時任運觀無相理故。五寂滅忍。在十地佛地因果位中圓滿寂故。唯能觀非所觀。初唯加行智。後可通餘智。皆通真俗。或名六現觀．七覺支．八聖道．九奢摩佗．十無學法．四念住．四正斷．四如意足．五根．五力等。非菩薩正觀故不別說。如是一切雖異名說。皆是此中唯識境智差別名也。

> 第三に、「離合会釈」について説明します。「離」とは違いを指し、「合」とは共通点を指します。様々な経典や論書では、それぞれ別々の名称で観法などが説かれていますが、ここではそれらを統合して解釈します。これらはすべて「唯識」の教えにおける、異なる側面を表す名称に過ぎず、本質的に別のものではありません。 一つの名称に三十一の種類があります。 『華厳経』などでは、対象（境）を離れて識のみを認めることを「唯心」と名付けます。 『弁中辺論』では、極端な見解を離れた道を「中道」と名付けます。 『般若経』では、物事を正しく選別する智慧を「般若波羅蜜多」と名付けます。 『法華経』では、究極的な運び（救済）を「一乗」と名付けます。 これらの四つの名称は、観察する主体（能観）と観察される対象（所観）、そして真実の世界（真）と世俗の世界（俗）の両方に通じます。 正しい智慧（正智）は真実の世界のみを対象としますが、修行の実践智（加行智）とその後の智慧（後得智）は真実と世俗の両方に関わります。ただし、「証得」という言葉で言うならば、後得智は世俗の世界のみを対象とします。 『法華経』の一部では、この一乗は果たすべき智慧（果智）にのみ依ると説かれ、三車が门外にあると説かれます。家の中から出てきたものは衣・机・台・門などと呼ばれ、「乗り物（乗）」の名は与えられていません。しかし、理屈からしてもそうとは限りません。なぜなら、声聞・縁覚・不退転の菩薩たちは、この宝車に乗って道場に至るからであり、修行の位（因位）にも通じるからです。 『勝鬘経』では、六つの法（六法）が大乗のために説かれているので、加行智にも通じます。この詳細は「乗」の章で明らかにされるでしょう。 『勝鬘経』では、その他の虚妄なものを排除して、「一実諦」と名付けます。また、諸法の根本を示すので「一依」とも名付けます。そして、空によって証得されることから「空」とも呼ばれます。さらに、煩悩を離れた状態（出纏）であることを明らかにし、仏の功徳を包含し、仏がそこから生じることを示して「如来蔵」と名付けます。その本質が汚れのない真実の法性であることを明らかにして、「自性清浄心」と名付けます。功徳そのものであることから「法身」とも名付けます。 『無垢称経』では、真理に差別がないことを明らかにして、「不二法門」と名付けます。 『大慧経』では、生起と消滅がないことを表して、「不生不滅」とも名付けます。 『涅槃経』では、法身の因となるものを多く示して、「仏性」と名付けます。 『楞伽経』では、言葉による説明を離れていることを表して、「不思議」と名付けます。 『瑜伽師地論』などでは、言葉で設定できないことを明らかにして、「非安立」と名付けます。 『摂大乗論』などでは、これが普遍的で常住であることを示して、「円成実」と名付けます。 『対法論』などでは、虚妄や倒錯ではないことを明らかにして、「真如」と名付けます。 これら十三の名称は、観察されるべき真理（所観の理）のみであり、真実の智慧（真智）の対象のみです。文が長くなりすぎるのを避けるため、一部を挙げたに過ぎず、他にもありません。例えば、法界、法性、不虚妄性、不変異性、平等性、離生性、法定、法住、法位、真際、虚空界、無我、勝義、不思議界などの十四の名称は、『大般若経』に広く説明されています。以上が三十一の単独の名称です。 二つの文字から成る名称には四つあります。 『瑜伽師地論』では、言葉で設定できるかできないか（施設・非施設）の深浅の違いにより、「安立諦」「非安立諦」と名付けます。これは『勝鬘経』の「有作四聖諦」「無作四聖諦」に相当します。 『涅槃経』では、「勝義諦」「世俗諦」の二諦とも名付けます。 『顕揚論』では、表現するものと表現されるものを「名」「事」の二法と名付けます。 これら三つの名称は、観察する主体と観察される対象の両方に通じ、真実と世俗の両方に関わり、修行の初期・中期・後期の智慧（初・中・後智）にも通じます。 『摂大乗論』などでは、執着される対象（所執）がないことを「生法二無我」と名付けます。これも観察する主体と観察される対象の両方に通じますが、真実の世界のみに関わり、世俗には関わりません。また、初期・中期・後期の智慧に通じます。 三つの文字から成る名称には四つあります。 『解深密経』などでは、すべての法における有無・事理・種類の違いを明らかにして、「三性」と名付けます。また、三つの性質すべてに遍計所執性がないことを明らかにして、「三無性」とも名付けます。これら二つは観察される対象（所観）のみですが、三つの智慧（三智）の真実・世俗両方の境涯に通じます。もし「三性の観察」などと言う場合は、観察する主体（能観）であり観察される対象ではなく、三つの智慧（三智）と真俗の両方に通じます。 『瑜伽師地論』などでは、束縛から離れるための方便を明らかにして、「三解脱門」と名付けます。深い真理を認めることを示して、「三無生忍」とも名付けます。これらは観察する主体のみであり、観察される対象ではありません。根本智と後得智（本・後二智）のみに通じ、真実と世俗の両方に関わります。 四つの文字から成る名称には四つあります。 『菩薩地』では、重要な意味をまとめて「四嗢拕南」と名付けます。すなわち、「諸行無常」「有漏皆苦」「諸法無我」「涅槃寂静」です。 『大智度論』では、教えの種類の違いを示して「四悉檀」と名付けます。第一に世界悉檀、第二に第一義諦悉檀、第三に対治悉檀、第四に各各為人悉檀です。 これら二つの法門は、観察する主体と観察される対象、真俗・三智に通じます。また、様々な論書では、初歩的な観察を「四尋思」とも名付けます。これは観察する主体のみであり、観察される対象ではありません。加行智のみに関わり、中期・後期の智慧ではありません。真俗の両方に通じます。後の微細な観察を「四如実智」とも名付けます。これも観察する主体のみであり、観察される対象ではありません。三智（三智）に通じ、真俗の両方に含まれます。 五つの文字から成る名称には一つあります。 『仁王経』では、修行の段階に応じて認証することを「五忍」とも名付けます。一つ目は「伏忍」で、菩薩の位に入る前（地前）に煩悩を伏して認証するからです。二つ目は「信忍」で、初地から三地において、初めて壊れることのない信仰を得て、世間の類に同じだからです。三つ目は「順忍」で、四地から六地において、出世間の行いに順じるからです。四つ目は「無生忍」で、七地から九地において、長い間、自然に無相の真理を観じるからです。五つ目は「寂滅忍」で、十地と仏地において、因果の位で円満に寂静であるからです。これは観察する主体のみであり、観察される対象ではありません。初めは加行智のみですが、後には他の智慧も通じ、いずれも真俗に関わります。 あるいは、六現観、七覚支、八聖道、九奢摩他、十無学法、四念住、四正断、四如意足、五根、五力などと名付けられますが、これらは菩薩の正しい観察とは異なるので、特に説明しません。 このように、様々な名称で説かれていますが、これらはすべて、ここで説く唯識の教えにおける、観察の対象（境）と智慧（智）の様々な名前なのである。