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title: "大乘法苑義林章 · 4 何識為觀"
description: "窥基，唐代高僧，唯识宗实际创始人玄奘的嫡传弟子，撰写了《大乘法苑义林章》。此书创作于佛教鼎盛的唐朝，是唯识宗的重要论著。全书系统阐述唯识教义，分章辨析法相、唯识、三性等核心义理，组织严密，义理精深。它被誉为大乘佛教的教理百科全书，是研究唯识学不可或缺的权威典籍，对汉传佛教思想发展影响深远。"
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第四何識為觀者。大眾部等說。六識有染。皆能離染。犢子部等說。五識非染。亦非離染。第六俱有。薩婆多等。六識有染。離染唯第六。於大乘中。古德或說七識修道八識修道。皆非正義不可依據。若能觀識因唯第六。瑜伽第一云。能離欲是第六意識不共業故。通真俗三智。餘不能起行總緣觀理趣入真故。瑜伽又云。審慮所緣唯意識故。第七由他引亦為此觀。通中．後智。佛果通八識能為唯識觀。三智通真俗理事二門。成事非真唯觀俗識。此解依論理或有真。但真如識定非能觀。若論所觀八識皆通因果二位。真識亦爾。

> 第四に、どの識が観察する主体となるのか。 大众部などは「六識には煩悩があり、いずれも煩悩を離れることができる」と説く。 犢子部などは「五識には煩悩がなく、また煩悩を離れることもない。第六識のみに両方が備わる」と説く。 説一切有部などは「六識には煩悩があり、煩悩を離れるのは第六識のみである」と説く。 大乗においては、古の師の中には「第七識が修道する」「第八識が修道する」と説く者もいたが、いずれも正しい義ではなく、依拠してはならない。 能観の識については、ただ第六識のみである。 『瑜伽師地論』第一に「能く欲を離れるのは第六意識であり、これは不共の業であるからである」とある。また、真俗の三智に通じる。他の識は行を起こして総縁の観を修し、真実に入ることができないからである。 『瑜伽論』はさらに「審らかに慮る所縁は、ただ意識のみである」と説く。 第七識は他に引き起こされてこの観をなすこともあり、中智・後智に通じる。 仏果においては八識すべてが唯識観を行える。三智は真俗・理事の二門に通じる。成事智は真実ではなく、ただ俗識を観るのみである。 この解釈は論に依拠すれば、あるいは道理にかなうところもある。ただし、真如識は決して能観とはなりえない。 もし所観について論じれば、八識はいずれも因果の二位に通じる。真識もまた同様である。