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title: "大乘法苑義林章 · 5 釋分量"
description: "窥基，唐代高僧，唯识宗实际创始人玄奘的嫡传弟子，撰写了《大乘法苑义林章》。此书创作于佛教鼎盛的唐朝，是唯识宗的重要论著。全书系统阐述唯识教义，分章辨析法相、唯识、三性等核心义理，组织严密，义理精深。它被誉为大乘佛教的教理百科全书，是研究唯识学不可或缺的权威典籍，对汉传佛教思想发展影响深远。"
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第五分量者。佛地．唯識皆說。法性土雖非色攝不可說其形量大小。然依事相其量無邊。譬如虛空遍一切處。自受用土十地經說。第十地菩薩。得生大自在宮。有十果相現。有大寶蓮華座。周圓如十阿僧祇百千三千大千世界微塵數量。出第十地菩薩。坐登正覺。既成佛竟盡未來際。相續變為純淨佛土。周圓無際眾寶莊嚴。隨法性土量無邊故。他受用土。隨十地菩薩所宜而現。或小或大。或劣或勝。前後改轉。梵網經說。我今盧舍那。方坐蓮華座。一華百億國。一國一釋迦。攝論等云。初地菩薩悟十百門見百佛土。一佛國土三千世界。三千世界有百億四天下。四天下各有一化佛。三千界中有百億化佛。初地菩薩見一百箇百億化佛一受用身。受用身居一大寶蓮花臺。花有百葉。葉即三千大千世界。一受用佛名盧舍那。百箇百億化佛名為釋迦。不離一盧舍那身有眾釋迦。二地菩薩見一受用佛坐千葉蓮華。乃至第十地所見佛極大花葉無邊。且二地中見初地所見十受用身盧舍那．千箇百億化身釋迦。乃至十地見九地所見無量受用身盧舍那．無量化身釋迦。大千世界佛數雖多。不離釋迦之化故。名一佛所化。又小乘中唯言一佛無多化身。亦隨彼機說一佛也。或資糧道見一四天下有一主佛。加行道中見三千界有一主佛。初地以上漸漸增故。故他受用土其量不定。其變化土或淨．或穢．或小．或大。前後改轉亦無定限。隨生所宜一時現故。無垢稱經佛足指按大千界淨。無垢將至預變毘耶一城為淨。說法花經初變大千。次變十方各二百萬億佛國令淨。後更重變。故知大小隨時不定。瓔珞經云。毘盧舍那佛是法身。盧舍那佛是受用身。釋迦牟尼佛是化身。故作是說。

> 第五の土について、仏地経や唯識論では、法性土は色の範疇には属さないため、その形や大きさを語ることはできないと説かれている。しかし、事相の面から見れば、その広がりには際限がない。ちょうど虚空がすべての場所に遍満しているようなものである。 自受用土については、十地経にこう説かれている。第十地の菩薩は大自在宮に生まれ、十種の果相が現れる。そこには大きな宝蓮華の座があり、その周囲は十ア僧祇の百千三千大千世界の微塵の数ほどにも広がっている。第十地の菩薩はその座に上って正覚を成就する。成仏した後は、未来際に至るまで、相続して清らかな仏土に変じ、その周囲は限りなく、無数の宝で荘厳されている。これは法性土の広がりに随って無辺であるからである。 他受用土は、十地の菩薩の機根に応じて現れる。あるいは小さく、あるいは大きく、あるいは劣り、あるいは勝れ、前後に変わっていく。梵網経にはこう説かれている。「我れ今、盧舎那は、まさに蓮華の座に坐す。一つの華に百億の国があり、一国に一の釈迦がいる」と。摂大乗論などの教えによれば、初地の菩薩は百の十百門を悟り、百の仏土を見る。一の仏国土は三千世界であり、三千世界には百億の四天下がある。四天下にはそれぞれ一の化仏がいる。三千世界の中には百億の化仏がいる。初地の菩薩は、百の百億化仏と一の受用身を見る。受用身は一つの大宝蓮華の台に坐し、その華には百の花弁がある。一つの花弁が三千大千世界である。一の受用仏を盧舎那と名づけ、百の百億化仏を釈迦と名づける。一の盧舎那の身を離れずして、多くの釈迦がいるのである。二地の菩薩は一の受用仏が千葉の蓮華に坐すのを見る。このようにして第十地に至るまで、見る仏の花は極めて大きく、花弁も限りがない。また二地においては、初地の見る十の受用身の盧舎那と、千の百億化身の釈迦を見る。このようにして十地においては、九地の見る無量の受用身の盧舎那と、無量の化身の釈迦を見る。大千世界における仏の数は多いけれども、釈迦の化身を離れないので、一仏の所化と名づけるのである。 また小乗においては、ただ一仏のみを説いて、多くの化身があるとは言わない。それもまた、その機根に随って一仏を説くのである。あるいは資糧道においては、一つの四天下に一人の主仏があるのを見る。加行道においては、三千界に一人の主仏があるのを見る。初地以上は次第に増えていくのである。ゆえに他受用土は、その量が定まっていないのである。 変化土については、あるいは清らかであり、あるいは穢れ、あるいは小さく、あるいは大きい。前後に変わっていき、一定の限界もない。生ける者の機根に随って、一時に現れるからである。無垢称経には、仏が足の指で大千界を按ずると清らかになったと説かれる。無垢が来ようとする時、毘耶離の城を予め清らかなものに変えた。法華経を説く時も、初めに大千界を変え、次に十方の各々二百萬億の仏国を清らかにし、後に更に重ねて変えた。ゆえに大小は時によって定まらないと知るべきである。 瓔珞経にはこう説かれている。「毘盧舎那仏は法身であり、盧舎那仏は受用身であり、釈迦牟尼仏は化身である」と。このように説くのである。