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title: "佛所行讚 · 27 歎涅槃品"
description: "佛所行赞是古印度马鸣菩萨所著的佛教经典，由北凉时期高僧昙无谶译为汉文。该诗体传记以优美梵文叙述释迦牟尼佛从降生到涅槃的一生行迹，涵盖八相成道等重要事迹。作为最早的佛传文学作品，其文学价值与宗教意义并重，被誉为佛教史诗。在汉传佛教中具有重要地位，为研究佛陀生平及佛教文学发展提供了珍贵文献，对佛教传播与艺术创作影响深远。"
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### 佛所行讚歎涅槃品第二十七

> 第27章 涅槃を讃える

時有一天子， 乘千白鵠宮，於上虛空中， 觀佛般涅槃。普為諸天眾， 廣說無常偈：「一切性無常， 速生而速滅。生則與苦俱， 唯寂滅為樂。行業薪積聚， 智慧火熾燃。名稱烟衝天， 時雨雨令滅，猶如劫火起， 水災之所滅。」復有梵仙天， 猶第一義仙，處天勝妙樂， 而不染天報，歎如來寂滅， 心定而口言：「觀察三世法， 始終無不壞。第一義通達， 世間無比士，慧知見之士， 救護世間者，悉為無常壞， 何人得長存？哀哉舉世間， 群生墮邪徑。」時阿那律陀， 於世不律陀，已滅不律陀， 生死尼律陀，歎如來寂滅， 群生悉盲冥，諸行聚無常， 猶若輕雲浮。速起而速滅， 慧者不保持，無常金剛杵， 壞牟尼山王。鄙哉世輕躁， 破壞不堅固，無常暴師子， 害龍象大仙。如來金剛幢， 猶為非常壞，何況未離欲， 而不生怖畏？六種子一芽， 一水之所雨，四引之深根， 二觚五種菓，三際同一體， 煩惱之大樹，牟尼大象拔， 而不免無常。猶如飾棄鳥， 樂水吞毒蛇，忽遇天大旱， 失水而身亡。駿馬勇於戰， 戰畢純熟還，猶火緣薪熾， 薪盡則自滅。如來亦如是， 事畢歸涅槃，猶如明月光， 普為世除冥。眾生悉蒙照， 而復隱須彌，如來亦如是， 慧光照幽冥。為眾生除冥， 而隱涅槃山，名稱勝光明， 普照於世間。滅除一切冥， 不停若迅流，善御七駿馬， 軍眾羽從遊。光光日天子， 猶入於崦嵫，日月五障翳， 眾生失光明。奉火祠天畢， 唯有燋黑烟，如來已潛輝， 世失榮亦然。絕恩愛希望， 普應眾生望，眾生望已滿， 事畢絕希望。離煩惱身縛， 而得真實道，離群聚憒亂， 入於寂靜處。神通騰虛遊， 苦器故棄捨，癡冥之重闇， 智慧光照除。煩惱之埃塵， 智水洗令淨，不復數數還， 永之寂靜處。滅一切生死， 一切悉宗敬，令一切樂法， 以慧充一切。悉安慰一切， 一切德普流，名聞遍一切， 重照迄於今。諸有競德者， 於彼哀愍心，四利不為欣， 四衰不以慼。善攝於諸情， 諸根悉明徹，澄心平等觀， 六境不染著。所得未曾得， 得人所不得，以諸出要水， 虛渴令飽滿。施人所不施， 亦不望其報，寂靜妙相身， 悉知一切念。好惡不傾動， 力勝一切怨，一切病良藥， 而為無常壞。一切眾生類， 樂法各異端，普應其所求， 悉滿其所願。聖慧大施主， 一往不復還，猶若世猛火， 薪盡不復燃。八法所不染， 降五難調群，以三而見三， 離三而成三。藏一以得一， 超七而長眠，究竟寂滅道， 賢聖之所宗。已斷煩惱障， 宗奉者已度，飢虛渴乏者， 飲之以甘露。被忍辱重鎧， 降伏諸恚怒，勝法微妙義， 以悅於眾心。修世界善者， 植以聖種子，習正不正者， 等攝而不捨。轉無上法輪， 普世歡喜受，宿殖樂法因， 斯皆得解脫。遊行於人間， 度諸未度者，未見真實者， 悉令見真實。諸習外道者， 授之以深法，說生死無常， 無主無有樂。建大名稱幢， 破壞眾魔軍，進却無欣慼， 薄生歎寂滅。未度者令度， 未脫者令脫，未寂者令寂， 未覺者令覺。牟尼寂靜道， 以攝於眾生，眾生違聖道， 習諸不正業。猶若大劫盡， 持法者長眠，密雲震霹靂， 摧林雨甘澤。少象摧棘林， 識養能利人，雲離象老悴， 斯皆無所堪。破見能成見， 於世度而度，已壞諸邪論， 而得自在道。今入於大寂， 世間無救護。魔王大軍眾， 奮武震天地，欲害牟尼尊， 不能令傾動，如何忽一朝， 非常魔所壞？天人普雲集， 充滿虛空中，畏無窮生死， 心生大憂怖。世間無遠近， 天眼悉照見，業報諦明了， 如觀鏡中像。天耳勝聰達， 無遠而不聞，昇虛教諸天， 遊步化人境。分身而合體， 涉水而不濡，憶念過去生， 彌劫而不忘。諸根遊境界， 彼彼各異念，知他心通智， 一切皆悉知，神通淨妙智， 平等觀一切，悉盡一切漏， 一切事已畢，智捨有餘界， 息智而長眠。眾生剛強心， 見則得柔軟，鈍根諸眾生， 見則慧明利，無量惡業過， 見各得通塗，一旦忽長眠， 誰復顯斯德？世間無救護， 望斷氣息絕，誰以清涼水， 灑之令蘇息，所作自事畢， 大悲已長息。世間愚癡網， 誰當為壞裂？向生死迅流， 誰當說令反？群生癡惑心， 誰說寂靜道？誰示安隱處？ 誰顯真實義？眾生受大苦， 誰為慈父救？猶多訟志忘， 馬易土失威，王者亡失國， 世無佛亦然。多聞無辭辯， 為醫而無慧，人王失光相， 佛滅俗失榮。良駟失善御， 乘舟失船師，三軍失英將， 商人失其導，疾病失良醫， 聖王失七寶，眾星失明月， 愛壽而失命，世間亦如是， 佛滅失大明。如是阿羅漢， 所作皆已畢，諸漏悉已盡， 知恩報恩故，纏綿悲戀說， 歎德陳世苦。諸未離欲者， 悲泣不自勝，其諸漏盡者， 唯歎生滅苦。時諸力士眾， 聞佛已涅槃，亂聲慟悲泣， 如群鵠遇鷹，悉來詣雙樹， 覩如來長眠，無復覺悟容， 椎胸而呼天，猶師子搏犢， 群牛亂呼聲。中有一力士， 心已樂正法，諦觀聖法王， 已入於大寂。言：「眾生悉眠， 佛開發令覺，今入於大寂， 畢竟而長眠。為眾建法幢， 而今一旦崩，如來智慧日， 大覺為照明。精進為炎熱， 智慧耀千光，滅除一切闇， 如何復長冥？一慧照三世， 普為眾生眼，而今忽然盲， 舉世莫知路。生死大河流， 貪恚癡巨浪，法橋一旦崩， 眾生長沒溺。」彼諸力士眾， 或悲泣號咷，或密感無聲， 或投身躃地，或寂默禪思， 或煩冤長吟。辦金銀寶輿， 香花具莊嚴，安置如來身， 寶帳覆其上，具幢幡華蓋， 種種諸伎樂，諸力士男女， 導從修供養。諸天散香花， 空中鼓天樂，人天一悲歎， 聲合而同哀。入城見士女， 長幼供養畢，出於龍象門， 度凞連河表，到諸過去佛， 滅度支提所。積牛頭栴檀， 及諸名香木，置佛身於上， 灌以眾香油，以火燒其下， 三燒而不燃。時彼大迦葉， 先住王舍城，知佛欲涅槃， 眷屬從彼來。淨心發妙願， 願見世尊身。以彼誠願故， 火滅而不燃。迦葉眷屬至， 悲歎俱瞻顏，敬禮於雙足， 然後火乃燃。內絕煩惱火， 外火不能燒，雖燒外皮肉， 金剛真骨存。香油悉燒盡， 盛骨以金瓶，如法界不盡， 骨不盡亦然。金剛智慧果， 難動如須彌，大力金翅鳥， 所不能傾移，而處於寶瓶， 應世而流遷。奇哉世間力， 能轉寂滅法，德稱廣流布， 周滿於十方。隨世長寂滅， 唯有餘骨存，大光耀天下， 群生悉蒙照。一旦而潛暉， 遺骨於瓶中，金剛利智慧， 壞煩惱苦山。眾苦集其身， 金剛志能安，受大苦眾生， 悉令得除滅。如是金剛體， 今為火所焚。彼諸力士眾， 勇健世無雙，摧伏怨家苦， 能救苦歸依。親愛遭苦難， 志強能無憂，今見如來滅， 悉懷憂悲泣。壯身氣強盛， 憍慢虛天步，憂苦迫其心， 入城猶曠澤，持舍利入城， 巷路普供養，置於高樓閣， 天人悉奉事。

> ある時、一人の天子が千羽の白鳥の宮殿に乗り、 虚空の高みで、仏の涅槃を見つめていた。 天の大衆のために、無常の偈を広く説いた。 「全てのものは無常で、速やかに生まれ、速やかに滅びる。 生まれることは苦しみと共にあり、ただ静寂の滅だけが安らぎである。 行いと業という薪が積み重なり、智慧の火が燃え盛る。 名声という煙は天に昇るが、時雨が降れば消え去る。 劫の終わりの火が起こり、水の災いによって滅びるように。」 また、梵仙天という、第一義の仙人のような方が、 天の素晴らしい楽にありながら、天の報いに染まらず、 如来の寂滅を称え、心を定めて口にした。 「三世の法を観察すれば、始まりも終わりも壊れないものはない。 第一義に通達し、世の中で比類なき方、 智慧と知見を持つ方、世間を救う方も、 全て無常によって壊される。誰が長く生きられようか？ 哀れだ、世の中全体が。群生は邪な道に堕ちている。」 その時、阿那律陀（アニルッダ）は、 世の不律陀（悪しき者）を超え、 すでに不律陀を滅し、生死の尼律陀（束縛）を離れた者が、 如来の寂滅を嘆き、群生は全て暗闇にあり、 全ての行（諸行）は集まっても無常で、 まるで軽い雲が浮かぶようだと。 「速やかに起こり、速やかに滅びる。智慧ある者は執着しない。 無常という金剛の杵が、牟尼（聖者）という山の王を壊す。 卑しいかな、世の中は軽く動きやすく、壊れやすく堅固ではない。 無常という猛りの獅子が、龍のような象の大仙を害する。 如来という金剛の幢（旗）すら、無常によって壊される。 ましてや、欲望を離れていない者が、どうして怖れを抱かないだろうか？ 六つの種から一つの芽が出て、一つの水によって雨が降り、 四つの引き（因）で深い根となり、二つの角（觚）と五つの果実を持つ。 三つの時（三世）が一つの体となり、煩惱という大きな木を、 牟尼（聖者）が象のように引き抜いたが、無常を免れなかった。 まるで飾りのある鳥が、水を好んで毒蛇を飲み込んでも、 突然の大干ばつに遭い、水を失って命を落とすように。 駿馬は戦いで勇敢だが、戦いが終われば熟練して帰ってくる。 火が薪に縁って燃え盛り、薪が尽きれば自ら消えるように。 如来もまた同じで、事を終えて涅槃に帰る。 まるで月の光が、世の闇を除くために広く照らし、 衆生は皆その光を浴びるが、やがて須弥山に隠れるように。 如来もまた同じで、智慧の光で闇を照らし、 衆生の闇を除くために、涅槃の山に隠れられる。 名声という勝れた光明は、世の中を普く照らし、 全ての闇を滅ぼすが、その速さは急流のようで止まらない。 巧みに七頭の馬を御する天子、太陽の天子（日天子）は、 軍勢を従えて遊行するが、やがて崦嵫（山）に入る。 太陽と月に五つの覆いがかかれば、衆生は光明を失う。 火を捧げて天に祀る儀式が終われば、ただ焦げた黒い煙だけが残る。 如来がその輝きを隠された今、世の栄光も失われたのも同じだ。 恩愛への希望を絶ち、衆生の願いに応え、 衆生の願いが満たされ、事を終えて希望を絶たれた。 煩惱という身の束縛を離れ、真実の道を得て、 群れの賑わいを離れ、静かな場所に入られた。 神通力で虚空に遊び、苦しみの器である身を捨て、 愚かさの暗闇を、智慧の光で払い除けられた。 煩惱という埃を、智慧の水で洗い清められ、 再び還ってくることなく、永遠の静寂の場所へと赴かれた。 全ての生死を滅し、全ての者が敬い、 全ての者に法を楽しませ、智慧で全てを満たし、 全てを慰め、全ての徳を普く流し、 名声は全てに遍く、再び今に至るまで照らし続けた。 徳を競う者たちに対しても、哀れみの心を持ち、 四つの利得にも喜ばず、四つの損失にも悲しまなかった。 諸々の感覚をよく制御し、全ての根（感覚器官）は明らかに澄み、 心を澄まして平等に観察し、六つの境（対象）に染まらなかった。 得たことのないものを得て、人の得られないものを得、 様々な解脱の水で、渇きに苦しむ者を満たした。 人の施さないものを施し、その報いも望まず、 静かで妙なる相の身は、全ての心の思いを知っておられた。 好き嫌いで心が動かず、力は全ての怨みに勝ち、 全ての病の良薬でありながら、無常によって壊された。 全ての衆生は、それぞれ異なる法を楽しむが、 その求めに応じて、願いを全て満たされた。 聖なる智慧の大施主は、一度去ったならば再び還らない。 世の猛火が薪を尽くせば再び燃えないように。 八つの法（八風）に染まらず、五つの調伏し難い群れを降し、 三つ（三世か三毒）によって三つ（三学か）を見て、三つを離れて三つを成就し、 一つ（一乗か）を蔵して一つを得て、七つ（七識か）を超えて長く眠り、 究竟の寂滅の道に至り、賢者や聖者の帰依するところとなった。 すでに煩惱の障りを断ち、帰依する者は既に彼岸に渡り、 飢え渇きに苦しむ者には、甘露を飲ませられた。 忍辱という重い鎧をまとい、全ての怒りを降伏させ、 勝れた法の微妙な意味で、大衆の心を喜ばせた。 世の善を修行する者には、聖なる種を植え、 正しいことと正しくないことの両方を習う者にも、 等しく受け入れて見捨てなかった。 無上の法輪を転じ、世の人々は皆喜んで受け、 昔から法を楽しむ因を植えた者たちは、皆解脱を得た。 人間の世界を遊行し、まだ渡っていない者を渡し、 真実を見ていない者を、皆真実を見させた。 様々な外道を学ぶ者には、深い法を授け、 生死は無常で、主もなく、楽もないと説かれた。 大きな名声の幢（旗）を建て、魔王の軍勢を打ち破り、 進退に喜びも悲しみもなく、生を軽んじて寂滅を称えられた。 まだ渡っていない者を渡し、まだ解放されていない者を解放し、 まだ静まっていない者を静め、まだ悟っていない者を悟らせた。 牟尼（聖者）の静かな道は、衆生を受け入れるためのものだったのに、 衆生は聖なる道に背き、様々な正しくない業を習っている。 まるで劫の終わりのように、法を護る者は長く眠り、 密雲が雷を轟かせ、林を砕き甘露の雨を降らせる。 若い象が棘の林を砕くように、識（心）は養い人を利するのに、 雲が去り象が老いて衰えれば、それらは何も為し得ない。 誤った見解を破って正しい見解を成就し、世において度し、また度され、 既に様々な邪論を壊し、自在の道を得られた。 今、大いなる寂滅に入られ、世の中には救いの者がいない。 魔王の大軍勢は武力を奮い天地を震わせ、 牟尼の尊を害そうとしたが、動かすことはできなかった。 どうして一朝にして、無常という魔に壊されてしまったのか？ 天の人々は雲のように集まり、虚空に満ち、 尽きることのない生死を恐れ、心に大きな憂いと怖れを生じた。 世の中に遠近なく、天眼は全てを照らし見通し、 業の報いを真実に明らかにし、鏡の中の像を見るように。 天耳は優れて聴達し、遠くのものでも聞こえないものはなく、 虚空に昇って天の人々を教え、人の世界を歩いて教化した。 身を分けてまた合わせ、水に入っても濡れず、 過去の生を憶念し、劫を経ても忘れなかった。 諸々の根（感覚器官）が境（対象）を遊ぶとき、それぞれ異なる思いがあるが、 他者の心を知る智慧の力で、全てを悉く知り、 神通の清らかで妙なる智慧は、全てを平等に観察し、 全ての漏（煩惱）を尽くし、全ての事を終えられた。 智慧は余った世界を捨て、智慧を休めて長く眠る。 衆生の剛い心も、見れば柔らかくなり、 鈍い根の衆生も、見れば智慧が明るく鋭くなる。 無量の悪業の過ちも、見ればそれぞれに通じる道を得る。 一度に長く眠られてしまえば、誰が再びこの徳を示すだろうか？ 世の中に救いの者はいなくなり、望みは絶たれ息は絶えた。 誰が清らかな水を注いで、蘇らせることができるのか？ 為すべきことを自ら終え、大いなる慈悲は長く息を引き取られた。 世の中の愚かさの網を、誰が打ち破るのだろうか？ 生死の急流に向かって、誰が「戻れ」と説くのだろうか？ 群生の愚かで惑った心に、誰が静かな道を説くのだろうか？ 誰が安らかな場所を示すのか？誰が真実の意味を明らかにするのか？ 衆生が大きな苦しみを受けているとき、誰が慈父となって救うのか？ 訴訟が多くて忘れやすく、馬は易々と地の威光を失い、 王は国を失う。世に仏がいないのも同じだ。 多く聞く者でも弁舌がなければ、医者であっても智慧がなければ、 人王が光の相を失えば、仏が滅びれば俗は栄光を失う。 良き馬は良い御者を失い、船は船頭を失い、 三軍は優れた将軍を失い、商人は導き手を失い、 病人は良い医者を失い、聖王は七宝を失い、 多くの星は月を失い、命を愛しながら寿命を失うように、 世の中もまた同じで、仏が滅びれば大いなる光明を失う。 このように阿羅漢は、為すべきことを全て終え、 諸々の漏（煩惱）を全て尽くし、恩を知り恩に報いるために、 深く絡みつく悲しみと慕情をもって語り、 徳を称え、世の苦しみを述べた。 まだ欲望を離れていない者たちは、悲しみ泣いて自ら抑えられず、 漏（煩惱）を尽くした者たちは、ただ生滅の苦しみを嘆くばかりだった。 その時、力士たちは、仏が涅槃に入られたと聞き、 声を乱して慟哭し悲しみ泣いた。まるで群れの鶴が鷹に出会ったかのようだった。 皆、沙羅双樹の木の下に集まり、如来が長く眠っているのを見て、 もはや目覚める姿はなく、胸を叩いて天を呼んだ。 獅子が子牛を襲う時の、牛の群れの乱れる叫び声のようだった。 その中に一人の力士がいた。心はすでに正法を楽しみ、 聖なる法王が大いなる寂滅に入られたのを、静かに見つめていた。 彼は言った。「衆生は全て眠っているが、仏はそれを開き覚まさせた。 今、大いなる寂滅に入り、ついに長く眠られた。 衆生のために法の幢（旗）を建てたが、今やそれが崩れ去った。 如来という智慧の太陽は、大いなる悟りによって照らし、 精進を熱気とし、智慧は千の光を輝かせ、 全ての闇を滅ぼした。どうして再び長い闇に包まれるのか？ 一つの智慧が三世を照らし、全てを衆生の目としてきたのに、 今や突然に盲目となり、世の中は皆、道を知らない。 生死という大河の流れは、貪り・怒り・愚かさという大波を立てている。 法の橋が一度崩れれば、衆生は長く溺れ続ける。」 彼ら力士たちは、ある者は悲しみ泣き叫び、 ある者は密かに感じて声もなく、ある者は地に身を投げ、 ある者は静かに禅定に入り、ある者は煩悶して長く呻いた。 金や銀の輿（駕輿）を用意し、香花で美しく飾り、 如来の御身を安置し、宝の帳をその上に掛け、 幢幡・華蓋を備え、様々な伎楽を奏で、 力士たちの男女が導き従い、供養を修行した。 天の人々は香花を散らし、虚空で天の楽器を打ち鳴らし、 人と天とは一つに悲しみ歎き、その声は混ざり合って同じ哀しみとなった。 城に入り、男女や老若の供養が終わり、 龍象門を出て、凞連河の向こう岸を渡り、 過去の諸仏が滅度した支提（塔・聖地）に至った。 牛頭栴檀（香木）や、様々な名高い香木を積み、 その上に仏の御身を置き、様々な香油を注ぎかけ、 下から火をつけたが、三度燃やそうとしても燃えなかった。 その時、大迦葉（マハーカッサパ）は、先に王舎城に住んでいたが、 仏が涅槃に入られようとしているのを知り、眷属を連れてそこへ来た。 清らかな心で素晴らしい願いを起こし、「世尊の御身を見たい」と願った。 その誠実な願いの力によって、火は消えて燃えなかった。 迦葉の眷属が到着し、悲しみ歎きながら皆で御顔を瞻り、 両足を礼拝すると、その後で火は燃え上がった。 内に煩惱の火が絶たれているので、外の火は燃やすことができず、 外側の皮や肉は焼けても、金剛のような真の骨は残った。 香油は全て燃え尽き、骨は金の瓶に納められた。 法界が尽きないように、骨もまた尽きなかった。 金剛の智慧の果実は、須弥山のように動かし難く、 大力の金翅鳥（ガルーダ）でも動かすことはできない。 それなのに宝瓶の中にあり、世に応じて流れ移った。 不思議だ、世の中の力が、寂滅の法を転じてしまうとは。 徳の称賛は広く流布し、十方に満ち渡った。 世に従って長く寂滅に入られ、ただ余りの骨だけが残った。 大いなる光明は天下を照らし、群生は皆その光を浴びたが、 一旦その輝きを潜め、骨は瓶の中に残された。 金剛の如き利剣の智慧は、煩惱と苦しみの山を打ち砕いた。 衆苦がその身に集まっても、金剛の志は安らかでいられた。 大きな苦しみを受ける衆生を、全て苦しみから除き滅ぼさせた。 このような金剛の体が、今は火によって焼かれてしまった。 彼ら力士たちは、勇猛で世に並ぶ者もなく、 怨みの苦しみを打ち砕き、苦しむ者を救う帰依処であった。 愛する者が苦難に遭っても、強い志で憂いなくいられたのに、 今、如来の滅びを見て、皆、憂い悲しみ泣いた。 その逞しい体と気力は盛んで、傲慢にも虚空を歩くようだったが、 憂いと苦しみが心を圧し、城に入っても広い荒野のように感じられた。 舎利（仏舎利）を携えて城に入ると、巷の道中いたる所で供養され、 高い楼閣に安置され、天の人々も皆、敬い仕えた。